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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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12. 魔物の正体 3


「あら、人間を辞めたつもりはございませんわ」


リリアナがおかしそうに微笑みを深めて答える。ペトラはほとほと呆れた様子で首を振り、リリアナが復元した魔物を見る。


「まあ、あんたに人間業は求めてないけど――これはなんで復元したわけ?」


どうやら、リリアナが組んだ術式を解読することは諦めたらしい。


「生きて動いております時は、瘴気のせいでちゃんと確認できませんでしょう? この状態ですと、ちゃんと確認できるかと思いましたの」

「なるほど。普通の動物に見えるけどね」


ペトラは頷いて、結界の近くまで歩み寄り魔物を観察する。リリアナも頷いた。


「ええ、わたくしにも普通の動物に見えますわ。これがどうして、尋常でない身体能力と魔力を持つように至るのでしょう」

「うーん……分からないんだよねぇ」


リリアナの疑問に、ペトラも首を傾げている。以前から魔物に関しては研究を進めているが、元々魔物の出現は頻度が多くなかったためサンプルにも事欠く。魔物が増え始めたのはここ一、二年のことで、研究成果も上がっていない。


(体組成も通常の獣と変わらないですし、血液循環もあるようですし――)


魔物を斬れば血が出る。体組成――骨格や筋肉、内臓の比率だけでなく、各臓器を構成する蛋白やホルモンなども大きな差は確認できない。この世界では分析できない内容も、リリアナは認識しているため魔術で分析することが可能だった。もしそこに違いがあれば解明の足掛かりとなったのに――とリリアナは溜息を吐く。


「次の機会がありましたら、生け捕りにする必要がありそうですわね」

「――は?」

「生け捕りにした方が、生体の様子が分かって宜しいのではございません?」


一瞬聞き間違いかとペトラがリリアナを振り返る。リリアナはきょとんとした顔で小首を傾げた。可愛らしい仕草だが、言っている内容は全くもって可愛らしさの欠片もない。


「魔物を生け捕りにするって、どうやって? あいつらは魔術を使うんだ、こっちの身を守るためには魔力制御の術を掛けた檻に入れなきゃいけない。そうすると、研究はできないよ」

「生きていても意識があれば、分析も難しゅうございましょうね」


リリアナは淡々と頷きペトラに同意する。ペトラは目を剥いた。リリアナが何を示唆しているのか、ペトラは違うことなく理解した。


「魔物の意識だけを奪うってこと? 本気で言ってんの?」


()()()()()()()()()()。その肉体が朽ちるまで、彼らは破壊の限りを尽くす。どれほど動き回っても、肉体がある程度の形を留める限りは動き回り、攻撃を仕掛けて来る。

だが、リリアナはその指摘を聞いても意に介さなかった。相変わらず感情の読めない表情のまま、しかし冗談とも思えぬ口調で答える。


「ええ、本気ですわ」


ペトラは目を細めてリリアナの様子を窺う。リリアナの本気は分かっても、俄かには信じられないと言いたげだ。だから、リリアナは詳細は明かさなかった。


「ただ、試したことはございませんので。わたくしの方で試してみますわ。また、お目見えする機会がありましたら、その時にご紹介いたしますわね」

「――その機会があって良いのか悪いのか、判断に悩むところだね」


リリアナが言う“機会”とは、どう考えても魔物と戦う時のことだ。リリアナがどのような術を用いて生かしたまま魔物の意識を奪うのかに興味はあるが、できる限り魔物とは鉢合わせたくない。

複雑な心境に溜息を吐くペトラを横目で眺めつつ、魔物を囲う結界を解除したリリアナは囁くように、祈るように呟いた。


(【消滅(ヴァーシュウィンドン)】)


さらさらと、魔物たちの欠片が砂のように風に流され消えていく。木々の隙間から漏れる月光を反射した灰塵は、天の川のように白く輝いていた。



*****



――――深い森の中。ざわりと総毛立つほどの瘴気が育つ。

少女はふくれっ面で、しかし初めての冒険に胸を高鳴らせながら一人歩いていた。魔術で足元を照らしながら慎重に歩く。




(ここは――プローフェンの森?)

リリアナは瞠目する。この森でペトラと別れたリリアナは、転移魔術で屋敷に戻り眠ったはずだった。

(――ああ、夢かしら)

そんなことを思う。一人で暗い森を歩いているのは、つい数時間前に会ったタニア・ドラコだった。もう闇に沈んでいるはずの森が、わずかに明るい。




『だって、みんなタニアのこと、子供扱いしすぎなのよ。ベラスタよりも先に魔術のお勉強ができるようになったんだから、タニアはもう大人よ』


齢六つにして魔術の授業を受けられることは、彼女にとって誉れだった。


『サフラワー、ジュニパー、バードック。ふふ、タニアはちゃんと覚えられるんだから』


物覚えが良いというのも、タニア・ドラコにとっては自慢の種だった。


『ベン兄さまも五歳の時に先生がいらっしゃったって言ってたもの。タニアは六歳だけど、じゅうぶんベン兄さまのお手伝いができるわ』


彼女の長兄であるベン・ドラコは一族の中でも優秀と名高い。魔導省の副長官に史上最年少で就任した彼は、タニアの憧れでもあった。ベラスタは最近よく反発しているが、タニアにとっては馬鹿らしいの一言だ。タニアにとって、“ベン兄さま”はこの世の誰より素晴らしく素敵な人だ。そんな“ベン兄さま”に反抗するなんて、ベラスタは子供だとタニアは思っている。だから、最近はベラスタともあまり会話をしていない。


ただ、最近のベラスタは以前よりも少し真面目に魔力制御の練習をしているらしい。もし追いつかれたらどうしよう、という焦りはある。それでも自分の方が一歩も二歩も先に進んでいるような気がして、タニアは少し気分が良い。だからこそ、タニアは更にベラスタよりも強い魔導士になってベン兄さまの右腕になるのだ。


『そのためにも、魔力を強くしなくっちゃ。先生はまだ早いって言ってたけど、そんなこと言ってたら遅れちゃうわ。タニアは普通の女の子じゃないのよ』


口数が多くなっているのは、暗くなっていく森に恐怖を覚えているからだ。だがタニアは自覚がない。もし意識してしまえば、恐ろしくてその場から動けなくなってしまうだろう。

街中と違い、木々の繁る森の中は暗くなるのも早い。しかし、薬草を探すことに夢中になっているタニアはその存在に気が付いていない。


『――――?』


ざわりと、空気が揺れた気がした。首を傾げるタニアは、しかし気のせいだろうと思い込み足を進めてしまう。次の瞬間、タニアの周囲に黒い霧が発生した。


『――!?』


魔物たちが、次々と姿を現す。

さすがにタニアも気が付き足を止める。慌てて周囲に結界を張るが、まだ魔術の訓練を本格的に初めていない彼女の張る結界は弱い。その上、六歳になったばかりの少女の精神力は、初めて相対する()()()()魔物を前に平静を保てなかった。

魔物はタニアを獲物と見定めたようだった。狂気に満ちたどろりとした()()()をタニアに向け、臭気に満ちた息を咆哮と共に吐き出す。タニアの顔は恐怖に染まった。身を守るために張った結界が解ける。


最初の一体が鋭い爪をタニアに向ける。あまりの恐ろしさに恐慌に陥り叫ぶことは愚か、防御することも攻撃することもできず、タニアは頭を抱えて身を守るようにしゃがみ込んだ。

魔物の爪がタニアの小さな頭を切り裂くと思われた――その時。

断末魔が、夜闇に響き渡る。

痛みを感じなかったタニアが不思議そうに恐る恐る顔を上げれば、彼女の前にはローブを纏った女が立っていた。爛々と目を光らせ、眼前の魔物たちを睥睨している。


『全く、あんたが居ないってベラスタが騒いでるから探してみれば。こんなところで何してんだい』

『あ、ペ、ペト――』


タニアは震える唇で自分を助けてくれた人の名を呼ぶ。

ペトラ・ミューリュライネン――タニアの大事なベン兄さまが、家族以外で唯一打ち解けている女性。ベン兄さまとペトラが話す内容はあまりにも難しくて、タニアには理解ができない。仲間外れにされているようで、そしてタニアは決してペトラに勝てる気がしなくて、いつも悔しい思いをしている。

愕然と言葉を失うタニアの前で、ペトラは次々と襲い掛かる魔物たちを魔術で迎撃する。自分も戦わなければと、タニアはようやく自分を取り戻した。立ち上がってペトラの前に出ようとする。だが、タイミングが悪すぎた。


『邪魔だよ、退きな!』

『なによ、偉そ――っ!?』


反射的に噛み付いたタニアを、魔物の牙が襲う。反対側の魔物を火魔術で燃やしたペトラは、タニアを襲う魔物への攻撃が間に合わないことを察知した。


『――――つっ!』


咄嗟にタニアを胸に引き寄せ庇う。ざっくりと、魔物の牙がペトラの脇腹に食い込む。魔物の牙にはかなりの毒が含まれていたらしい。ぞわりぞわりと、脇腹から侵食する熱と全身を襲う寒気に意識が飛びそうになる。ただでさえ、魔物に付けられた傷からは瘴気が入り込むというのに――毒を持った魔物の牙を受けるなど、運が悪いとしか言いようがない。


『ペトラ――?』


庇われたタニアが、ペトラの腕の中からその顔を見上げる。ペトラは力を振り絞って、ローブの下に潜ませた短剣を魔物に突き刺した。魔物の力が緩んだところでその牙から逃れ、火魔術で燃やす。血は止まるが、体内に入った毒は治癒魔術でなければ浄化できない。だが、()()()()()()()()()使()()()()


『っ、』


荒い息を零し、ペトラはその場に崩れ落ちる。そこでようやくタニアは、ペトラの脇腹から流れ出る血に気が付いた。幼い顔が蒼白になる。


『ペトラ――、』

『黙ってな』


息も絶え絶えになりながら、ペトラは最後の力を振り絞った。転移でタニアと共に、慣れ親しんだ部屋に飛ぶ。


『ミューリュライネン!?』


霞んだ意識の中で、ペトラは決して自分を名で呼ぼうとしない男の声を聞いた。必死に治癒魔法を掛ける男の気配を感じていた。目を開ければ、霞んだ蒼白な顔が見えた。


『――頼む、頼むから――死なないでくれよ、ペトラ』


初めて彼が呼んだ自分の名は、優しくも悲しかった。

意識がある時に呼べよ腰抜け、と、声に出ないまま朦朧としたペトラは男を想った。


『生きてくれ、ペトラ』


何度も何度も、男は意識のないペトラに呼びかけた。慣れない手つきで必死に看病していたと、ペトラは後からベンの乳兄弟であるポールに聞いた。


母を戦で亡くし孤児となったペトラを拾いミューリュライネンと名をつけ、魔導省に引き取ってくれた男――ベン・ドラコ。彼は大怪我から目覚めたペトラの傍には居なかった。脇腹に大きな傷は残っているものの、回復して日常に戻ったペトラに対してベン・ドラコは素っ気なかった。ペトラもベンに声を掛けられず、月日は流れる。タニアは会う度に物言いたげな視線をペトラに投げるが、ペトラは相手にしなかった。

妹であるタニアを守ったペトラに対して引け目があるのだろうとポールは言う。だが、ペトラは嘲笑を浮かべたまま相手にしなかった。

一体どうして、自分を避ける相手に声を掛けられるというのか。


『――この、腑抜け野郎』


毒づく言葉を本人に告げる気には、到底ならなかった。手を伸ばして拒否されることこそが、一番怖い――腰抜けは果たしてベン(あいつ)なのか自分なのか。自嘲に似た表情を浮かべながらも、ペトラは決して自分からは歩み寄ろうとはしなかった。

そのことを後悔する日が来るとは、思ってもいなかった。永遠などないと、嫌になるほど知っていたはずなのに。



*****



リリアナは目覚める。呆然と、彼女は天井を見つめていた。見慣れた屋敷の天井だった。


「――夢?」


夢にしては現実的(リアル)だった。ぐったりとしながら、青い顔で深い溜息を吐く。


魔物討伐から帰宅したリリアナは、瘴気を分析した時の【記録】と通常の空気の構成成分を比較し検討した。魔物討伐で疲れ果てていたが、できるならば早い方が良いだろうと多少、無理をした。案の定、空気の構成成分には明確な差があると判明した。瘴気には、二酸化硫黄やシアン化水素等の有毒物質が含まれていたのだ。それらの有毒物質は互いに反応せず空中で分離したまま浮遊していた。

そこまで確認したリリアナは、力尽きて休むことにした。それほど疲労していたが故に、もしかしたら悪夢を見たのかもしれない。そう言い聞かせながらも、リリアナは上手く働かない頭を動かす。手は小刻みに震えていた。冷や汗が全身をしっとりと濡らしている。


「どういうことなのかしら。現実の出来事――ではありませんわよね」


現実の出来事であるならば、タニアが魔物に襲われペトラが守り、そこへリリアナが呼ばれる――という流れが待ち受けていたはずだ。だが、夢の中でペトラはリリアナを呼ばず大怪我を負った。それなら、現実を夢にみたわけではない。


今までにも、リリアナは明晰夢を見たことがある。そのどれもゲームのシナリオに沿った夢だった。だが、今しがた見た夢はゲームには出て来ない物語だ。

前世の乙女ゲームに、ペトラもベン・ドラコも出て来ない。当然ペトラがプローフェンの森でタニアを助け大怪我を負い、その後ベン・ドラコとの関係性が悪化するシーンも描かれない。設定資料集など公式が販売していた関連商品にも載っていなかったはずだ。


――それなのに、リリアナの夢には出て来た。


「これから起こる出来事、ということ? いいえ、そんなはずございませんわ」


リリアナは上半身を起こし、自分に言い聞かせるように呟く。プローフェンの森に、タニアが一人で何度も足を運ぶわけがない。タニアは年相応の少女だが聡明だ。今回のような出来事があったにもかかわらず、同じ愚を二度犯すとは思えなかった。

妙な動悸を感じて、リリアナは右手でしっかりと胸元を掴む。しかし、早くなる鼓動はなかなか治まらない。

じっとりとした脂汗が、背筋を伝って流れるのを感じた。




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