13. 失踪者 5
アルヴァルディ、それはリリアナも聞き覚えがあった。前世でそれは北欧神話の巨人の名前だ。現在リリアナが生きている世界を舞台とした乙女ゲームでは出て来なかった。全て“北の異民族”で統一されていたはずだ。辺境伯から“北の移民”と聞いた時、最初にリリアナの脳裏に過ったのは“北の異民族”だった。
「アルヴァルディの子孫、ですか」
「ああ。この国よりも遥かに北で暮らしてる遊牧民のことだ。こっちではアルヴァルディの子孫なんて言っても通じねェがな。スリベグランディア王国の連中にとっちゃ――ユナティアン皇国の連中もそうだが、北から来た奴は全員“北の民”だとか“北の異民族”って一括りだ」
ジルドは吐き捨てるように唸る。
確かに、スリベグランディア王国でも隣国のユナティアン皇国でも北に住む人々を区別していない。特にスリベグランディア王国の場合は標高の高い山が国境沿いにあるため、全くと言って良いほど北の国々の情報が入って来ない。ユナティアン皇国はまだ国交があるようだが、基本的に彼の国はそれほど他国のことを知ろうとしない。
リリアナは頷いた。だが、疑問は残る。地下の反対側に放置して来た者たちを捕えようとジルドを促し歩きながら、リリアナは横に立つジルドを見上げた。普段よりも筋肉が肥大し全体的に体が大きくなっているせいで、見上げる首が痛い。
「ですが、北方の国も多くございますでしょう。“北の移民”と聞いて、貴方の同胞だと直感されたのは何故です?」
「模様だよ」
「模様?」
首を傾げたリリアナに、ジルドはイェオリが持って居た革帯のストラップ部分に付けられていた毛糸の装飾品のことを告げた。その独特な模様が、アルヴァルディの子孫にとっては特別なものらしい。
「俺たちが暮らす山は気候が厳しンだよ。だから、あの模様のもンさえ持っときゃあ、たとえ死んじまったとしても、誰が死んだのかってのが直ぐに分かる」
リリアナは納得する。確かに、あの模様はリリアナも見覚えがあった。前世ではアラン模様と呼ばれていたそれは、アラン諸島――長い山々の島と呼ばれた場所の漁師たちが身に着けていたベストの柄だった。家ごとに特徴があり、海で遭難しても遺体から身元を把握するのに役立ったという。どうやら、それと同じ役割を果たすものがこの世界にもあったらしい。
「アルヴァルディの子孫は国を持たねェ。基本的に集団で生活するが、俺たちみてェなはみ出し者もいて、世界中に散らばってる。だからこそ、どこかで同胞に会えば他の何を捨て置いてでもそいつを助ける。アルヴァルディの子孫を裏切れば、俺たちは力を失う。そう決まってる」
どうやら、アルヴァルディの子孫とは非常に結束が強い民族らしい。自分が持っていたゲームの知識を一部書き換え、そして新たな知識も加えながら、リリアナはジルドに独特な模様について尋ねた。
「貴方もその模様の何かしらを持ってらっしゃるの?」
「――いや」
ジルドはわずかにリリアナから視線を逸らして否定した。だがそれ以上は何も言おうとしない。深く掘り下げないほうが良い気がして、リリアナは口を噤む。沈黙が落ち、しばらくしてジルドは低く呟いた。
「……俺ァ、小さい頃に親共々抜けたから持ってねェ」
「そうなのですね」
沈黙が落ちるが、気まずくなる前にリリアナたちは元居た場所に戻って来た。縛り上げられた男たちは未だ床に転がっている。それなりに時間が経過したはずなのに、誰も助けに来なかったらしい。
違和感を覚えたリリアナは眉根を寄せた。ジルドがそれに気づき、リリアナを見下ろす。
「どうした?」
「いえ、何故まだこの方たちは転がっているのかしらと疑問に思いましたの」
「――逃げられた方が良かったって?」
「そういう訳ではないのですが」
リリアナは困ったように首を傾げる。勿論、逃げられないほうが良いに決まっている。だが助けが来ないということは、この場所が突き止められないと確信していたか、もしくは見つかっても躊躇いなく切り捨てられる程度の情報しか与えていないか、そのどちらかに違いない。いずれにせよ下っ端であろうとは思っていたが、何ら情報が得られないのであれば今後の捜査に支障が出る。
(辺境伯ですら突き止められなかったという敵が、易々と尻尾を掴ませるとはどうしても思えないのですよね。子供たちを助けられたのは喜ぶべきことですけれど)
リリアナが考えているのを尻目に、ジルドは「こいつらに首謀者吐かせンだろ」と言いながら適当な一人を見繕い引きずり立たせている。
「吐いても知んねぇぞ、目ェ逸らしとけ」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
ジルドの親切な忠告に素直に礼を言ったリリアナだが、しっかりとその目はジルドの行動を注視している。地面に倒れ伏した他の敵たちは朦朧としていたが、ジルドは勿論のこと、血生臭い状況でも泰然と構えている年端も行かない少女にも畏怖の目を向けた。できるだけ距離を取ろうと身じろぐが、リリアナは容赦なく魔術で動きを封じる。
一方でジルドは、手に捕えた男の頬を軽く叩いて目を覚まさせ、リリアナの前で尋問を始めた。どうやらジルドはそういった仕事もやり慣れているようだ。髪を掴んでぶら下げたまま、ぶちぶちと髪が抜けるのも構わずに剣の切っ先をゆっくりと体に這わせる。
「このままちゃァんと歩いて生活してェなら、吐いた方が楽だぜェ? ああ、それとも目の方が良いか? 俺としちゃあどこでも構わねェンだけどよォ。耳は千切っても全く聞こえなくなるわけじゃねェみてェだからな、耳からいくか?」
「し、知らな、」
ジルドが目を付けた魔導士の男はあまり荒事にはなれていないらしく、喋れば喋るほど顔色が悪くなる。全身をガクガクと震わせながら男が暴露したところによると、案の定男たちは短期で雇われた破落戸だった。魔導士たちもあまり能力は高いわけではなく、詐欺のような仕事をして日銭を稼いでいたらしい。
ある日、身なりの良い男が彼らの集まる酒屋に来て割の良い仕事があると勧誘した。たった数日、この教会の地下で子供たちを監視するだけの仕事だ。もし余所者が来れば撃退し、決して子供たちを渡してはならない。そして依頼者の男が来た時に子供たちを引き渡す――たったそれだけの仕事だった。
「じょ、冗談じゃねェよ! ンな目に遭うなんて聞いてねえぞ!」
「その引き渡しってのァいつだ?」
「あ、明日の夜だ! 分かったろ、俺が知ってることは全部教えてやったんだ、とっとと放しやがれ!」
ジルドに髪を掴まれた男は喚く。呆れ顔のジルドは横目でリリアナを見やった。リリアナは小さく首を振る。これ以上問い詰めても有益な情報は得られないだろう。
「その話を持って来た男ってのァどんな奴だった?」
「偉そうな貴族みてェな奴だったよ、顔は見えねェようにローブ着ていやがった。ああ、左手の親指と人差し指の間に傷はあったっけな。左手の中指に普段から指輪してやがンだろうが、俺たちと会う時は外してたぜ」
「よく見てンじゃねえか」
「商売柄、目端は利くんだよ」
詐欺の真似事をしていると言っていたのも嘘ではないのだろう。恐らく、それなりに成功していたに違いない。頷いたリリアナを見たジルドは男の首を掴んでいた手を離した。男はその場に崩れ落ち、体を打ち付ける。痛みに唸る男を無視して、ジルドはリリアナに歩み寄った。
「で、どうする?」
「そうですわねぇ――恐らく、辺境伯の影がもうじきいらっしゃると思うので、その方々に引き渡すと致しましょうか」
「それが面倒じゃなくて良いかもな」
こいつらの記憶も消すンだろ、とジルドは言う。リリアナは頷いた。
リリアナとジルドが子供たちを逃し、眼前の男たちを捕えたと辺境伯に知られるのは不味い。
「それでは皆様、お元気で」
にっこりと笑ったリリアナは、破落戸たちの記憶のうち、自分たちに関する部分だけ消す。教会から出る道すがら、倒れた男たちの記憶も塗り替え、ジルドとリリアナは馬を繋いだ場所まで戻った。
「このまま屋敷にお戻りになるんでしょう?」
「ああ。――あんたには返しきれねェ借りができちまったな」
「借り、ですか?」
「ああ」
ジルドは頷き、苦笑を浮かべる。
「今回の件は、あんたが呪術を使わなきゃァどこに捕まってンのかも分からなかった。その前は――正真正銘、俺の命の恩人だ」
リリアナがジルドを助けたのは二度――今回と、それから魔物襲撃の時。言外にそう告げたジルドに、リリアナは微笑を浮かべた。
「でしたら、契約は延長ということで宜しいかしら、護衛さん」
「あァ?」
ジルドが目を瞬かせる。リリアナは思わず笑った。ジルドとオルガはリリアナの護衛を引き受けてくれたが、当初の予定では一年契約だった。その期限も間近である。オルガは先日、延長するとリリアナに申し出てくれた。だが、ジルドは契約終了が迫っていることも頭から抜け落ちていたらしい。一瞬何のことだ、という顔をしていたが、すぐに察したらしく仏頂面になった。
「――嫌とはいわねぇよ」
「それでは、また引き続き宜しくお願いしますね」
「ったく、気に食わねぇ」
憎まれ口を叩きながらも、しかしジルドは決して嫌だとは言わなかった。
*****
ケニス辺境伯は、イェオリとの再会を喜ぶ末の息子を優しく見つめて執務室に入った。執務机に座りこみ上げる笑いを堪える。
イェオリが見知らぬ少年少女を従えて戻って来たと報告があったのは、アントルポ地区に異変なしと影が報告を持って帰って来たとほぼ同時だった。
そして、イェオリたちから教えられた人身売買の拠点に影を向かわせたところ、少年少女を誘拐した男たちは皆縛られ床に転がされていたのである。尋問したものの、男たちは気が付けばこの状態だった――と言って憚らない。子供たちを依頼主に引き渡すのは明日の夜だと自供したが、恐らくこの分では依頼主はあの教会に来ることはないだろう。
「――やってくれるわ」
傍に控えていた執事が、一瞬肩をびくりとさせ辺境伯の様子を窺う。物騒な声音だったが、辺境伯はどこか感心したような色も交えた瞳で宙を睨んでいる。そしてしばらく考えていたが、彼は執事に低く告げた。
「明後日の夜、いつもの場所に来いとブレンドンに伝えてくれ」
「御意」
執事は一礼し部屋を出る。辺境伯は葉巻に火をつけ咥えた。
「リリアナ・アレクサンドラ・クラーク――か」
一見すれば、楚々とした可憐な美少女だった。穏やかで優しく、すぐに手折れそうな儚さも持ち合わせている。王太子妃候補として最有力の彼女は勉強もでき優秀だと評判も高い。
――だが、それだけではない。
辺境伯は更ける夜を窓から眺め白煙を吐き出し、目を細め思索に耽っていた。