3. 王宮 3
二人が茶菓子を食べ一息ついたところで、ライリーが思い立ったように「リリアナ嬢」と口を開いた。
「もし良ければ、二人で庭を散策しないか。新しく花を植えたんだ」
リリアナは頷いて立ち上がり、ライリーにエスコートされサロンから中庭へと移動する。
目を凝らすと、やはり噴水の周辺が、温室周辺と同等に強力な結界で護られていることが確認できた。リリアナが結界を眺めていることには気が付かないまま、ライリーは「リリアナ嬢は花が好きか」と尋ねる。リリアナは一瞬の間を置いたのち、こくりと一つ頷いた。歩きながら筆記で答えるのは難しい。それが分かっているのか、ライリーは「はい」か「いいえ」で答えられるような質問を重ねていく。
「好きな花はあるか?」
〈はい〉
「どんな花だ? ここから見えるか」
〈ええ、見えますわ〉
ライリーに促されるまま、リリアナはデルフィニウムを示す。華奢な青い花弁が寄り添い華やかに咲き誇っている。ライリーは微笑を浮かべた。
「可憐な花だね。君のようだ」
リリアナは微笑を浮かべて礼に変える。美辞麗句が社交辞令だと分からないほど、子供ではない。
ライリーは数年後、ヒロインと出会い運命の恋に落ちるのだ。その時には、リリアナの存在は彼の中で塵にも等しいものになる。
だからこそ、それまでに婚約者候補から外れておきたい。
そんな気持ちをひた隠したまま、リリアナはライリーに導かれるがまま中庭の更に奥へと足を進めた。中庭の奥は一層花々が咲き誇っている。人気も少なく、涼やかな風が心地よい。段々と二人の歩みが遅くなる。
ハナビシソウやクレマチスが咲き誇る中で、ふとライリーが足を止めた。
「リリアナ嬢。君に言っておきたいことがある」
リリアナは目を瞬かせた。首を傾げてライリーを見返し、続きを促す。
ライリーは緊張を滲ませて、低く告げた。
「――君との、婚約の件だ」
ライリーの言葉に、リリアナは目を瞬かせた。ライリーはわずかにリリアナから視線を逸らし、固い口調で続けた。
「何か話を聞いたか?」
リリアナが頷いたことを横目で確認して、ライリーは声をひそめる。
「君の声が、四年以内に戻らない場合――婚約の白紙撤回もあり得ると、父上が」
ライリーの顔が強張っている。理由は分からないが、リリアナは確かに父親から同じ内容を手紙で受け取っていたため、静かに頷いた。ライリーは溜息を吐く。
「だが、父――陛下はそれでもリリアナ嬢――あなたが良いとお考えだ。だが、クラーク公爵はそうではないらしい」
(なんですって――?)
リリアナは目を見開く。予想外の言葉だった。
ライリーの言葉を額面通りに受け取れば、国王は声が出ずともリリアナを婚約者にしたいと考えていて、そしてリリアナの父親が婚約者候補から外したいと考えていることになる。
だが、リリアナの受けた印象はその逆だ。王家として、声の出ない、言葉を話せない王妃は拒否したいはずだ。一方で、宰相を務め王国で権力を振るうクラーク公爵が、更に勢力を拡大し確固としたものにするためにリリアナを王妃に仕立て上げたいと言うのであれば納得できる。
(どういうことなのかしら)
国王陛下も、父親の考えていることも、リリアナには読めない。わずかに眉を寄せたリリアナの様子に気が付いているのかいないのか、ライリーは淡々と言葉を続けた。
「もちろん、私の婚約はただ好きだ嫌だという理由で決められるものではない。それは分かっている。だが、私は――」
ライリーは唇を噛む。そして、意を決したようにリリアナを振り返り真正面から凝視した。その強い意志を示した瞳に、リリアナは驚く。
これまでのライリーの印象とは異なる色だ。今まで、ライリーは真面目ではあるものの大人しく、意志はあれど自己主張をそれほどまで強く行わない控え目な性格だった。どこか鬱屈としたところも感じていたものの、基本的には素直で実直な少年だった。
(でも、これは――今のライリー殿下は、違う)
リリアナはライリーの様子からその内面を汲み取ろうと目を凝らす。
声が出なくなるまで、表情や態度から内心を読み取ろうとしたことはなかった。言葉がすべてだった。だが、言葉を話せなくなり悟った――人の内心はその大半を、言葉ではない表現から知ることができる。
リリアナはライリーの心境をある程度、正確に読み取ることができた。ただ、心境は読み解けても、その裏側にある事実を知ることはできない。
(混乱――戸惑い、恐れ、それから――)
「私、は――、」
息を、飲む。
――――――ライリーが言葉を、続けようとした時。
「殿下」
一人の女が、声を掛ける。
その人はリリアナも知った人だった。
フィンチ侯爵夫人――ライリーとリリアナの家庭教師をしている、その人だった。