14. クリムゾンと商人 4
滅多に会えないものの、可愛いと思っている妹を連れ去られた衝撃は大きかった。だが、頭を切り替えたクライドの行動は素早かった。倒れた襲撃者たちを残った護衛たちに捕縛させ――とはいっても死体を回収と言った方が正しかったが――敵が持っていた武器を検分する。馬車の近くに落ちていたナイフの柄には複雑な文様が描かれており、呪術に詳しくはないものの、結界を解除する術が施されていることが推察された。
近くの領主館に半ば強引に押しかけたクライドは、護衛対象である王太子を奪われたことに蒼白になるライリーの護衛を宥めながら、領主の協力も仰ぎ事態の把握に努めた。
「襲撃者は雇われ者でしょう。尋問できないのが残念ですが、生存者がいない時点で玄人である可能性が高いと思います」
「――でしょうね」
通された客間のソファーに座るクライドに報告を持って来たのは、世話になると決めた領主の屋敷に勤めている執事だった。身のこなしに隙がない。元々は傭兵、もしくはあまり表立っては言えない仕事をしていたのだろう。だが、それほど荒んだ雰囲気はない。もしかしたら騎士と言う可能性もある。クライドは内心で執事をそう評価していた。事実、この領地――コイラード領を治める領主は元々騎士だった。その時の知り合いである可能性は大きい。
「誘拐した者たちは、殿下と妹をどこに連れ去ると思いますか」
「コイラード領はご存知の通り、谷間の村が寄せ集まって出来ておりましてね。村の者たちは山で仕事をすることが多いですから、色々な場所に山小屋を持っています。その中には長らく使っていないものもありますから、隠そうと思えばどこにでも」
あっさりとした言葉にクライドは眉根を寄せる。執事の言うことは尤もだったが、決して前向きになれる話ではなかった。
「その場所を教えてくれませんか」
「ええ、勿論ですとも」
執事はクライドの依頼を予想していたのだろう。あっさりと手にしていた書類の中から領地の地図を差し出す。
「あいにくと、測量が間に合っていない地域もありまして――我が領はまだ若いですからね。万全とは言い難い地図ですが、主要なところは記してあります」
「ありがとうございます」
受け取った地図にクライドは視線を落とす。確かに中心部は細かに書き込みがされていたが、それほど広くもない領地の端の方は調査が不足しているのか白紙の部分が多い。執事が“若い”と言った通り、コイラード領はできて間もない領地だった。
元々は小高い山が続く土地で、住んでいる人もそれほど多くはなかった。クラーク公爵家がついでに世話をしていた程度の場所だ。だが、先だっての政変の時に騎士団で際立った働きをした騎士に子爵位が与えられた際にコイラード領となった。領民のほとんどは夏場に山で仕事をし、冬場は騎士の訓練に明け暮れていると言う。子爵領となってから開墾が進み領民も徐々に増えつつあるものの、未だに貧しい土地ではある。だが、人口もそれほど多くないため自給自足の生活でほとんど賄えている状況だ。
コイラード子爵本人も、貴族というよりは領民と同じような立ち位置で農作業に明け暮れているらしい。書類仕事は苦手らしく、もっぱら執事が代わりに決裁しているようだった。そんな主の性質を反映しているのか、屋敷も全体的に質素で物が少ない。貴族の屋敷というよりは騎士の宿舎に近い雰囲気がある。王族や公爵といった高位貴族を泊めるにはあまりにも味気ない屋敷だと、一部の口さがない貴族からは謗りも受けそうなほどだった。
「本当は、子爵本人がご挨拶に伺うべきなのですが――あの野郎どこに行きやがったんだ」
執事は物騒にぼそりと唸る。後半はきっちりクライドの耳に届いていたが、クライドは聞こえなかった振りをした。どうやら子爵本人は随分と奔放な人柄らしいと思いながら考える。
現状を鑑みるに、村人たちの力を借りて山狩りをするのが一番手っ取り早い。だが、今はちょうど山仕事と農作業に忙しい時期のはずだ。あまり手を煩わすと、冬場に向けての準備に差しさわりが出るのも不味い。
それに、子爵と執事には悪いが――クライドは、村人全員を信用して良いのかどうかも決めかねていた。自給自足で足りるとはいっても、金に目が眩んで誘拐に手を貸した者が居ないとも限らない。もしそのような人物がいるのであれば、クライドたちがライリーとリリアナを発見する前に、手の届かない所へ移動させるだろう。転移の術という手段を敵が持っている以上、慎重にならざるを得なかった。
「お忙しい中、お手を煩わせて申し訳ありません。今一度、護衛たちにも話をしておきたいと思います」
「承知いたしました。夕飯は、こちらでご用意させて頂いても?」
「はい、用意していただけると助かります」
「滅相もございません」
執事に礼を述べたクライドは、リリアナが連れていた護衛二人を呼び出した。以前連れていた護衛とは違うことに疑問を抱きつつも、襲撃された時の身のこなしから二人がライリーの護衛と互角かそれ以上の実力を持っていることには気が付いている。それに、纏う雰囲気を見れば正当な訓練を受けた騎士でないことは直ぐに分かる。
クライドの前に姿を現した二人は対照的だった。オルガはきっちりと騎士の礼でクライドに挨拶をし、ジルドは不快気に顔を顰め腕を組んでクライドを睨みつける。オルガは落ち着いているが、ジルドは今にも屋敷を飛び出していきそうだった。
狂犬にも忠犬にも見える男の様子に、場違いにも笑いを堪えながら、クライドは執事から受け取った地図を二人に差し出す。受け取ったのはオルガだった。不機嫌なジルドも気になるらしく、横から首を伸ばしてオルガの手元を覗き込む。
「この近辺の地図、ですか」
口を開いたのはオルガだった。無礼な言葉遣いになることを分かっているからか、ジルドは名指しで尋ねられない限りクライドと口を利こうとはしない。実際には、ジルドにとってリリアナの実兄とはいえ、クライドはいけ好かない貴族の一人だからなのだが、クライドには知る由もなかった。
「ああ。リリーが連れ去られたのは転移の術だ。殿下は巻き込まれたようだった。だが、転移の術で移動できる範囲は限られている。恐らく、現時点ではまだこの領内にいる可能性が高いと考えて良いだろう」
クライドの言葉を聞いたオルガは同意を示すように頷く。
「そうでしょうね。可能性として高いのは現在使われていない山小屋、もしくは協力者が現在使っている山小屋といったところですか」
「ああ。前者の場合は村人に総出で山狩りを頼むしかないが、後者だった場合は村人に頼るのは悪手だ」
「同意します」
オルガの口調も一歩間違えれば不遜だが、クライドは気にせずに頷いた。ライリーの護衛を使うことも考えていると告げると、オルガとジルドは微妙な表情を浮かべた。二人で意味深に顔を見合わせる。クライドは二人の様子を窺いながら、「何か?」と尋ねた。
「懸念でもあるのか、ジルド」
「まァ――ねェことはねえけどよ。使うってンなら使や良いんじゃねェの」
微妙な言い回しだ。クライドは目を細めジルドの答えを反芻した。
「その場合、あなた方はどうするつもりだ?」
「その場合も何も、見当をつけて迎えに行くに決まってンだろ」
「ジルド、言葉を選べ」
ジルドの不遜な言葉をオルガが咎める。だが、否定しないということはオルガもそのつもりで居るということだ。クライドは表情を消した。何故、護衛二人が誘拐されたリリアナの居場所を知っているのか――それは犯人しか知り得ない場所のはずだった。
「あなた方は、リリアナと殿下がどこに連れて行かれたのか知っているのか?」
「知るわきゃねェだろ」
クライドの問いを聞いたジルドが吐き捨てるように答える。辛うじて抑えていた彼の怒りは噴火寸前だった。
「だが、ここでノロノロと手をこまねいてるよりか動いた方がマシだってンだ。それに護衛つったって、お綺麗に飾り立てて街と戦場しか知らねェ“良いところの坊ちゃん”ばっかじゃねェか。山狩りするにしても足手まといにしかならねェぜ」
ジルドの指摘は尤もだった。ライリーが連れて来た護衛は一番隊の騎士ばかりで、彼らは式典や戦場での護衛任務が主だ。人探しは彼らの仕事ではない。その上、箔をつけるために高位貴族の嫡男ばかりが選ばれている。山で遊んだ経験すらない者がほとんどだった。そして、クライドもまた例に洩れず山の経験がない。
「それではあなた方の意見を訊きたい。残念ながら、私もこのようなケースは経験がないんだ。少数精鋭で行くか護衛を巻き込むか、それとも村人に頼るか。どの選択肢が最適だと思う?」
ジルドは口をへの字に曲げてそっぽを向く。答えたのはオルガだった。
「この場合は戦力がどの程度かを考慮に入れる必要があります。私とジルド――それから、護衛から数名。護衛に村人の案内を付け、その村人には口止めを。村人は領主に選ばせる必要があるでしょう」
「――そうだな」
澱みのないオルガの口調は、クライドにとっては意外だった。クライド自身も同じ結論に至っていたが、まさか傭兵出身の人間がそこまで理論立てて考えられるとは思ってもいなかった。騎士団に所属する騎士ですら、副隊長以下の騎士は基本的に上司の指示命令を聞き動くだけだ。
これならば――と、クライドは決断した。
「私もそれが良いと思う。選抜はあなた方に任せても良いだろうか」
予想外のことを言われたらしい。オルガは目を僅かに見開き、ジルドは心底嫌そうな顔をした。クライドは言葉を重ねる。
「こういうことに掛けては、私よりもあなた方の方が見る目があるだろう。村人を数名借りるのであれば、私からコイラード子爵へ話を通しておく」
「承知しました」
逡巡することなくオルガは頷いた。ジルドはぼそりと「面倒臭ェ」とぼやいたが、クライドには聞こえない音量だった。オルガの耳には届いていたが、黙殺される。ジルドとしては、他人の手を借りるよりもさっさと一人で山に向かいたい気持ちだった。実際に、クライドや護衛たちから離脱して山に向かおうとする彼をオルガは何度も引き留めている。
しかし、闇雲に探したところで見つかる可能性は低い。特に、知らない山はどこにどのような危険が潜んでいるか分からない。道を外れ沢に落ちたら、どれほど頑強な肉体を持つジルドであろうと怪我をし身動きできなくなる可能性すらある。村人たちの助けは必要だった。
「それでは、即座に準備にかかります」
オルガはジルドを引きずるようにして部屋を出て行く。クライドは、再び執事に面会したいと侍従に言いつけた。
リリアナの事を思えば気は逸るが、急いては事を仕損じる。深呼吸をして必死に己の内に巣食う嵐を抑えるが、噛み締めすぎた唇からは血の味がした。









