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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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13. 失踪者 6


ブレンドン・ケアリーは、その日久しぶりに私服に着替えて騎士団の宿舎に外出届を提出し、夕暮れ時の街に出た。一言で王都と言っても広く、王宮を中心とした貴族の居住地区から外れると、庶民たちでにぎわう繁華街もある。ただし、厳密に“王都”と呼ばれるのは王宮と貴族の居住区、騎士団が住まう場所を中心とした僅かな部分だ。スリベグランディア王国建国以来拡張された王都は、正式名称をヒュドールと言う。だが、人々は変わらず“王都”と呼んでいた。


質実剛健、質素倹約を心掛けるよう鍛えられてきたブレンドン・ケアリーは、滅多に王都を遊び歩かない。必要な物資は支給されるし、宿舎と訓練所の往復がほとんどだ。仕事で王都の警邏に当たる時は別だが、それ以外では時折同僚に誘われて食事処に赴く以外、個人的な楽しみを目的に出歩いたりはしない。だが、()()()に呼ばれた時は別だった。

賑やかな表通りを抜けて、裏通りに入る。裏通りといっても不穏な気配はなく、むしろ隠れた名店がそこかしこに建ち並んでいる“隠れスポット”だ。案の定、(つう)と呼ばれる客たちの姿もちらほらと見える。更にそこから奥へ入ると、今度は夜の通りとなる。周囲は様変わりし、夕刻も差し迫ったこの時刻、少しずつ店が開いていく。騎士団きっての堅物と知られるブレンドンだったが、彼は迷わずその内の一軒へと足を向けた。

まだ開店前の店内に迷わず足を踏み入れる。店内には入り口付近に設置された来客用受付で金を数える男が一人いるだけだった。男はちらりとブレンドンを見ると、「二階の端」と言った。


「分かった」


ブレンドンは短く答え、二階に上がる。一番端の部屋に入ると、豪華ではないものの清潔な室内だった。他の部屋はもう少し手狭で、ベッドと化粧台しかない。しかしブレンドンが案内された部屋にはテーブルと椅子、ソファーも置かれていた。念のため、ブレンドンは部屋の中を見て回る。隠し通路の有無や盗聴盗撮がされていないか、確認するのが彼の最初の仕事だった。

問題がないと分かったところで、彼は窓のカーテンを引く。室内の灯りは付けない。カーテンの隙間から通りを見下ろし、ブレンドンは彼を呼び出した当人を待った。


そうしてしばらく経った時、ブレンドンの肩がピクリと反応する。扉を開いて入って来た人物は、全身が黒一色だった。黒いコートに手袋、黒い中折れ帽を被って手には杖だ。簡素だが上質だと分かる仕立てで、一目で社会的地位の高い人物だと分かる。だが同時に、ブレンドンはその人物が持つ杖が暗器であることも知っていた。敵が牙を剥いた時、その杖は相手の命を屠る剣へと姿を変える。


「――お久しぶりです、叔父上」

「息災にしていたか、ブレンドン」

「お陰様で」


ブレンドン・ケアリーに叔父と呼ばれた男は、帽子とコートを脱ぎ椅子に腰かけた。鋭い眼光をブレンドンにひたと当て、対面に座るよう促す。ブレンドンが待っていたのは、母の弟であるケニス辺境伯だった。ブレンドンは小さく頷いて、テーブルを挟んだ向かい側に座る。


「ビリーは元気ですか」

「ああ、相変わらず生意気な口を叩きおる。お前にも会いたがっていたぞ」

「ケニス騎士団の見習いになったそうですね。手紙を受け取りました」

「まだまだ生っちょろいガキだ。その内、お前に手合わせをさせろと言い出すだろうな」


辺境伯の言葉を聞いたブレンドンは、思わずと言ったように僅かに頬を緩める。滅多に表情を変えない彼にしては珍しいことだった。

ビリー・ケニスは、ブレンドンがケニス辺境伯領の実家に居た時からブレンドンに懐いていた。ブレンドンの母は平民である父と恋愛結婚をし、貴族ではなく平民となった。元々平民と距離の近い辺境伯領で育ったからこそ叶った恋だろう。当然、ブレンドンも生まれながらの庶民だ。

だが、母と弟であるケニス辺境伯は今でも仲が良い。ブレンドンも小さい頃から従兄弟たちと良く遊んだものだった。

本当であればブレンドンもケニス辺境伯の騎士団に入るつもりだったのだが、辺境伯の推薦により王都の騎士団に入団することとなった。お陰で騎士爵を得ることとなったが、周囲の態度が変わることはない。

しかし、今日この場に集まったのは懐かしい話をするためではない。ブレンドンは表情を引き締め、ケニス辺境伯に向け口を開いた。


「例の件、殿下が秘密裏に調査を開始するそうです。どこまで上手くやるかは分かりませんが」

「なるほど。お一人でか?」

「いえ、西の虎の次男を取り込んでいます」


西の虎はエアルドレッド公爵家のことだ。なるほどな、と辺境伯は頷く。天井に視線を向けて顎に手をやり、辺境伯は何事か考え込んでいた。


「西の虎の次男坊は、確か母方の血を濃く継いでいたかと思ったが」

「まだはっきりとはしませんが、武に重きを置いているようには見受けられます」


そうだったな、と辺境伯は呟いた。両眼に深い色を湛える。


「――父親の血を濃く継いでいれば、迷うことなく多くの貴族が殿下を支持したろうにな」


ブレンドンは黙り込む。叔父が何を考えているのか彼には良く分かっていた。だが、分かっているからこそ口を噤むしかない。


エアルドレッド公爵は、幼い頃は神童と呼ばれていた。成長すれば天才も凡人になるものだが、彼の能力はまさしく神から与えられたものだった。

今でも伝説のように語り継がれている逸話が、公爵が青年時代に挑戦を受けたというチェスの多面指しだった。その時、エアルドレッド公爵が一人で相手にした対戦者は五人。更には“ハンデ”と称して、公爵自身は目隠しをした。対戦相手は皆、腕に自信がある者ばかりだった。だが、公爵は全く迷いなく駒を進めて一人勝ちしたのだという。


その公爵の血をオースティンが引いていれば、確かに貴族たちはオースティンを側近に据えようとしているライリーを支持しただろう。だが、生憎と現状ではオースティンに公爵の血は感じられない。

元々口下手なブレンドンは次に何を言うべきか逡巡したが、一旦話題を変えることにした。「これは自分の考えなのですが」と口を開く。辺境伯は逸らしていた視線をブレンドンに向け続きを促した。


「恐らく、殿下は有力貴族の子息のうち、同年代で見込みのある者を取り込もうと思案しているのではないかと思います」

「ほう?」


辺境伯の目が煌めく。どうやらブレンドンの見立ては辺境伯の興味を引いたらしい。


「殿下の方は、複数いる婚約者候補の中でただ一人との親交を深めようとなさっているご様子。西の虎のご子息は、事あるごとに青炎の長男と接触を図っています」

「青炎のところの子供二人を取り込もうとしている、ということか?」

「恐らくは」


ブレンドンは頷く。青炎の宰相と呼ばれるクラーク公爵家の子息二人は優秀だと、最近になって一部の貴族が噂をしだした。そこに目を付けるとは、もしかしたら王太子もその側近候補も人を見る目があるのかもしれない――ブレンドンはそう思っている。そんなブレンドンを尻目に辺境伯が「他は?」と尋ねるが、ブレンドンは首を振った。それ以上の情報はまだ入手できていない。しかし、辺境伯は「お前もそれほど気軽には動けんだろうしな」と気にも留めなかった。


「叔父上は――」


沈黙を破ったのは、ブレンドンだった。真剣な表情で、彼は叔父たるケニス辺境伯を真っ直ぐに見つめる。静かに見返され一瞬気圧されたが、ブレンドンは変わらぬ表情で言葉を続けた。


「ローカッド公爵家も巻き込むべきと思われますか」


ローカッド公爵家は三大公爵家の一つであり、“盾”という異名を持つ。エアルドレッド公爵家、そしてクラーク公爵家と並んで影響力があるとされているが、その実態を知る貴族は限られている。平民でしかないブレンドンが知る由もないが、ケニス辺境伯として辣腕を振るう叔父ならば何かしら知っているのではないかと思っての問いだった。だが、辺境伯はふっと笑みを漏らして首を振る。


「いや――奴らとは接触できんだろう」

「殿下でも、ですか」

「殿下だからこそ、だ」


問答のような答えに、ブレンドンは眉根を寄せる。だが、こうした受け答えをする時の辺境伯に答える気がないというのも彼は良く知っていた。しかし、ブレンドンにとっては意外なことに、辺境伯は言葉を続けた。


「王家と貴族の成り立ちを知っているか」

「は」


唐突な問いに、ブレンドンは言葉に詰まる。平民でありながらも、ブレンドンはケニス辺境伯の類縁として、庶民としては受けられるはずのない教育を受けていた。


「主従は契約で成り立っていた――と」

「かつては、な。今は建前上、そうではない。王は絶対であり、諸侯はそれに付き従う者。だが当初は違っていた」


魔の三百年と呼ばれた群雄割拠の時代、各地を治める豪族が居た。それを統べる者が現われ、人は彼を王と呼ぶようになった。王は領地を与え保護する代わりに、諸侯は王の要請に応じ軍事力を提供する――これが王と貴族の成り立ちだ。だが、時代と共にその関係性は形を変えた。


「ローカッド公爵家だけは、他の貴族と違う。奴らはスリベグランディア王国建国の際に、王家と交わした契約を未だに守っている。他の公爵家は交わした契約を時代と共に変えたが、ローカッド公爵家は一切変えなかった。そして、嘗て結んだ契約内容は他の貴族が王と結んだどの契約とも違った」


ブレンドンは眉根を寄せる。叔父の説明は、贔屓目に見ても国家機密に当たるとしか思えない。自分がそれを聞いても良いのかと言いたげな表情に、辺境伯は顔を緩めた。


「安心しろ、この程度であれば公爵家以上の実力を持つ貴族であれば誰でも知っている」


つまり、ぎりぎり辺境伯も含まれるという意味だ。だが、ブレンドンは直系ではない。聞くべきではないのではないか、とブレンドンは苦い顔になるが、辺境伯は気にした様子がなかった。淡々と言葉を続ける。


「その契約内容は誰も知らん。知っているのはローカッド公爵家の当主と王家の当主――つまり国王、その二人だけだ」

「ローカッド公爵家が動くための条件を知る者は国王とローカッド公爵家当主しかいない。そういうことですか」


考えた末に、ブレンドンは尋ねる。辺境伯は「その通り」と笑った。


「だが、目の付け所は悪くない。三大公爵家を取り込もうというんだろう。結局はその内の二つだけしか取り込めないが――ローカッドは他の誰も取り込めないから度外視して構わん」


ブレンドンは頷く。満足そうにその反応を見た辺境伯は、わずかに声音を変えてブレンドンに尋ねた。


「カルヴァートのところの(せがれ)はどうしてる」

「変わらず息災にしております」

「それは僥倖」


にやりと辺境伯が笑う。


カルヴァート辺境伯(そっち)とも連携は取っておけ。連中はなかなか尻尾を掴ませんぞ」

「――イェオリを囮にしても無理でしたか」

「捕まえられたのは雇われ者だけだ」


ブレンドンの問いに辺境伯はわずかに不機嫌さを滲ませる。だが、眼光を鋭く光らせブレンドンを横目に見やった。


「その件だがな。青炎の娘が絡んでるぞ」


辺境伯の言葉に、ブレンドンは珍しくも耳を疑い絶句した。


「――――は?」

「我らの敵ではない、だが今のままでは味方にもならん」


ブレンドンの動揺は歯牙にもかけず、辺境伯は唸るように続ける。「どういうことですか」とブレンドンは尋ねるが、辺境伯は今度こそ答えなかった。目を眇め何事かを考えている。


――あの、七歳にしかならない幼い少女が。大人顔負けの交渉をし、驚くほど手際よく呪術でイェオリの居場所を突き止めた。

だが、実際に告げられた場所には何もなかった。一方で、イェオリと他の誘拐された子供たちは()()()()()()()ケニス辺境伯邸まで逃げて来た。イェオリたちが告げた実際の潜伏先は全く別の場所だった上に、子供たちを捕まえたらしい犯人は全員縛られ転がされていた。彼らは、誰に縛られたのか()()()()()()()()


それが全てクラーク公爵令嬢リリアナの仕業だとは到底思わない。だが、彼女が何かしら手を打ったのは間違いないはずだ。そうでなければ、子供たちは見す見す何処かへ運ばれ、ケニス辺境伯の手の届かない場所へ連れ去られていただろう。


口にすればあまりにも荒唐無稽だ。たった七歳の少女に、何ができると言うのだろうか。

誰かに話しても、到底信じてもらえない。むしろ辺境伯の頭がどうにかなったのではないかと疑われるのがオチだ。

しかし、ケニス辺境伯は己の直感を無視することもできなかった。


「良いか、ブレンドン。あの娘からは目を離すな、内へ取り込め」

「――御意」


ブレンドンは、辺境伯の低い命令に首を垂れる。

いつの間にか、窓の外には月が出ていた。



13-1

13-3

13-4

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