15. 生誕祭の罠 5
※グロテスクな表現が含まれています。
リリアナが飛んだのは瘴気の真っただ中――即ち、魔物たちが最も多く集結している場所だった。瘴気に触れても大丈夫なように体の周囲に結界を張っているため影響はないが、結界がなければ直ぐに瘴気に中てられ意識を失ってしまうだろう。その後に待つのは死だ。
転移したリリアナは周囲を確認する。瘴気が濃すぎてほんの僅かな距離しか見えない。元々魔物襲撃のど真ん中に人間が居るとは思っていなかったが、気配を探ったところ魔物の魔力しか感じ取れなかった。案の定誰もいないようで、安堵する。
(さすがに多いわね。それに、異形ばかりですわ)
魔物が多くても怖気づくリリアナではないが、思わずぼやいた。これまでの魔物たちは基本的に動物のような姿形をしていた。だが、今リリアナの周囲を取り囲んでいる魔物はおよそこの世の物とは思えない見かけだ。それこそ、書物に出て来る悪魔や魔物のような姿である。魔物に慣れた騎士団や魔導士であっても腰を抜かしそうなほど恐ろしい容貌だが、リリアナは興味津々だった。だが、しげしげと観察する時間はない。
魔物たちはリリアナに視線を向け、口から瘴気を吐きながら襲い掛かろうと全身に力を込める。
「【鎌風】」
詠唱した途端、リリアナを中心とした巨大な風が巻き起こり、一瞬にして魔物たちが八つ裂きにされる。すぐに「【浄化、消滅】」と唱えた。多少、周辺の瘴気は薄くなるがすぐに元の濃さに戻る。視界に頼ることはできないと早々に諦め、リリアナは魔力を探知して近くに居る魔物の位置を特定することにした。尤も、リリアナの使う風魔術は魔力を込めすぎると魔物だけでなく周囲の植物も傷けてしまう。だが無闇に木を伐採することは避けたい。木が成長するには時間が掛かる。少し考えた結果、リリアナは周辺の魔物を結界で囲み、その中で風魔術を使うことで周辺への被害を軽減させることにした。
初めて遭遇した魔物襲撃では最初から光魔術を使ったが、魔力消費を節約するためには得意な風魔術を駆使して小刻みに魔物を討伐していく方が効率的だった。最高位の光魔術を使ってしまえば、今回の魔物襲撃を収束させる前にリリアナの魔力が尽きる。前回の時も、リリアナは三回使った段階で魔力切れを起こした。あの時はそれで足りたが、今回は規模を考えても三回では終わらないだろう。それでも、魔物を直接倒した後で瘴気のみを浄化させる方法であれば魔力は足りるはずだと算段を立てる。
(それにしても――ここにペトラは居るのかしら)
魔導石で連絡を取ろうとしても応答がなかった。索敵の術で居場所を探ろうにも、瘴気が濃すぎる上に魔物が多くて正確に魔力と体温を感知できない。足早に瘴気に満ちた森の中を進みながらも、リリアナは一瞥すらせず魔物を結界に閉じ込め、風魔術で一つ残らず屠り、浄化と消滅を繰り返す。それでも瘴気は薄くならない。恐らく天にまで届くほどの瘴気は未だ保たれたままだろう。
「魔導石で連絡を取れたら、それが一番良かったのですけれど」
歯噛みしながら呟き、ふと一つの可能性が脳裏に閃く。リリアナは近場に居た魔物を風魔術で屠り浄化する一連の術を流れるように行使しながら、隠しポケットから魔導石を取り出した。ペトラに繋がるよう働きかけ、自分の魔力を強めに流す。魔力の糸がペトラの持つ魔導石に繋がる像を想像し距離と方角を探る。魔導石を媒介とした転移陣の応用だ。
咄嗟に思い付いたことで、確証はない。珍しく緊張で顔を強張らせていたリリアナだったが、比較的すぐに感覚を掴んだ。
(――近いですわね)
嫌な予感が当たった。ペトラは瘴気の中に居る。だが、魔力の鼓動は感じた。少なくとも魔力が尽きているわけではなさそうだ。魔導石を介して掴んだ魔力の残滓を見失わないように細心の注意を払いながら、リリアナはペトラの元に転移する。
「――――!」
リリアナの全身が総毛立ち、ここから逃れるべきだと脳内で警報が鳴る。
そこは街の外れにある宿屋の残骸の真上だったが、辺り一面に死の匂いが満ちていた。リリアナが居た場所よりも一層瘴気が濃い。元の状態が想像できないほどに周辺は破壊しつくされ、千切れた人体の一部が瓦礫に埋もれている。視界は暗いが、もし瘴気が晴れたらこの周辺一帯はまさに地獄絵図だろう。
血と瘴気の臭いが混じって、臓腑から腐っていく気すらする。真っ黒な世界に蠢く有象無象の異形たちは、絶え間なく人間に攻撃を仕掛けていた――だが、この近辺にある人の気配はリリアナを除けば三つ。
咄嗟にリリアナはフードを引っ張って目深にかぶり直した。そこに居たのは、ペトラだけではなかった。ペトラと、彼女が結界で庇うように護っていた二人の子供がリリアナに気が付き顔を上げる。子供二人はリリアナの正体に気が付いていない様子だったが、ペトラは直ぐにリリアナに気が付いたようだった。
「おじょ――っ!」
お嬢サマと言おうとしたのだろうが慌てて言葉を飲む。そして咳き込んだ。口から血が零れ落ちる。ペトラは満身創痍だった。顔は血の気が失せ、腹部と左腕から大量に出血している。結界を張るだけで精一杯なのだろう。だが、その結界も徐々にほころびを見せ始めている。今にでも結界が解けそうだが、それを支えている存在がいた。子供のうちの一人――タニア・ドラコだった。そして、もう一人の子供ベラスタ・ドラコは蒼白な顔を引き攣らせながらも、ペトラとタニアを守らんと拳を握りしめている。攻撃魔術を放ったのか、三人の周囲は水浸しだ。
(ベラスタ・ドラコの得意魔術は水でしたわね)
リリアナは顔を見られないよう彼らに背を向け、ゲームの設定を思い出す。ペトラの手当てを今すぐにでも行いたいが、魔物たちが放つ禍々しい瘴気と闇魔術による攻撃はひっきりなしにリリアナたちを襲っていた。ある程度は魔物を排除しなければ、落ち着いて治療にも当たれない。リリアナは念のため、簡単にペトラの体に治癒魔術をかけて出血を抑える。だが完全ではない。術を掛け終わる前に数十近い魔物が一斉攻撃して来た。咄嗟に治癒魔術を止め、鎌風で迎え撃つ。
先ほどまでリリアナが居た場所よりも魔物の数が多い。獲物が多い場所に惹かれたのか、それともこの街に彼らの注意を惹き付ける何かあるのかは分からない。魔物を迎撃する手は止めないものの、段々とリリアナは単一な攻撃に飽きて来た。
(どこを見ても異形の魔物ばかりですし、興味深いですわね。後から解剖できますかしら)
異形の魔物を解剖するためには原形が残っていなければならない。目的を達成するためには、リリアナが使っている破壊に長じた風魔術は不向きだった。
(一番得意な魔術ではございませんが、試してみましょう――【凍結】)
この世界では水魔術単独で行使される術だが、リリアナは水と風魔術の両方を使う。魔物の表層と体内に窒素を凝集させ、不純物がない状態を保ち液体化する。途端に魔物たちは凍り付き動きを止めた。完全に凍り付いた魔物たちは死んだわけではない。前世の世界で液体窒素は細胞の保存維持に有用とされ、血液や生殖細胞の凍結保存に使われていた。異形ではあるものの、以前解析した魔物と同じ物質で体が構成されているのであれば、液体窒素で状態を維持したまま保存できるはずだ。だが、ただ凍らせただけでは時間の経過により体温が戻って生き返る可能性を否定できない。リリアナが居ない場所で魔物が復活してしまうのは問題だった。
(【魔術・固定】)
リリアナは魔物に掛けた魔術を固定化し勝手に解けないようにする。魔物の生体を凍結保存することが吉と出るか凶と出るかは賭けだった。いずれにせよ、今回の魔物襲撃を収束させた後で捕えた魔物を解剖すれば、そこで初めて成功かどうか分かるだろう。
一部の魔物を凍結させる一方で、リリアナは無数の魔物を風魔術で次々と屠る。一人ではなく複数の魔導士たちが攻撃と守備を請け負っているようにしかみえない流暢さで、八つ裂きにした魔物たちを消滅させ片っ端から浄化していく。その様はまさしく神業だった。
「すっご――」
背後で呆然としたベラスタの声がする。それまで防戦一方だったベラスタたちにとって、膨大な数の魔物をたった一人で難なく排除する謎の存在はあまりにも偉大だった。手伝おうかと思ったところで、ベラスタもタニアも謎の人物が放つ魔力に圧倒され身動き一つ取れない。そんな子供二人の気配を背後に感じながらも、リリアナは次々と魔物たちを風魔術で倒していく。
視界を埋め尽くすほど居た魔物が多少減った時、リリアナの背後でペトラの魔力が消えた。
「ペトラッ!!」
悲鳴が上がる。悲壮なタニアの声を耳にしたリリアナは咄嗟に振り返ったが、辛うじてフードの影に顔を隠すことに成功した。肩越しにそっと窺えば、どうやらペトラは完全に気を失ったらしい。流血が激しく呼吸が激しい――失血性ショックを起こしている。
一瞬でリリアナは自分たちを取り囲む魔物たちの数と距離を確認する。そして、これならいける――と意を決し、魔物への攻撃を止めた。代わりに、自分とペトラ、ベラスタ、そしてタニアの周りに結界を張る。結界は雷を纏っていた。ただ防御するためだけの結界ではなく、魔物は結界が纏う雷電に近づいただけで雷撃を受け命を落とすという物騒な代物だ。このような結界はまず存在しないが、魔物襲撃においては非常に有用だと考えリリアナが開発した。案の定、雷撃付きの結界を知らないらしい数匹の魔物が結界に突撃した瞬間に雷撃を受け、物言わぬ骸に変わる。
フードで顔を隠したリリアナは、ペトラに近づき体に手を翳した。魔力を掌に集中させ傷口の修復を行う。本来であれば輸血を行いたいところだが、魔術を使っても輸血はできない。できることは限られているため、生き延びられるかどうかはペトラの体力に掛かっていた。少しでも足しになればと、魔力をペトラに注ぐ。この世界で魔力は生命力を繋ぐ一つの力だ。少しペトラの顔色が良くなったのを確認して、リリアナは再び立ち上がった。そのリリアナに、タニアが声を掛ける。
「あの――ペトラは、これを設置しようとしてたの」
小さな手で差し出されたのは、転移陣が描かれた紙だった。他には、ベン・ドラコの私邸で見た覚えのある陣が転写された紙が四枚と、そして掌に乗る大きさの魔導石が五個入った袋。
(――そう。ペトラは、これを使おうとしていたのですわね)
それは、ペトラとベン、そしてリリアナが秘密裏に作っていた魔物襲撃の対抗策だった。陣を所定の場所に設置すれば結界が張られ、その中で所定の文言を唱えれば強制的に結界内部が浄化される。膨大な魔力も最高位の光魔術に対する適性も要らない、画期的なものだった。つまり、これさえあれば聖魔導士がおらずとも魔物襲撃を収束させることができる。
だが、ベラスタとタニアを護りながら魔物と戦いつつ陣を設置するのは、ペトラには難しすぎたのだろう。ペトラが出来ないのであれば、たいていの人間が諦めるに違いない。そして、ペトラは二人を連れて転移することはできても、自分以外の人間だけを転移させることはできない。つまり、ベラスタとタニアだけを魔物襲撃圏外に逃すことは選択肢に上がらなかったのだ。
(でも、わたくしなら出来ますわ)
人間も物も転移させたことはある。これほどの距離を転移させることはなかったが、それでもリリアナには確信があった。違う場所から自分の手元に持って来ることはできないが、自分の近くにある物を遠方に運ぶことはできるだろう。
リリアナは躊躇わずに、ペトラとベラスタ、そしてタニアを自分の魔術で包んだ。薄っすらと笑みを浮かべ、無言で詠唱を唱える。リリアナが何をしようとしているのか分からないらしいベラスタとタニアは、わずかに警戒を滲ませながらも動かずにフードを被った謎の人物を凝視している。そして、リリアナは二人に反撃の機会すら与えず、ベン・ドラコの私邸へ強制的に三人を転移させた。
「無事に届いたかしらね」
リリアナは一人呟き、留守を預かっているだろうポールの心労を思う。突然、出血多量で意識不明のペトラと、恐らく彼女から離れようとしない双子が館に現れるのだ。一体何が起こったのか分からず混乱するだろうし、双子の相手をしながらペトラの治療に当たらなければならない。ペトラに関しては、ドラコ家お抱えの口が堅い医者がいることを願うだけである。だが、それだけではない。ポールには更なる困難が待ち受けている。王宮で耳にした限りでは、ベンも謀反の疑いを掛けられ勾留か謹慎を申し付けられたはずだ。
リリアナは周囲に視線を向けた。案の定、今回の魔物襲撃で出現した魔物たちはそれなりに知能が高いらしい。結界の周囲で息絶えた魔物は数匹で、他の魔物たちは雷電が届かない場所からリリアナの出方を窺っている。薄っすらとリリアナは笑みを浮かべた。
「転移陣は今更敷いても、騎士団は使いませんでしょう。無意味なことはやめておきましょうね」
転移陣が魔物襲撃の現場に置かれたと知らせる術もない。それならば、ペトラが設置しようとしていた浄化の陣を張ることがリリアナの使命だ。恐らくペトラは転移の術を使い設置する予定だったのだろうが、リリアナであれば自分が転移する必要はない。
四枚ある陣はほとんど同じだが、一ヵ所だけ異なる文字が書かれている。火、水、風、そして土の四属性を示す古代文字だ。本来であれば五枚から成るが、光を記した一枚目はペトラが設置し終えているのだろう。リリアナは迷いなく手元にある四枚を転移の術で送る。送る順番が肝要だった。
掌に小さな魔力の塊を練り、遥か上空へと飛ばす。球体を介して、リリアナは上空から地上を見下ろす。そして瘴気の範囲を把握し、紙の置き場所を特定した。瘴気を囲むほど大きな五芒星を一筆書きできるよう、四属性を司る陣が描かれた紙を転移させる。最後の陣を置いた時点で術が完成し、結界が張られる。魔物も瘴気もそれ以上、範囲を広げられない。内部にあるものを守るためでなく、封じるための術だった。
最後の一枚を転移した途端に、張り詰めた音がリリアナの耳に届く。術が完成した。リリアナは思わず笑みを浮かべる。凍結させた魔物だけを自分が張った小さな結界の内側に取り込み、姿が見えないように術を掛けた上で王都近郊にある自分の屋敷の地下牢へと転移させる。そしてリリアナは自分を守る結界の外側、そして五芒星が作った巨大な結界の内側に最後の仕上げを講じた。
「【古より伝わりし星の光の加護、月の灯の澄明、太陽の炎の裁定】」
視界が真っ白に染まる。それは、以前に魔物襲撃で最高位の光魔術を使った時とほとんど同じ現象だった。リリアナは満足気に微笑む。白い視界が元に戻ると、瘴気は晴れ魔物の姿は消え去っている。
実戦で使うのは初めてだったが、ペトラとベンの三人で開発した陣は無事に作動したようだ。ベンの今後が分からない現在、実用化に至るかは不明だが、現場では重宝されるに違いない。
「陣は自動的に消滅致しますから、回収の必要もございませんしね」
繰り返し使えるようにすることも考えたが、何者かによって改悪されることを懸念し、一度使えば陣は消滅するように術を組んだ。その方が魔力消費量が抑えられるという長所もあったが、今は一々取りに戻る必要がないことが有難い。
王宮に戻るだけの魔力は残っているが、疲労感は付きまとう。今すぐにでも寝台に潜り込んでしまいたい気分になりながら、リリアナは転移の術で王都の部屋に戻った。









