13. 失踪者 2
リリアナはマリアンヌとジルド、オルガを伴いマリアンヌの実家が所有するという王都の屋敷に向かった。魔導省副長官のベン・ドラコが個人所有している邸宅よりも大きく立派だ。
(さすがケニス辺境伯邸ですわ)
リリアナは内心で感心する。古くから続く家系とあって、王都にある邸宅も伝統ある建築様式だ。ただし、ケニス辺境伯の質実剛健の気風を表しているのか華美な装飾はない。
マリアンヌは事前に報せていたようで、リリアナたちは直ぐに居間でマリアンヌの父と弟に会うことができた。まさか辺境伯本人が居るとは思わず、リリアナは目を丸くする。しかし、すぐに気を取り直して完璧な微笑を浮かべ、淑女の礼を取った。
五十を幾つか超えたらしい辺境伯は、未だに精悍な体躯と顔つきを保っている。厳つい顔つきで女性受けは悪いかもしれないが、堅実な人柄を思わせる風貌だった。しかし取っつきにくいわけでもなく、事前にマリアンヌからリリアナの声のことを聞いていたらしい辺境伯はにこやかに口を開く。
「初めまして、リリアナ嬢。いつもマリアンヌがお世話になっております。本日は愚息の件でご足労頂いたとのこと、感謝いたします」
〈突然の訪問にもかかわらず、御歓待を賜り誠に有難く存じます〉
リリアナは手早く文字を書きマリアンヌに言づける。実家とはいえ、今のマリアンヌはリリアナの侍女だ。辺境伯もそれを分かっているからか、娘に向ける目は優しくともリリアナの侍女として接していた。リリアナの美しく流麗な文字を見て一瞬目を見開いたが、何かに納得したように頬を緩める。再びリリアナを見た時、辺境伯の表情は最初よりも幾分か穏やかになっていた。
辺境伯家の侍女がリリアナたちの前に紅茶を用意し、部屋の隅に控える。
「こちらは愚息のビリー・ケニスにございます。ビリー、ご挨拶を」
「はい。僕はビリー・ケニスと申します。クラーク公爵令嬢、本日はお越しくださり誠にありがとうございます」
ビリー・ケニスと紹介されたマリアンヌの弟は、リリアナを見てはきはきと挨拶をする。ビリーはケニス辺境伯の末子であり、今年で十四歳を迎えるのだそうだ。快活な素振りに反して、その顔には疲労が見える。恐らく、友人のことが気になり眠れぬ夜を過ごしているのだろう。
リリアナは微笑みで答え、さっそく本題に入ることにした。リリアナがその場で文章を書けば時間ばかりが掛かるため、確認したい内容を事前に書き出している。マリアンヌに視線をやれば、すぐにリリアナの意図を察したマリアンヌが鞄から紙を取り出し、ケニス辺境伯とビリーの前に差し出した。
「事前にお嬢様がご確認なさりたい内容を書き出しておりますので、ご確認いただけますでしょうか」
「――これは、」
質問内容に目を通したケニス辺境伯が目を瞠る。どうやら、リリアナの質問は彼の意表を突いたらしい。一瞬後には目を細め、眼光鋭くリリアナを見やる。最初に見せていた人の良いにこやかさは鳴りを潜め、歴戦の猛者としての迫力が垣間見えていた。だが、リリアナは微笑を浮かべたまま平然とその視線を受け止める。ケニス辺境伯は、視線をリリアナに向けたまま息子に言った。
「ビリー、お前はここに書いてある通り、あの子の持ち物を持って来なさい。マリアンヌ、ついて行ってやってくれ――積もる話もあるだろう、語って来ると良い」
「畏まりました」
辺境伯の言葉に、彼の娘と息子は大人しく頷く。彼はちらりとリリアナの背後に控える護衛二人に視線をやった。リリアナはオルガとジルドに、部屋を出て扉の前で待機するよう指示する。二人は眉を顰めた。辺境伯相手とはいえ、主を男と二人きりにすることが気がかりらしい。だが、そこは扉を少し開けておくよう指示することで納得した。
辺境伯家の侍女も下げて部屋に二人きりになったところで、辺境伯は声を低めリリアナに尋ねた。
「貴方は、愚息の友人を呪術で探すおつもりですかな?」
リリアナは頷く。厳密には呪術と魔術だ。だが、そこまで教える気はない。嫣然と微笑むリリアナだったが、辺境伯は淡々と静かに質問を続けた。
「貴方はお声が出ないとマリアンヌから伺った。つまり魔術は使えないと考えられる。だが、この質問項目を見る限り――あなたが使うつもりの呪術には魔術が必要となるのではないか?」
ケニス辺境伯の言葉に、リリアナは表情を変えなかった。だが、内心では歯噛みする。ケニス辺境伯は国境を守護するだけあって、魔術よりも武に秀でた人物だと聞いていた。魔導士でもない彼が、質問の項目を見ただけでリリアナが何をしようとしているのか、具体的な呪術の内容まで特定できるとは思いもしなかった。
(声は出ないけれど魔術は使えると言うべきか――それとも、実は声が出ると打ち明けた方が宜しいかしら)
逡巡するが、リリアナはすぐに腹をくくった。
ケニス辺境伯はゲームのシナリオでは重要な役割を担っていなかったはずだ。それに、目の前の男は下手な言い訳に誤魔化されてくれない人物だと直感していた。
無言で防音の結界を張る。辺境伯が気付いた様子はない――否、気付いたとしても態度には出ていない。
「――実は、声が出ると申し上げたら驚かれますでしょうかしら?」
辺境伯は驚かなかった。リリアナの声が出ることを予想していたらしい。しかし、彼の眼光は衰えずリリアナを貫いたままだった。
「それでは、声が出ないと偽っている理由をお聞きしても?」
彼の娘であるマリアンヌも護衛二人も、リリアナの声が出ることを知らない。それについても疑問に思っているに違いない。リリアナは答える前に、「他言無用にお願いできますのでしたら」と釘をさす。辺境伯は全く変わらぬ様子で、しかししっかりと頷いた。
「無論だ」
「宜しゅうございました。わたくし、昨年は本当に声が出ませんでしたの」
理由については伏せておく。無事に声を取り戻したが、身の危険を感じるため敢えて声が出ないよう振舞っている、と告げたリリアナを、辺境伯は見定めるように凝視していた。だがリリアナは、嘘は吐いていない。
「なるほどな。ちなみに、声が出ることを知っていると知っている者は?」
「わたくしを除けば、わたくしの声が出るよう図らってくださった方がお二人のみですわ」
「図らった、ね」
辺境伯は薄っすらと笑みを唇に乗せる。
「ここに来たと知る者は?」
「本日、伺った者だけですわ。他に知らせる予定もございません」
「あの護衛二人は、傭兵だね」
「ええ、わたくしが直接雇いましたの」
リリアナは、全て自分の手の内の者だと示唆する。
年齢は勿論、立場的にも今回の失踪事件にリリアナが首を突っ込むことは褒められたことではない。明らかに越権行為だ。その上、マリアンヌは辺境伯の人員を割いて捜索には当たれないと言っていたが、辺境伯が王都にいることを考えれば全く何もしていない訳ではないはずだ。それでも手を出そうと決めたのは、マリアンヌの心情を慮ってのことと――少しの下心である。
「閣下は既に捜索を指示されていることかと存じますが、首尾は如何でございましょうか?」
辺境伯からの質問が一通り終わったらしいと判断し、今度はリリアナが尋ねる。辺境伯は「おや」と言うように片眉を上げた。
「――それは、マリアンヌが言ったのかな?」
「いいえ、彼女は“辺境伯の人員は割けない”と申しておりましたわ」
「それでは、何故捜査を開始していると?」
「それ以外に、社交シーズンでもないこの時期に、閣下が王都へいらしている理由はございますでしょうか?」
社交シーズンですら滅多に姿を現さないケニス辺境伯本人が王都に来ている理由は、それほど多くないはずだ。リリアナの指摘に辺境伯は喉奥で笑った。
「その言い様だと、私が愚息の友の失踪を承知して王都へ来たように聞こえるが?」
「ケニス辺境伯領から王都まで、早馬でも一週間はかかりましょう」
言外に、リリアナは辺境伯の言葉を肯定する。視線は逸らさない。目を逸らしてしまえば、辺境伯の関心が失われるとリリアナは本能的に悟っていた。
辺境伯はリリアナにひたと視線を合わせたまま、低く尋ねる。
「私が、失踪に関与していると考えられたのかな?」
「とんでもございませんわ。関与なさっておらずとも、予測なさっていた可能性はあるかと推察したまでです」
「予測、ね」
リリアナの言葉を、辺境伯は鼻で笑う。だが、リリアナは動じなかった。祖父と孫ほどの歳の差がある二人だが、互いに全く遠慮せずに相手の腹を探っている。その様は竜虎が睨みあっているようでもあった。
しかし、リリアナには確信がある。いくら友人同士であるとはいっても十四歳の少年たちが二人きりで王都観光など許されるはずがない。必ず保護者か護衛が付くはずだ。それも、一人は騎士団に所属している末弟とはいえ見習いであり、辺境伯家の人間である。護衛が付かないなどあり得ない。
ケニス辺境伯は、その友人が失踪すると承知で二人を王都に行かせた可能性が高いとリリアナは踏んでいた。つまり、ビリー・ケニスには知られてはならないが――彼の友人は誘拐事件の囮だ。
辺境伯はしばらくリリアナを睥睨していたが、やがてこれほど面白いことはないとでも言うように笑みを零した。
「貴方は殿下の婚約者候補だったか。他の候補が霞みそうだ」
「わたくしなど、まだまだでございますわ。ですが、勿体ないお言葉有難く頂戴いたします」
ここで辺境伯に候補者として相応しいなどと思われては面倒だと、リリアナは謙遜してみせる。だが、辺境伯はにやりと獰猛に笑った。
「いやいや――私に真っ向から勝負を挑める七歳など、初めて会ったよ」
一瞬、リリアナの頬が引き攣る。普段から大人に囲まれ、時折会う同年代もあまり年相応に振る舞わない王太子と公爵家嫡男だけであるため、一般的な七歳の言動を忘れてしまう。普段であれば声が出ない振りをしているため問題ないが、今回は事件解決を第一目標としていたためうっかり失念していた。
だが、ここで引くことはできない。リリアナは口を開いた。
「まあ。わたくしに過分なご評価をくださるのは、閣下だけですわ」
「貴方のご家族は、貴方のことを評価なさらないのか?」
「ええ、存じてはおりませんでしょう」
かもしれない、ではなく、確実に知らない。そしてリリアナは知らせるつもりもない。
この辺境伯であれば言外に示唆したことを汲み取るだろう――そう判断したリリアナの判断は正しかった。にやりと笑った辺境伯は、「それは光栄だな」と言う。
そして、彼は両手を組んで身を僅かに乗り出した。
「それでは、貴方がこの件に手を出そうと考えた理由は?」
「マリアンヌが心を痛めていたからですわ」
ようやく、本題前の審査が終わったらしい。辺境伯が、リリアナの関与をどこまで認めるべきか図っていたことにリリアナは気が付いていた。そして、どうやら自分が辺境伯のお眼鏡に適ったらしいと内心で安堵する。
リリアナは辺境伯の問いに答えながらも、納得して貰えるか疑念を覚えていた。嘘ではないが、真実でもない。ビリー・ケニスの友人が囮であったことを考えると、遅かれ早かれその身柄は確保されるだろう。それでもリリアナが関わろうとする理由は、決してマリアンヌの事を慮ったからというだけではなかった。
しかし、辺境伯は“年相応の理由だ”と納得したようだ。面白そうに目を瞬かせて、顎を撫でる。
「なるほど。そこは年相応で安心しましたよ、クラーク公爵令嬢」
「ええ。それに不安は早く取り除いた方が、拐かされた方も待つ方も精神的な打撃を受けずに済みますもの」
誰もが精神的に打たれ強いわけではない。特に誘拐事件となればストレス障害を引き起こす可能性もある。それを指摘すると、辺境伯は「良いでしょう」と頷いた。
「こちらの手の者が、多少難儀していることも事実ですからね。他言無用ということでご協力いただけると助かります」
あっさりと辺境伯はリリアナの助力を受け入れることに決めたようだった。さすがにリリアナも意外だった。目を丸くする。辺境伯は頬を緩め、先ほどよりも穏やかな表情でリリアナを見返した。
「意外ですかな?」
「ええ――正直、そうですわね。少なくとも、呪術の能力に関してはお疑いになるのではないかと思っておりました」
「呪術の腕――ええ、いやまあ、それはそうですが」
リリアナの返答が面白かったらしく、辺境伯は小さく吹き出す。首を傾げたリリアナに、辺境伯は未だ笑みの残る声で答えた。
「普通は、呪術の技術以前に“助力を受け入れられた”、もしくは“信頼された”時点で意外だと思うものですよ。実力を過信した者は疑わないものですが、貴方はそうではない。ご自分の交渉力に関しては自信がおありだが、実績のない呪術に関しては全面的に信頼される可能性が低いと冷静に判断している。やはり、並みのご令嬢ではないですな」
辺境伯にとっては、リリアナの言動全てが本人の資質や性質を図る材料となるらしい。リリアナも同じように相手を見定めているため他人のことを言えた義理ではないが、改めて気を引き締める。
そんなリリアナをやはり興味深そうに眺めながら、辺境伯は「貴方の心一つにお納めいただくという条件でしたら、お話しましょう」と告げた。勿論、リリアナに否やはない。頷いたリリアナを見て、辺境伯は改めて口を開く。
「今回、誘拐されたのはイェオリという少年。年は十四か十五歳程度でしょう。我が辺境伯領の騎士団に昨年から見習いとして所属しています。彼は“北の移民”です」
リリアナは目を瞬かせる。“北の移民”はその名の通り、スリベグランディア王国の北部に位置する国から流れて来た民のことだった。ここ数年、徐々に増えている。高く聳える山に遮られた北側の国とは国交がなく、詳しい情報は入って来ない。だが、移民はスリベグランディア王国東部のユナティアン皇国もしくは西部の海を越えてスリベグランディア王国に入って来る。
「ここ数ヶ月ほど、我が辺境伯領では“北の移民”の失踪事件が増えています。我々は組織的な人身売買ではないかと調査しているところです」
辺境伯の言葉に、リリアナは唇を引き結んだ。