13. 失踪者 4
ジルドは嫌そうな顔になる。
「ここは嬢ちゃんが来るような場所じゃねぇぞ」
「まあ。貴方がお一人で対応すると、苦慮なさる場面もあるのではないかと思ったのですが」
リリアナの返答に、ジルドは歯を剥いた。
「俺が困る場面ってなァ、なんだよ」
「魔術が必要になる場合ですとか」
途端に、ジルドは苦虫を噛み潰したような表情になる。ジルドが魔術を使えないというのは、護衛として雇い始めてから知った事実だった。オルガの方は問題なく使えるようだが、ジルドは完全に武術に特化した傭兵である。その腕が突出しているため傭兵であろうと問題なく戦えているのだろうが、つまり敵が魔術を駆使して攻撃して来た場合は対応が難しくなるのだ。
ジルドは痛烈な舌打ちを漏らす。しかしリリアナは動じない。泰然自若とした七歳の少女を睨みつけて、ジルドは唸るように尋ねた。
「俺がここに何をしに来たか分かってるのか?」
「さあ。イェオリを奪い返しにいらしたのでしょうが、それ以外にご懸念があるのかしらと――その程度ですわ」
「その程度でも分かってたら十分だってンだ。本当、何者だよ――っクソ」
「普通の公爵令嬢ですわね」
リリアナの回答に、ジルドは「ンなワケあるかボケェ」と歯ぎしりする。怒鳴り付けたいのを我慢しているらしい。リリアナは楽し気な笑みを漏らし、「それで」と尋ねた。
「こちらへは何をしにいらしたのです?」
「――嬢ちゃんの予想で大当たりだよ。イェオリを取り返しに来た、ついでに言えば他の奴らも助けに来た」
ジルドはイェオリ以外にも被害者が居ると確信しているらしい。確率としては高いだろうが、リリアナは確信できる理由が分からなかった。だが、理由を尋ねても答えてくれるとは限らない。代わりにリリアナは気になっていたもう一つのことを尋ねる。
「イェオリはお知り合いですの?」
「いいや、知らねェ」
しかしジルドは一刀両断した。どうやら彼は知人でもない少年を助けるためだけに、この場に来たようだ。普段であれば、面倒事には関わろうとしない男であるにもかかわらず、この件に関しては自ら動こうとする。その理由は、リリアナには一つしか思いつかなかった。
(わたくしには、理解できない心境ですけれどね)
内心で小さくぼやきながらも、リリアナはジルドに告げた。
「わたくしは勝手に貴方に付いて参りますわ。わたくしの護衛に関してはお気になさらず。認識阻害の術を掛けますので、敵にはわたくしが見えないようになります」
「分かった――って待て、それだと俺も嬢ちゃんが見えねェよな?」
前を向いて歩いていたジルドが少し慌てたようにリリアナを肩越しに振り向く。リリアナはあっさりと頷いた。
「そうなりますわね」
「それはやめてくれ、間違えて攻撃しちまうと不味い」
ジルドの言葉にリリアナは瞠目する。しかしすぐに気を取り直し、笑みを浮かべて頷いた。
「承知いたしました。他に、共有するべきことはございますか?」
「魔術で敵を攻撃する時は俺に構わずやってくれ。俺は体が丈夫にできてるからな、たいていの魔術じゃ死なねェ」
リリアナはわずかに目を眇める。しかし、特に何も言わず素直に頷いた。
二人はジルドを先頭に教会への侵入を試みる。リリアナは魔術と呪術の罠がないかを中心に警戒し、ジルドは敵が攻撃を仕掛けて来ないか注意しながら先に進んだ。
小声でリリアナはジルドに尋ねる。
「呪術の結果とは違う場所でしたのね」
「いや、あの結果を聞いて俺ァここだって思ったぞ」
ジルドの言葉に、尋ねた本人であるにもかかわらずリリアナは予想通りだと内心で頷いた。
「青い屋根と水車、港、というのは?」
「絵だよ。この教会の中に飾ってある、唯一の絵だ」
ほら、と言いながらジルドが示したのは、教会の壁に描かれたモザイク画だった。他は灰色に汚れた石壁だが、そこだけ港町の青い水車小屋が描かれている。リリアナは目を瞠った。
「よくご存知でしたわね」
「最下層地区じゃあ有名な場所だからな。ここで良く炊き出しがあった」
過去形だ。最近では行われていないのだろう。それよりも、ジルドは自分の目で見て来たように語っていることがリリアナは気になった。
(ジルドは以前この場所に居たのかしら)
一時かもしれないし、それなりの期間身を寄せていたのかもしれない。
しかし、今はそれを尋ねる時ではない。リリアナは迷わずに歩き続けるジルドの後ろを歩く。ジルドが向かったのは教会の地下だった。
教会の地下は想像以上に広かった。地下三階まであるらしい。石で出来た狭い螺旋階段を下りる。暗いが足元を照らす明かりもなく、リリアナはジルドに一言断ってから魔術で光を灯した。
地下三階は比較的広い廊下が連なっている。ジルドは目的地が分かっているようで、迷いなく歩き始めた。リリアナはただ付き従うだけだ。少しして、ジルドが左腕でリリアナを止める。リリアナは咄嗟に足元を照らす光量を下げた。視界が暗くなるが、許容範囲だ。
「――来た」
ジルドが低く呟く。恐らく敵がいるということだろう。リリアナは念のため、ジルドと自分に防御の結界を張る。
「これ、俺たちも攻撃できねェよな」
「いいえ、わたくしたちからは攻撃できるように改良しておりますわ」
眉根を寄せたジルドが小声で尋ねるが、リリアナは懸念を一蹴する。
以前、魔物と出くわしたペトラとタニアを救出した際にリリアナは気が付いた。結界は便利だが、防戦一方になるのが不便だ。敵に囲まれたらそこで終わりである。それならば、外側からの衝撃には強く内側からの衝撃には弱い結界を張れば良いのではないか、と思い付いたのが切っ掛けだった。
「――――えげつねェ」
どうやら、ジルドは自分が敵に回った時の心境に思いを馳せたらしい。わずかに顔色を悪くして低く唸った。しかし、味方が使うのであれば百人力の結界だ。
案の定、ジルドとリリアナを発見した敵は何の前触れもなく飛び道具で攻撃して来た。リリアナは視認できなかったが、呆気なく防御の結界に弾かれ床に落ちた暗器を確認する。どうやら敵が投げたのはナイフだったらしい。
ぎょっと目を瞠る敵は三人。ジルドは躊躇なく結界から飛び出し、一太刀の元に敵を斬り伏せた。石壁の崩れる大きな音を立てて、敵が吹き飛ばされる。
「まあ、怪力ですこと」
リリアナは緑の双眸を驚きに瞬かせ、微笑を浮かべた。
「やはりお強いですわね」
ジルドが実際に敵と戦う場面を見たことはない。だが、魔物襲撃の時も最後まで立ちあがり戦っていた男だ。その上、滅多に報告は上げて来ないが、屋敷に侵入する暗殺者も全て返り討ちにしている。オルガであれば暗殺者の侵入があったと報告するから、ほとんどをジルドが対処していると判断して良さそうだ。本来であれば報告しないことを叱責すべきだが、リリアナとしては仕事をこなしてくれているだけで十分だった。
ジルドは単に報告が“面倒臭い”のだろう。恐らく、リリアナが把握していることには気が付いていないはずだ。気が付いていないのならば知らなくても同じ――と思っていそうである。傭兵と暗殺者は相性が良くないはずだが、ジルドほどの腕があれば問題にならないらしい。
三人を倒したジルドは一瞬リリアナを振り返り歩き始める。リリアナは黙って歩き、倒れた男を飛び越えてジルドを追った。途中で数人の敵に出くわすが、これもジルドが一撃で仕留める。リリアナはすることがなく、ただ防御の結界を張り後方から見物するだけだ。
しばらく歩くと、前方に牢が見える。その中には七つの小さな影が見えた。捕まった子供たちだろう。牢の近くに敵はいない。
警戒しながらも、ジルドは牢に近づいて行く。リリアナはその様子を見ていたが、違和感に気が付いた。
「ジルド、止まっていただける?」
「あ?」
リリアナに呼び止められてジルドは足を止める。リリアナは目を眇めて牢を凝視していたが、ジルドに戻って来るように告げた。訝し気な顔をしたジルドだが、リリアナの様子に何か思うところがあったらしい。警戒心を高め、黙ってリリアナの近くに戻る。
「おい嬢ちゃん、一体何が――」
ジルドの質問にリリアナは答えなかった。
「【解除】」
次の瞬間、眼前にあったはずの牢が消える。ぎょっとしたジルドと平然としたリリアナの態度は対照的だったが、二人は同時に行動を起こした。姿を現した敵が放った魔術の炎はリリアナの防御結界により阻まれ、ジルドは魔導士たちが次の攻撃に移る前に結界を飛び出し一瞬で肉薄する。
「【鎌風】」
ジルドが三人を沈める間に、リリアナが放った風の攻撃魔術は四人の敵を無力化していた。魔物と戦った時よりも威力は抑えているが、敵の腕から武器を取り落とさせるには十分だ。
「【魔術・無効化】」
そして、リリアナは魔導士たちがこれ以上魔術を使えないよう術を掛けた。仕上げに「【拘束】」と詠唱し、魔導士たちが着ていたローブを切り裂いた上で体を拘束する。その様を傍で眺めていたジルドはほとほと呆れたと言わんばかりに、リリアナの所業を眺めていた。
「護衛なんざ要らねェレベルだよな、ホント……」
「ジルド。この者たちへの尋問は後にするとして、子供たちの無事を先に確保したほうが良いと思うのですが」
ジルドが小声でぼやいたが、リリアナは無視する。問題は子供たちの本当の居場所と、子供たちをどこへ連れて行くつもりだったのかを聞き出すことだ。ジルドは溜息を吐いたが、すぐに気を取り直した。
「ここじゃねえってことは、多分反対側だ。そっちにも牢がある」
「教会の地下に牢とは穏やかではありませんね」
「牢じゃなくて地下墓所だけどな」
なるほど地下墓所かとリリアナは納得した。骸骨が積み重ねられた地下墓所もあるが、今ジルドとリリアナが居る教会の地下墓所は単純に棺が納めらているだけらしい。
ジルドは別の通路を辿って、逆側の翼に向かう。リリアナも周囲を警戒しながら後を追った。やがて地下の反対端に到達した。眼前には牢があり、その中に据えられた三つの棺の影に隠れるようにして子供たちが座っている。地下墓所には不釣り合いなほどに、牢は堅固だ。材質から見るに、何者かが墓所ではなく牢として使うため材質を入れ替えたのだろう。力づくでは難しいが、魔術に抵抗するように作られてもいるため、子供たちを脱出させるには骨が折れそうだった。
(わたくしの魔力量でしたらどうにかなりそうですけれど、教会が崩れないよう土魔術で基礎と柱を固定した後に、鉄格子の上下の岩を砕くのがスムーズでしょうかしら?)
リリアナは視線を巡らせて考える。子供たちは突如現れたジルドに対し怯えた表情を見せていた。可憐な風情のリリアナには目が向いていない。わずかに苦いものを感じさせる表情のジルドは、子供たちの様子には構わず口を開いた。
「トネリコの鍵を持っているか?」
七人の子供たちのうち、五人はきょとんとした。だが、残りの二人は弾かれたように顔を上げジルドを凝視する。真剣な面差しで見つめ、年長の少年が警戒しながらもゆっくりと答えた。
「緑の鍵が作りし神の馬は既に枯れ果てた」
「汝が名は」
「イェオリ」
恐らくジルドの問いかけは暗号のようなものなのだろうとリリアナは推察する。そして、ジルドの問答に答えたのが、リリアナたちの探していた少年らしい。ジルドの問い掛けに反応していたもう一人の少女も、「我が同胞に問う、我が名はインニェボリ」と名乗った。
ジルドは「我が名はジルド」と答え、そして低い声で何事か呟く。リリアナにも聞こえないほどの音量だったが、途端に彼を纏う空気が変わった。
「――ジルド?」
リリアナが眉根を寄せた瞬間、ジルドの気配が何倍にも膨れ上がった。上半身が隆起する。鍛えられた傭兵の体が、更に大きくなる。さすがにリリアナも目を瞠った。五人の子供たちは怯え、平然としているのは名を名乗った子供二人――イェオリとインニェボリだけである。
ジルドは片手で牢の鉄格子を掴んだ。それほど力を入れていないように見えるのに、鉄格子が歪む。子供一人は十分に出入りできるほどの隙間をこじ開け、ジルドは一歩下がった。イェオリとインニェボリの二人は直ぐに立ち上がり、駆け足で牢から出て来る。恐れ戦いていた他の子供たちも、慌てて二人に追随して出て来た。
ジルドはイェオリとインニェボリに視線を向ける。
「――辺境伯ン所に戻んのか」
「はい。今はそこに厄介になっています」
答えたのはイェオリだった。ジルドは小さく頷いて、もう一人の少女に目を向ける。
「お前は」
少女は息を飲む。しかし、恐れた様子もなくはっきりした声で答えた。
「あたしは――行くところがないので、イェオリと一緒に行きます」
「分かった」
ジルドは頷く。他の子供たちには、ジルドは声を掛けるどころか視線を向けようとしない。リリアナは自分の予想に確信を抱きながらも、今ここで口にはしなかった。どうしたいのかと視線だけでジルドに問う。ジルドはリリアナに向き直る。
「俺ァこいつらを助けられたからそれで良い。あとは嬢ちゃんの指示に従う」
「まあ、投げやりですのね」
くすくすと笑いながら、リリアナは子供たちに――とはいっても大半がリリアナより年上だが――に視線を向けた。
「今から皆さまを辺境伯宅にお届け致しますわ。ここから歩いて行くのは危険でしょうからね。ですが、皆さまはご自分の力でこの場を切り抜け、イェオリの知人宅である辺境伯邸へと向かわれた――そう、ご承知おきくださいませね」
リリアナがそう告げた瞬間、眩い光が子供たちを包む。光が止んだ時には、その場に残されたのはジルドとリリアナの二人だけだった。ジルドは目を瞬かせる。少し考え、リリアナに目を向けた。
「――転移させたのか?」
「ええ、ついでにこの数分の記憶を少し変えさせて頂きましたわ」
あっさりとリリアナは精神干渉したと断言する。ジルドは呆れ顔になった。記憶を塗り替える術が禁じられていることを、ジルドも知っていたらしい。だが、ジルドが呆れたのはリリアナが禁術を使えるということでも、使うことに躊躇いがなかったということでもなかったようだ。
「非常識だと思ってたが、やっぱり人間じゃねェな。五人分の精神干渉と七人まとめて転移させるとか、本当どうなってやがンだ――魔物襲撃を一人で収めたってのも伊達じゃねェってことかィ」
「魔物襲撃をわたくしが収めたという記録はございませんわ」
やはり魔物襲撃の時にリリアナが最高位の聖魔術を使っていたことに気が付いていたらしい。疑惑が事実だったと知ったリリアナは内心溜息を吐きながら釘を刺し、ついでに首を傾げた。
「五人分の精神干渉ということは、残りのお二人は記憶がそのまま残っていらっしゃる、ということですかしら?」
「――イェオリとインニェボリの二人は術に掛からねェ」
「あなたと同様に?」
リリアナの言葉に、一瞬ジルドは言葉に詰まる。しかし、リリアナが確信していると悟ったのか、誤魔化そうとはしなかった。
「そうだ。俺たち“アルヴァルディの子孫”に魔術は効かねェ」
アルヴァルディの子孫――その言葉に、リリアナは目を瞬かせた。