5. 嘆きの丘 6
相性が良すぎるが故に魔術が暴走する、という話は、リリアナには初耳だった。
これまで数多くの魔術書や呪術書を読んで来たが、そのような記述はどこにもない。もちろん、天才魔導士の名を恣にしているベン・ドラコや、呪術の申し子であるペトラ・ミューリュライネンと話している時も、周囲の環境によって魔力量が増えたり魔術が暴走したりする話は一切出ていない。
だが、アジュライトにとっては自明のことのようだ。
なんだ知らなかったのか、とでも言いたげに黒獅子は鼻を鳴らし、短く説明を付け加えた。
『あの場所――ユナティアン皇国の宮殿の中ではとりわけ、宝物庫に近い場所だな。そこだけじゃないぞ。嘆きの丘、と人間は呼ぶが、そこもだ。原始に近い魔力に満ちた場所は、我ら魔族にとても相性が良い。身の内に持つ魔力に周囲の魔力が呼応し、強大な力を生み出せる』
そのことを自覚し、魔力の使い方を覚えれば、今回のリリアナのように魔術の制御が失われるようなことも起こらないだろう。だが、リリアナはそもそもその前提知識がなかった。戸惑うまま魔力ならぬ魔術の暴走に翻弄される他なかったのだ。
とはいえ、理由が分かればあとは対処法を学ぶだけだ。リリアナは少し考えてから疑問を口にした。
「──以前、わたくしの魔力が異様に増えた時、貴方が魔力量を制御する方法を教えてくれましたわね」
『そんなこともあったな』
アジュライトは小さく笑う。リリアナにとっては随分と昔の話だが、人とは異なる時間を生きるアジュライトにとっては、つい先日のことなのだろう。
当時、リリアナの父親が施した禁術の影響で、リリアナの魔力は異常な速度と量で増えていた。魔力暴走の危険も高く、ベン・ドラコが作った魔道具でも排出しきれないほどだった。
そこで、見かねたアジュライトが魔力の制御方法を教えてくれたのだ。お陰で、今のリリアナには先天的に授かった風の魔力と後天的に得た闇の魔力が大量にある。
『完全に同じではないが、理論は同じだ。外にある魔力を自らの魔力のように扱えば良い』
「一時的に、外部魔力を体内に取り込むということでしょうか?」
『俺たちはそれが可能だが、お前は人間だからな。体内に取り込むのは止めた方が良いだろう』
リリアナの提案を聞いたアジュライトは静かに首を振った。
確かにリリアナは普通の人間と比べると、魔力量を受容できるだけの肉体と精神を持っている。魔力制御の力も魔術の能力も、魔族であるアジュライトですら感嘆することがあるほどだ。
だが、それでもなお、新たな魔力を体内に取り入れることは避けるべきだった。魔力制御ができなくなるだけでなく、そもそも魔力を受け入れる器である肉体と精神が耐えきれなくなることも十分にあり得る。
アジュライトは敢えて正解を口にしなかったが、リリアナの聡明な頭脳はあっさりともう一つの解答に辿り着いた。
「それでは、体内に取り込むことはせずに、魔術を紡ぐ際に周囲を漂う魔力を取り入れるようにすれば宜しいのね」
黒獅子は答えない。だが、満足そうな表情を浮かべる。リリアナが正解を引き当てたのは間違いなかった。
それでも、普通に考えれば荒唐無稽にも程がある。外部の魔力を魔術に取り入れる方法など、どの魔導書にも書いていなかった。仮説は立てられても、実行できるかとなると話は別だ。
普通ならば諦めるところだが、リリアナには勝算があった。
彼女の趣味は魔道具の開発だ。魔道具は術者の、すなわち魔道具の外部にある魔力を活用してその効能を発揮するものだ。
リリアナ自身を魔道具と考えれば、理論上は不可能とも言い切れない。精査する必要はあるものの、賭ける価値はあるだろう。
「あなた方は、周囲の魔力を体内に取り込んで術を使うことは良くありますの?」
『そんなには多くないな』
黒獅子は否定した。
そもそも魔族であるアジュライトは体内に含有する魔力量がかなり多い。魔王レピドライトと比べたら少ないのだろうが、彼が本気で戦えば、ほとんどの人間や魔族に勝てるに違いない。その彼が、周囲の魔力を利用せねばならぬ事態は滅多に起こらないはずだった。
「そんなには、ということは、何度かはありますのね」
『長く生きていればな。そういうこともある』
何を思い出したか、アジュライトは複雑な表情を浮かべた。獅子の形を取りながらも、彼の表情は豊かだ。
その様子を眺めながら、リリアナは小首を傾げる。
アジュライトに関する情報は、それほど多くない。前世の乙女ゲーム二作目には”大禍の一族”が出て来たし、一族の一人でもあるオブシディアンも攻略対象者として出番が多かったが、魔族は過去のものとして描かれていた。
しかし、一作目の情報や、これまでに現実でリリアナが得て来た情報を照らし合わせれば、いくつかの過去は想像できる。
魔王レピドライトが三傑に倒された時、魔族もその大半が死に、もしくは封じられた。
アジュライトが外部の魔力を使わざるを得なかった機会といえば、その頃くらいのものだろう。
その時、アジュライトの耳がぴくりと動いた。そして、何の前触れもなしに姿が消える。
突然の出来事に、リリアナは目を瞠った。その耳に、扉が開かれる音が響く。リリアナが居るにも拘わらず、入室の許可を得ずに人が入って来ることなどあり得ない。つまり、訪問者は──屋敷に残していた使用人の可能性が高いが──今、ここにリリアナが居ることを知らない可能性が高かった。
[1] 30-10









