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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第二部 王太子妃は悪を目指す
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8. 射手の的 2


客人が立ち去った後、グスタフは前金として受け取った金貨三枚を前に深く考え込んでいた。ソファーに体を沈め、腕を組む。


「妙な依頼もあったもんだな。皇族が──それも、緋色の死神(ロータトード)が見つけらねぇ魔導士だと?」


天下の皇族が見つけられない探し人など、普通は存在しない。彼らの人脈は果てしなく広いのだ。

確かに、大禍の一族に直接指示を出し動かせるのは皇帝カルヴィンだけだ。他の皇族は、皇位継承者であろうと、一族に対する指示命令権を持たない。それどころか、彼らは一族に接触することさえ儘ならなかった。一族との関係は、普通の貴族と同じだ。


だが、コンラート・ヘルツベルク大公は他の皇族と違い、大禍の一族を忌避しているようなところがあった。だからこそ、彼は長い年月をかけて彼自身の戦力を持とうとして来たのだ。


「その集大成に、ってことかぁ? それでもなんだか釈然としねぇな……」


大公が自らの制約を破ってグスタフに繋ぎをつけてきた──それは、即ち一族の力を借りるということだ。そして、何よりも彼が関心を持った相手が魔導士であるということが、大きな違和感の正体だった。


「気にはなるが──これが大公の罠じゃないって可能性も否定はできない、か」


コンラート・ヘルツベルク大公が、兄である皇帝カルヴィンの機嫌を損ねようとするとは思えない。だからといって、彼が毛嫌いしている大禍の一族をいつまでも見逃すとも限らない。皇帝の逆鱗に触れない程度に、一族の力を削ごうと考えている可能性も無きにしも非ずだった。

もし、大公が大禍の一族を罠に掛ける魂胆で今回の依頼をしたとすれば、グスタフは断るべきだ。だが、もし本気の依頼なら、断った方が不利益が生じる。コンラート・ヘルツベルク大公を袖にしたのだと、得意客の間では噂になるだろう。

誰からも嫌われている貴族の依頼を蹴るのとは、ワケが違う。


面倒なことになったと、グスタフは乱暴に頭を掻いた。

目を鋭く光らせ、彼は空を睨む。


「もし一族(あいつら)を嵌める気なら、一族の連中を担ぎ出すと不味いか。ジジイにどやされる。てことは──もう一つの手だな」


大禍の一族は巨大な組織だ。大半は一族が幼い頃から育て上げた生粋の刺客だが、一部には外から連れて来られた仲間もいる。さらに、表の顔を持ち、堅気のような顔をして日々を暮らす者も居た。

情報収集に担ぎ出すのは、日々を何食わぬ顔で過ごしている仲間たちだ。そして、彼らにも得手不得手がある。

今回のように、依頼主の本意が掴めない時──それも、最悪の場合は自分たちに害意があると考えられる場合の適任者も、当然のことながら存在していた。ただ、彼らの人数はそれほど多くない。


「あいつにするか」


グスタフは頭の中から数人の顔と名前を引っ張り出し、今回の任務に最適な相手を選び出す。そして、彼は一切の迷いを捨て、手元の鈴を鳴らした。

すぐに部下がやって来る。


「いかがなさいましたか」

()()を呼んでくれ」

「承知いたしました。ということは、頭取。ヴェルクに戻られるおつもりで?」


頷いた部下は神妙な表情を浮かべた。ヴェルク、と聞いてグスタフは嫌な表情になる。

顔を思い切り顰め、彼は部下に尋ねた。


「そうせざるを得ないが──()()()()()?」

「それはもう、首を長くしてお待ちですよ。()()短気な姫君とは思えないほど、大人しくしているのだとか」


二人が脳裏に描いたのは、ヴェルクでグスタフを待つ第一皇女ヴァネサだ。彼女はおよそ一週間前から、グスタフの帰還を待ち構えている。

第一皇女の短気で好戦的な性格は、良く知られている。その彼女が自軍を率いてスリベグランディア王国に侵攻し、大怪我を負って皇位継承者争いから脱落したのも、皆表立って口にはしないが広く知られた事実だ。

そのヴァネサが会いたいと自らヴェルクに足を運んだ──となれば、当然グスタフも良い予感はしない。


彼は大きな溜息を吐いて、両手で顔を覆った。


「ったく、今の俺は悪魔にでも呪われ始めてんのか? それとも神の加護が消えたか? なんだって、こんな面倒事ばっかりが舞い込んで来るんだよ」

「そろそろ潮時なのでは?」


グスタフの嘆きに、長らく連れ添った部下は淡々と言い返す。その言葉を耳にしたグスタフは不機嫌になるどころか、思ってもみないことを言われたと目を瞬かせた。


「潮時? ああ──そうか。なるほどな」


今度は、部下が首を傾げる番だった。自分の発言の何が、そこまでグスタフに衝撃を与えたのか分からない。

だが、グスタフは部下に説明する気はない様子だった。面白そうに喉の奥で笑いをかみ殺し、納得したように頷いている。


「それなら、余計にあいつが適任じゃあないか」


そろそろあいつの目を覚ませてやっても良いだろうと──グスタフは誰にも聞こえないよう、口の中だけで呟いた。



*****



ゼンフの町から少し離れた場所に、森の集落があった。地図にも載っていないその集落は、知る人ぞ知る隠れ里だ。普段は人っ子一人いないその場所には、ゼンフ神殿が跡形もなく燃え落ちた日から、ちらほらと人の姿が現れ始めていた。


「ジーニー、食事をお持ちしました。少しは休んでください」


ジーニーと呼ばれた女性は、疲労の濃く浮かんだ顔を少女に向ける。そして、彼女は薄っすらと笑んだ。


「休むのは、色々と片が付いてからだよ」

「それは、そうなのかもしれませんけど──」


眉を八の字にして肩を落とす少女は、それでもジーニーが心配でならなかった。


「良いかい、ビエラ。あんたはたまたま、あたしと出会ってゼンフの町に流れ着いただけなんだ。だから、あたしたちの事情に巻き込むつもりはない」


冷たくすら聞こえる口調で、ジーニーは幾度となく繰り返した言葉を告げる。

ビエラと呼ばれた少女は、唇を引き結んだ。


少女がゼンフの町に辿り着いたのは二、三年ほどまえのことだった。

その時、ジーニーは旅をしていた。なんの旅をしていたのか決してビエラに教えてはくれなかったが、彼女は身寄りのないビエラを心配して、落ち着くまでという条件付きでゼンフの町に連れ帰ってくれたのだ。

そして、店主不在という魔道具屋でビエラが働けるように全てを整えてくれた。


「それでも、ジーニー。貴方は、私の命の恩人なのです。私をゼンフに連れて行ってくれた時も──そして、町が焼け落ちると事前に察知して、私を連れ出してくれた時も」


ビエラは小さく呟く。ジーニーが何を言おうと、それだけはゆるぎなくビエラにとっての真実だった。

ジーニーと出会わなければ、ビエラは早々に命を落としていたにちがいない。それほどまでにこの世界は、なんの才能もない幼い少女にとって過酷だった。


「それは、あんたがそう思い込んでるだけだよ。あたしがしたことは、あんたに寝床とちょっとした知恵を授けてやったくらいのことさ」


どれほどビエラが感謝を口にしても、ジーニーは受け取らない。

何でもないことだと言うように、毎度肩を竦めて首を振る。


「──神官長にもなったら、それくらいは普通のことだろ。責任、ってやつさ」


ゼンフ神殿の前神官長、ハンフリー。彼は分家長が暗殺されジーニーが新しい分家長に指名された時、怒り狂った。

本来、大禍の一族の分家長はゼンフ神殿の神官長が務める決まりだ。その前提を覆した本家を恨んでも報復が恐ろしく、彼はジーニーの命を狙おうとした。

だが、ジーニーにとっては幸運なことに、ハンフリー前神官長はその時、本家から暗殺命令が出ていた最恐の刺客オブシディアンを殺そうとしたのだ。当然、一介の刺客相手に不覚を取るオブシディアンではない。あっという間に返り討ちに合ったハンフリーは死亡し、ジーニーは神官長の座に就いた。


ハンフリーは、何も知らなかった。あまりにも無知だった。

本家がジーニーを分家長に指名したのは、彼女の能力を見込んでのことではない。ジーニーが本家を裏切ることはできないと知っていた。そして、本家に対して反抗的な──良く言えば独立心旺盛な前分家長を殺害し、ジーニーを代わりに据えたのだ。

彼女にとっては、首輪を更に締め付けられた気分だった。

分家長も神官長も、自分から欲しいと思ったことはなかった。そもそも、彼女にとっては大禍の一族こそが憎き仇だ。


ジーニーがビエラと会ったのは、ちょうどその頃だった。

ビエラは、ジーニーの裏の顔を知らない。魔道具屋の店主をしていたことは知っているが、純粋に、彼女はジーニーが神官長の傍ら趣味で魔道具屋を営んでいたと信じている。


何気なく、ジーニーはビエラに顔を向ける。


「ジーニー? どうしましたか?」


ビエラの、漆黒の髪と瞳。瞳は光の加減で、金粉が混じっているようにも見える。

故郷を思わせる懐かしい色彩に、ジーニーは目を細めた。

戸惑うように、ビエラはきょとんと小首を傾げたままだ。


「いや、なんでもないよ。決意を固めていただけさ」

「決意、ですか」


一体何の決意だろうかと、ビエラは内心で首を捻る。

ジーニーは、誰に対しても開けっぴろげだ。話しやすく快活で、すぐに打ち解けられる。だが、実際の彼女はどこまでも秘密主義だった。本心どころか、腹の底が見えない。


だから、彼女がしたという決意が一体何なのか尋ねたところで、ビエラが期待する答えは返ってこないだろう。

そうと分かっていながらも、ビエラは諦められなかった。


ビエラは、孤児だ。

物心ついた時には、自分を「姫様」と呼ぶ老婆と二人で彷徨っていた。

姫様と呼ばれているのに、暮らしは貧民街の者たちよりも質素だ。常に何者かに追われているようで、老婆はいつも人の目を気にしていた。


やがて、老婆は死んだ。ビエラを探していたらしい怖い目つきの男たちの手に掛かって、呆気ない最期だった。

ビエラは逃げた。必死だった。恐怖すら感じられないほど、必死だった。


老婆が遺した首飾り(ペンダント)だけが、彼女の財産だった。古びたチャームは開閉式になっていて、その中には見知らぬ男女の絵が収まっている。ビエラが見たこともないほど豪奢な宝石と衣装に身を包んでいる男女が両親なのだと、老婆は教えてくれた。

実感はなかったが、その話を聞いてからのビエラは度々、両親だという男女の絵を飽かずに眺めた。


ビエラを騙そうとする者、襲い掛かって来る者──優しく見えた人でさえ、ビエラを利用しようとしていた。

その中で、ジーニーは初めて、なんの打算もなくビエラに手を差し伸べてくれた。


だから、今度は自分の番だ。

ジーニーが何かを決意しているのであれば、自分が必ず助けになる。


そう、少女は決意していた。

そして、それはまさしく──リリアナが前世の乙女ゲームで見た、主人公(ヒロイン)の決意と同じだった。




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