14. クリムゾンと商人 7
コイラード子爵領近くでの誘拐事件はあったものの、その後の旅路には何ら問題なく、ライリーたちは染色特区のある都市に到着した。染色特区から少し離れた場所に、クラーク公爵家の別荘がある。リリアナの祖父であるロドニー・アンテット・クラークが公爵だった時代には、避暑地として良く泊まっていたそうだ。だが、今はもっぱら祖父母が使うだけで、リリアナは勿論クライドと父母も滅多に訪れない。特にリリアナは、物心ついてから訪れたことはない。目にするものが全て珍しく、見て飽きなかった。
王宮が中心となっている王都とは異なり、そこは修道院が併設された教会が中央にある都市だ。小高い丘を囲むようにして中心地区には二重の壁が張り巡らされ、その外側に田園が広がる。染色特区とされているのは、二つの城壁に挟まれた一角だった。クリムゾンの染色が盗み出されるのを防ぐために最近になって建てられた外側の城壁が、旧市街を囲む城壁よりも真新しい色合いで眩しい。
クラーク公爵家の別荘は、古い城壁に囲まれた街の小高い場所にあった。森と川を模した広い庭にぽつねんと建っており、簡素だが贅を凝らした造りになっている。
ライリーたちは、最初に別荘へ荷物を置きに向かった。どうやらちょうどリリアナとクライドの祖父母が滞在しているらしく、到着すると祖父母付きの執事と侍従たちが出迎えてくれる。
「ようこそいらっしゃいました、王太子殿下。長旅でお疲れが出ましたでしょう。宜しければ、我が主がご挨拶をと申しております」
執事は慇懃に口上を述べる。リリアナの祖父母はライリーが来ると聞いていたのだろう。断る理由もないと、ライリーはクライドとリリアナと共に応接間と案内された。
応接間にも豪華な家具が揃えられている。重厚な色合いで統一されているが、十分な空間が確保されているだけあって圧迫感はない。ソファーやカーテン、絨毯などの布製品は赤を基調としていた。色合いから見るに、染色特区で染められたクリムゾンの生地を採用しているのだろう。間違いなく最高品質だ。
ゆったりとしたソファーに腰かけていたリリアナの祖父母は、ライリーを見ると立ち上がった。別荘に居るせいか比較的カジュアルではるものの、礼を欠かない程度には品がある。
「良くいらっしゃいましたな、殿下」
「お久しぶりです、閣下。この度は受け入れてくださり誠にありがとうございます」
「この通りの田舎ですが、のんびりと羽を伸ばして行ってください。こちらは妻のバーバラ。確か妻は初めてでしたな」
「ええ」
最初に口を開いたのは祖父のロドニーだった。祖母のバーバラも紹介され、ライリーは頷いた。促され、ソファーに腰かける。侍女たちが茶菓子と紅茶を準備し部屋の隅に下がったところで、ライリーが今回の訪問目的を改めて説明した。
「今回は、この地区で特産となっているクリムゾンの染色を視察したく伺った次第です」
「クリムゾンは王都でも人気が出ていると聞きますね」
「はい。非常に美しく光沢があると評判でして、国外からの来賓も時折融通できないかと尋ねて来るほどです」
「それは有難い限りですな」
前宰相であったロドニーは如才なく受け答えをするが、その表情は特にこれといった感情を表していない。ライリーは構わずに軽快な会話を続けているため、リリアナは祖父母の様子を興味深く見守っていた。祖父が他人と会話している場面を間近で見ることもないし、その隣に座る祖母の様子をじっくりと窺うことができるのも珍しい。
リリアナはバーバラと会話した記憶がほとんどなかった。唯一と言えるのが、以前フォティア領でクライドのお披露目をした時に、バーバラから声を掛けて来た一瞬だ。あの時もリリアナは受け答えをしなかったから、“会話”とはいえないだろう。
ふとライリーが口調を変える。
「この屋敷もクリムゾンが多く使われているのですね。確かクリムゾンの染色が出回り始めたのは最近ですが、いつ頃から研究されていらしたのです?」
クリムゾンの染色は基本的に国外で行われたものを輸入するしかなかった。異国の商人たちにとっても有力な売れ筋商品であったため、その染色技術は長い間秘匿されていた。だが、外国との緊張関係が高まった時期に一切の輸出入が停止した経験から、スリベグランディア王国内でも同じような染色ができないかと研究する者が現れた。結果的に物にしたのはクラーク公爵領のみだったが、優秀な人材が居たからなのか単に研究期間長かっただけなのか、具体的な研究の歴史は明らかにされていなかった。
「それほど長くはありませんよ。元々は先代国王陛下に献上したく研究を始めたものですから」
笑いながら答えたのはロドニーだった。先代国王の名を出した時の瞳には一瞬、狂気にも似た光が浮かぶ。妻のバーバラも頷いて夫の言葉を引き継いだ。
「それ以前からも一族の者に調べさせてはおりましたが、敬愛する我らが先代国王陛下へ我が領土の中でも――いえ、我らが王国内随一を誇る一品を献上したいと思いまして。幸いにも優秀な息子がおりましたので、ようやく日の目を見たというところでしょうか」
「息子――と言いますと、現クラーク公爵でしょうか?」
まさか、あの青炎の宰相にそのような特技があるとは――とライリーは目を瞠る。リリアナとクライドもクリムゾンの染色研究の歴史を聞くのは初めてだった。だが、父親と研究がどうにも結びつかず困惑を隠し切れない。どちらかと言うと、クラーク公爵は自ら研究するのではなく、優秀な人材に研究を任せる性質である印象が強い。
案の定、ライリーの言葉をバーバラは否定した。
「いえいえ、エイブラムには弟がおりましてね。サミュエルと言うのですが、その子は非常に学者肌でしたの。エイブラムのことも非常に慕っておりましたから、クリムゾンの染色に興味を示した兄に喜ばれようと必死で。小さい頃から東方の書物を集め、南方の品を扱う商人から話を聞き――と、東奔西走して染色技術を確立致しましたの。実際に研究成果が出た時は、誰よりも先にエイブラムに報告に行くほどでしたのよ」
エイブラムはともかく、サミュエルは兄を敬愛し心酔していたとバーバラは懐かしそうに語る。無言で聞いていたロドニーだったが、「ねえ」とバーバラに同意を求められた時ははっきりと頷いた。そして満足気に口を開く。
「我がクラーク公爵家の息子は、生涯にただ一人の主を決めるよう幼き頃から教育されておりましてな。サミュエルの場合は次男でしたから、長男であるエイブラムをただ一人の主と見定めたということでしょう」
サミュエルはリリアナが暮らす屋敷の図書を収集した叔父だった。リリアナが生まれる前に帰らぬ人となったものの、残された書物のお陰でリリアナにとっては実の父親より身近に感じられる人である。
父親の名前がエイブラムだということですら、リリアナは直ぐには思い出せない。父親は父親である以前にクラーク公爵であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。自分の父親であるという意識も薄いため、祖父母にとっては血を分けた息子なのだと思うと違和感しかない。
一瞥したクライドも微妙な表情になっており、彼も祖父母の口から聞く生身の人間のような父親に違和感がある様子だった。
「生涯にただ一人の主――ですか」
ライリーが噛み締めるように相槌を打つ。
「いかさま。無論、王家に対して逆心があるわけではありませんぞ。長男は王をその唯一と定めよと決まっております。我々は頑固な血筋ですからな、それが覆されることはない」
だからこそ、クラーク公爵家は王家への絶対的な忠心があるのだとロドニーは断言した。表情からも口調からも、その言葉に嘘はないと分かる。だが、優秀な宰相であった男が二枚舌を使いこなせないわけがない。どこまで信用して良いのか、対面しているライリーも測りかねているようだった。
それに――と、リリアナは内心で首を傾げる。
――王を唯一と定めるのであれば、祖父であるロドニーは先代国王をただ一人忠誠を誓う相手と決めているのだろう。だが、それならば現クラーク公爵であるエイブラムは一体誰を唯一の存在と誓っているのだろうか?
ライリーは一瞬だけ目を眇めた。すぐに笑みを浮かべたが、偶然その表情の変化に気が付いたリリアナは違和感を覚える。ライリーもリリアナと同様に頭の回転が速く、様々なことに気が付く。もしかしたらリリアナと同じ懸念に至っている可能性が高かった。だが、ロドニーとバーバラはライリーが浮かべた一瞬の表情に気付いていない。ロドニーは思い付いたように言った。
「クリムゾン染色の歴史をお知りになりたいのでしたら、特区にほど近い場所に博物館があります。公開はしていませんが、そこに研究資料も置いてありますよ。ご希望でしたら、お見せするよう館長に伝えておきましょう」
「博物館――ですか」
「ええ、異国の文化なのですがね。珍しいものばかりを集めた屋敷ですよ。最近では博物陳列室――脅威の部屋と呼ぶ者も居るようですが――我が国でも広がっているようですね。あれの規模を大きくし、かつ主題を一つに絞ったのです」
バーバラが説明したところによると、それもサミュエルの発案だったらしい。
元々クリムゾンの研究をするに当たり収集した資料や道具は莫大だった。利便性から今ライリーたちが滞在している屋敷に保管していたものの、徐々に生活空間を圧迫するようになったそうだ。そのため、収集した資料や道具などを保管するためだけの家を入手した。当初は公開するつもりもなかったが、博物陳列室のように雑多な珍しいものを展示するのではなく、主題を持たせることで一層客たちの興味を引くのではないかと考えたらしい。
「客と言っても、貴族しか受け入れておりませんの。今でもその屋敷では研究を続けておりますので。ですから、ご安心してお楽しみいただけると思いますわ」
バーバラが品よく「おほほ」と笑ってみせる。ライリーは頷いた。
「それは非常に面白そうですね」
お世辞ではなく、どうやらライリーは本心から興味を惹かれているらしい。その後も適当な雑談を重ね、ロドニーは執事に博物館へ明日王太子が訪問すると伝えるよう、指示を出した。
到着した日は疲れも溜まっているだろうと、視察の予定自体は翌日から組まれている。ライリーとクライドはロドニーと共に仕事の話があると執務室に向かい、リリアナはマリアンヌを連れて割り当てられた家族用の部屋に向かった。この屋敷に来たことはないから、私物は一切置いておらず全て持って来ている。
マリアンヌが手早く荷物を整理しているのを横目で見ながら、リリアナはマリアンヌに一枚の紙を差し出した。
〈突然で申し訳ないのだけれど、貴方、今シーズンが社交界デビューよね?〉
唐突なリリアナの問いに、マリアンヌは驚いたようだった。目を丸くし、「はい、そうですが」と頷く。訝し気な表情だったが、リリアナは構わずに更に言葉を重ねた。
〈ドレスの準備は済んでいるのかしら。デビュタント当日は決まっているでしょうけれど、その後の夜会でも必要になるわよね〉
デビュタント当日は、女性は全員、白いイブニングドレスに肘上まである白い長手袋と決まっている。だが、その後は決まりがない。銘々に好きなドレスを仕立てる。マリアンヌは少し考えて頷く。
「えっと、はい――でも、私はリリアナ様の侍女ですし、辺境伯の娘とはいっても末娘ですから。それほど行く機会もないかと」
〈まあ、サロンに行くことは貴族の娘として重要なことですわよ〉
マリアンヌの生家であるケニス辺境伯家は子供が多い。マリアンヌは下に弟が一人いるが、他に兄が五人、姉が三人いる。分家も子沢山の家系であり、優秀な子がいれば血縁や生まれ順に拘らず重用し当主やその側近に据える徹底した実力主義だった。逆に言えば、子供たちの個性を重視した子育てとも言える。そのため、マリアンヌも性格と特技を考慮した上で公爵家へ働きに出ることを認められたのだ。
そして、そんなマリアンヌは自分の得手不得手を心得ている。社交界デビューをした後も極力サロンには出ないつもりだった。
遠慮するマリアンヌに向けてリリアナは呆れたように笑う。しかし決して嫌味ではない。
高位貴族の女主人たちが開くサロンでは非常に高度な教養や政治知識が必要となるが、同時にそこで得られる人間関係は非常に有用だ。結婚相手が見つかることもあるし、そして時には今後の国家の趨勢が決まることもある。
〈すぐに必要ではなくても、準備はしておいた方が良いと思うわ。デザインも決まっているのだったら無理にと言うつもりはなかったけれど、全く考えていないのであれば、わたくしから贈らせてちょうだい〉
「お嬢様――、」
最初は驚きに言葉を失っていたマリアンヌだったが、段々とその双眸が潤み始める。どうやら感動しているらしい。
「わ、私は――そのお気持ちだけで、十分です」
〈そんなこと言わないで。いつもお世話になっているのだから、わたくしからのほんの気持ちよ〉
固辞するマリアンヌをリリアナは微笑を浮かべながら説得する。その脳裏には、昨年遭遇した魔物襲撃の時に見た夢が蘇っていた。
(あの夢が、本当にゲームシナリオを元にした出来事だったのかは分からないけれど――)
だが、単なる夢だと笑い飛ばすにはあまりにも生々しい夢だった。夢の中でリリアナは恐怖から魔力暴走を引き起こし、最後までリリアナの傍に居てくれたマリアンヌを巻き込み殺してしまった。護衛二人は魔物に殺され、同行していた――恐らくペトラだろう魔導士はリリアナもマリアンヌも助けずに姿を消した。声を失い塞ぎ込み、他人と一切打ち解けようとしなかったリリアナに最後まで心を尽くしてくれたのがマリアンヌだった。
ゲームシナリオのマリアンヌは、ゲームに出て来ることもなく、そしてデビュタントすら迎えずにその命を散らしたのだ。
(これが感傷というものなのかしら)
本で見た言葉を当てはめようとしてみるが、今一つピンと来ない。だが、マリアンヌにドレスを贈りたいと思う気持ちは本当だ。
リリアナが言葉を尽くせば、ようやくマリアンヌは「高価でないものなら――」と頷いてくれた。正直な話、公爵家令嬢が辺境伯の末娘に贈るドレスに高価ではないものなどないはずなのだが、リリアナは頷く。王族に贈るようなものはさすがに控えるが、リリアナはクリムゾンのドレスを贈るつもりだった。
(きっと、マリアンヌに赤は綺麗に映えるでしょう)
そうと決まれば、さっそく最高級の仕立て屋を呼ぶようリリアナは執事に言いつける。予定を調整させたところ、仕立て屋は他の予定を全て調整して明後日に屋敷へ来てくれることになった。念のためライリーやクライドにも何かしら仕立てたいものがないか確認するよう執事に頼み、リリアナは夕飯までゆったりと部屋で過ごしたのだった。
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