8. 射手の的 4
リリアナは顔を上げて、ライリーを見た。ライリーは優しくリリアナを見つめている。
青い瞳は穏やかに、しかし歴然とした強さを持ってリリアナに何を考えているのかと問いかけていた。
「大公閣下が皇位継承争いに名乗りを上げるという噂は、どなたが広めたものなのでしょう」
プロムベルク公爵夫人の手紙にも、噂の主は書かれていなかった。全く分からないのか、分かっていても書けないのかは分からない。ただ、普通には読めない文面で情報を送って来たことを考えると、後者の可能性は低いように思えた。
考え込むライリーに、リリアナは言葉を重ねる。
「大公閣下ご本人であれば、その噂を広める利は薄いように思います。彼は前線に立って自ら戦うことがお好きなのでしょうから──下手に皇帝陛下のご不興を買うことは避けたいはずでしょう」
だからといって、ローランドや第三皇子マティアスが噂の根源とも考え辛い。それは、自ら敵を作るようなものだからだ。
そして、自然発生的に生じた噂──例えば貴族たちが酒の肴で口にした願望がそれらしい噂に発展した、とも考え辛い。そのような噂もまた七十五日と、短期間で消え去るのが常である。
「人為的に広められた噂でなければ、輸出品にまで影響が出るほど残り続けはしないでしょう」
何かを示唆するようなリリアナのは発言に、ライリーは顔を上げた。その表情は、棒を飲み込んだようだった。
「つまり、考えられることは──皇帝陛下ご自身が広めたのではないか、ということかな?」
「そう考えると、辻褄が合うような気がしてなりません」
リリアナは平然と認める。
皇帝カルヴィンが、下々の噂にまで通じているかは分からない。だが、彼が企んだとすれば、噂が広まり続けている理由も納得できる。
しかし、それはそれで動機が分からなかった。ライリーは顔を顰める。
「確かに、一番自然だね。でも、そうすることで一体、皇帝陛下にどんな利益があるのだろう」
素朴なライリーの疑問を受けて、リリアナもまた考え込む。
考えても分からないと思考を放り出すことはいつでもできる。だが、仮にリリアナの立てた仮説が事実だとして、その動機を把握しておかなければ今後の判断を誤る可能性もあった。
皇国内で戦が収束すれば良いが、スリベグランディア王国まで火の手が及ばないとは限らない。
「皇帝陛下のお考えは分かりかねます。それでも、彼の為人を考えれば、見えてくるものもありそうですが──」
「あいにく、私たちが知る皇帝陛下の性格はあくまでも噂に過ぎない」
「仰る通りですわ」
カルヴィンは独善的で我が強い。自分が全世界を支配していると言わんばかりの態度だと、噂からも見て取れる。
ふと、リリアナは思いついた。
「ウィル」
「ん? どうした?」
ライリーが優しい口調でリリアナを促す。リリアナは彼女には珍しく複雑な表情を浮かべていた。
「コンラート・ヘルツベルク大公が皇位を狙っているという噂を皇帝陛下が流したとすれば、皇位継承争いが過激化しますわね。それこそが、狙いではないでしょうか」
リリアナの指摘を聞いて、ライリーは眉間に皺を寄せる。
確かに、その指摘は的を射ているように思えた。むしろ、他に正しいと思える理由が思いつかない。
「皇子たちの争いを激化させたいということ? 確かに皇太子を指名していない今でも、皇子たちは命の危険に晒されているからね。ここに大公が加われば、本人の考えがどうであろうと、少なくとも第三皇子は大公を陥らせようとするはずだ」
「ええ。そして、大公閣下も身を守るために第三皇子殿下に反撃するでしょう」
コンラート・ヘルツベルク大公が勝つのか、それとも第三皇子が勝つのか、それは問題ではない。
もしかしたら皇帝には予想が付いているのかもしれないが、ライリーとリリアナは確証が持てない。ただ、二人はローランドを知っている。大公が皇位を狙っていると聞いても、ローランドは自ら大公に牙を剥こうとはしないだろう。大公がローランドとイーディスを狙わない限り、正当な手段で玉座を得ようとするはずだ。
もちろん、二人が把握していることは、皇帝も予想しているに違いない。
「第三皇子と大公閣下の関係性を悪化させる目的で流された噂、という可能性は高そうだね」
ライリーが頷いたのを見て、リリアナは控えめに付け加えた。
第三皇子マティアスとコンラート・ヘルツベルク大公が互いの足を引っ張るとして、利益を得るのはローランドだ。ライリーとリリアナはローランドを知っているからその可能性を否定したが、ローランドを支持している陣営に与する貴族には詳しくない。担ぎ上げられた本人が何もする気がなくとも、陣営が勝手に策を弄する可能性はある。
「そう考えると、もしかしたら皇帝陛下は黙認しているだけかもしれません」
「なるほど。キュンツェル宮廷伯はやり手らしいし、彼が手を回した可能性はありそうだ」
皇帝としても、目くじらを立てるほどではないと思っているのだろう。
キュンツェルが支持しているローランドは望んでいないだろうが、担ぎ上げた神輿の意思を無視して、配下の者たちが暴走するなど良くあることだ。特に皇国の有力貴族たちは、皇族を都合の良い駒としか考えていない者も多いという。
「あのドルミル・バトラーも、ローランド殿に忠誠を誓っているかといえば、そうでもなさそうだしね」
ライリーは複雑そうな表情だ。リリアナはわずかに口角を上げた。
支持者たちと良好な関係を保っているライリーにとって、ローランドを取り巻く者たちの面従後言ぶりは目に余るのだろう。それが、ライリーの良い面でもあり弱点でもあると、リリアナは穏やかな微笑の裏で評した。
「それでも、バトラー殿はローランド皇子殿下の意に反したことはなさらないでしょう」
「そう思う?」
リリアナが否定すれば、ライリーは意外そうに目を瞬かせる。少女が半ば確信していると悟ったものの、その理由までライリーはわからない。だが、リリアナには半ばとはいえ、確証があった。
それが、オルガだ。
オルガは、バトラーの最愛だ。魔王としての記憶を取り戻した彼は、オルガに執着している。だが、それを知るのは、倒れて目覚めた後に復活したばかりの魔王と対峙したリリアナだけだ。
オルガ本人でさえ、バトラーが自身に対し一方ならぬ感情を向けているとは知らない。当然ライリーも、時折スリベグランディア王国を訪れるドルミルがオルガに抱く想いに全く気がついていなかった。
「わたくしは、そう思いますわ」
ドルミル・バトラーは、ローランドの意に沿おうと考えているわけではない。ただ、オルガの気持ちを裏切ることはしないだろう。
そして、オルガの気持ちに沿うためには、バトラーはローランドを支持し続ける他ないのだ。
バトラーが、噂話に気が付いていないとは思えない。偽の噂を知りながら、放置しても不利益はないと考えている可能性はある。むしろ、ローランド陣営に居る彼にとって、コンラート・ヘルツベルク大公と第三皇子マティアスが互いに潰し合ってくれた方が良い。無駄な労力をかけずに、ローランドが皇位を継承できる。
「なるほど。確かにローランド殿の陣営が動いていると考えれば辻褄は合う。そして、彼らが張った罠を抜け出せないような者は皇位継承者に相応しくないと──皇帝陛下はそうお考えなのかもしれないね」
どこか釈然としない様子ながらも、ライリーは一旦納得した様子で頷いた。
リリアナもまた、完全には納得できていない。バトラーが噂を黙殺している可能性は高いが、皇帝カルヴィンが素知らぬ振りをしている理由は未だ不明だ。自分の血族が後継者に相応しいか見極めていると言い切る自信はない。それどころか、頭の片隅で警鐘が鳴っている気がする。
「油断はすべきではありませんが、皇帝陛下はご存じだという前提で進めた方が宜しいのではないでしょうか」
「その意見には私も賛成だ」
ライリーは真面目な表情で頷いた。そして、悪戯っぽい笑みを浮かべ、リリアナを横目で見やる。
「ローランド殿が皇位継承者として指名されるように、我々も動くべきかな?」
冗談めかした口調だが、その裏には本気が感じられる。長年の付き合いであるリリアナだから辛うじて気付けた程度のものだ。
思わず、リリアナは目を瞬かせた。まじまじとライリーを見つめたが、彼女もまた薄らと微笑を浮かべる。
「大々的に行えば皇帝陛下の知れるところとなりますわ。そうなると、ご不興を買うかもしれません」
つまり、そうと悟られない程度なら良いということだ。
言外に示したリリアナの意図を、ライリーもまた難なく読み取った。
「貴方のその発言を、社交界の貴族たちにも聞かせたいものだね」
「まあ。わたくしは話しませんよ」
「そうだろうとも」
軽やかに首を振るリリアナの発言を、ライリーは生真面目に肯定する。
社交界でのリリアナの評判は高い。かつて大公フランクリン・スリベグラードがライリーを殺害しようとした時に身を挺して王太子を庇ったこと、隣国の進軍を止めたと公に認められたことが大きかった。
その上でなお、人々はリリアナを妖精姫のように可憐だと言う。見た目に騙され過ぎだとライリーなどは思うのだが、やはり第一印象は鮮烈だ。なにより、リリアナ自身の振る舞いが、儚い印象を煽る。
リリアナがその見た目と裏腹に豪胆で強かだと知っているライリーは、わざとらしく天を仰いで肩を竦めた。
だが、リリアナを批判することはない。むしろ、そんなリリアナだからこそ、ライリーは彼女を好ましく思っていた。
「いずれにせよ、伯母上とは詳しく話をしないとね」
「それが宜しゅうございましょう」
ユナティアン皇国のプロムベルク公爵に嫁いだヘンリエッタとは、定期的なやり取りをしている。これまでは他愛のない情報が大半だったが、今後はより政治的なものになっていくだろう。
ウィル・エイマーズという偽名を使って書簡を出しているが、プロムベルク公爵家に届く手紙は皇家に内容を検められぬとも限らない。どうやってうまく話を伝えようかと沈思黙考し始めるライリーを、リリアナは静かに見つめていた。
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