13. 失踪者 1
積みあがった書類の前で、ライリーは痛む頭を少しでもマシにしようとこめかみを揉んでいた。
「――それで、ダンヒル隊長、ブレンドン隊長、そしてオースティン。これを私に持って来た理由は?」
「宰相はお忙しいようでしたので」
ライリーの座る机の前には、神妙な表情で幼馴染のオースティン・エアルドレッドと騎士団二番隊隊長ダンヒル・カルヴァート、七番隊隊長ブレンドン・ケアリーが立っていた。ライリーの質問に答えたのはダンヒルだ。
「確かに、宰相は最近頓にお忙しくていらっしゃるな」
「宰相室にはここ以上に書類が積みあがっていると噂ですので、その書類に紛れてしまっても我が辺境伯領としてはいささか頭の痛い問題でして」
ダンヒルの返答にライリーは眉根を寄せ首を傾げる。
「カルヴァート辺境伯の言葉を無碍にするような方ではないと思うが」
「ええ、そうですね。我が父は恐れ多くも過分なお言葉を先代ならびに今上陛下より頂戴いたしております。しかしながら、どのような超人であってもついうっかり、という事があると聞き及んでおりますし、それにカルヴァート辺境伯もここ数年は辺境伯領に引きこもっております故」
飄々とした顔で答えるダンヒルの腹の底は読めない。だが、目の前に居る三人がその報告を宰相に上げる気がないのは確かだった。ライリーは再度報告書に目を落とす。そこには、カルヴァート辺境伯領で最近失踪人の報告が増えているという文言が記されていた。具体的な名前も記載されており、その殆どが貴族階級ではない。女子供も含まれているが、報告書を見る限りは男の方が多かった。もし人身売買であるとするなら、女子供を拐かす方が実入りが良い。それにも関わらず、男の被害者が多いということは、普通の人身売買ではないと考えるべきだった。
「辺境伯領内で対処することは難しいのか」
ライリーの質問は尤もだった。貴人の誘拐騒動であればともかく、通常はこのような些事を王宮に持ち込むことはしない。だが、返って来た答えは“懸念がある”だった。口を開いたのは、ずっと無言で鋭い視線をライリーに向けていたブレンドンだった。
「――――ケニス辺境伯領でも同様の報告が上がっていると聞き及んでおります」
ライリーとの接点がほとんどないダンヒルとブレンドンは、そもそもこの話をライリーに持って行くことに否定的だった。特にブレンドンは、ライリーが信用できないとはっきりオースティンに断言していた。だが、オースティンは宰相に直談判するよりもライリーに相談すべきだと――隊長格には特に礼を尽くす彼には珍しく、強く主張した。
そのため三人はライリーの執務室にいるのだが、ダンヒルはともかくブレンドンは態度からも頑なであることを示している。
ライリーは口を引き結んだが、ふと失踪人の詳細を記した記載を見て訝し気に目を細めた。
「失踪人は、移民か?」
「はい。ケニス辺境伯領での失踪人も同様に移民だと聞いていますよ。土地に馴染みがないため失踪しても捜索願が出されず、出された場合でも姿を消した時期よりかなり遅れています」
「だから、失踪時期と捜査開始時期に乖離があるのか」
ダンヒルの説明に納得したライリーは溜息を吐く。物言いたげな視線を三人に向け、「なるほどな」と独り言のように小さな声を漏らす。
「だから、カルヴァート辺境伯領とケニス辺境伯領では失踪人の報告が上がったわけだ」
ダンヒルとブレンドンは答えない。だが、二人とも意外そうに目を瞬かせてライリーを見た。どうやら、噂に聞くほど抜けているわけではなく――それどころか年齢の割には聡明だと気が付いたらしい。
カルヴァート辺境伯領とケニス辺境伯領はいずれも国防の要であり、人の流出入も多い。そのため広大な土地であるにも関わらず、租税台帳等、人口を把握できるように書類が整備されている。一方、他の領地ではそういったものは存在しない。存在していたとしても、二大辺境伯と比べればきちんと管理はされていない。いずれの辺境伯領でも、租税台帳は一定間隔で内容が見直され、そして管理している内容も他領と比較し細かかった。
「クラーク公爵領からの報告は聞いていないな。オースティン、エアルドレッド公爵領はどうだ?」
「報告は上がっていないらしい。一応、兄上が再度確認を取ると言っていた」
なるほど、とライリーは頷く。比較的詳細な租税台帳を管理しているのは、カルヴァート辺境伯領とケニス辺境伯領を除けば三大公爵家だけだ。だが、三大公爵家からは失踪人に関する報告は一切受けていない。三大公爵家であっても二つの辺境伯と比べると書類の更新頻度は少ないし、管理している内容も充実していない。だから、たとえ失踪者が出ていたとしても、把握が遅れる可能性はあった。
そこまで考えて、ライリーは訝し気な視線を眼前の三人に向ける。本心を読み取ろうとするかのように三人を凝視する。沈黙が落ち、ダンヒルとブレンドンが居心地の悪さを感じ始めた時、ようやくライリーは口を開いた。
「移民が最近増えているという報告も上がっていたが、カルヴァート辺境伯領とケニス辺境伯領ではどうだ?」
「ええ、増えていますね」
頷いたのはダンヒルだった。ブレンドンは分からないと首を振る。オースティンは「エアルドレッド公爵領ではそういう報告は受けていない」と答えた。移民がいないわけではないが、以前と変わらない程度なのだろう。ライリーは頷く。
「わかった。ケニス辺境伯領に関してはこちらでも確認を取っておく。この件に関しては私が預かろう。他言無用で頼む。それから――オースティン。この後に予定がないなら少し確認したいことがある、残ってくれ」
ダンヒルとブレンドンは視線だけでオースティンに許可を出す。それを受けてオースティンは「御意」と答えた。騎士団では見習いでしかないため、オースティンが職務中に抜けるためには隊長格の許可がいる。二番隊と七番隊の隊長が許可を出したのであれば文句を言う者はない。
隊長二人が退室した後、オースティンに近寄るように告げたライリーは声を低めた。
「オースティン、正直に言ってくれ。あの二人は――いや、カルヴァート辺境伯とケニス辺境伯は宰相を信用していないのか?」
失踪人が出ている話は、本来であれば宰相に持ち込むべきだ。そうでなくとも、各省の文官に報告を上げ然るべき手順でスリベグランディア王国全体に注意喚起を促すべきだろう。カルヴァート辺境伯とケニス辺境伯が王宮に報告すべきと考えているのであれば、それは単なる失踪ではなく何らかしらの思惑を嗅ぎ取ったからに他ならない。
その上、ライリーに預けるというのも妙な話だった。王太子とはいえ、九歳のライリーにできることは限られている。可能性として考えられることは、ライリーの次期国王としての適性を計ろうとしているのではないか、ということだった。
カルヴァート辺境伯とケニス辺境伯はスリベグランディア王国の重鎮であり影響力も大きい。そのため、どの派閥にも属さず次期国王として適当と思われる人物が現れるまで誰の後ろ盾にもならない、いわゆる中立派の貴族だった。同じく力を持つ三大公爵家であるエアルドレッド公爵家やクラーク公爵家とは真逆である。
オースティンはにやりと笑った。
「お前の考えは何となくわかる。半分正解で半分ハズレだ。俺も詳しいことは聞いていないから分からない。だが、間違いなく言えることは――クラーク公爵は先代国王が目を掛けていた男だってことだ」
老獪な二大辺境伯が何を目論んでいるのか、オースティンも分からない。ダンヒルとブレンドンもその本意までは分からないだろうし、気が付いていたとしてもライリーとオースティンに口を割るはずはなかった。
だが、それでも汲み取れることはある。オースティンが口にしたのは、ダンヒルとブレンドンの話から彼自身が読み取ったことだった。
「――なるほどな。優秀な男、か」
ライリーは溜息を吐く。
先代国王は優秀な人間を重用した。現クラーク公爵が宰相となるよう引き立て、功績を評価し現在の地位を与えたのは先代である。一筋縄ではいかないどころか、“裏の裏は表”という常識すら通用しないと考えた方が良さそうだ。
「クライドとリリアナに話を聞いても――分からないだろうな」
「ああ、クライドは領地経営に関してある程度学んでいるらしいから、参考程度の話は聞けるかもしれないぞ」
リリアナ嬢はまだ七歳だし領地経営に関しては分からないだろうが、と言うオースティンにライリーも頷く。ライリーは少し考えると、オースティンに顔を向けた。
「今度、クライドに話を聞こう。その席には念のためお前も居てくれ」
「分かった」
話はそれで終わりだ。ライリーは執務が残っているし、オースティンも騎士団の訓練がある。二人の隊長が許可を与えてくれたとはいえ、無為に訓練を抜け出すのは嫌だった。二人は簡潔に言葉を交わし、そのまま別れる。
ライリーはクライドに面会の時間を取るよう、手紙を出すことにした。リリアナが何も知らないだろうと考えるのは、当然のことだった。
*****
リリアナは、部屋に茶菓子を持って来たマリアンヌが浮かない顔をしていることに気が付いた。普段は明るい子である。不思議に思って問えば、マリアンヌは「実は――」と言い辛そうに口を開いた。
「私の弟が今、王都に来てるらしいんですけど――一緒に来ていた子が居なくなってしまったらしくって」
予想外の言葉に、リリアナは首を傾げた。“居なくなってしまった”とは穏やかではない。少し考えて、リリアナは〈行方不明ということ?〉と確認した。マリアンヌは頷く。
「はい、そうなんです。私の実家も王都に邸宅を持っていまして、そこに泊って王都の観光をしていたそうなんですが――一昨日くらいに戻って来なかったらしく。庶民なので良く気軽にうろついていたそうですし、だから実家も気にしていなかったようなんですが、さすがに昨夜の時点で何らかの事件に巻き込まれたのではないかと」
まあ、とリリアナは息を飲む。それは重大事件だ。だが、一つリリアナには引っかかることがあった。
〈貴方の御実家は辺境伯だったと思うのだけど、庶民の方とそんなに距離が近いの?〉
マリアンヌは苦笑した。リリアナの指摘も尤もだ、というところだろう。普通、爵位を持つ貴族は平民と親しくしない。どれほど階級意識が高くない貴族であっても、交流はしても慣れ合いはしない。領地から平民を伴い王都観光をすることは、どう考えても“行き過ぎた交流”だった。
「私の実家は、そういう意味では特殊かもしれません。辺境伯ですから領地は広いんですが、普段から父も含めて頻繁に交流しています。特に騎士団は平民だろうが爵位持ちだろうが実力主義で取り立てているんです。弟も今は領地の騎士団で見習いの段階ですが、そこで出来た友人だそうですよ」
〈そういうことなのね〉
それなら納得できる。頷いたリリアナは、更にマリアンヌに尋ねた。
〈捜索願は出したの?〉
「はい、出したようなんですが――」
マリアンヌは苦い顔だ。首を傾げたリリアナに、マリアンヌは若干の苛立たしさをまじえた口調で理由を説明した。
「行方不明になったのが平民――しかも移民なので、本腰を入れた捜査じゃないそうで。書類も一応、受理はされましたけど、本当に探したければ自分たちで探した方が確実だというほどです」
だが、たかが子供一人のために辺境伯領の人員を割くわけにもいかない。マリアンヌの弟は蒼白になって夜も眠れぬ有り様だという。マリアンヌも気には掛かるが、仕事があるため手を貸せない状況だ。
リリアナは逡巡すらしなかった。マリアンヌに今日から明後日までの予定を確認する。幸いにも、王太子妃教育や王太子とのお茶会といった予定は入っていなかった。
〈マリアンヌ。貴方の弟を紹介していただけないかしら〉
「お嬢様?」
マリアンヌはリリアナが何を言い出すのか分からなかったようで、きょとんと首を傾げる。リリアナはにっこりと笑みを浮かべてみせた。
〈わたくしも力を貸します。一緒にその方を探しましょう〉
「え――、」
あっさりと書かれた文面を読んで、マリアンヌは目を疑った。信じられずに何度も読み返すが、文章は変わらない。駄目だと反対しようとした時には、リリアナは既にジルドとオルガに話を付けるため部屋を飛び出した後だった。