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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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14. クリムゾンと商人 9


まさか、あの商人がクラーク公爵領にも出没していたとは思わなかった――ライリーは内心で呟いた。

染色特区に赴いたのは名目上は視察だが、実際の目的は最近出入りしているユナティアン皇国の商人について調査することだった。だが、本当にその商人が来ているとは信じていなかった。


基本的に、国を股に掛ける商人は商品を売るだけではない。異国で自国の商品を売り、そして異国の製品を買い付けて国に帰ることがほとんどだ。中には手形を発行して旅人に金銭を渡したり、両替商のようなことをしたりしている商人もいるが、その場合は特別な手続きと商業ギルドへの登録が必要となるため数は少ない。

その上、ユナティアン皇国とスリベグランディア王国は街道のお陰で多少行き来は楽にできるとはいっても、魔物だけでなく盗賊や山賊に襲われる危険性を犯してまで国境を跨ごうとする者はあまりいない。そんな状況では、異国でも何かしらを仕入れて利益を最大限に上げようと考えるのが当然だ。だからこそ、その商人は他国でも人気の高いクリムゾン染色に目を付けているのではないかと推測した。結果的にその推測は的を射ていたわけだが――問題は、布に施された刺繍だ。


「リリアナ」


別荘に到着したライリーは、自室に戻ろうとするリリアナを引き留めた。


『なんでございましょうか』

「少し話をしたいんだが、良いだろうか?」


リリアナは首を傾げたが、隣で待つ侍女に先に部屋へ戻るよう告げてライリーに近づいて来る。そのことにライリーは頬を緩め、公爵家の侍従に一言告げ応接間に向かう。人払いを頼むと、侍従は扉を少し開けた上で退室してくれた。ライリーはソファーに座ったリリアナの隣に腰かける。

視察の間中、リリアナはずっと一歩下がったところでにこやかに館長や店主の話を聞いていた。聡明な彼女のことだから、もし口が利けたらライリーやクライドが驚くような質問もしたかもしれない。だから、ライリーは最初に今日の感想を訊くことにした。


「今日はどうだった? 疲れなかったかな?」

『ええ、とても楽しくて充実した一日でしたわ』

「そうか。それは良かった。私も色々知ることができて良かったよ。クリムゾン染色については事前に学んでいたつもりだったが、実際にこの目で見て直接第一人者から話を聞けるというのは良いものだね」


ライリーの言葉に、リリアナは同意するように頷いた。


『わたくしもそう思いますわ。特に、アリザリン染料に着目されていることが意外でした』

「アリザリン染料? ああ、そうだね。確かに、アリザリン染料も手を加えればクリムゾンに近い色合いになるのではないかという発想は予想外だった。確か、アリザリンを抽出するアカネは異国の地では薬にも使われていると読んだ覚えがある」

『ええ、わたくしもその記述を読んだことがございます。止血や解熱に使われているのでしたでしょうか』

「ああ、私もそのように記憶している。もしかして、貴方が読んだ書物は王宮図書館にあったものかな?」

『ええ、そうですわ』


それなら同じ本を読んだんだね、と少し嬉しくなったライリーは微笑む。

アカネの用途について記していたのは、遥か東方の古い書物だった。大部分が逸失されていたが、残存していた箇所にアカネの用途が書いてあった。染料だけでなく薬にもなるのかとライリーは驚いたものだ。


『ライリー様、話は変わるのですけれど』


心の内にじわじわと浮かんだ喜びに似た優しい感情を噛み締めていると、リリアナが小首を傾げて話題を変えた。ライリーは「なに?」と優しく尋ねる。


『優れた革新的な技術を保護する法を作っては如何でしょうか』


唐突な言葉にライリーは目を瞬かせた。しかし、すぐに真剣な表情になる。敏い彼はリリアナが何を考えているのか的確に理解した。


「つまり、クリムゾン染色のような発明を保護すべきだということかな?」

『ええ、そうですわ。今日も館長は“門外不出”と言っておりましたが、現状では優れた技術は秘匿するしかありません。けれど、それでは技術を盗まれた時に保証がされませんし、それにその技術を元にした新たなる発見が妨げられますわ』


人類の発明は、既存の知識や技術を発展させることで生まれる。そのためには既存技術の共有が必須だが、それでは既存の技術を発明した者に対する保障が不十分だ。発明に投じた資金回収もできない。そのような状況では、苦労した発明品を複製した者が一番の利益を得ることになってしまう。その状況を解決するために、発明した技術を公開することを条件とし、その発明や技術を一定期間独占的に使用する権利を与える仕組みを構築することが必要ではないかとリリアナは提案した。無論、その技術を使いたい人間は一定の使用料を発明者に支払うことになる。

ライリーは腕を組んで沈思黙考する。リリアナの発言は理に適っているように思えた。


「つまり、それは爵位のように与えるものかな?」

『ええ、それでも宜しいでしょうし、登録する制度として確立してしまっても宜しいかと存じますわ。ただ、一般に受け入れられやすいものをと考えれば、当面は王から下賜する権利としても宜しいかもしれませんわね』


制度にしてしまえば登録作業だけになり、大量の発明を保護できるようになる。だが、現実問題として発明者は貴族や裕福な商人ばかりだ。彼らに積極的に技術を公開したいと思わせるためには、“王に下賜された権利”としておく方が良いかもしれない。

更にリリアナは付け加えた。


『勿論、選択肢を用意しても宜しいかとは思いますわ。仮にその“公開することにより得られる権利”を特別に許された権利、即ち“特許”と呼ぶことといたしましょう。それに対して、商売上の秘密を保護する法を制定しても宜しいかもしれません。その秘密を漏洩した者を、訴えによって罰する法です』


勿論、そのためには“保護に値する商売上の秘密”が一体どのようなものか、ある程度具体的に定める必要があるだろう、とリリアナは言う。例えば、製造工程を記した書物に機密情報であることが明示されており、その情報を確認できる者が限られている必要があるかもしれない。更には、訴えがあった際にその内容が機密情報である妥当性も検討する必要があるだろう――淡々と言葉を続けたリリアナは、最後まで話してライリーを見上げる。

リリアナの説明を最後まで聞いたライリーは低く唸った。深く息を吐いて首を振る。次に顔を上げた時、その表情は穏やかだが両眼には尊敬の念が浮かんでいた。


「全く――前からそうだったけど、貴方には驚かされてばかりだね。一体どうしてそんな発想が浮かんで来るんだろう」


言いながら、ライリーはリリアナの華奢な手にそっと触れる。二歳年下の少女は見た目も可憐なのに、その魂は崇高で頭脳は驚くほど明晰だ。


「非常に魅力的な案だと思うよ。詳細は検討しなければならないが、ぜひ持ち帰って顧問会議にかけよう。できれば各領でも個別に検討した方が良いかもしれないね。恐らく、特産によって要求される細かな内容が変わるだろうから」

『わたくしもそう思いますわ』

「議論の内容によっては、貴方にも助言を貰いたい。その時は協力してくれる?」

『勿論、わたくしで宜しければ喜んで』


ライリーの頼みをリリアナは快諾する。それが嬉しくて、ライリーは笑みを深めた。

このような少女が婚約者候補だということが奇跡に思えて仕方がない。婚約者候補の中でも一番交流が多いのがリリアナであることは事実だが、それを差し引いてもライリーと対等以上に意見交換をできるのはリリアナだけだった。他の令嬢たちも悪くはないのだが、正直なところ退屈だと感じてしまう。甘い言葉を囁き流行の芸術を語り合う関係性も悪くはないが、ある程度すれば話題も尽きる。時折政治や国際情勢の話をすることもあるが、終始表面的な内容だ。家庭教師に教えられた内容を諳んじているようにしか聞こえない意見は、最初の数語を聞けば結論まで予想できてしまう。

そうなるとライリーは執務室に残した仕事やオースティンと話したい内容が頭に浮かんで、目の前の少女に対し気もそぞろになるのだ。尤もそんな状態を悟らせるようなヘマはしない。ただ、幸いにもリリアナに対しては一度もそのような状態に陥ったことがなかった。それどころか、もっと話を聞いて聡明な彼女の考えをよりたくさん、深く知りたいと思ってしまう。

オースティンを除けば、そのような存在は初めてだった。

最近ではリリアナの兄であるクライドもライリーにとって良き相談相手になりつつあるが、クライドもオースティンもリリアナほど奇想天外な提案はしない。


「貴方の提案はほとんどがこの国と民のためを思っているよね。貴族であってもそのような考え方をできる人は多くない。素晴らしいと思うよ」


素直に賞賛の言葉を述べるライリーだったが、リリアナは大したことではないと言いたげに首を振る。


『書物にございましたし、教師からも教わりましたわ。古代の特権階級は、平民が使う街道の整備や建築に私費を投じたそうです。わたくしたちのような特権階級は、平民が居るからこそ成り立つ存在ですもの。その地位を保持する者の義務として、わたくしたちはその特権を還元する必要があると考えただけですわ』


それに、国が弱体化し他国の侵略を許せば、最初に犠牲になるのは力を持たない民である。多くの領地では農民が騎士団の団員を兼任しており、前線で死亡するのは彼らだ。そのような犠牲を出さないためにも、政に力を入れるのは当然だとリリアナは当たり前の顔で告げる。

その横顔に、ライリーは魅入られていた。幼少の時からそのような理想を抱き邁進できる人物は少ない。特に英雄と呼ばれた祖父を理想とし、父の言葉で揺らぎ戸惑うまま過ごしているライリーにとって、自ら結論を導き毅然とした態度を貫くリリアナは至高の存在にすら思えた。


「――尊敬するよ」


思わず零れた言葉は、幸か不幸かリリアナには届かなかったらしい。リリアナは微笑を浮かべたまま口を噤んでいる。しかし、本題は全く別のことだ。ライリーは気を取り直して、「実はね、リリアナ」と話題を変えた。


「貴方が買ったユナティアン皇国の商人の布――あれが欲しいんだ」


リリアナは目を瞬かせる。ライリーは真剣な表情で言葉を続けた。


「今回の視察では、ユナティアン皇国の商人の動向を調査することも目的だった。今、ユナティアン皇国とは微妙な関係でね。緊迫はしていないが、緊張は高まりつつある。その状況で商人たちの動向を把握することは非常に重要だ」

『――それは、ライリー様のお考えですの?』

「ああ、そうだ」


ライリーは頷いた。クラーク公爵を筆頭とした王宮の主要人物たちには一切告げていない。ライリーの疑念を知っているのは、オースティンとクライド、そしてリリアナだけだ。


「私も門外漢だから確実なことは言えないが、貴方が買った布の文様は恐らく――呪術だと思う」


どうやらリリアナもライリーと同じ印象を持っていたらしく、驚きはしなかった。微笑を消して静かにライリーを見つめ言葉を待っている。その目の強さに動揺したが、ライリーはどうにか抑えて真摯に訴えた。


「呪術だとして、どのような影響があるか分からない。だから貴方に持っていて欲しくはないんだ。代金は私が支払うから、届いたら即座に私へ送ってくれないだろうか」


もしかしたら怯えるかもしれない――と一瞬焦ったライリーだが、すぐに打ち消す。誘拐されても全く動じなかったリリアナが、今更呪術ごときを恐れるとは思えなかった。案の定リリアナは平然としている。そして、ライリーも予想しなかった質問を投げかけて来た。


『もしわたくしがお渡しいたしましたら、その解析はどなたにお願いする予定ですの?』

「――呪術の解析ができる人は少ない。現状では魔導省の長官と副長官、それに平の魔導士の三人だけだ。だから、長官に頼むことになるだろう」


ライリーにとっては当然の選択だった。その三人の中でライリーと面識があるのは長官のニコラス・バーグソンだけである。入手経路は伏せて、あくまでも内密に頼む予定だ。だが、リリアナは首を振って拒否した。


『それでしたらお渡しはできませんわ。わたくしの方で手を回します。結果はお伝えいたしますので、それでご容赦ください』

「リリアナ、それは駄目だ。頼むから承知してくれ」

『いいえ、承服致しかねますわ』


存外にリリアナは頑なな態度を崩さない。ライリーは焦った。呪術が発動しリリアナの身に何か起こったらと思うと、平静ではいられなかった。呪術は解析しない限りどのような効果を齎すものなのか一切想像できない。最悪の場合、命を奪う可能性もある。誘拐された時、リリアナを害そうと企む賊の言葉を聞いた時でさえ臓腑が煮えくり返る思いをしたのに、リリアナが死ぬ可能性を考えればそれだけで耐えられなかった。


「危険なんだ、貴方に何かあると――困るんだ」


適切な言葉が思い浮かばずに「困る」と言ったが、それだけでは説明のつかない激情を持て余す。リリアナに衝動をぶつけないよう拳を握るが、リリアナは嫣然と微笑んだまま首を横に振る。


『わたくしには危害が及ばないよう、適切な方法で最適な方に解析をお願い致します。その点はご安心ください』

「だが――」

『わたくしをお疑いになりますか?』


その言い方はずるい、とライリーは唇を噛む。疑うのかと問われて、肯定できるわけがない。自分を落ち着かせるように、ライリーはゆっくりと深呼吸を繰り返した。


「――――分かった。それならせめて、誰に頼むのかを教えてくれないか」


リリアナは少し考える。そして、ゆっくりと答えた。


『魔導省副長官様に、お願い致しますわ』

「それは、長官に頼んでも同じことになるんじゃないのか?」


ライリーは訝し気に眉根を寄せる。ニコラス・バーグソンに頼んでも、彼が忙しければ結局は下位の者――この場合は副長官に解析するよう指示が下るだろう。だが、リリアナが意味もなく副長官に依頼すると言うとは思えなかった。

案の定、リリアナは静かに『いいえ』と答えた。


――わたくしが信用できる方に託します、と。


リリアナの言葉を聞いたライリーは、その真意を探るように目を細めた。




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