7. 露わになる種子 2
──現在、禁呪に指定されている隷属の呪術ですら、生温い。それが、原始の呪術。
オルガの説明は、その場に居た者全てに衝撃を与えた。例外は、呪術に詳しくないマリアンヌだけだ。
本来は呪術に触れる機会がなかったエミリアも、王太子妃付きの近衛騎士になるに当たり、簡単ではあるが呪術の解説を受けている。だからこそ、彼女もまた、事の深刻さを悟っていた。気丈にしているが、顔色は悪い。
深刻な沈黙を打ち破ったのは、いち早く立ち直ったリリアナだった。
現在の魔術理論では、術の効果が高いほど必要とされる魔力量が多くなる。呪術は本来、魔力を必要としない。だが、スリベグランディア王国やユナティアン皇国で用いられている呪術は魔術と組み合わせたものだ。
原始の呪術が魔力を利用しているのか、していないのか──それが、一番の問題だった。
「原始の呪術は魔力を使うのでしょうか。呪術理論に則れば、一定以上の効力を期待するためには相応の犠牲か、もしくは相当な魔力が必要になると思うのですけれど」
もし術の行使に魔力が必要であれば、一族は刺客を無尽蔵に増やすことはできない。だが、魔力が不要であれば、彼らはいくらでも配下を増やすことができるのだ。
オルガが視線をリリアナに向ける。彼女は小さく微笑んだ。滅多に表情から感情を読み取らせないオルガだが、リリアナの質問が微笑ましいとでも言いたげだった。
「仰る通りです。ただし、原始の呪術に術者の魔力は必要ないと言われているそうです。私も聞き齧った話ですので、どこまで正しいかは分かりかねますが──原始の呪術では、効力を高めるためにその手法を秘し、独特の呪言と呪具を使うとか」
極限まで神秘性を高め、秘匿する。それが、原始の呪術の手法だ。
リリアナは自身の記憶を探った。前世の乙女ゲームの二作目に、大禍の一族は出て来た。だが、原始の呪術という単語が出て来た覚えはない。仮に出て来ていたとしても、一度か二度程度で、リリアナの記憶に残るようなものではなかったのだろう。
「そういうことでしたら、その術を行使する対象と範囲に制限がない可能性もあるということですね」
オルガは頷いてリリアナの仮説を肯定する。
二人の会話を聞いて立ち直ったライリーやオースティン、クライドは、それでもあまり顔色が戻ったとは言えなかった。
大禍の一族は大陸最恐の暗殺一族と名高い。ユナティアン皇国はもちろん、スリベグランディア王国でも暗躍している。顧客は当然、皇国貴族だけでなく王国貴族も居ると考えられるが、彼らはそもそも、ユナティアン皇国のユナカイティス皇家の手足だともされている。その噂が本当で、オルガの説明が事実なら、原始の呪術はユナカイティス皇家が独占しているということだった。
ライリーは難しい表情で、低く呟く。
「これまでは見過ごしていたけれど──大禍の一族に対しては、本格的に対策を講じないといけなさそうだね」
「ああ。ユナティアン皇国の後継者争いが落ち着いて、ローランド皇子殿下が万が一にでも敗れたら、連中は一族を使ってスリベグランディア王国を内部から切り崩しに掛かってきかねない」
オースティンも深刻な表情で同意した。それは、悪夢のような予想だった。
ユナティアン皇国の大半と違って、スリベグランディア王国の貴族の多くはユナティアン皇国を支配したいと考えてはいない。だが、自分たちが襲われ蹂躙される可能性があるのであれば、身を守るための手段を講じる。そこに迷いはなかった。
ただ、今は大禍の一族への対応策を話し合うことが本旨ではない。ライリーは顔を上げると、「まあ、そういうことで」と話を纏めに掛かった。
「サーシャを連れ去ったのが大禍の一族だということが分かった。破魔の剣であれば、貴方の居場所がある程度突き止められるかもしれないと考えたんだけど、ユナティアン皇国内に居るようだということだけが分かって、あとは力が弾かれたんだ。だから、一族を誘き出した方が良いのではないかという話になって──」
「ジルドが、どこかに話を付けに行きました」
ライリーがオルガを振り仰げば、オルガは後を引き取る。再びリリアナに向き合って、ライリーは「そういうことだ」と肩を竦めた。
リリアナは小首を傾げる。大禍の一族に依頼をしたい者であっても、必ず一族の者と連絡が取れるとは限らない。それが、一族の掟だったはずだ。それにも拘わらず、オルガとジルドは大禍の一族を誘き出せると信じて疑っていないようだった。
(乙女ゲームでも、一族を誘き出すような手順はなかったように思うのですけれど──現実は違うということでしょうか)
内心で、リリアナはそう納得する。前世の乙女ゲーム二作目で、主人公は一族とは何ら関係のない少女だった。攻略対象者の中に関係者は居たが──ということまで考えて、リリアナははたと思い至る。
ジルドが、その攻略対象者と知り合いである可能性、もしくは共通の知人が居る可能性はあった。リリアナの護衛を務める前のジルドは傭兵だった。多少なりとも裏社会と繋がりはあるはずで、その中に一族へと辿り着く線があってもおかしな話ではない。
「元はサーシャを見つけるために頼んだことだったけれど、ここまで来たら、大禍の一族対策の一歩目に使っても良いかもしれないね」
ライリーは不敵に笑った。その双眸は施政者に相応しく、強い光を放っている。
リリアナは小さく笑みを零した。
ゼンフの町が全焼したことは、一族の争いが関係している。だから、乙女ゲーム二作目の主人公は、自分の命の恩人である魔道具屋の主人が殺された時、敵を取ろうと心に決め旅に出るのだ。敵が大禍の一族であることは知らないが、結果的に、彼女は一族の争いに巻き込まれていく。
(ウィルがそう決めたということは、否が応でも、わたくしたちもその流れに乗ることになりますわね。ある意味、僥倖でしたわ。シディの行方も見つけやすくなるでしょうし──それに)
本来は主人公になるはずだったビエラは、乙女ゲームと違って旅には出ない。彼女の命の恩人は魔道具屋の主人で、男だった。だが、今の魔道具屋の主人はビエラ本人だ。ゼンフ神殿の長官も、乙女ゲームでは男だったが、現実では女だ。その点も乙女ゲームとは違う。
(乙女ゲームでは大禍の一族の最後は描かれていませんでしたけれど、大幅に縮小したか殲滅されたか、と考えるのが妥当でしょうし──現実でもそろそろ、引導を渡した方が宜しいでしょう)
そして、もし今回の機会を上手く利用できたとすれば、後継者争いに揺れるユナティアン皇国を安定させ、スリベグランディア王国との和平を実現できるかもしれない。
形の良い頭の中で、隣国の政治に介入するなどと物騒なことをリリアナが考えているとも知らず、ライリーは改めて質問を口にした。
「こちらの状況は、こんな感じだよ。それで、サーシャの方はどうだった?」
リリアナは少し考える。全てを詳らかにする気はないが、伝えなければならないこともある。特に、ユナティアン皇国で耳にしたコンラート・ヘルツベルク大公と何者かの会話は、政治的にも重要な事柄である可能性が高い。
ゆっくりと、リリアナは口を開いた。









