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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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15. 生誕祭の罠 4


魔物襲撃(スタンピード)が発生してしまえば、生誕祭を続けられるわけはない。急遽中止となったが、会場の貴族たちは自分たちの邸宅に戻りたいとは言わなかった。唯一魔物襲撃(スタンピード)に対処できる騎士団や魔導士が詰めている王宮に居たいと思うのは当然の心理だ。だが、全員を収容できる客室を即座に準備できるわけがない。用意されているのは王都に邸宅を構えられない地方貴族や下位貴族たち用の客室である。それにも関わらず、高位貴族の中には自分たちを優先的に滞在させろと侍従に迫る者もいた。尤も王宮は本来王族の住まいだ。客室も王族の厚意によって用意されるものであり、一介の貴族が要求したからといって簡単に宿泊用の部屋が用意されるはずもない。


リリアナは横目でクライドを見る。クライドは唇を引き結んでいた。視界の端に映ったライリーと大公フランクリン・スリベグラードは、護衛騎士に先導され会場を立ち去るところだった。大公は顔を不快に歪めて、何事かを言っている。ライリーの目は気遣わし気に会場を彷徨い、リリアナを見つけてホッと顔を緩めた。そして隣に立つクライドに目を向け小さく頷いてみせる。


会場近辺の騎士団と魔導士たちは上を下への大騒ぎだった。王都全体に結界を張り魔物が王都に侵入しないよう手配すると同時に、現場の収束に向かわなければならない。だが、問題はその現場が一昨日に発生した魔物襲撃(スタンピード)の現場とそれほど遠くないことだった。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そしてそれ以上に、リリアナには懸念があった――現場の、近くには恐らく。


(――ペトラが、居るかもしれませんわ)


一昨日の魔物襲撃(スタンピード)で足止めを食らった貴族たちも居るに違いない。

ペトラから連絡がないのは、彼女が魔物襲撃(スタンピード)の現場から遠い場所にいるのか、もしくは巻き込まれて連絡を取る余裕がないかのどちらかだ。できれば前者であって欲しいと思うが、確率的には後者と五分五分である。焦燥がリリアナの胸を焦がす。

魔導省は王都を守ることに焦点を当てているが、本来であれば魔物襲撃(スタンピード)を早期に収束させるため騎士団と魔導士たちを現場に急行させなければならない。


「リリー、行こう」


緊迫した口調のクライドに腕を引かれ、リリアナは会場を後にする。固い表情のクライドがどこに向かうつもりなのか、リリアナは分からない。だが、彼がリリアナを守るつもりであろうことは簡単に推察できた。だが、ただ守られるのはリリアナの本意ではない。


(【遠耳(アプヒューロン)】)


全員が魔物襲撃(スタンピード)に気を取られている今の状況で、王宮内で魔術を使っていると気付かれる可能性は非常に低い。だから、リリアナは躊躇わなかった。

対象者は複数――ライリー、宰相であるクラーク公爵、魔導省長官ニコラス・バーグソン、それから騎士団長トーマス・ヘガティ。騎士団長には会ったことがないから、術が届くかどうかは賭けだった。しかし無事に術は成功したようで緊迫した声が聴こえて来る。

リリアナの薄緑色をした双眸の色が濃くなる。普通の人間であれば混乱し処理できない複数の音を、リリアナの脳ははっきりと聞き分けていた。初めての試みで自信はなかったが、内容を間違いなく把握できることに安堵する。だが体力と精神力の消耗が激しい。リリアナは足をもつれさせ、クライドに支えられた。


「大丈夫? リリー、顔色が悪い」


クライドの表情が曇る。リリアナは一瞬悩んだが、すぐに弱弱しく首を振った。

できれば落ち着いた場所で一人になり、情報収集に集中したかった。そして、騎士団と魔導省の動きによっては自ら現場に転移したい。リリアナが行けば、魔物襲撃(スタンピード)は直ぐに収束できる。そのためには、クライドも含めて人目が邪魔だった。残された時間は少ない。初動が遅ければ被害はその分甚大になり、取り返しがつかなくなってしまう。


本当に体調が悪いわけではないが、クライドは本気でリリアナが瘴気に恐怖していると思っている。その心を、リリアナは躊躇わずに利用することにした。案の定、クライドは唇を引き絞り休める客室を用意して欲しいと近くにいた侍従に交渉し始める。リリアナは盛んに聞こえて来る“声”に集中していたが、リリアナが王太子の婚約者候補であることが功を奏したのか、それとも家格のお陰か、クライドはあっという間に客室を一室確保していた。



*****



クライドが気遣わし気な表情をリリアナに向ける。


「――マリアンヌを呼ぶよ。良いね」


本音では断りたい。だが、今の混乱した状況で王宮に居る衛兵や騎士を借りるのも憚られる。致し方なしにリリアナは頷いた。クライドは少し躊躇い、寝台に寝ころんだリリアナの額に軽く唇を落とす。兄が妹に向ける愛情故の行動だと分かっていても、一瞬リリアナはずっと聞こえていた“声”が耳に入らなくなるほど驚いた。


「殿下に呼ばれているんだ。本当は僕が傍に居たいけど――落ち着くまで戻れないかもしれない。この部屋は明日の昼まで借りられるように手配したから、ゆっくり休んで」


クライドの言葉にリリアナは首を振る。気にしないで欲しいという意志表示に、クライドは少し寂しそうな表情を浮かべた。だが、何も言わずに「それじゃあ」と言って部屋を後にする。扉を閉める瞬間、マリアンヌが来るまでは扉の前を守るようにと騎士に告げた。恐らく王都の邸宅で帰宅を待っているマリアンヌは飛んで来るだろう。リリアナは小さく溜息を吐いて、聞こえて来る“声”に集中する。

頭が割れるほどに騒がしい。寝台に寝ころんだまま虚ろな目で、リリアナは複数の“声”に神経を張り巡らせる。


『早く騎士団を急行させるべきです、こうしている内にも被害は甚大に――取り返しがつかなくなります』

――騎士団長に騎士が詰め寄る。


『王都の結界はまだ張り終わらないのか!』

――魔導省長官の発狂したような怒号が飛ぶ。


『騎士団が転移できません、結界を張ってしまったら到着地点に転移陣がないと動けません。ですが、陣を持って行ける人間が現在別の場所で任務に当たっているということです』

――騎士団長に部下が報告する。


『結界を早急に張らないと、貴族たちが恐怖を覚え王族に不信感を募らせることになりますぞ』

――王太子に宰相が進言する。


『だが、臣民たちを切り捨てることはできない』

――その中で、まだ幼さの残る声が毅然と反論する。


『転移陣が作動しません!』

――――混乱が混乱を呼ぶ。


そして、冷酷な声が響く。


『殿下、全てを救おうと考えれば全てを失います。百を救うためにはその内の一つを切り捨てるご覚悟をお持ちください』


どれほど時間が経ったのか。リリアナにとっては長く感じられる時間だったが、一刻も経っていないに違いない。扉を叩く音がして、王都の邸宅でリリアナたちの帰りを待っていたはずのマリアンヌが顔を出す。急いで来たのだろう、髪はほつれて乱れ、息を切らしていた。緊張に顔を蒼褪めさせながら、気遣わし気な視線をリリアナに向ける。


「大丈夫ですか、お嬢様」

〈ええ、大丈夫よ。でも今日はもう休みたいの。着替えを手伝って貰えるかしら〉


さすがにドレスでは居心地が悪い。マリアンヌが持って来たのは簡素なワンピースだった。それを着れば、公爵令嬢としては相応しくないものの、外を歩くこともできる。

着替え終えたリリアナは、一人にしてくれるようマリアンヌに頼み込んだ。マリアンヌは傍を離れたくなさそうだったが、リリアナが頑として譲らずに居ると諦めて隣接している侍女用の小部屋に引っ込んだ。


状況は把握した。指揮系統は混乱している。宰相を筆頭とした顧問会議の面々は、保身に走り王都に結界を張ることを優先している。だが、それでは今すぐにでも現場に駆け付けたい騎士団の思惑に逆行する。騎士団が動けないのは、国王代理として指示を出す宰相から許可が下りないからだ。そして、自力で転移して目標地点に転移陣を置ける能力を持つ魔導士が今、王宮に居ない。転移陣が作動しないのは目標地点に受け入れ用の陣を置いていないからだろうが、全てが後手に回っている。対応の遅れに騎士団は焦っているようだった。

既に痺れを切らした騎士団長が、上層部からの許可も得ずに団長権限で二番隊を動かそうと考えている様子も窺える。


恐らく忙しいだろうと思いながら、一旦リリアナはベン・ドラコに連絡を取った。魔導石を取り出し、防音の結界を張った上で声を潜める。


「聞こえますか?」


背後が騒がしい。だが、すぐにベンは応えた。


『――ああ、聞こえる。どうした』

「騎士団も魔導士も現場に行けないようですが、」

『無理だ。誰かが転移陣に細工をしたらしい』


苦々しい言葉でベンは吐き捨てる。リリアナは眉根を寄せた。目標地点にも転移陣がなければ、転移陣は作動しないはずではなかったか――と考え、すぐに以前ペトラから教えて貰った講義内容を思い出す。


(目標地点を定めない転移陣がありましたわね)


転移陣は他の転移陣がなければ作動しないことが基本だが、それを発展させたもので目標地点を定めないものがある。自力では転移の術を使えないが、ある程度は魔術で転移先を制御できる魔導士が使うものだ。使える人間は限られているが、リリアナやペトラのように自分の魔術だけで転移できる人間よりも数は多い。

そして、先ほど聞き取った会話から推測するに、魔導省が用意していた目的地が固定されていない転移陣を使えば王都に結界を張っても任意の地点に転移できるのだろう。勿論、そのような転移陣を使える人間は更に限られるはずだ。


そのごく限られた魔導士は目標地点を定めない転移陣を使って魔物襲撃(スタンピード)の現場に赴き、そこに集団転移用の転移陣を置く予定だったのだろう。転移陣に細工をされたということは、その目標地点を定めない転移陣が使えなくなっていたに違いない。術者の思惑を裏切り辺境へ強制転移させられるような細工ではなくて良かったと思う反面、一体誰がそのようなことをしたのかが気にかかる。だが、今はそれを言及する時間がない。

最初の転移陣に細工がされた今、騎士たちは馬を駆けさせ現場に急ぐ必要がある。ただし、ここで問題となるのは、現場に近づくためには途中で馬を乗り捨て徒歩で向かわなければならないということだ。たとえ魔導士が瘴気に対する結界を張ったとしても、馬は人間よりも瘴気に敏感だ。ある程度は進めても、途中から動けなくなる。


「今から向かったとしても、間に合いませんわね」

『間に合わない。僕が行こうと思ったんだけど、足止めを食らった』

「――足止め?」


ベンの言葉とも思えない。副長官という地位が、ベンを邪魔するのだろうか。

疑念に眉根を寄せたリリアナの耳に、『悪い、切る』と焦ったベンの声が聞こえる。問い返すより早く、通信は切れた。


(妙ですわ)


嫌な予感が胸を騒がす。集中するために繋いでいた【遠耳(アプヒューロン)】を切断し、ベン・ドラコの元に術を飛ばす。その途端、リリアナに聞こえて来たのは魔導省長官ニコラス・バーグソンの怒りに満ちた声だった。


『転移陣に細工をしたのは貴様だという報告が上がってきている。精査の必要はあるが、謀反の疑いがある者を転移させることはできん』


転移の術を使えるベンは逃走の恐れありと見做されたのか、魔術封じの枷を嵌めるよう指示が飛ぶ。リリアナの顔が強張った。がばりと寝台の上で身を起こす。

明らかにおかしい――そう思うのに、止める術もなければ、陰謀を突き止める時間も今のリリアナにはない。


(とりあえず優先順位をつけなければ――)


たった今身柄を拘束されたらしいベンのことも気がかりだが、騎士団も魔導士たちも直ぐには赴くことができない魔物襲撃(スタンピード)の現場に向かい、早期に災厄を終結させることが一番重要だった。

念のために魔導石を使ってペトラにも連絡を取ろうと試みるが、一切反応はない。魔物襲撃(スタンピード)に巻き込まれている可能性が高まる。リリアナは寝台から飛び降りるとクローゼットを開いた。今は簡素な造りの客室が有難かった。案の定、クローゼットの中には予備の毛布と枕が置いてある。リリアナは取り出した毛布を手早く丸めて、シーツの下に押し込んだ。人が寝ているような膨らみを持たせ、幻術でリリアナに見せかける。万が一、誰かが入って来てもリリアナが寝ているように見えるはずだ。

幸いにも、着ている服は外に出ても差し支えない程度のものだ。魔物襲撃(スタンピード)の現場であれば、むしろ華美すぎる。少し考えて、リリアナは外套を羽織った。

姿を消す術は使わない。幻術を掛けて現場に向かったとしても、史上最大規模だろう魔物襲撃(スタンピード)を収束させるために使う魔力量を考えれば、できるだけ魔力消費を抑えたい。更に言えば、最後に転移できるだけの魔力も残しておく必要がある。


(さあ、行きましょう)


不敵な笑みを浮かべたリリアナは、一瞬にして王宮から姿を消した。




活動報告に登場人物の一覧を記載しました。非常に簡潔かつ現時点で出ている人物のみですが、必要な方はどうぞご覧ください。

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1729541/blogkey/2662663/

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