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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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80. 進軍 5


ジルドだけではない――ケニス騎士団に所属しているアルヴァルディの子孫たちは皆、疲弊していた。ジルドと結んだ“誓いの儀”によって多少マシになってはいるものの、金林檎の煙で高められたゲルルフの異能力は間違いなくジルドたちの精神力を削っていく。

ゲルルフは部下たちにも金林檎の煙を吸わせたのか、皇国軍に属しているアルヴァルディの子孫たちは皆、異様なほど戦闘力が高くなっていた。


「くそ、」

「なんだ、この程度か」


どうやらゲルルフは見た目だけでなく音も幻覚で再現できるらしい。耳元でゲルルフの嘲笑に似た声が聞こえ、ジルドはそちらに向けて拳を奮った。しかしそれとは反対側から腹への攻撃を受け、不意を突かれたジルドは宙を飛ぶ。受け身を取った時、そこに出来た影の中にジルドは引き込まれた。次の瞬間、戦闘地から離れた場所に移動する。

地面に座り込んだジルドは自分を連れて逃げた青年を睨みつけ、苛立ち紛れに怒鳴った。


「イェオリ、邪魔すんな!」

「邪魔じゃないよ、戦略的撤退ってやつ」


他の人間ならばジルドの迫力に呑まれただろうが、イェオリは飄々と言い返す。イェオリは影を移動する能力者だ。一人であれば、自分以外の人間も連れて移動することが出来る。その能力を使って、ジルドを離れた場所まで連れて逃げたのだろう。

戦略的撤退とは言うが、ジルドにとっては敵前逃亡と同じことだった。

じろりと立ち上がったイェオリを睨みつけ、低く唸る。戦闘から離れたせいもあるのだろうが、改めて全身が痛んでいた。


「俺らがあいつらを潰すのが辺境伯(おっさん)との約束だろうが。ここで決着つけねえと、あいつら本隊の方に行くぞ」


そうなると、当然ケニス騎士団は壊滅的な被害を受けるだろう。それほどまでに、ゲルルフたちの部隊は強かった。


「それはそうだけど。でも、現状でさえ結構押されてるよね。今のままだと、俺たちが死んだあとにあいつらが本隊に向かうことになるんじゃないかな」


ジルドは低く唸った。イェオリの言葉は確かに的を射ている。小さく口中で毒づくと、ジルドはゆっくりと立ち上がった。


「――それで、テンレックとペッテルはどうした」

「無事会えたよ。後方部隊に控えてた。だいぶ調子は悪そうだったけど、取り敢えず連れて戻って来たよ。会う?」

「後でな」


無事だったのなら良いと、ジルドは首を振る。

皇国軍にゲルルフたちアルヴァルディの子孫が居ると分かった時、連絡が途絶えていたテンレックとペッテルも来ているのではないかと考えたのだ。だが、正面切って敵陣に入ることは出来ない。そのため、影を移動する異能力を持ったイェオリがテンレックとペッテル救出の役割を担ったのだ。


調子が悪そう、というのは、恐らくゲルルフが彼らに施した幻覚の影響だろう。イェオリはゲルルフの異能力を知らないはずだから、他に言葉を思いつかなかったに違いない。二人の体調が気に掛からないといえば嘘になるが、ひとまず危険はないだろうと判断し、優先順位は後回しにした。


「それで、言い出しっぺはトシュテンだろ? これから先の計画は立てたのか」

「もう本隊と合流しちゃった方が良いんじゃないかって」


イェオリはあっさりと答える。だが、普通に合流する、というわけではないに違いない。ジルドは眉根を寄せた。


「トシュテンはどこだ」


ゲルルフがジルドを直接の標的と見做した後、トシュテンも合流し戦闘に参加したはずだ。そのトシュテンの姿が、今は見えない。まさか敵に倒されたかと思ったが、イェオリはあっさりと答えた。


「インニェボリが連れて一旦戦線離脱してる」

「インニェボリが?」

「そう。俺の異能力を模倣したんだ。他の奴らも全員無事だぜ。さすが“誓いの儀”って凄い威力だな」


インニェボリの異能力は模倣だ。他者の身体能力と異能を完璧に模倣できる。即ち、イェオリの持つ影移動の能力を、インニェボリも短時間ならば使えるというわけだった。


「分かった。一旦、トシュテンたちと合流する」


そう告げたジルドはイェオリの先導に従って動こうとする。しかし、一歩踏み出した瞬間、ジルドは突如現れた気配に総毛立った。

自分が認識していない存在は、戦場では敵と考えて動くべきだ。しかし、ジルドは気配に向けて仕掛けた攻撃を、寸でのところで止めた。


「――あら?」


驚いたというように、目を丸くする少女。そしてその隣に立ち剣を抜き放った女騎士。

その二人は、ジルドが良く知る人物だった。


「嬢ちゃん――なんでここに?」


予想だにしない人物を前に、ジルドは呆然とする。

突然現れた人物――それは、ジルドが仕えていたリリアナと、同僚のオルガだった。



*****



転移に失敗した、というわけではない。しかし、転移するその一瞬で事態は大きく変わっていたらしいと、リリアナは内心で呟いた。

リリアナはジルドたちが戦っている現場に駆け付けるつもりではあったが、戦闘の中心地に転移するほど向う見ずではない。少々離れた場所に転移し、様子を見ながらその後の行動を決めようと考えていた。


だが、本来であれば誰も居なかったはずの場所に、先客がいた。ジルドともう一人――何となく見覚えがあるような気がする、少年だ。記憶を辿り、もしかしてとリリアナは一つの可能性に突き当たった。

もしリリアナの推測が正しければ、嘗て誘拐されたところを助け出した“北の移民”の少年だろう。

少年もまた警戒心を露わにしていたが、ジルドから戦闘本能が消えたことに気が付き、警戒を解いた。リリアナたちが味方だと理解したらしい。


「わたくし、戦闘の中心部からは少し離れた場所に転移したつもりでしたけれど。終わりましたの?」


リリアナの問いに、ジルドは大きく溜息を吐いた。乱暴に自分の頭を掻きまわし、リリアナを見下ろす。


「終わってはねえ。戦略的、一時、撤退、ってやつだ」


逃げたわけではないというように、ジルドが一言ひとことを区切って言う。その様子が面白かったのか、ジルドの後ろではイェオリが噴き出した。ジルドは肩越しにイェオリをじろりと睨むと、再度リリアナに顔を向ける。しかしリリアナは小首を傾げただけで、一切動じない。


「なんであんたが、こんなところに居る? 嬢ちゃんみてえなやつが来る場所じゃねえぞ」

「わたくしも戦力になるかと思いましたのよ。現状では王国軍が不利だと思いませんこと?」


ジルドはそれほど嘘が得意ではない。適当な性分で他人を煙に巻くような態度を取ることは良くあるが、ある程度親しくなった相手には、途端に不器用なほど本心が露わになる。

そして、それはリリアナに対しても同様だった。


「それはそうだとしても、お前がわざわざ来るこたねえだろ。大体オルガ、お前もお前だ。何故お嬢を好きにさせてる?」

「……護衛としての任は果たす」


ジルドが責めるように言えば、オルガは疲れたように言い返す。リリアナを止められるのであればお前が止めてみろ、とでも言いたげだ。

そしてジルドも、オルガとは長い付き合いだ。オルガが何を言いたいのか、凡そのところを悟った。そして同時に、どれだけ言葉を尽くしてもリリアナが王都に戻ることもないだろうと理解する。

苦い顔で深く嘆息すると、ジルドは再びリリアナに顔を向けた。


「良いか。俺たちの相手は魔術が効かねえ。つまり嬢ちゃん十八番の魔術攻撃はできねえってことだ。だから、嬢ちゃんは俺たちじゃなくケニス騎士団の手伝いをしてくれ」

「それはわたくしが決めますわ。あなた方はわたくしのことは気にせず、戦略を立て動いて頂ければ良いのです」

「おい」


さすがに、ジルドも苛立ちの声を上げる。正直なところ、自分たちが相手を倒すだけでも精一杯なのだ。リリアナを守りながら戦う余力など皆無である。

しかし、リリアナは構わなかった。寧ろ楽し気な気配さえ漂わせながら、視線を本隊が戦っている方角へと向ける。その両眼には魔力が絡み付き、身体能力を強化していることが見て取れた。


「ある意味、あなた方の敵が本隊に合流してくれたのは良い切っ掛けでした。一度に潰して、皇国へお帰り頂きましょう」

「嬢ちゃん、良いか。言うのは簡単だがな――」


ジルドは更にリリアナを諫めようとする。しかし、リリアナはあっさりとジルドの声を無視した。


「あなた方はあなた方の方策があるのでしょう? でしたら、わたくしは先に参りますわね。ああ、間に合わないようでしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()、ご安心なさって」


そう告げた瞬間、眼前からリリアナの姿が掻き消えた。オルガも連れて行ったようで、二人とも影も形もない。

目を丸くするイェオリの隣で、ジルドは地団太を踏んだ。


「くっそ、あのクソガキ!」


三大公爵家の令嬢を“クソガキ”呼ばわりする人もまずいない。

ジルドは踵を返すと、険しい顔と口調でイェオリを呼びたてた。


「イェオリ! トシュテンたちと合流する。時間もねえ、とっととやるぞ!」

「了解」


時間がないのは確かだ。だが、ジルドがこれほどまでに苛立ち焦っているのは、間違いなくリリアナが先に本隊へと合流したからだろう。リリアナは明確に行き先を告げはしなかったが、話の流れから目的地は明らかだ。

遅れを取ってなるものかとでも言いたげな形相で、ジルドはイェオリと共にトシュテンたちの元に急ぐ。トシュテンたちは、近くの岩場に身を潜めているらしい。


イェオリ以外に、遠距離を一瞬で移動できる能力を持っている者はいなかった。しかし、ここに集っているアルヴァルディの子孫は皆、肉体に関連した異能力を持つ者たちである。身体能力も非常に高い。そのため、本隊に合流するのもそれほど時間は掛からない。


ジルドは岩場に到着すると、仲間たちの姿を隠した。岩場といっても、大きな岩が積み重なるように散乱している。しばらく歩くと、その一角に身を潜めるようにして、トシュテンたちが集っていた。最奥にはぐったりとしているテンレックとペッテルの姿もある。二人共怪我はしていない様子だった。

他の仲間たちは、怪我はしているものの、重傷ではなさそうだ。恐らく、一番酷い怪我を負っているのがジルドだった。


治癒の魔術が効くのであればジルドもリリアナに頼み込んで仲間を治癒して貰っただろうが、アルヴァルディの子孫たちに魔術は効果がない。即ち、治癒魔術も効力を発揮しない。自分たちの本来的な力で癒えていくのを待つ他ないし、怪我を押しても戦わなければならないことは往々にしてある。


そして、ジルドは時間を無駄にすることはなかった。顔をトシュテンに向けて短く告げる。


「トシュテン、本隊に合流だ」

「計画は?」


現れるなり唐突に告げたジルドに、トシュテンは目を瞠ったがすぐに確認を取った。


「適当だ。その場の勢いで、俺たちはゲルルフの仲間たちを無力化する」


以上、とでも言いたげなジルドに、トシュテンは苦笑した。そして、自分たちが守るように囲んだ中に眠っているテンレックとペッテルを一瞥した。


「さっき一瞬、正気を取り戻した瞬間があってね。確認を取ったんだけど、どうやらゲルルフは仲間――というか部下に、幻覚を掛けているようだよ。だから、本来は出来ないはずの“誓いの儀”をしたと錯覚させられているらしい」

「――なんだと?」


ジルドは瞠目した。トシュテンの言葉は、にわかには信じられないものだった。

“誓いの儀”は、それが有効である限り互いを裏切れないとする制約だ。同じ“誓いの儀”を交わした誰かが危機に陥れば異能力を最大まで引き出せる。同時に、異常な状態を正常に戻すという役割も果たしていた。

いわば、アルヴァルディの子孫が代々一族を外敵から守るために発展させて来た、自衛の策である。


つまり、“誓いの儀”は一族の中でも一部の人間しか実行できない特殊なものだった。ジルドが“誓いの儀”を行えるのも、元々狼狩人(クズリ)として一族を守る血族だったからである。

他に同様の儀式を行える者は、一族の長老等、支配層と呼ばれる側の、それもごく一部だけだった。


「だが、幻覚だけなら実際に効力は発揮できねぇ――そうか」


反駁しかけたジルドは、はたと気が付く。思い出したのは、ゲルルフの体から漂って来ていた独特な匂いだった。


「金林檎か」

「そうだ。金林檎で無理矢理彼らの能力を高め、幻覚で忠誠を誓わせ戦わせていた、ということのようだね」

「あのド腐れ野郎――っ!」


低い声でジルドは毒づく。その声には憎しみすら込められているように聞こえた。


金林檎には中毒性がある。具体的にどのような症状がみられるのかは分からない。具体的な症状を知る者はないが、嘗ては金林檎を摂取しすぎて死に至る者もいた、という話は言い伝えられていた。

その金林檎を、ただ無条件に従わせるためだけに同胞に使うなど、到底許されることではなかった。


「テンレックとペッテルは、金林檎はそこまで吸わされていなかったみたいだからね。時間が経てば幻覚からも解放されるだろうし――後は、他の同胞たちをどうするか、だ」

「ああ。だが取り敢えずは、ゲルルフを殺る」


全ての元凶は、ほぼ間違いなくゲルルフだ。諸悪の根源を潰せば、後はどうとでもなる――はずだ。特に王太子ライリーは、アルヴァルディの子孫も含めた“北の移民”たちの保護に動く心積もりだと、ジルドは知っていた。必要となれば王太子に助力を頼めば、同胞たちも回復に向かうに違いない。


「行くぜ」


ジルドの声に、仲間たちが呼応する。

今この時を持って、ジルドにとってのゲルルフは必ず屠らねばならない敵と見定められた。ジルドの父に汚名を被せ追放した、仇の息子だからという理由だけではない。同胞を己の道具のように扱い、その心を無碍に扱った罪人として罰せねばならない相手だと、ジルドの本能が警告していた。




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