7. 露わになる種子 4
おおよそ、リリアナが居ない間の情報共有は終わった。
その時、侍従が扉を叩く。マリアンヌが対応したが、マリアンヌは少し緊張した様子で、静かにリリアナとライリーに告げた。
「ジルドが戻ったようです」
「早いな」
ライリーが目を瞠る。ジルドが屋敷を経ったのは、昨日の早朝だった。馬を使えば王都まで数刻で到着するが、ジルドはすぐに戻って来られないかもしれないと言っていた。
何より、今回は大禍の一族に関することだ。ジルドが探す人物にすぐ会えたとしても、一族を誘き出すという依頼を簡単に引き受けて貰えるとは思えない。
大禍の一族を噂でしか知らないライリーたちにも、その難しさは容易に想像がつく。
「報告を聞きたい。通してくれ」
「承知いたしました」
マリアンヌは頷いて、扉の外に控えていた侍従に指示を出す。それほど時を置かず、ジルドがやって来た。
ジルドは、室内にリリアナが居るのを見て少し驚く。だが、それは誘拐されたはずのリリアナが居ることへの驚愕ではなかった。
「もう戻って来たのかよ。さすが、早ぇな」
壁際に控えていたマリアンヌの表情が険しくなる。リリアナが王太子妃となる前から、マリアンヌはジルドの言動によく柳眉を逆立てていた。ジルドの態度があまりにも不遜だというのだ。だが、ジルドは全くマリアンヌの苦言を意に介さない。それが、マリアンヌの怒りを更に煽るのだが、ジルドはそれすらも楽しんでいる雰囲気があった。
随分とジルドの態度に慣れたライリーも、これには呆れを隠せない。思わず、苦言を呈するような口調になった。
「無事に戻って来ると、知っていたと言わんばかりだね」
「知りはしねえがよ。あんたも、そう思ってたんじゃねえのか、王太子さんよ」
王侯貴族を毛嫌いしていたジルドも、この場に居る面々には多少慣れた。そのため、他人が居ない場では不敬に問われても仕方のない口調で言い返すこともある。
クライドは未だに苦虫を嚙み潰したような顔だが、オースティンは面白がるような表情で、ライリーは全く気にした素振りもない。それでも、ライリーは肩を竦めて小さく首を振った。
「サーシャなら、多少の難局でも切り抜けられるという信頼はあるけれどね。それと、心配するということは別の話だ」
「そりゃあ、あんたが嬢ちゃんをそういう意味で見てるからだろ。俺とは違ぇ」
そういう意味で、がどういう意味でなのか、ジルドは敢えて言わなかった。言わずとも分かるだろうと言わんばかりだ。
ライリーは一瞬渋い表情になるが、すぐに気を取り直して平然とした態度を取り繕う。ジルドが面白そうにそんなライリーを眺めているが、ライリーは軽く咳払いして本題に入った。
「それで、どうだった?」
「あ? ああ、引き受けては貰えたぜ。とはいえ、俺が繋ぎを付けた奴が直接、大禍の一族を誘き出せるわけじゃねえ。できそうな奴に連絡を取ってくれるだけだから、それまでは俺らにできることはねえ」
「つまり、一族を誘き出すことはもう止められないということかな?」
「いや──」
ジルドは少し考えて首を振った。
テンレックは、ヴェルクの商人に依頼するとは言っていなかった。彼がすることは、ヴェルクの商人とジルドを繋ぐことだけだ。
「連中を誘い出せる奴がヴェルクに居るっていうんで、そいつと俺が連絡を取れるように手筈を整えてくれるってだけだ。だから、その時に俺がなかったことにしてくれって言えば、話はそこで終わるはずだぜ」
あっさりと答えて、ジルドは改めてリリアナを見る。
大禍の一族を炙り出す一番の目的は、リリアナを助け出すことだった。だが、そのリリアナは既に自力で生還している。つまり、影に隠れた大禍の一族を引きずり出す必要はないということだ。
「止めるか?」
ジルドは再びライリーに顔を向けて尋ねた。しかし、ライリーは答えない。青い目を伏せて考え込んでいる。
その様子を、誰もが固唾を飲んで見守っていた。ただ、リリアナだけは穏やかな表情だ。
やがて、ライリーは「いや」と首を振って顔を上げた。真っ直ぐにジルドを見る。
「することは変わらない。そのまま一族を誘き出す手筈は整えてくれ」
それに答えたのは、ジルドではなくオースティンだった。真剣な表情だ。
「何か、考えがあるんだな?」
「ああ」
ライリーは言葉少なに答える。
リリアナが戻って来た以上、彼女を取り戻すために大禍の一族を釣り上げる必要はない。だが、それ以外にも大禍の一族を誘き出す利点がある。それは、スリベグランディア王国の存続に必要な、しかし現状を大きく変えることになる一手だった。
クライドもオースティンも、もちろんジルドも、ライリーが何を考えているのか読み解くことはできなかった。ただ、リリアナだけが全てを理解したような顔で頷いている。
全員の顔を見渡して、ライリーは笑みを浮かべた。
「サーシャは、私が何を考えているのか分かったみたいだね」
「あくまでも推測にすぎませんわ」
リリアナは控えめに訂正する。しかし、推測であっても、リリアナの考えはライリーとほとんど変わらない。その確信が、ライリーにもリリアナにもあった。
ライリーは優しく微笑む。
「構わないよ。言ってみて」
促されたものの、リリアナは小首を傾げた。だが、それほど逡巡はしない。
控えめながらも理路整然と、リリアナは思い浮かべたことを説明した。
「ユナティアン皇国の軍事力は絶大です。しかしながら、その強さの一翼を、大禍の一族が担っていることは否めません。特にその勢力と影響力は年々大きくなっていると言えるでしょう。彼の国がスリベグランディア王国の侵略を企んでいる危険が高い以上、その翼は切り落とすべきです」
我が意を得たりと、ライリーは笑みを深める。
「さすが、サーシャだ。その通り。一族を壊滅に追い込むだけでも、ユナティアン皇国の戦力は大幅に削減できるだろう」
大陸で最恐と呼ばれる暗殺一族が居なくなれば、あとは純粋に軍事力のぶつかり合いだ。
当然、純粋な軍事力だけで考えてもユナティアン皇国は強敵である。スリベグランディア王国の王立騎士団と二大辺境伯が有する騎士団だけでは、到底太刀打ちできない。だが、大禍の一族が居なければ勝率は上がる。
「これまで隣国とは友好関係を築こうとして来たけれど、ローランド殿以外は我が国に敵愾心しかないようだからね。ローランド殿が皇位を得るより、スリベグランディア王国が攻め込まれる方が早いだろう」
もちろん、大禍の一族の手で連れ去られたリリアナがコンラート・ヘルツベルク大公と遭遇したことも、ライリーが決意した理由に違いない。ライリー自身、身分は知られていないものの、ヘルツベルク大公には追い掛け回された過去がある。だからこそ、彼の口調は真に迫っていた。
リリアナがスリベグランディア王国の王太子妃であること、そしてかつて大公を下した少年ラースが王太子であることが知られたら、大公は目の色を変えてスリベグランディア王国に侵攻して来るに違いない。彼にとって強さは掛け替えのない宝であり、それを手にするためならば手段は問わない決意があった。
「分かった」
ジルドは即座に頷く。彼一人であれば決して手を出さない領域だが、ライリーだけでなくリリアナも同じ考えなのであれば、拒否する理由はない。
壁際に控えるオルガを横目で一瞥し、ジルドは意味深に口角を上げた。楽しむような表情に気が付いたのはオルガだけだ。オルガはわずかに眉根を寄せただけで、口を開かない。
「それなら俺は仕事を進めるぜ。一旦、嬢ちゃんたちは王宮に戻るんだろ?」
「ああ、そのつもりだ」
一つ頷いてライリーが答える。そして、彼はすっと目を細めた。
「一族を誘き出すといっても、具体的なことは何も分からない。ただ、誘き出した後にこちらが被害を受けることは避けなければならない。迎え撃ち、理想は一網打尽にすることだ。とはいえ、誘き出した一族は末端の者だろう。本来であれば頭を叩くのが定石だが──」
自分の脳内を整理するようにそう言って、ライリーは顔をジルドとオルガに向けた。
「なにか良い案はないかな?」
ジルドは肩を竦めると、首を振る。傭兵稼業に身を窶して来た彼だからこそ、大禍の一族はもちろん、裏家業の人間には必要以上に関わっては来なかった。
「俺に聞かれてもな。俺が知ってるのは、どうやってか知らねえが、連中に繋ぎを付けられる相手がいるってことだけだ」
「オルガ、君は?」
ライリーに尋ねられたオルガは、逡巡する。しかし、彼女は誤魔化す気はなかった。ただ、どう説明するべきか悩んでいただけだ。
「単なる敵と見做せば、奴らは手下を放ちます。しかしながら、彼らが極秘にしている情報を掴んでいる、もしくは命運を握っていると思われたら、間違いなく本丸を出して来るでしょう」
「極秘情報?」
当然、その正体を露わにしない大禍の一族も、自分たちの存在を脅かすかもしれない相手と思えば落ち着いてはいられないだろう。だが、そのような情報が表に出て来ることはまずあり得ない。秘密主義の一族が、秘密を握る人物を簡単に野放しにするはずもない。
誰もが驚いたが、オルガはもちろんのこと、ジルドは全く動じていなかった。リリアナも予想外ではあったが、落ち着いてオルガの発言を待っている。
オルガは、不思議に光る双眸を、そっとライリーからリリアナに移した。瞬きすらせず、彼女は意を決したように口を開く。
「なぜ、大禍の一族が原始の呪術を使っているのか。それが、全ての謎を解明する鍵となります。詳細は申し上げられません。ただ、私を信じていただきたいという他ないのですが──」
どこか緊張した面持ちで、オルガは言った。
リリアナはライリーの発言を遮るようにして、静かに問う。
「話せる範囲で構いません。打ち明けられる限りにおいて話してください。ただ、もし叶うのなら──」
小さく首を傾げて、リリアナは続けた。
オルガは、リリアナの前世にあった乙女ゲームにも出ていない。恐らく、乙女ゲームが始まるより早く、魔物襲撃に巻き込まれてその命を落とした。だから、オルガがどのような因果で大禍の一族と繋がりを持つに至ったか、リリアナも全く知らなかった。
「貴方がなぜ、そのようなことを知るに至ったのかも」
小さく息を吐いて、オルガは頷く。もう過去から逃げる気はないと、その表情は決意に満ちていた。
「承知いたしました」
少し長くなりますが、とオルガは前置きをする。構わないと、リリアナとライリーは頷いた。
[1] 57-2, 57-3