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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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14. クリムゾンと商人 5


男たちを縛った後、一通り話を聞いたライリーはリリアナと共に小屋を出た。小屋が開かないようつっかえ棒をする。小屋の周囲は平らに(なら)されており、案の定山羊が数匹飼われている。だが、問題は小屋の場所だった。


「――山の中だね」

『そうですわね』


平らに均された場所の周囲には木々が生い茂っている。葉の形を見る限り針葉樹林――そして、葉の位置は高い場所に集中しており、低い場所には疎らにしか生えていない。即ち、人工的に木を倒した小屋の周辺を除いて、日の光があまり入らない山奥だと判断できる。

だが、男たちが馬に乗って来たということは、馬が通れるだけの道があるに違いない。そう判断したライリーは手早く小屋の外に繋がれていた馬に目を付けた。


「リリアナ、貴方は馬に乗れる?」

『一応、練習はしておりますが――森の中を乗れるかと申しますと自信はございませんわ』

「分かった」


ライリーが選んだのは一番体が大きな馬だった。これならばリリアナと二人でも乗れる。ライリーは鐙を調整すると迷わずに馬に乗り、リリアナに手を差し出した。ライリーの考えを理解したリリアナはほんの一瞬躊躇ったが、すぐに彼の手を握り馬に乗る。ライリーの体と両腕に支えられるようにしてリリアナは体を落ち着けた。ドレスを着ているせいで横乗りしかできないのが不安だ。かといって、馬を跨いで乗ったとしても、訓練していないリリアナが悪路の中で自分の体を固定できるとは限らない。いずれにせよ、リリアナにできることは大人しくライリーの体と鞍にしがみつくことだけだった。


「この馬は農耕馬だから、恐らく貴方が普段乗っている馬よりも山道は安定して動ける。とはいっても、だいぶ揺れるから鞍と私のことをしっかり掴んでおいてくれる?」

『わかりましたわ』


ライリーは馬首を巡らし、平らに均されている広場を一巡する。彼の目は鋭く木々に向けられ、村とこの場所を結ぶ山道の印を探していた。通常、山奥に人が分け入る時は道を迷わないよう、印がつけられる。半分ほど回ったところで、ライリーは小さく「あった」と呟いた。視線の先には、赤い布が付けられている。十中八九これだろうと見当をつけたライリーは、念のため残りも確認し、赤い布の場所に戻った。


「それじゃあ、行こうか。とりあえず村に出ればここがどこか分かるだろう」

『ええ』


リリアナは頷く。ライリーが軽く腹を蹴ると、馬は木々の間に足を踏み入れる。ちょうどライリーの視線より少し高い位置で木の枝が折れていて、どうやら男たちがこの道を通って来たのは確からしいとライリーは得心した。リリアナも、折れた木の枝を眺めている。馬にとっては慣れた道のようで、ゆっくりと、しかし着実に歩みを進めていた。男たちは村で馬を借りたか、もしくは村人であった可能性も高い。村に着いても安心はできないとライリーは内心で呟く。だが、今できることは少ない。

多少の疲れは見えるものの落ち着いた様子のリリアナを視界の端に捉えながら、ライリーはずっと気になっていたことを思い返していた。


ライリーは、ずっとリリアナのことを落ち着いた少女だと思っていた。それに、非常に聡明だ。婚約者候補たちの中でもリリアナの能力は際立っている。その印象に間違いはないと、今回の誘拐事件でライリーは確信していた。

だが――あまりにも、リリアナは()()()()()()()()()


思い返したライリーの眉間に、わずかに皺が寄る。


以前、茶会で毒入りの茶を出された時もリリアナは落ち着いていた。ライリーは常に毒殺の危険に晒されていたから慣れていたものの、それでも初めて毒が混入された食事を前にした時は恐ろしくて仕方がなかった。ずっと体が震えていた。その時も気が付いたのは毒見役で、ライリーは指摘されなければ分からなかっただろう。

だからこそ、六歳のリリアナが落ち着いて毒が混入されている可能性を指摘したのは不可思議だった。だが、リリアナも三大公爵家の令嬢だ。毒殺に関する教育がなされていたのかもしれないと、その時は自分を納得させた。


しかし、今回の誘拐事件では様相が違う。馬車を襲撃された時、さすがにライリーもクライドも愕然とした。だが、リリアナの表情に変化はなかった。最初は、自分が見過ごしたのだと思っていた。直後にクライドが結界を張った後は、結界があるから安心しているのだと思っていた。

だが、リリアナは強制的に転移させられた時の状況を冷静に分析し、狙いが自分だけだったと判断した。その上で、咄嗟にリリアナの腕を掴み転移に巻き込まれたライリーの軽率さを批判したのだ。凛とした姿勢は揺るがず、向けられた視線は強く気高かった。思わず、ライリーが目を奪われるほどの美しさだった。


(――リリアナは――あまりにも、年相応ではない)


どれほど王太子妃教育を完璧に身に着けたとしても、七歳の少女が自分が狙われていると知り恐れないわけがない。自分の身が危険に晒されている時に覚える恐怖は本能的なもので、その本能を抑えるためには相応の訓練が必要だ。だが、リリアナが受けている王太子妃教育にそのような訓練は組み込まれていない。クラーク公爵家でも、そのような特訓はしていないはずだった。もしリリアナがそのような特訓を受けているのであれば、クライドもリリアナと同じく一切動じないはずだ。だが、クライドは最初に襲撃された時に驚愕していた。


その上、リリアナほどの聡明さがあれば自分たちを捕えた男がどういうつもりであったか、理解しているだろう。どこの馬の骨ともつかぬ破落戸に純潔を奪われ、見知らぬ相手に売られるという未来を聞かされても、彼女は一切の感情を見せなかった。怒りも悲しみも憎しみも、そして恐怖すらも――リリアナの瞳には浮かんでいなかった。むしろ、男たちの卑劣さに対してライリーの腸が煮えくり返っていた。

リリアナの冷静さがなければ、ライリーはあの場で首謀者を聞き出した後、男たちを手に掛けていたかもしれない。実際に、ライリーは破落戸の一人を殺していた。あの場所を刺せば死ぬと、ライリーは知っていた。もしリリアナが恐慌に陥っていれば、ライリーは破落戸たちを領主に預けるなどという()()()()()()()()()()()()


僅かにライリーの体が震える。気が付いたリリアナがライリーを見上げ、小首を傾げた。ライリーは「なんでもないよ」と安心させるような笑みを浮かべる。リリアナは少し不思議そうだったが、すぐに顔を前に向けた。ライリーはリリアナの腰を支える手に力を込める。


「ねぇ――リリアナは、賊に襲われて誘拐されて――怖いとは思わなかった?」


尋ねると、リリアナはきょとんとした顔で再びライリーを振り返った。全く思ってもみなかった、というような表情だった。ライリーは鼓動が速くなるのを感じながら、更に尋ねる。


「あいつらが何をするつもりだったか、貴方は分かっていたよね」

『ええ、それは勿論――』


頷くリリアナの表情は嘘を言っているようには見えない。本気でリリアナは恐怖も何も感じていなかったのだろう。自分の見立てが間違っていないかった確信と共に、嫌な苦みが喉元をせり上がって来る。


ライリーはずっと、祖父に憧れを抱いていた。彼からは国王の何たるかを教えられていた。国王は決して、誰か一人に心を奪われ惑わされてはならないはずだった。

――それなのに。

リリアナを害そうと考えている男たちを前に、生まれて初めて煮えたぎる感情を覚えた。そして、自分の身が危険に晒されているにもかかわらず、茶菓子を楽しむ時と同じように微笑み続けるリリアナが気にかかる。

リリアナと呼んでも良いかと尋ねた時、ライリーの心中にあったのは打算だった。オースティンに言われたこともあり、親しくなることで闊達な意見交換ができるようになればと――リリアナの聡明さと落ち着きに目を付けただけだった。あの時、もしリリアナが毒に倒れたとしても、心配こそするが心が搔き乱されはしなかっただろう。

だが、今はどうにも()()()()()()()()()。リリアナが卑劣な男たちの手に落ちると思えば殺意を覚え、そしてそのような状況下でも平気な顔をしているリリアナに、制御も出来ない、名前すら分からない感情を抱く。焦燥と心配と苛立ちが渾沌と混ざり合ったような感情は、ライリーから理性を剥ぎ取っていく。


――まるで、自分(ライリー)が国王に相応しくない証左のように。


だが、それを認めることはライリーの存在意義とこれまでの人生を根底から否定するようなものだった。


(――それに、恐らくリリアナは魔術を使える)


ライリーは小さく首を振って深呼吸をし、無理矢理荒れ狂う自分の心から目を背けた。もう一つの疑惑に目を向ける。顔の下で揺れる銀髪の頭を一瞥し、再び前に視線を戻す。

敵が投げたナイフによってクライドの結界が破られた瞬間、再び結界が構築された。誰も詠唱していないにもかかわらず、その結界は完璧だった。

結界を張ったのはライリーではない。そして、クライドが構築する結界とも違った。離れた場所にいる魔導士が結界を張ったにしては、結界が張り直されたタイミングが絶妙すぎる。最初の結界が破られてから張り直すまでに、もっと時間が必要なはずだ。

――つまり、二つ目の結界を張った可能性が高いのはリリアナだった。だが、()()()()()()()()使()()()()など、ライリーは聞いたことがない。


魔術は体系化された術式に魔力を流し、詠唱でそれを補助することで事象の具現化を可能にする。詠唱を伴わない魔術など、車輪を失くした馬車のようなものだ。そもそも魔術が使えないか、もしくは魔力が暴走し魔術の形を成さない。魔力が暴走した場合は、本人の体に重大な損傷(ダメージ)が残る。場合によっては魂まで傷つき、二度と目覚めない可能性もあった。

もしリリアナが本当に無詠唱で魔術を使えるのであれば、その理が曲げられている。


(そのことと――今回の誘拐事件と、関連はあるのだろうか)


婚約者()()であるリリアナを候補者から引きずり降ろそうと目論まれた誘拐事件である可能性が最も高い。だが、仮にリリアナが魔術を使えると疑っている人物がいるのであれば――そして、本来であれば不可能であるはずの無詠唱の魔術行使に目を付けているのであれば、リリアナの身はより高い危険に晒されていることになる。


無詠唱の魔術は、最大の武器になる。もし玉座の間に招かれた者が無詠唱で魔術を行使し国王の命を狙えば、防ぐ手立ては事前に結界を施しておく以外になくなる。だが、常に結界を張っておくわけにもいかない。魔術の行使には詠唱が必要とされているからこそ、不穏な動きを事前に察知し防ぐことができるのだ。

リリアナ自身にそのつもりがなくとも、万が一その意志が奪われた場合――リリアナは最強の兵器になってしまう。


もし、リリアナがライリーの婚約者候補から外れた時、彼女はどうなるのだろう。

何故、クラーク公爵は頑なに娘を婚約者候補から外そうとしているのか――そして何故、国王はリリアナと婚約するようライリーに言ったのか。


――ライリー。お前と婚約をすることが、彼女の身を守ることに繋がるだろう。


国王が嘗て告げた言葉がライリーの脳裏を過ぎり、ライリーは心臓を掴まれたような心地になった。


『――ライリー様?』


ライリーの腕の中にすっぽりと収まる、小さな体。儚げなリリアナが抱える、高い知能と欠如しているようにさえ思える感情。その不安定(アンバランス)さ。たった一人、何の武器もなく必死に生きる少女の幻影がリリアナに重なる。

知らず強くなるライリーの腕の力に、リリアナは不思議そうな目をしていた。



*****



オルガとジルドは護衛の中から山に慣れていそうな若い者を選び、コイラード子爵の執事から知らされた村へと足を運んだ。その村であれば若者も多く、山小屋がある場所をほぼ把握しているという理由だ。


「その中に、今回の関係者が居ねェとは限らねェけどな」

「だからこそ、私たちが()()するんだろう」


ジルドがぼやけばオルガが軽く反論する。護衛数人に村人一人の案内役を付けるというのは、相互に監視し合えるという状況を作ることでもあった。特に、今回の案内を依頼する際にオルガとジルドが同行することには意味がある。最初の段階で、村人たちがどの程度今回の誘拐事件を把握しているのか見極める必要があった。


「――面倒臭ェ。とっとと一人で探しに行っちまった方が早ェぞ」

「馬鹿を言うな、お嬢様はお前の一族ではないだろう」


オルガの僅かに呆れた顔を横目で見たジルドは口を尖らせる。


「そうだったら手っ取り早かったンだけどよォ」

「詮無いことを言うな。それに、お前も承知しているだろう――お嬢様が大人しく連れ去られるわけがない」

「一人だったら、の話だ」


ジルドは酷く苦々しく吐き捨てた。オルガもそれは懸念していたのか、ほんの少し眉根を寄せて黙り込む。

確かにリリアナは年齢のわりには大人びているし、魔術にも優れている。確実に、大陸全土でも屈指の魔導士だ。彼女に敵対できるほどの能力を持つのは、それこそ魔王やその等級(ランク)の魔物でしかあり得ないだろう。だが、それもリリアナが一人で居ればの話だった。


自分が魔術を使えるという事実を、リリアナはひた隠しにしている。その判断にはオルガもジルドも否やはないが、逆を言えば、王太子が共に居る状況でリリアナは()()()使()()()()

たとえ体の自由を奪われていても、リリアナは拘束を抜け出し敵を撃退し一人で戻って来られる。だが、彼女が魔術を使えると知らない人間の前で、リリアナは極力魔術を使わずに対処しようとするだろう。となれば、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()普通の少女だ。手段を選ばない破落戸の前で、リリアナは無力だ。

傭兵生活の中で、悲惨な末路を辿る多くの姿を見て来たジルドの懸念は尤もだった。


「そこは、王太子の判断力と実力が十分であることを願うしかないな。確か、九歳だったか」

「ンなケツの青いガキに期待なんざしてられっかよ」


吐き捨てるようなジルドの言葉を聞いたオルガは思わずと言ったように笑みを零し、横目でジルドを見上げる。


「お前が九歳の頃はどうだった?」

「あァ?」


訝し気に片眉を上げるジルドに、オルガは更に言葉を重ね尋ねた。


「こんな状況の時、対処はできていたか?」

「――オイ、俺たちとこの国の人間を比べンな」

「そうか、それは悪かった」


オルガは肩を竦めてあっさりと謝る。ジルドは鼻を鳴らし、苛立たし気に頭を掻いた。だが、次にオルガに向けた目には僅かに気遣いの色が垣間見える。それでもジルドは何も口にせず、「もうじきか」と言った。オルガは頷く。目指す村は目前だった。




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