12. 魔物の正体 2
リリアナは体内で練り上げた魔術を、詠唱と共に外界へ反映させる。
(【鎌風】)
心中で詠唱した瞬間、魔物たちの周囲に疾風が起こる。鋭い爪を持つ風は、リリアナたちに牙を剥く魔物の体を容赦なく切り裂いていく。
「うっわ、エゲつな……」
ペトラが呆然と呟く。リリアナの放った風魔術は一切の躊躇も容赦もなかった。最強の剣士が一太刀で魔物を斬り伏せていく様に似ていた。しかも、それを全方位に対し同時に行っている。
攻撃魔術を使う時、敵の位置と動きが分かっていなければ攻撃を当てることはできない。即ち、視界に入っていない敵や気配の感じられない敵を倒すことはできない。魔物たちは瘴気を纏っている。気配を感じ取ることはできても、個体ごとに居場所を特定することはできない。
それを難なく行っているリリアナは、つまり全方位に対して魔力感知を働かせながら攻撃を仕掛けているということだった。言い換えれば、視界が三六〇度ある状態で彼女は数十ある己の武器を無意識かつ反射的に振るっている。並大抵の精神力で成せることではないし、魔力量も膨大に必要だ。反射神経も超人的である。
無意識に、ペトラは冷や汗を拭っていた。
――最高位の光魔術で魔物を屠った時も驚いたが、今のペトラはそれ以上に衝撃を受けていた。
魔物襲撃の時にリリアナが使った技は、魔力と精神力と体力が必要とされる高度な技だ。だが、技の精密性は必要ない。一方、今リリアナが駆使している風魔術は違う。最高位の光魔術の時ほどの魔力は不要だが、精神力と集中力、それを補う体力が必要だ。これは、ある程度努力で高めることができる。
だが、天性の戦闘能力――こればかりは努力で手に入れられるものではない。
魔物たちは咆哮し、口角から泡を零す。しかしその中でも体力のある魔物は魔力の根源であるリリアナに突進する。姿は見えなくとも、魔力の大元がどこにいるのかは分かるらしい。
だが、そこにリリアナは居なかった。
(【旋風】)
リリアナの魔力が凝縮された空間に突っ込んだ六体の魔物の体が縦に引き延ばされ、千々に引き千切られる。局地的に出現する竜巻を模した風魔術は、魔物が肉片になった瞬間に解除される。
鎌風と旋風は至る所で魔物を屠る。
三十近く居た魔物は、リリアナの手によりほんの数分で物言わぬ骸となった。
(【浄化】)
最後は光魔術で瘴気を浄化すれば完了である。以前にリリアナが使った最高位の光魔術とは異なり、“浄化”では魔物の肉体までは消滅しない。
あっという間の所業に、ペトラはともかくもタニアは愕然と目を瞠っていた。その顔は蒼白になっている。六歳の少女にしては、気絶していないだけ立派だ。
「なんていうか……さすがだねぇ」
呆れたようなペトラの声が、戻った静寂の中に落ちた。そして安全を確認したのか、ペトラとタニアの周囲を覆っていた結界を解除する。リリアナは姿を消したまま、念話でペトラに尋ねた。
『それにしても、何故このような時間帯にこの場所にいらしたのです?』
「あたしは昨日ここで魔物が出たって報告聞いたから、実地調査に来たんだけど」
ペトラは自分の腰にしがみつくタニアをちらりと見下ろす。その顔は少し困った様子だった。リリアナの声が聞こえないタニアは不思議そうに首を傾げている。ペトラは少し考えて、「ねえ、あんた何でここに来たの?」とタニアに尋ねた。
「あの――タニアね、魔術のお勉強を始めたのよ」
「うん、それは知ってる」
勝気な目を煌めかせてタニアは自慢げに告げた。だが、魔術の勉強を始めたことが夕方の森に居る理由にはならない。先を促すようにタニアを見下ろすペトラは、タニアに「それで?」と先を促した。タニアは不服そうに頬を膨らませる。
「わからないの? タニア、魔術のお勉強を始めたの。今日の授業で、先生は強くなる方法を教えてくださったわ。サフラワーとジュニパー、それからバードックが要ると教えてくださったの」
それで分かるでしょう、とでも言いたげだが、やはり分からない。ペトラが眉間に皺を寄せているのを見て、タニアはイラっとしたように声を荒げた。癇癪一歩手前だ。
「だから! タニアはその草を取りにきたのよ」
「こんな夜中に?」
「――――だって」
タニアはぷくりと膨れた。その様子を見てリリアナは察する。恐らく、教師は強くなる方法をタニアに教えた。だが、魔力の増強は精神も体も成長過程にあるタニアには勧められない。魔力を増やすという行為も勿論、服用する草自体も大量に摂取して良いものではないとされていると書物には記されていた。
(サフラワーは血流促進、ジュニパーとバードックは利尿作用と浄血作用があると読んだ記憶がございますわね)
リリアナは前世の知識を引っ張り出す。恐らく、体内の魔力をスムーズに循環させることを目的としているのだろう。だが、ジュニパーは腎臓に作用するとされている。腎臓は年を経るにつれて機能が低下する上に、過度な負担が掛かれば早々に腎機能障害に陥りかねない。そうなると尿毒症や心不全を発症し、最悪の場合は死に至る。
ハーブティーやアロマとして使えば問題はないかもしれないが、魔術で効果を最大限に引き出した場合の体への悪影響は計り知れない。この世界には人工透析もないし、恐らく経験則から注意喚起されているのだろう。
恐らくリリアナと同じ結論に至ったらしいペトラは、呆れた表情を隠さなかった。
「あんた、そういうことやってると死ぬよ」
「で、でも――!」
「でも、じゃない。ベンには報告する。あんたには魔術の家庭教師は早かったって」
「なんでっ! ペ、ペトラなんて、タニアのお姉ちゃんじゃないのに!」
ペトラの言葉にタニアは泣きそうになる。とうとう癇癪を起すが、魔物に襲われたことが怖かったのか、ペトラにくっついて離れない。ペトラはうんざりと空を仰いだ。小さく舌打ちを漏らすが、タニアの耳には幸か不幸か届かなかったようだ。
リリアナは二人の様子を見ていたが、このままでは埒が明かないとペトラに提案する。
『もし差支えなければ、そのお嬢様を転移でお送りしてはいかがでしょう?』
「――お嬢様って……」
呆れたような声がペトラの喉から漏れる。“お嬢様”とリリアナはタニアを呼ぶが、年齢は一歳しか違わない。ほとんど同い年じゃん、と言いそうになるのを辛うじて堪えたようだ。
だが、リリアナの言葉に否やはなかった。
「そうだね、そうするよ。あたしが送り届けて来る。あんたはどうする?」
『わたくしは、ここで調査をしてから屋敷に戻りますわ。貴方は如何いたします? そのお嬢様を送り届けた後、こちらに戻られますか?』
ペトラは迷わなかった。すぐに頷く。
「ああ、うん。そうするよ」
『承知いたしました。でしたら、お待ち申し上げておりますわ』
「よろしく」
ペトラがタニアと共に転移したのを見送り、リリアナは姿を消す術を消して近辺を調査することにした。
魔物は瘴気から発生する。瘴気がどこから発生するのかは明らかになっていないが、現在有力な説は空中に目に見えない程度で拡散している瘴気の元が一ヵ所に集まることで高濃度になり、瘴気として認識できるようになるのではないか――ということだった。
(ただ、それですと一つ疑問が残りますのよね)
リリアナは一人内心で呟く。瘴気で魔物が形作られるのか、それとも動物が瘴気に中てられることで魔物となるのか――その点は現時点でも明らかにされていない。
「今回の魔物は知能が高そうでしたわ。もし動物が瘴気に中てられることで魔物となるのでしたら、知能が高いとされている動物が今回は犠牲になったと考えることができますわね」
知能が高いといっても定義が不明確だが、この場合は理論的に物事を考える能力が高いとするのが妥当だろう。となれば、体重に対して脳の重量が大きいことが一つの指標となる。人間はもちろん、象やイルカ、ゴリラ、カラス、狼、蝙蝠もその定義で言えば知能が高い。一方、ライオンや鼠、モグラは体重に比較して脳の重量は軽い。
確か、プローフェンの森には狼だけでなくカラスや狼も生息していたはずだ。
「【魔術探知】」
最初に、リリアナは近辺に魔術や呪術の名残がないかを調べることにした。本来は魔力を用いた術だけを探知する魔術だが、術式に変更を加えることで魔力を使った呪術にも反応するように改良してある。無詠唱でも魔術は使えるが、詠唱すれば魔力の消費量が減るとリリアナは学んだ。魔力を術式で魔術に変換し、魔力が足りない分を補うために詠唱を用いる――それが基本だ。だが、その基本は魔術書の中でも専門性の高い書物にしか記載されていない。
リリアナが前世の知識を元に行使する魔術は、術式が簡素化されており必要な魔力量が極限まで抑え込まれているものが多かった。その上、リリアナ自身の魔力量が膨大であるため、一般的に詠唱が必要とされる魔術でも無詠唱で使える。ただ問題は、リリアナ以外は“前世の知識”を理解できないため、そもそも術式を理解できない。そのため、一般にリリアナの魔術を使えるようにするためには、ペトラやベンがリリアナの魔術を見て“理解できる術式”に変換する作業が必要だった。
(そうそう上手くは行きませんわね。魔物を生み出す術は見当たりませんわ)
小さく溜息を吐いて、リリアナは「【収集】」と唱える。すると、切り捨てられたり引きちぎられた魔物たちの欠片が足元に集まって来た。念のため残骸の周囲に結界を張り、再び魔力を集中させる。
「【構築】」
イメージは粒子レベルでの立体パズルだ。遺伝子配列が同じ物質を同一グループと定め、その中でも更に同一魔力を纏っている粒子があれば下位グループとして分類していく。遺伝子配列だけでなく、細胞や組織の構造から推測し、魔物の姿を再現する。
本来、このような術は何人たりとも行えない。行えるのは魔族の長である魔王のみだ。魔力量は勿論のこと、その術式は禁術とされ研究すらされていない。
だが、不可能を可能に変えるのがリリアナだった。リリアナが行っているのは禁忌とされる不老不死や死者の蘇生ではない。残った欠片から本来の姿を再現させる、いうなれば化石から太古の生物を復元する作業の更に細かいパターンだ。
勿論、誰にでも行えることではない。特に今回のように三十近い魔物の死骸を選り分けて復元するなど狂気の沙汰だ。だが、リリアナは躊躇わずに術を行使する。
「不明な場所は致し方ありませんから、分かる範囲で復元してみましょう」
そうすれば何か分かるかもしれない。魔物と戦っている最中は、瘴気が邪魔で魔物のおおよその形しか認識できないのだ。
数分でリリアナは魔物の復元を終える。勿論、元に戻されたのは外観のみであって彼らが再び動き始めることはない。念のために結界を張って警戒していたが、心配は懸念に過ぎなかった。リリアナはほっと安堵の息を吐く。
「狼のような姿形の魔物が多いですわね。他にはカラスと鷹、それから――まあ、ウサギも」
一つ一つ魔物を確認していたリリアナは、空気が揺れるのを感じて一瞬警戒する。だが、すぐに良く知る魔力を感じて警戒を解いた。
「お早いお戻りですわね」
穏やかに、姿を現したペトラににっこりと微笑みかける。
姿を現したペトラはリリアナと復元された魔物の姿を交互に見て、その優秀な頭脳を最大速度で回転させ――そして事態を把握した。
「――――あんた、人間やめたの?」
げんなりとした顔で零れた言葉が、静けさの戻った森に響いた。