14. クリムゾンと商人 8
到着した翌日、リリアナはライリーやクライドと共にクリムゾン博物館に足を運んだ。そこで簡単に話を聞いた後で、実際の工房へと行く予定である。
クリムゾン博物館は、染色特区から徒歩十分程度の城壁内に位置していた。家を入手したと言っていた通り、見た目は単なる民家だ。二階建てで白く塗られた壁に茶色い木の梁が美しい。事前に予定を聞いていた館長は、緊張した面持ちで門の前に立っていた。人生の大半をクラーク公爵領で過ごし、研究のため以外で領外へ出たこともない館長にとって、クラーク公爵家以外の貴族は完全なる珍獣だ。それもライリーは単なる珍獣ではなく、国宝級の高貴な珍獣――即ち王族である。今にも卒倒しそうな様子に、マリアンヌたちの同情にも似た視線が向けられた。
(確か、館長は庶民の出のはず――爵位もお持ちではございませんでしたわね。良くも悪くも、殿下は貴賤の差なく親しくされますもの、お気の毒ですわ)
ライリーの隔てのない態度に好感を持つ者もいれば、館長のように一層の恐怖を覚える者もいる。研究一筋で生きて来て他人との交流を避けて来た館長は、目上の者に対し本能的に恐怖と緊張を抱く。そんな彼にとって今回の視察はまさに悪夢だろう。できれば他の者に任せたかったに違いないが、生憎と博物館に勤める研究員は館長も含めてたった三人だった。その内一人は本日休んでおり、やはり館長が王太子を出迎えるしかない。
かちこちに固まった館長の前にクライドが一歩踏み出し、にこやかにライリーを紹介した。
「館長、今日は案内役を買って出て頂いて感謝する。こちらはライリー・ウィリアムズ・スリベグラード王太子殿下だ」
「よ、ようこそ、いいらっさいました、で、で殿下」
クライドに王太子を紹介された館長はどうにか歓迎の意を示したが、声は裏返り言葉も噛んでいる。ライリーは穏やかな人好きのする笑みを浮かべたまま、館長に礼を述べた。ぎこちない館長を前にしてもライリーは一切気にせず、館長の先導に従い屋敷の中に入る。クライドとリリアナもライリーに続いた。護衛は大半が外で待機しているが、数名がライリーに付いて中に入る。
博物館の中は予想していたよりも整然としていた。染料等の独特な臭いが漂っているが、換気のための小さな窓が数多くあるためかそれほど気分も悪くならない。地上一階が展示室で二階が研究所、地下は資材の保管庫があると言う。最初にライリーたちは一階の展示室に案内された。
「こ、これが、ケルメス・カイガラムシでして、クリムゾンの原料になります。樫の木に生息しておりまして、暑い場所を好むものですから、ずっと輸入するしかなかったのですが、繁殖に成功いたしまして、ええ。その繁殖技術は門外不出となっておりまして、恐れながら申し上げれないのですが、はい」
汗を拭きながら館長は必死に説明する。ライリーは笑いながら、秘匿すべき技術は口外しなくて良いと伝えた。すると館長はほっとしたように息を吐く。ケルメス・カイガラムシから抽出された染料であるカルミンは特に毛織物の高級染料として有名だ。その製造法を秘匿することは、この地の利益を保証することにも繋がる。
ゆっくりと展示室を見て回りながら、館長は早口で展示品の説明をしていった。展示室が終われば、研究所である。
「アカネという花の根からもアリザリンという赤い染料が取れまして、ただそれは直ぐに褪せてしまうのですが、どうにかして色を保たせることができればこちらも非常に良いのではないかと考えておりまして、」
「なるほど、クリムゾンだけを研究しているのではないのですか」
「あ、いえ、アリザリンも恐らくどうにかすれば、クリムゾンと似た色合いにできるのではないかと、そう考えておりましてですね、はい」
館長は熱が入ると非常に早口になり言葉が止まらなくなるが、ライリーたちは興味深く話を聞いていた。時折質問も挟む。さすが第一人者というだけあって、館長は守秘義務と定められている内容以外は全てよどみなく答えていた。
リリアナは声が出ないということになっているので、無言で話を聞いている。
(アリザリン・クリムゾンですわね。石炭を高温乾留する技術が開発されない限りは難しいでしょう)
アリザリン・クリムゾンは、リリアナの前世では人工染料だった。石炭を高温乾留した時に生じる油状物質を分離精製し、更に合成しなければならない。現在の技術では、魔術を使ったところで難しいだろう。
それよりも先に“特許”という概念を広めるべきだった。もしかしたら、既にどこかで似たような制度が開始されている可能性もある。調査した上で今の社会に見合う形で広めたい。
リリアナがそんなことを考えていると、資料室に案内される。資料室には大量の書物と、以前実験に使用したものの用途が見つからなかったもの、昔は使っていたが今は代替品があるため無用の長物となったもの、そして異国から取り寄せたクリムゾン染料の布等が大量に保管されていた。
「これは?」
「ああ、これは異国から取り寄せたものなのですが、古代の石棺の中に収められていたそうでして」
「――なるほど」
恐らく亡くなった人か埋葬品を包んでいたのだろうと館長は説明する。ライリーとクライドはなんとも言えない微妙な表情でその布を眺め、視線を逸らした。極力触れたくないが、館長の手前嫌な顔もできない――といったところだろう。リリアナは一人、変わらぬ微笑を浮かべたままその様子を見つめていた。
*****
博物館を後にした一行は、染色特区と呼ばれる二つの城壁に囲まれた地域に向かった。川を中心とした一角で、染色に携わる工房が軒を連ねている。一部には染色した布を縫製する店も並んでおり、布製品に特化した商業地区のような様相を呈していた。
リリアナたちが最初に向かったのは、染色をする過程だった。原料となるケルメス・カイガラムシの養殖工場は立ち入り禁止だが、抽出した後の染料を使い布や糸、毛を染め上げる過程は見学することができる。全ての工程は分業化され効率が重視されていた。
上流の工程から順に見学し、最後に訪れたのは布を取り扱う店だった。どうやらここで既製品を購入することもできるらしい。基本的には衣料品を作る工房へ卸すらしいが、場合によっては小売りもできると店主は告げた。
ライリーは目を瞬かせる。
「それは興味深いな。差し支えなければ、製品を見せて頂いても良いだろうか?」
「ええ、勿論にございます」
店主は貴族相手の商売に慣れているのか、王太子を前に緊張しながらも如才なく受け答えをする。店主は見習いの少年に命じて、クリムゾンで染められた布を中心に持って来させた。他にも違う色合いの赤や黄色が混じっている。
「基本的に、我々の工房ではこの地区で染色した布を取り扱っているのですが、時折良い製品がありましたら異国の商人からも買い付けております。特に絹に関しては、残念ながら異国の方が良いものがあるようでして」
店主は左から順に、等級を述べる。どうやら染料だけでなく、染め斑があったりすると等級が落ちるようだ。勿論、布の材料となる羊毛の産地や状態によっても等級は変わる。そして、最後に店主が差し出した絹の布は異国の商人が持って来たものだった。赤い布地に金糸で不思議な文様が描かれている。リリアナはその文様に違和感を覚え、手に取った。それまで反応していなかったリリアナが動いたことに、店主は眉を上げる。
「そちらにご興味がおありでしょうか? そちらはユナティアン皇国からの輸入品ですよ。つい先日、商人が来ましてね。他の布はそれほどでもなかったのですが、そちらは品質も良かったので購入いたしました」
「ユナティアン皇国から?」
「ええ、左様でございます」
横から口を挟んだのはライリーだった。彼は最初、視察とは名目であり第二の目的に“ユナティアン皇国の商人”を調査することを上げていた。ここで出会うとは思っていなかったのだろう。
一方でリリアナは、手にした赤い布に刺繍された文様と似た柄を見た覚えがあった。
(だいぶ前ですけれど――タナー侯爵令嬢が着ていらしたドレスが、これと同じ類の文様ではなかったかしら)
その時もタナー侯爵令嬢には嫌味を言われたし、会話した時間も長くはなかったからじっくりと眺めたわけではない。だが、文字を絵のように変えた不思議な柄だと思ったものだ。それは、ユナティアン皇国の製品に良く見られる系統の柄だった。花などの自然物を比較的忠実に刺繍するスリベグランディア王国とは種類の異なるものである。
――もしかしたら、ジルドに調べて貰ったユナティアン皇国の商人がこの街にも来たのだろうか。
ライリーも同じ疑問を抱いたのかもしれない。そもそも、“ユナティアン皇国の商人”とライリーは言っていたものの、具体的に誰とは言っていなかった。しかし、タナー侯爵令嬢が贔屓にしていたという商人をライリーも調べ、何らかの疑惑を抱いている可能性もある。
一瞬の沈黙の後、ライリーは店主に「その商人が来たのはいつ頃だろうか?」と尋ねた。店主はあっさりと、「一週間ほど前だったかと思います」と答える。であれば、既にほかの領地へ赴いたか帰国しているだろう。
直接その商人を見てみたかったと思うが、致し方がないことだった。
リリアナは少し考えて、何枚かの布を小売りして貰うことにした。本当は一枚だけで良いのだが、異国の布だけを購入すれば角が立つだろう。それに、不要な布には刺繍を施しクッションやベッドカバー等にすれば良い。マリアンヌを手招き、適当に選んだ布を買いたいと伝える。その中には、ユナティアン皇国から来た商人から買い付けたという布も含まれていた。
ライリーとクライドは何も購入しないことに決めたらしい。店主を労い、リリアナと共に店を後にする。ライリーは物言いたげな視線をリリアナに向けたが、リリアナは微笑でその視線を受け止めた。
もしかしたら、ライリーもユナティアン皇国の商人から買ったという布の文様がタナー侯爵令嬢のドレスと似た種類だと気が付いているのかもしれない。
そんなことをリリアナは内心で考える。もしライリーも気が付いたのなら、誤魔化すのが面倒だ。
できれば、リリアナは誰にも知られない形で調査したかった。その方が秘密裏に物事を進められる。王太子の婚約者候補ではあるものの、公爵家令嬢という立場は政治上も重要視されない。声が出ないリリアナは軽視されることが大半で、注目されることも滅多にない。リリアナの懸念が正しければ、水面下で調査を進めるべきだった。
恐らく、あの布に描かれた文様は呪術の陣だ。
真意は定かでないものの、ユナティアン皇国の商人は、呪術の描かれた布をスリベグランディア王国に広めている。そして、その意図は十中八九、碌でもないに違いない。
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