14. クリムゾンと商人 2
※グロテスクな表現を含みます。
今回の視察に向かう旅では、フォティア領には立ち寄らない。しかし、王太子が同行しているため手近な宿に泊まるわけにもいかず、各地にある屋敷や修道院など警備の整った施設に滞在した。国王の容体が思わしくない上に後継者も限られている現状で、ライリーの身に何かあってはならない。
(――正直、ライリー様がお連れになっている護衛が束になってもジルドとオルガには敵わないでしょうし、魔術を使って宜しければわたくし一人でもどうにかなる気はするのですよね)
魔物も出没しない平穏な旅程も半分を超え、リリアナは政策について討論するライリーとクライドの話を聞きながら思いを馳せる。今、二人が題材としているのは移民に関する諸問題だった。
「“北の移民”は戦闘能力が高いケースが多いから、傭兵に入るだろう。だが傭兵に入れるのは若くて健康な男だけだ。女も一部は傭兵になるが、多くは傭兵にはならない。問題は就労だな」
「そうですね。彼らの大多数は傭兵以外に金を稼ぐ道筋がありません。領主が補助をすれば既存の民の反発を招きかねませんし、そもそも補助をしようとする領主も限られています」
クライドもライリーに頷いてみせる。ライリーは腕を組んだ。
「具体的に政策をとっているのはケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領だな。エアルドレッド公爵領は特に何もしていない――というより、できていないと言った方が正しいか」
「残念ながら、我がクラーク公爵領も出来ているとは言えません」
クライドは恥ずかしさ故か、わずかに頬を紅潮させる。恐らく彼が公爵となった暁には、“北の移民”の受け入れ態勢を整えたいと考えているのだろう。だが、問題は山積みだ。ライリーは静かに指摘した。
「彼らの性質は、我々と違うようだからな。農業やら工業やらに従事するのは好まないらしい。恐らく、スリベグランディア語を習得している人間が少ないことも理由の一つだろうが」
「商業ギルドも“北の移民”を雇うことには後ろ向きです。彼らの性質もありますが、教育に時間が掛かるというのもまた、理由にあるようですね」
「騎士団は囲おうとするがな」
騎士団は各領地に存在している。金で随時契約する傭兵とは異なり、領主の指揮下で動く存在だ。だが、どの領地も潤沢な人材があるわけではない。一部の肥沃な領地を除き、農民が騎士団の一員であることが大半だ。だからこそ、一部の領主たちは“北の移民”の戦闘能力に目を付けた。だが、“北の移民”の中でも特に戦闘能力の高い面々は決して首を縦に振らなかった。恐らく、彼らの愛する自由が奪われるように感じるのだろう。騎士団に入る者はたいてい、“北の移民”の中ではそれほど戦闘力が高くない者か年若いものばかりで、既に戦闘能力を開花させている成人は基本的に傭兵になりたがる。
「傭兵の方が、実績に収入が直結しますから。他の騎士との軋轢もあると聞きますし。ですから、問題は戦えない移民の仕事をどうするべきかという一点だと思います」
「――ギルドによる寡占状態を防ぐことを検討した方が良いかもしれないな」
ギルドが市場を独占すればギルドに加入した者たちの収入は桁違いに上昇するが、新規参入が難しくなる。特に“北の移民”にとっては死活問題になりかねない。一方で、ギルドの権利を制限すれば既存ギルドの反発を招く。
(私的独占の禁止と不当な取引制限、商人の結合規制を大まかに決めて、ギルド内で委員会を設置し自主管理させるのが宜しいかもしれませんわね。もちろん、その委員会は中央が監視することが条件ですけれど)
二人に告げるつもりはないが、リリアナは内心で前世の知識を引っ張り出す。市場独占は消費者にとっても利はない。しかし、この世界に消費者という概念は存在していない。歴史とは徐々に変化するものだ。急激な変革は反動をもたらすと、前世の歴史でも証明されている。
(賢者は歴史に学ぶべきですわ)
リリアナが考えていることには当然気が付かないまま、ライリーとクライドは会話を続けている。ライリーはわずかに苦笑を滲ませた。
「本音を言えば、王都の騎士団も拡充を図りたいとは考えているんだ。比べるべくもないが、騎士団の質と量のどちらも、ケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領の騎士団に劣る。可能ならば“北の移民”も積極的に登用したい。彼らの戦闘能力は魅力的だ」
「ですが、彼らを全土から集めるためには諸侯の協力が必要ですし、そもそも騎士団に入団可能な年齢の大半は傭兵を志すと聞きます」
「その通りだな。他に予算をどう確保するかも考えなければいけない。頭の痛い問題だ」
ライリーは深々と溜息を吐く。
しかし、黙って聞いていたリリアナは首を傾げた。
(――ケニス騎士団には“アルヴァルディの子孫”が所属しているようでしたけれど、殿下とお兄様のお話とは矛盾致しますわね?)
脳裏に浮かぶのはイェオリと呼ばれていた少年である。
戦闘能力が高い“北の移民”とは、十中八九“アルヴァルディの子孫”のことだろう。確かに、ジルドを見れば彼らが傭兵を好むことは理解できる。彼らは権力と名のつくものが嫌いだし、己が認めた、もしくは信頼する相手にしか従おうとしない。
(ケニス辺境伯領には何かあるのでしょうか)
傭兵になることを好む“アルヴァルディの子孫”がケニス辺境伯領では騎士団に入団し、自由を犠牲にする。理由は気になるが、リリアナには想像もつかなかった。
やがて、一面の草原だった景色は変わり小高い山が増えて来る。谷に囲まれた村々を結ぶ細い道を、馬車は順調に進んでいた。だが、しばらく進んだところで何の前触れもなく止まる。ライリーとクライドは眉根を寄せた。
「――何かあったのか?」
ライリーは首を傾げ、クライドは近場に居る護衛に尋ねるべく馬車の窓を開けようとした。その、護衛の頭部が飛ぶ。血飛沫が馬車の窓にかかり、あまりの出来事にライリーとクライドは愕然と硬直した。
(あら、前触れがございませんでしたわね)
一方のリリアナは平然としている。
「っ、【我が名に於いて命じる、風の理の元に我らが周囲への侵入を妨げよ】」
結界を張る詠唱を唱えたのはクライドだった。リリアナは結界が張られたのを確認し、ポケットから隠し持っていた鳥の形代を取り出す。
(【追尾】)
透明な鳥が顕現し、後方にいるジルドとオルガ、そしてマリアンヌの方へ飛んでいく。遠隔でマリアンヌの近くにも結界を張り、そして同時に襲撃者の人数と位置を把握することにした。
(【索敵】)
ここまで、時間にしてほんの数秒である。ジルドが連れて来たカマキリという元暗殺者の特訓は、技術習得は勿論、緊急時の反応速度を磨くことにも重点を置いていた。それ以外にも、リリアナはあらゆる攻撃を想定して対策を常日頃から練るようにしている。
ライリーとクライドは直ぐに気を取り直し、それぞれの剣を持った。いざという時は自分たちで剣を抜いて戦うつもりだろう。外では怒号と剣劇の音が響いている。
「襲撃か」
「盗賊――ではなさそうだな」
盗賊と考えるには不自然なほど敵の攻撃は執拗かつ苛烈だ。それに、護衛と互角に戦える盗賊はそうそういない。
遠方から飛んで来た矢が馬車の窓に飛んで来る。咄嗟に剣を抜いたライリーの反射速度はさすがだが、馬車の周囲には既に結界が張り巡らされている。窓を突き破ることなく、矢は弾き返され地面に落ちた。遠くで誰かの悲鳴が聞こえる。もしかしたら、崖下に落ちたのかもしれない。
リリアナは眼前に出現させた近辺の地形図と人物の居場所、そして動きを把握する。敵は多い。ライリーが連れて来た護衛たちも強いが、敵の方が上手だ。余裕を見せているのはジルドとオルガの二人だけだろう。自分が――厳密にはペトラだが――見込んだ傭兵二人の実力を見せつけられたような気がして、リリアナはほんの僅かに頬を緩める。
(ただ、戦闘不能になる護衛と比べて敵の人数が減らないのは困りものですわね)
徐々に敵はリリアナたちが乗っている馬車に近づいて来ている。時折馬車に届く矢は全て結界が弾いているが、敵が直接攻撃を仕掛けてくればクライドが馬車を飛び出すだろう。
(もしこの襲撃がゲームのシナリオに基づいたものなら、お兄様がお亡くなりになることもないでしょうけれど――既にシナリオから外れた出来事が幾つか起こっている点が気にかかりますわ)
シナリオから外れている出来事があるとは言っても、リリアナが認識できるのは自分自身のことだけだ。ゲームのリリアナは既に声を取り戻し魔力を暴走させ、ライリーの婚約者として内定していたはずだ。だが、現実では未だリリアナは公には声を取り戻しておらず、婚約者候補のままである。勿論、魔力暴走もしていない。
他にもリリアナが気付いていないだけで、ゲームのシナリオから逸脱している出来事がある可能性もある。それがどの程度、攻略対象者たちの生死に関わっているのかは読めない。
(とりあえず、現時点ではこの襲撃を無事に切り抜けるのが肝心ですわね。わたくしが魔術を使えることは、ライリー様とお兄様には知られたくないのですが)
どこまで誤魔化されてくれるかが問題だ。やはり、直接攻撃され始めてから魔術で撃退すると気付かれる危険性が高まるだろう。となれば、遠隔で敵を攻撃するか、もしくは実際に戦っている人間の身体能力を強化させる――即ち、サポート的な役割に回る必要がある。
(身体強化サポートは魔術制御が精密で疲れますのよ――)
人間の体は、リリアナの魔術を前にすれば非常に脆い。後のことを一切気にせず他人に身体強化の術を施せば、対象者が廃人になる可能性がある。さすがにそれは避けねばならないだろう。護衛が相手でもその後の人生を左右すると思えば気が引けるが、未来の国王であるライリーや三大公爵家の嫡男であるクライドに対しては一層慎重さが要求される。できれば、身体強化は避けたい。
(致し方ありませんわね)
リリアナは内心で溜息を吐いた。敵の姿を視認できない現状で、味方に極力被害を出さずにリリアナができることは限られている。
(【鎌風】)
魔術による物理攻撃をするには標的を直接目で見て確認したいが、それができないとなるとリリアナが今眼前に表示させているサーモグラフィ画像もどきだけが頼りだ。確実に敵と分かっている存在に向けて、リリアナは風魔術を発動させる。すると、サーモグラフィ画像もどきの中で、敵と思しき表示が動かなくなった。護衛らしき影は一瞬動きを止め、恐る恐ると言った様子で近づき、しばらく停止していたかと思えばすぐに別の敵へと向かう。恐らく、突然倒れた敵に意識がないことを確認した上で縛り上げ、仲間の応援に向かったのだろう。
馬車の中からは姿の見えない敵を迎撃することに集中しているリリアナは、ライリーが外を気にしながらも時折リリアナに物言いたげな視線を向けていることに気が付かない。
(迎撃を助けても敵の方が優勢ですわね)
リリアナの風魔術から逃れ、護衛たちを倒しジルドとオルガの目を掻い潜った三つの影が、リリアナたちの乗る馬車に向け動き出した。結界があるから直接的な被害は受けないはずだ。攻撃をする瞬間に隙は生まれる。その隙を狙って、地面に取り落とされた武器を動かし背後から敵を倒せば良い。リリアナは心中で【収集】と呟き、落ちていた武器を幾つか認識できる場所に移動させた。
「――っ!」
馬車の外に敵が接近し、気配に気が付いたライリーとクライドの警戒心が最高潮に達する。先に反応したのはライリーだった。放たれた矢とナイフが同時に馬車の周囲に張り巡らされた結界に触れ弾かれる。途端に感じた違和感に、リリアナは愕然とした。
(結界が解除される――!?)
タイミングから考えて、放たれた矢かナイフに解術の呪術が施されていたに違いない。つまり、敵は結界が張ってあることを予想していた可能性が高かった。
リリアナは咄嗟に結界を張った。ライリーが目を瞠る。だが、リリアナの意識にライリーの反応は映らない。それどころか、結界を張るという選択が間違っていると結界を張り終えた瞬間に気が付いた。
「――!」
リリアナは目を瞠った。リリアナが結界を張り直す直前に、恐らくリリアナの足元に転がったのだろう。結界が完成された直後に種が崩れ、リリアナの周囲に紫色の靄が立ち込める。馬車を襲う三人の刺客が、背後から追いついたジルドとオルガの手によって斬り倒される。リリアナの体が靄に包まれているのを見て焦った表情を浮かべたオルガが、リリアナに手を伸ばす――しかし、その手は結界に阻まれた。
「リリアナ!!」
ライリーの叫びが聞こえる。だが、その時にはリリアナは意識を失い――忽然と馬車の中から姿を消していた。