7. 露わになる種子 5
部屋に沈黙が落ちる。妙な緊張感が満ちていた。
だが、オルガは真剣な表情で、淡々と言葉を紡ぐ。
「大禍の一族は、今でも原始の呪術を用いて配下の刺客を支配しています。ですが、普通に考えれば、他の原始の呪術同様に廃れるべきはずのものです」
その通りだと、その部屋にいる誰もが頷いた。
原始の呪術がどのようなものか詳しいことは分からないが、現在の呪術よりはるかに強力なものであるならば尚更、術の実行に伴う犠牲は大きい。
魔術であれば対価は魔力であり、東方呪術は用いる石や虫、動物といった道具が魔力の代わりを果たす。だが、現在用いられている呪具の材料を全てまとめても、原始の術で得られる効果には対価として足りないはずだった。
「原始の呪術には多くの制約があります。一つの術を行使するだけでも、必要な場を整え、道具を揃え──道具、人、時間、どれも膨大に必要です。非効率、非現実的、そうして失われた古の術なのです」
ライリーは同意を示すように頷き、リリアナに顔を向ける。この場にいる人間の中で、リリアナが最も魔術や呪術に詳しい。
「確かに、オルガの話は説得力がある。同時に、謎は大きくなるばかりだね。なぜ、そんな原始の呪術を、未だに大禍の一族は使っている──いや、使えているのか」
「対価となる何かを持っていると考えれば辻褄は合いますが、多くの刺客を維持できるほど繰り返し呪術を使えるほどの物となると、想像ができません」
リリアナの指摘は的を射ていた。ライリーはもちろん、オースティンやクライドもその通りだと頷いている。
オルガは、滅多に無表情を崩さない彼女には珍しく、微笑ましいものを見るように頬を緩めた。リリアナに向けて、彼女は「その通りです」と答える。
「彼らは原始の呪術を使うため、何かしらの特別な宝を持っているのは間違いありません。それも、その宝は消耗するものではない。だからこそ、自分たちの力が失われることはないと確信し、安穏としていられるのです」
暗殺一族に「安穏としている」とはあまりにも似つかわしくない台詞だが、それはまさに事実だった。大禍の一族はその影響力が失われることなど、全く想定していない。むしろ、将来的にその力は一層増すと確信している。
ライリーやリリアナは知らなくとも、オルガやジルドはそのことを良く知っていた。
ライリーは「なるほどね」と呟く。
「皇帝や皇族に重用されているからと言うだけではなく、皇族にも劣らぬ力があるから、何も恐れるものはないと言うことか」
「仰るとおりです。原始の呪術を使える彼らにとって、皇族は──たとえそれが皇帝カルヴィン・ゲイン・ユナカイティスであろうと、恐れるに足りぬ人物なのです」
ユナティアン皇国に住まう人物であれば、それは酷く恐ろしい事実であったに違いない。だが、この場にいる者は皆、スリべグランディア王国の高位貴族であり、彼らに使える優秀な臣下たちばかりだった。真剣な表情だったり苦り切った表情だったりと様々だが、心底恐怖した様子はない。
そして、その筆頭であるリリアナは、オルガが口にした事実よりも別のことが気になっていた。
「大禍の一族が恐れるに足る、そして一筋縄ではいかない隠した武器を持っている組織だということは良くわかりました。それでも、まだ貴方には何か言いたいことがありそうですね、オルガ」
長年、オルガと付き合いのあるリリアナだからこそ分かることだ。そして、リリアナよりもオルガとの付き合いが長いジルドは、笑いを噛み殺したような表情で成り行きを見守っていた。
オルガは全員分の視線を受けて、肩を竦める。
「一応、これでも連中の恐ろしさをお話したつもりだったのですが──足りませんでしたね。ですが、事実と違うことを言うわけにもいきません。一族は自らを史上最強の力を隠し持つ集団だと自認していますが、奴らが使える原始の呪術は非常に、限定的です」
「限定的? というと?」
鋭くクライドが尋ねた。それに対するオルガの回答は、酷くあっさりしたものだった。
「隷属の術に似た呪術。それから、あと幾つかだけ。一族が使える原始の呪術はほんの数個ほどで、その上、行使するためには様々な制約が課せられるため、簡単には使えないのです」
「つまり、実用的ではないということか」
クライドは納得する。刺客となる配下を隷属させるための呪術は、落ち着いた場所で、時間をかけて実行できる。しかし、実戦で使うには、原始の呪術はどれも不適切だった。
だが、オルガの返答は意味深長だった。
「そうですね。一族の使い方をすれば、全く実践的ではないでしょう」
ぴくりとライリーの眉が動く。リリアナも、問うような目をオルガに向けた。ジルドは、皆の視線を避けてそっぽを向いている。
リリアナが、その場にいる皆を代表して尋ねた。
「一族の使い方をすれば──ということは、異なった使い方をすれば実用に耐え得るようになる、と言うことですの?」
オルガは薄く笑う。
「そうです。原始の呪術とは言いますが、遥か古代にその術は日常に根差していたのでしょう。今でも方法を誤らなければ、実戦にも活用できる術には違いありません」
リリアナとライリーは顔を見合わせた。オースティンとエミリアも、難しい表情で考え込んでいる。クライドもまた、眉間に皺を寄せていた。
つまり、大禍の一族が正しい方法を見つけてしまえば、彼らの力は一層強大になる。長年、彼らがその方法を発見し実用化していない理由は不明だが、そうなる前に対処しなければならないのは間違いない。これまでも見つけられなかったからといって、これから先も同様だとは限らなかった。
だが、オルガの考えは違うようだった。
「原始の呪術を使いこなすには、どうやら条件があるようです。特定の一族なのか、血縁を持つ者なのか、具体的には定かではありませんが──使いこなせる者はそれほど多くないのでしょう。仮に居たとしても、原始の呪術を使う機会に恵まれる者は普通いませんから、気づかずに生涯を終える可能性は高いに違いありません」
だが、大禍の一族が未だに原始の呪術を実用化していないことからも、彼らが条件に該当する人物を見つけられていないようだと、オルガは付け加えた。
一見したところ朗報に思えるが、部屋の重苦しい雰囲気は変わらない。オルガの発言は、裏を返せば、一族がその条件を把握しているということだった。
難しい表情のまま、ライリーはオルガの言う条件を尋ねる。
そこで初めて、オルガは言葉に詰まった。だが、ここまで打ち明けて今更引き返すことはできない。
オルガは諦めの吐息を口から漏らし、改めて腹を括った。
「恐れながら、他言無用にお願いいたします」
「無論だ」
即座にライリーは承諾する。
原始の呪術という強大な力を好き放題に使える人物。それを特定できる条件を他に漏らすことなど、決してあってはならない。それは、同席している全員が承知していることだった。
次の瞬間、オルガの周囲で小さな風が巻き起こる。それは、空気だけでなく魔力の渦でもあった。
「──!?」
一体何が起こったのかと、誰もが息を呑む。動じていないのは、オルガとジルドの二人だけだった。
目を疑う人々の前で、オルガの姿が変わっていた。厳密に言えば、変わったのは髪と瞳の色だけだ。だが、髪や瞳の色を魔術で変えることなど、普通はできることではない。それも、オルガはリリアナと会った時から変わらず、暗褐色の髪に黒い瞳だった。それは、魔術を使って戦う時から変わらない。
それにも拘らず、今リリアナたちの眼前に立つオルガの髪と瞳は、幻想的に輝く金色だった。金髪の人間は多いが、オルガのような色合いの者はいない。瞳にしてもそうだ。金と呼ばれる瞳の持ち主はいても、よくよく見れば黄色が多く、金そのものの輝きはない。
「──このように、金の髪に金の瞳を持つ者。そして、その色合いを術で常時、変更できるほどの魔力と能力を持つ者。私のような者が、原始の呪術を使いこなせると──そういうことのようです」
オルガの説明は淡々としていて、全くの他人事に聞こえる。しかし、それは間違うことなく、オルガ本人のことだった。
一同は愕然としている。表情の変わらないリリアナでさえ、何を言えば良いか迷っている様子だった。だが、ふとリリアナは一人だけ、全く動じていないどころか、面白がるような気配を漂わせている男に気がついた。
「ジルド。貴方は知っていたの?」
「俺かい?」
ジルドは片眉を上げる。にんまりと口角を上げると、人間より鋭い犬歯が覗いた。
楽しそうに、彼は続ける。
「まぁな。知ったのは偶然だが、一応、こいつとは付き合いも長いからよ」
オルガが望んで晒したわけではないらしい。
リリアナは納得した。だからこそ、ジルドはオルガと大禍の一族に因縁があると言ったのだろう。詳細は語られなくとも、オルガにとって良い思い出でないだろうことは想像が付く。ジルドがどのようなきっかけでオルガの秘密を知ったかは分からないが、それは今、問題ではなかった。
「そう」
ジルドは軽薄で適当なようでいて、口が硬い。だからこそ、オルガの信頼も得たのだろう。
あっさりとリリアナは一言で済ませたが、ジルドはどこか意外そうな表情になった。リリアナに問い詰められると思ったのかもしれない。だが、リリアナはそんなジルドには構わず、改めてオルガに向き直った。
「貴方の使う魔術は普通の術ではないと思っていたけれど、原始の呪術に関連しているのかしら」
以前、王都で開催された武闘大会で、オルガは次々と王立騎士団二番隊の魔導騎士を下した。その実力は衆目に晒され、ユナティアン皇国の宰相補佐ドルミル・バトラーでさえ勧誘するほどのものだった。当時からリリアナは、オルガの使う魔術が東方の古魔術に連なるものかと思っていたが、その正体は原始の呪術なのかもしれない。
そう思っての問いだったが、オルガは端的に「いえ」と首を振った。
「私の使う術は、紛れもなく東方の古魔術です。ただ、原始の呪術を実践できる魔力の質だからこそ、古魔術と親和性が高かったと言えるのかもしれません」
簡単にオルガは説明するが、東方の古魔術など、そう簡単に習得できるものではない。そもそも、術の形態すら今は定かでないのだ。戦火を逃れた数少ない資料から、推測するだけで精一杯である。
どこか釈然としない表情の一同だったが、オルガは小さく笑って見せるだけで、詳しく語ろうとはしなかった。オルガが東方の古魔術を知ったきっかけは、単なる偶然だった。だが、それは大禍の一族とは関係ない。今、それを教える必要もないだろうと、オルガは本筋に立ち戻ることにした。
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