7. 露わになる種子 6
オルガは再び、髪と瞳の色を元の地味な褐色に戻した。途端に、彼女から漂っていた不可思議な魔力が消える。
反射的に、リリアナはオルガの魔力の種類を視た。先ほどまで感じていた魔力とは違い、一般的な魔力と全く同質のものだ。
そんなリリアナを、笑みを含んだ目で一瞥し、オルガは何気ない素振りでライリーへ顔を向けた。
「大禍の一族が求める餌が、私です。彼らは原始の呪術を使いこなせる存在が貴重であり、同時に強敵であると認識しています。末端の刺客に任せることはなく、必ず中枢に繋がる人間が出て来るでしょう」
オルガの説明は説得力がある。これまでの話を総括して考えれば、むしろ中枢部の人間が出て来ない方がおかしい。
だが、その計画は諸刃の剣でもあった。
深刻な光を双眸に浮かべ、ライリーは低く唸る。
「確かに、オルガの存在を一族に伝えれば誘き出すことはできるだろう。だが、その後はどうする? 中枢部の者は、私たちが知る大禍の一族より実力が勝るのではないか。そうなると、こちらも相応の備えをしなければ、それこそ自分たちの墓穴を掘ることになる」
リリアナも一つ頷いて、懸念を付け加えた。
「かといって、盛大に迎え撃つ準備をしていれば、敵もこれが罠だと勘付くかもしれません。塩梅が難しいですわね」
いくつも懸念は思いつくものの、良案は浮かんで来ない。
そもそもリリアナの能力は魔術を駆使した、奇を衒った戦法だし、ライリーやオースティン、そしてクライドは正規の騎士が好む正攻法に戦略が偏る。頼りになるのは、傭兵稼業で百戦錬磨のジルドとオルガしかいなかった。
王太子の近衛騎士を長く務めるオースティンも、王太子妃の近衛騎士となったエミリアも、そしてクライドも、オルガとジルドに顔を向ける。彼らは正攻法である貴族の戦いは専門だが、裏社会の、それも暗殺集団を相手取る作戦など門外漢だ。
ジルドは嫌そうな表情になったが、オルガは平然としたものだった。
ライリーは皆を代表して口を開く。
「連中を上手く誘き出すためには、王立騎士団や近衛騎士の力は借りない方が良いだろう。明らかに罠だと勘付かれるだろうからね。君たちは何か思いつくかな?」
オルガは難しい表情だ。ライリーの魂胆は理解するが、大禍の一族を罠にかけるなど無謀だ。本来なら窘めるべきところだが、それでも「できない」とオルガは言わなかった。
「正直なところ、我々だけでは難しいと思います。殿下は、大禍の一族を壊滅させることを目標とお考えになっているのですよね?」
「そうだね。それができれば言うことはないが、少なくとも、一族の力を減じることができればそれでも十分だと思う」
ライリーは頷く。だが、彼が続けた言葉に、オルガは否定的だった。
「承知いたしました。しかし、奴らは蛇のように抜け目なく、蜥蜴のように逃げ足が速く、そして狐のようにしぶとい。完全に潰さなければ、中途半端に戦力を削っても直ぐに復活し、我々に牙を剥くことは間違いありません」
大禍の一族はユナティアン皇国に本拠地を置く。その具体的な場所は、誰にも知られていない。
中途半端に戦力を削るだけでは、彼らは中枢に引き籠って力を蓄え、これまで以上に強大な組織へと成長してから再び表舞台に姿を見せるだろう。その時こそ、スリベグランディア王国の終焉だ。
オルガの指摘は理屈が通っていた。誰もが難しい表情で黙り込む。
しばらくの沈黙の後、ようやくライリーが険しい表情で口を開いた。
「ユナティアン皇国の誰かに協力を得た方が良いかもしれないな。だが、一族は皇帝の手飼いだという話も聞く。下手に声を掛ければ、こちらの手の内が敵に知れてしまいかねない」
「わたくしたちに協力していただけそうな方と言えば、プロムベルク公爵ご夫妻とローランド皇子殿下でしょうか」
三人とも、親王国派の筆頭だ。ユナティアン皇国では身を守るため、その考えを公にしてはいないが、ライリーが頼めば快く力を貸してくれるには違いない。
オースティンも、ライリーとリリアナに同調した。
「プロムベルク公爵ご夫妻でしたら俺たちも安心できるな。ローランド皇子殿下も親王国派だから、頼めばある程度は協力してくれるんじゃないか?」
だが、クライドが渋い表情で口を挟む。ライリーやリリアナ、オースティンの提案に同意したいが、心底から安心できない事実を、クライドは把握していた。
「ローランド皇子殿下は親王国派ですが、どこまで協力していただけるか──。彼にも宮廷でのお立場というものがあるでしょう。一番気になる点は、ローランド皇子殿下の後ろ盾にキュンツェル宮廷伯が居ることです」
「キュンツェルか──和平路線の筆頭だな。腹の底は分からないけれどね」
ライリーが肩を竦める。
キュンツェル宮廷伯はユナティアン皇国の重鎮だ。気難しい皇帝にも気に入られ、長く権力者としてユナティアン皇国の宮廷に君臨している。
以前は第一皇子を支持していたが、第一皇子が政争に敗れ暗殺で命を落とした後は、第二皇子ローランドの派閥に入った。そのため、長らく皇位継承争いから外れていたローランドが一夜にして最有力候補まで躍り出ることとなったのだ。
「キュンツェル宮廷伯が目を光らせている以上、ローランド皇子殿下がどこまで我々にご協力くださるか分かりません。話を持ち掛けるにしても、必要以上の情報を渡さないよう気を付けねばならないでしょう」
クライドが纏める。
なかなか頭の痛い問題だ。考え込んでも、すぐに名案は浮かばない。
重たい沈黙が続く中で、ふと思いついたようにリリアナが口を開く。
「皇位継承争いに絡めてしまえば宜しいのではないでしょうか」
それは、誰もが予想しない発言だった。ライリーが目を見開く。
「サーシャ。それは、どういうこと?」
「わたくしたちに関係ある部分でのみ、考えているから事が難解に思えるのです。ですが、一族は皇族ではなく、皇帝の影なのでしょう」
「あ、うん。そのはずだよ」
ライリーはオルガとジルドに視線を向ける。二人は頷いた。
もちろん、皇族も大禍の一族に暗殺を依頼することはある。ただ、あくまでも彼らは他の貴人と同様、依頼人でしかない。皇帝は大禍の一族を自由に使役できるが、その権力は他の皇族には及ばないのだ。
ジルドは呆れ顔で小さく、「良く知ってやがんな」と呟いた。
耳ざとくその呟きを拾ったライリーは苦笑する。
「雑談の折にね、ローランド殿から教えて貰ったことがあるんだ」
とはいえ、ローランド自身も大禍の一族に依頼をしたことはない。あくまで、彼も人伝に話を聞いたことがあると言う程度だ。
ただ、その話が出た時、同じ部屋には宰相補佐ドルミル・バトラーが居た。バトラーが異を唱えなかったということは、本当なのだろうとライリーは見当を付けていた。
これまでの話を振り返って、ライリーは腕を組むとソファーの背もたれに体を預ける。
「プロムベルク公爵夫妻と、それからローランド殿の力を借りることはほぼ確定かな。問題は、どんな形で関わって貰うかだね」
オースティンが乱暴に頭を掻く。
「確かに皇国側の協力者がいればやりやすいけどよ。一族を相手取るってことはつまり、直接ではないにしろ、皇帝とやり合うようなもんだろ? 協力してもらうのも、かなり難しいんじゃないか?」
クライドも、もっともだと頷いた。
「そうですね。それに、プロムベルク公爵ご夫妻もローランド皇子殿下も私たちと同じように堅気の人間ですから。裏社会のやり方など、分からないでしょう。ご協力いただいたとて、一族に打撃を与えられるのかは甚だ疑問です」
だからといって、スリベグランディア王国の手勢だけで事を運ぶなど不可能である。
打開策を思いつかず頭を抱える一行を、オルガとジルドは無表情に眺めていた。
オルガは大禍の一族を誘き出すことはできるが、どちらかと言えば彼女自身も堅気に属する人間である。傭兵稼業は長いものの、裏社会とは極力距離を置いて生きて来た。それは、彼女が若い頃世話になった恩師の教えでもあった。
小さく溜息を吐いて、オルガはジルドに顔を向ける。ジルドは我関せずと、暇そうに突っ立っていた。
「ジルド」
小声で名を呼べば、ジルドは緩慢な仕草で顔を上げた。眉間に薄っすらと皺を寄せ、オルガを見返す。
「なんだよ」
「お前、何か思いつかないか」
「何かって?」
「連中を潰す方法だ」
ジルドは、今度こそはっきりと眉間の皺を深くした。
「何か、つったってなあ──」
唇の端を引き下げると、人間にしては鋭すぎる牙が覗く。凶悪な表情になったが、既に誰もが見慣れた顔だ。誰一人として怯えたりはしない。
ジルドは不機嫌丸出しで、オルガに反論した。
「これはお前ェのヤマだろうが。俺が口を挟むことじゃねえよ」
言われたら手伝いはするがよ、とジルドはすげない。だが、オルガは引かない。
むしろ先ほどより強い光を双眸に込め、ジルドを見据えた。
「確かにお前より私の方が、連中との因縁は深い。それは否定しない。最後の引導は私が引き渡したいくらいだ。だが、そこに至るまでに、現状では打つ手がない」
大禍の一族を誘い出す手筈は、ジルドが付けてくれた。それは確かだ。
だが、そこから先に進む手立てがないというのもまた事実だった。特に、今回はライリーやリリアナも絡んでいる。オルガが自由に一人で動ける状況ではない。
仮にオルガが独断専行しても、大禍の一族が絡めば、ユナティアン皇国の皇帝が手を出して来る可能性が高かった。そうなれば、やはり国と国の問題になる。
だからこそ、下手な策は立てられない。勝率を可能な限り高めてから動く。そうしなければ、スリベグランディア王国は地図からその名を消す羽目になるだろう。
滔々としたオルガの説法を、ジルドは嫌そうな表情で聞いていた。だが、オルガの指摘には一理あると、彼も思ったようだった。
深々と溜息を吐いて、口をへの字にしたまま言う。
「俺ァ、戦略とかそういうもンを考えるのは苦手なんだがよ」
ぼり、と彼は首を掻いた。
「連中、増えすぎて仲間割れしてるみてェだからよ。敵の敵は敵、つーことでよ。ゼンフの連中を抱き込めば良いんじゃねえのか?」
数日前までいた場所だ。
思わず、ライリーとリリアナは顔を見合わせた。
[2] 6-4