81. 戦地での巡り逢い 1
リリアナがジルドたちの元から去った後、向かったのは王国軍の本隊が陣を張っている場所だった。
ジルドに言った通り、リリアナは負けるつもりはない。だからこそ、騎士たちが死闘を演じている真っ只中に自ら飛び込むつもりは更々なかった。
恐らくリリアナの防御結界の水準を考えればかすり傷一つ負うことはないだろうという自負はある。しかし、魔術の影響を受けないアルヴァルディの子孫たちが皇国軍に従事している点だけが、リリアナにとっては不利な点だった。こちらから攻撃を仕掛けるのであれば優位に立てるだろうが、奇襲を仕掛けられてしまえば一巻の終わりである。
あっさりと転移の術を成功させたリリアナは、周囲を見回す。背後に控えていたオルガもまた周囲を観察し、一言感想を述べた。
「どうやら本陣のようですね」
周囲には天幕が張られていて、一際立派な天幕もある。恐らくそこにケニス辺境伯も居るのだろう。ケニス辺境伯が刺客に襲われてからというもの、実戦に出ていないことはリリアナも知っている。
「一旦、ご挨拶が必要かしらね」
リリアナは一言呟くと、一番目立つ天幕に向かった。当然のように、オルガもついていく。
天幕に近づいて行くと、人の声や馬の蹄の音が耳についた。どうやら出陣していた騎士や兵士たちが戻って来たらしい。
転移する直前、転移先にどの程度人間がいるか確認はしたものの、さすがのリリアナも未来を見通す力はない。そのため、一旦騎士たちが引きあげて来るとは思ってもいなかった。
さてどうしようかと、リリアナは足を止める。本来であればこっそり辺境伯にだけ顔を見せ、その後単独行動を――とはいってもオルガも居るが――取るつもりだった。
しかし、これだけの騎士がいれば、必然的にリリアナの存在は広く知れてしまうだろう。それが嫌だというわけではないが、これまでもどちらかと言えば人目に付かないよう行動して来たリリアナだ。本能的に、避けた方が無難ではないかと思ってしまう。
「お嬢様?」
突然その場に立ち止まったリリアナを、オルガが胡乱な目で見やった。一体どうしたのかと視線で問うている。すぐに答えられないリリアナは、その場で考え込んでいた。
だが、それも短い時間のことだった。
「サーシャ?」
馬を従者に預けて汗を流すために歩いて来た人影が、リリアナの名を呼ぶ。驚きに染まったその声に、リリアナは弾かれるようにして顔を上げた。
懐かしい、声だ。
懐かしい、顔だった。
「――――ウィル、」
勿論、リリアナもライリーがこの場に来ていることは知っていた。ベン・ドラコたちからその話を聞いたからこそ、すぐにでも駆け付けねばならないと思い定めたのだ。
だが、リリアナの計画では、ライリーと再会を果たすのはまだ先の予定だった。ある程度皇国軍との戦いに決着をつけ、憂いを払った後に、王太子とその婚約者として対面する――そんな状況を思い描いていた。
だから、こんな状況は全く予定外だ。一体どうすれば良いものか、咄嗟には思いつかない。
しかし、ライリーは違った。はじめは信じられないとでも言いたげに目を丸く見開いていたものの、すぐにリリアナに駆け寄って来る。人目があるからか感情は大きく発露させないようにしているものの、その双眸は感動に潤み、頬は興奮に紅潮していた。
「ベン・ドラコ殿から聞いてはいたけど――ああ、信じられない。本当にサーシャ? もう目が覚めたの? 体は大丈夫?」
矢継ぎ早の質問を投げかけながら、ライリーはリリアナの無事を確認するように、控え目ながらも体に触れる。
「え、ええ。問題ありませんわ」
辛うじてリリアナがそれだけを返答すると、ライリーは感極まってリリアナをきつく抱きしめた。ライリーの胸に顔を押し付けられる形になったリリアナは、彼女にしても珍しいことに、目を白黒させる。
それでも、ふとライリーの体が小刻みに震えていることに気が付き、リリアナはそっとライリーの背中に腕を回した。背中を撫でてみると、ライリーの体がもう一度大きく震える。そして、ゆっくりとライリーはリリアナの体を離した。
両目が真っ赤だが、涙の痕はない。どうやらリリアナが考えていた以上にライリーはリリアナのことを心配していたようだと、そこでようやくリリアナは気が付いた。
「その――えっと、御心配、おかけしました――?」
普段は泰然自若として動じないリリアナが、恐る恐る、言葉を口にする。
ライリーは自分を窺うような視線のリリアナに苦笑を浮かべたが、その表情はまさに蕩けるようだった。
「うん。すごく心配した。だから一層、元気な姿が見れて嬉しい」
ここが戦場であることも忘れそうなほど、ライリーは上機嫌だ。
てっきりリリアナはそこでライリーが離れていくものだと思っていたが、何故かライリーはリリアナの傍から離れようとはしなかった。それどころか、リリアナの手を自分の腕に掛けさせて、戦場であるというにも関わらずエスコートしようとして来る。
さすがにリリアナも言葉がなかったが、ようやくそこでオースティンとクライド、エミリアが近づいて来た。これまでも彼らはライリーと共に行動をしようとしていたのだが、ライリーがリリアナとの再会を喜んでいるのに水を差してはいけないと遠慮していたらしい。
「殿下、私の妹と再会できて嬉しいのは分かりますが、時と場所をお考えください」
「考えているから、この程度で済んだとは思わない?」
クライドの苦言を、ライリーはにこやかに一刀両断する。そしてライリーの言葉に、クライドは無表情の中で頬を引き攣らせた。
そんなクライドの横では、オースティンが諦めたように首を振っている。そしてオースティンはクライドの肩に軽く手を置いて、慰めるように言った。
「長く離れ離れになってようやく再会できた恋人同士の邪魔をしたら、馬に蹴られるってもんだぜ」
「馬? というか恋人!?」
オースティンの言葉に、冷静沈着なクライドが慌てふためく。クライドもまた、突然現れたリリアナを前に少なからず動揺したらしい。
出立直前まで、闇の力に呑まれかけ意識不明だった妹の姿を見ていたのだから、それも当然だった。
「恋人だろ。まさかお前、単なる婚約者同士だとか思ってたわけじゃねえよな?」
疲れた顔でオースティンが言葉を重ねる。疲労が滲んでいるのは、戦闘のせいだけではない。それだけであれば、今もオースティンは爛々と目を輝かせていただろう。
だが、それが終わってやっと一息つける、となったところに、ライリーとリリアナの熱烈な抱擁を見たのだ。精神的にどっと疲れが襲うのも無理はない。
「いや――それは確かに、殿下は――」
クライドはオースティンの手を払うこともせず、戸惑いながらも曖昧に頷く。
それほど恋愛沙汰には興味がなく、鈍感なところがあるとクライドも自覚はしていた。そんなクライドでもはっきりと分かるほど、ライリーはリリアナのことを想っていた。
しかし、ライリーはこれまでリリアナに対して一線を保ち、貴族としては清く正しく模範的な態度を保って来たのだ。突然熱情の欠片を見せられて困惑するのも当然だった。
一方、オースティンは幼少時より下町に出て、庶民とも交流を持っている。庶民には、貴族が当然としている倫理規範など存在しない。熱烈に愛を囁く恋人同士は得てしてこんなもの、どころかこれ以上に周囲に甘ったるい空気をまき散らすものだと知っているから、クライドよりも衝撃はなかった。
そして、そんな二人を余所に、エミリアはライリーとリリアナの様子を眺めながら目を輝かせている。どうやらライリーのリリアナに対する想いを目の当たりにして感動しているらしい。
そんな周囲の反応を、リリアナとライリーは淡々と観察していた。
しかし、ライリーはオースティンたちから目を離すと、にこやかにリリアナに顔を向けて尋ねた。
「それで、サーシャ。何故こんなところに?」
会えたのは嬉しいけれど、というライリーに、リリアナはようやく本来自分がすべきだったことを思い出した。あまりの衝撃に、完全に忘れたわけではないものの、呆けてしまったのも事実だ。
「ええ、えっと――その」
何といえば良いかと、リリアナは考える。ジルドやベン・ドラコの反応を考える限り、正直に言えばライリーはリリアナを戦場に出さないのではないかと思えた。それは避けたい。だが、ライリーはジルドやベン・ドラコのように出し抜けない、そんな気がしてならなかった。
ライリーは穏やかな優しい表情でリリアナを見下ろしていたが、リリアナが言い澱んでいるのを見ると、柔らかな口調で彼なりの推測を口にする。
「私たちを助けようとしてくれていた? 例えば、そうだね。貴方の稀有な魔術を使ったりして」
「――ええ」
リリアナは観念して頷く。
意識を失う前まで、即ちリリアナが闇の力を得てライリーに対峙した時までは、ライリーはリリアナにとってある程度御しやすい相手だと思っていた。
リリアナは、自分の卓越した魔力と魔術に対する適性を周囲に伝えて来ることはしなかったし、ライリーも、薄々感じていたとはしてもリリアナの行動を止めるほどの実力はない。それは、たとえライリーが破魔の剣を手にしても変わることのない真実であるはずだった。
しかし、今のライリーはこれまで以上に、リリアナの考えていることや行動を把握していそうな気がしてならない。
その感覚が一体なにに起因するものなのか、リリアナにはまだ分からなかった。だが、ライリーは内心で困惑するリリアナに目を細めて見せると、一つ頷く。
「それなら今から辺境伯の所に行こう。ベン・ドラコ殿のお陰でだいぶ敵の戦力も削れたけれど、どのみち、今後の戦略を練り直す必要があったからね。できれば早急に、敵軍の総大将を前線まで引きずり出したいんだ」
ライリーはそう言って歩き出す。リリアナの手はライリーの腕に置かれたままだ。普通のエスコートであればリリアナも直ぐに手を離せる。だが、ライリーは何気なさを装いつつも、しっかりとリリアナの手を確保していた。お陰で、無理をしなければリリアナの手はライリーから離れない。
自分の手を自由にさせることは諦め、リリアナはライリーの隣を歩きながら、疑問を口にした。
「総大将はどちらの方でしょう? 前線に引きずり出すということは、首級を上げられるおつもりですか?」
「第一皇女が出て来ているらしいよ。彼女の側近たちは有名な武将だけど、彼らもまだ姿を出していない。首級に関しては――どうかな。さすがに第一皇女の首級を上げたら、その後の対応にも神経を使うからね。最終手段かな。捕虜にするよりはそっちの方が良いと思うけれど」
ライリーはあっさりと自分の考えを告げる。
第一皇女ともなれば、たとえ捕虜にしたとしても適切な対応が求められる。丁重な扱いでなかったと、仮に皇女が本国に戻った時に皇帝へ訴え出てしまえば、それを理由として再び戦を王国に仕掛けて来るだろう。
首級を取ったとしても同じことだ。ユナティアン皇国の皇帝カルヴィンは、娘の弔い合戦を考えるほど子供を愛する男だとは到底思えない。しかし、娘の戦死を理由にして次なる手段に打って出る人間であることは、確かだ。
「――コンラート・ヘルツベルク大公は、出ていらっしゃらないのかしら」
リリアナは、一つの疑問を口にした。
ゲルルフたちはヘルツベルク大公の部下のはずだ。だが、ライリーは難しい顔で首を振る。
「出ていないみたいだね。戦闘狂だというから出て来てもおかしくはないはずだったけど。もしかしたら、継承権争いに関わる理由かもしれない」
「ああ――第一皇女殿下の派閥と思われたくないということですわね」
納得してリリアナは頷いた。ライリーは、我が意を得たりと言わんばかりに口角を上げる。
だが、ジルドが戦っているゲルルフはコンラート・ヘルツベルク大公の配下だ。何故ヘルツベルク大公自身が出ずにゲルルフが戦に出ているのか、その点が謎だった。とはいえ、現状では考えても正答に辿り着けるとは思えない。リリアナは小さく首を振って、一旦その疑問を頭の隅に追いやることにする。
ライリーとリリアナは、ケニス辺境伯が居るという天幕に辿り着いた。クライドが、天幕の入り口に立つ騎士に声をかける。騎士が天幕の中に入ってライリーの訪問を告げると、あっさりと入室の許可が出た。