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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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80. 進軍 1


目覚めたベン・ドラコは、頭が混乱しているのか、状況が良く分からないという雰囲気で暫くぼうっとソファーに腰掛けていた。一方のオルガは、目覚めた途端にがばりと飛び起きる。腰の剣に手をやり周囲を警戒した後、異変はないと理解したのか、小さく息を吐いた。

そして、何かに気が付いたように勢い良く顔を上げる。リリアナを振り返り、驚愕に目を瞠った。


「お嬢様――!」


オルガの言葉に、眠たそうに目を擦っていたベン・ドラコも一気に目が覚めたようだ。こちらもまた勢いよく顔を上げて、リリアナを見る。そして、リリアナが起き上がって自分たちを眺めていることに気が付くと、彼にしては珍しいほどの驚愕を表情に出し、あんぐりと口を開けていた。

ベン・ドラコたちにしてみれば、リリアナは瀕死の重病人と同義だったのだ。今にも死ぬのではないかと思っていた相手が平気な顔で――寧ろ非常に健康そうな顔色で寝台の上に座っているのだから、驚くなという方が無理である。


「目が覚められたのですね!」


一方のオルガは、魔術を使う魔導騎士ではあるものの、ベン・ドラコほどの専門家ではない。現状でリリアナが目覚めることはないと説明され納得していたが、多少、ベンよりも驚きは少なかったようだ。一気に寝台まで近付くと、側に跪いてリリアナの手に触れる。手先が温かいことに安堵の息を漏らしたオルガは、神に感謝の言葉を捧げた。


「心配をかけました。ずっと付いてくれていたのかしら?」

「はい。私は護衛です。ベン・ドラコ殿はお嬢様の体調を確認するために控えていました。身の回りの御世話にはマリアンヌが」

「まあ、マリアンヌが来ているの?」


リリアナは目を丸くした。自分が居る場所が王宮だということは分かっている。だからこそ、マリアンヌがわざわざ屋敷から来ているとは思わなかった。

オルガはリリアナの問いに頷く。


「はい。やはり身の回りの御世話をさせて頂くに当たっては慣れた者の方が良いだろうということで、殿下が」

「――ウィルが」


そうだったの、とリリアナは呟く。

目を伏せて、リリアナは考える。リリアナの記憶は、闇の力に飲み込まれそうになった後――ライリーを挑発したところで止まっていた。その後、何があったのかは知らない。そのまま闇の力に飲み込まれて魔王の器となるか、その前にライリーたちが魔王を封印して自身の体が消えるか、そのどちらかになると踏んでいたのだ。

だが、結局リリアナは生きている。目が覚めたのは魔王レピドライトがオルガの意志を尊重したからだが――と思ったところで、リリアナは妙に笑いたい気分になった。


乙女ゲームに出て来なかったオルガが今ここに居るのは、記憶を得たリリアナが魔物襲撃(スタンピード)を制圧し、オルガの命を救ったからだ。当時は身の破滅を避けるために必死だった。結局乙女ゲームと似た経過を辿ることとなったため、どれほど足掻いても宿命には太刀打ちできないのだと思っていたが、存外そうではないらしい。


そう考えると、エミリアが乙女ゲームの通りに攻略対象者たちの誰かと恋に落ちたとしても、リリアナが断罪される可能性はないのかもしれない。

常に思考を鈍らせていた靄が晴れ、不眠症のような状態が改善したせいか、リリアナはここ最近縁遠かった前向きな感覚に陥っていた。


「今、ウィルはどこに居るのかしら」

「殿下はケニス辺境伯領に向かわれております」

「何故、そんなところに――?」


オルガの答えに、リリアナは首を傾げる。乙女ゲームでは、この時期に国境へ行かねばならないような事件など起きていないはずだ。

だが、確かに乙女ゲームとは筋書き(ストーリー)が変わっている。これまではある程度乙女ゲームに沿った出来事(イベント)が起こっていたが――良く考えなくとも、乙女ゲーム開始(スタート)時期以後の出来事は()()()()()()()()()()()()ものだった。


最早現実は乙女ゲームと全く異なった運命を辿り始めている。

寧ろ、そのことに対する自覚がいつの間にか失われていた事の方が、リリアナにとっては痛恨の極みだった。それほどまでに余裕を失っていたのか、もしくは予想以上に闇の力に全ての気力を奪われていたのかもしれない。


言い訳をするのであれば、父エイブラムがリリアナに掛けた禁術の影響で感情が抑圧されていたことが、そもそも心身の負担になっていたとも言える。更に、そこに闇の力が加わっていたのだから、寧ろ精神を壊さなかったことが奇跡的なのだろう。そう考えれば、理性的な思考を維持出来なかったのも当然だった。


だが、いずれにせよ全ては過去のことだ。今のリリアナは、明晰な思考と力を取り戻した。

魔王レピドライトの言葉を完全に信じられるわけではないが、自らの体のことならば把握はできる。恐らくレピドライトは闇の力を奪う過程で、故意にか無意識にか、リリアナの体に掛けられていた禁術の名残りを正したようだった。

その状態で、ライリーが国境へと向かったと聞けば、リリアナが取る選択肢は一つだけだ。


「国境で何があったか知っている?」


リリアナは早速本題を口にした。オルガを真っ直ぐ見つめる。オルガは一瞬口を引き結んだが、すぐに答えようとした。しかし、衝撃から立ち直ったらしいベン・ドラコが背後からオルガの肩を軽く叩いて引き留める。

ベン・ドラコはにこやかに、しかし断固とした口調でリリアナに言った。


「殿下の元に駆け付けようとしてる? それは許可できないな」


気楽な口調だが、ベン・ドラコの本気が見て取れる。彼はリリアナが勝手に転移しないよう、魔術を無効化する術式を発動させていた。


「何故?」


リリアナはベン・ドラコに向けて首を傾げた。無垢な仕草だが、リリアナと付き合いの長いベン・ドラコは誤魔化されない。寧ろ警戒を高めるように目を細めて、リリアナの一挙手一投足を注視した。


「それは勿論。まず第一に、さっきまで昏倒して死にかけていたんだから、動くより先に体調を確認するべきだ。それから、第二に」


にっこりとベン・ドラコは笑みを深める。しかし、その双眸は笑っていない。どうやらベン・ドラコは怒りを押し殺しているらしいと、その時初めてリリアナは気が付いた。


「僕たちが寝ている間に何があったのか、教えてくれることが条件だ」


いつの間にか、リリアナがライリーを追いかけていく条件になっている。しかし、ベン・ドラコは一切譲る気がない様子だった。

リリアナは思わず出そうになった溜息を飲み込む。


これまで、リリアナは自分が考え実行に移す際、誰かに喋ることはなかった。常に自分一人で考え、実行し、次の手立てを考えて来た。何か困ったことが起こっても、他人に頼ることはしない。だから、ベン・ドラコたちが眠っている間に何が起こったのかを知っていても、それを系統立てて話すとなると酷く面倒に感じる。


とはいえ、ベン・ドラコは二つの条件を上げた。最初の条件である“健康体であるかを確認”して貰っている間に、話すべきことを整理すれば良いだろう。そう結論付け、リリアナは溜息混じりに答えた。


「わかりましたわ。それでしたら、わたくしの体調確認を先にお願いできますかしら」


しかし、ベン・ドラコも伊達に長年魔導省長官を務めていたわけではない。

リリアナの体――特に魔力の質や量、循環の具合を確かめるための魔道具を袋から取り出したと思えば、にっこりと笑ってリリアナに言った。


「僕と違って、君は検査を受けながら喋れるはずだからね。僕は検査をしながらでも話は聞けるし、同時進行にすれば早く殿下の元に駆け付けられるよ?」


思わずリリアナは眉根を寄せる。ベン・ドラコの手の上で転がされている気がしてならない。それが不快ではあるが、嫌悪するほどではなかった。


リリアナの魔術が使えないように術が施されているものの、正直なところ、今のリリアナであれば簡単に術を破ることは出来る。そうして無理にでもライリーの元に転移することは出来るが、無理矢理術を破ればベン・ドラコに悪影響が出る可能性も否定できない。彼を傷つけてまで強行突破する必要性は、リリアナには感じられなかった。

必要性どころか、できればベン・ドラコにもオルガにも、傷ついて欲しくないという感情が僅かに芽生えている。


嘆息したリリアナは、寝台の枕元に枕を当てた状態で背を預け、ゆっくりと目を瞑った。ベン・ドラコが魔道具を作動させれば、温かい空気に全身を包まれたような感覚を覚える。


「それで? 僕たちが寝ている間に何があったのかな?」


どうやらベン・ドラコはさっさとリリアナに口を割らせたいらしい。リリアナは目を瞑ったまま、揺蕩う思考の波に気を取られないよう注意を払い、ゆっくりと言葉を紡いでいった。

ベン・ドラコは魔王復活の可能性を知っている。そして、復活した魔王を封印せねばならないと考えている。だが、既にレピドライトは復活し、本来の器に戻った。乙女ゲームの展開を考えても、今のライリーたちに魔王を封印することは出来ないだろう。


そもそも、魔王が一度目に封印されたのは魔王がそう望んだからではないか――それが、リリアナの見立てだった。


とはいえ、リリアナの推測などベン・ドラコたちに告げる必要はない。そもそも、リリアナは自分を助けた存在が魔王レピドライトであることなど、言うつもりは更々なかった。


「わたくしも、何がなんだか分かりませんのよ」


リリアナはおっとりと、しかし普段通りに見えるように答える。


「体が軽くなったと思って、目を開けたらあなた方がソファーに寝ていましたの。一体どうしたことかと思いましたわ」

「――ふうん」


完全には納得できていない様子で、ベン・ドラコは眉間に皺を寄せる。その様子を、リリアナは薄目を開けて確認した。

だが、ベン・ドラコが納得できなかったのは、リリアナの答えに対してではないらしい。ひたすら首を傾げ、何度も魔道具を調整している。どうやら、オルガもそんなベン・ドラコの様子に気が付いたらしい。首を傾げて天才と名を馳せる魔導士に視線を向けた。


「ベン・ドラコ殿、どうかしたのですか」

「いやあ……綺麗さっぱり、ベラスタの“時間停止の術”が解けてるだけじゃなくて、体に入ってた余分な闇の力がなくなってるんだよね。完全になくなってるわけじゃないけど、残ってる力も殆ど本人のものになってる感じだし――循環障害もないね。前は少し巡りが悪そうなところがあったけど、それもだいぶ消えてる」


つまりは完全な健康体だ。

以前は見られた“巡りの悪い箇所”は、闇の力が悪影響を及ぼしていたのか、もしくは父エイブラムが仕掛けた禁術の影響によるものだろうと、リリアナは見当をつける。


「何が起こったのかは存じませんけれど、体調は問題ないようですわね」


リリアナは目を開けて笑みを浮かべた。ベン・ドラコは不審そうな顔のまま更に調査を続けたい様子だったが、これ以上調査を続けたところで分かることは何もない。それは、リリアナ本人が良く知っていた。

闇の力をリリアナの体内から抜き去ったのが人間であれば痕跡も残るだろうが、実際には人智を越えた存在の魔王レピドライトが直々に手を下したのである。人間如きに理解できる何かしらを残すわけがなかった。


断固としたリリアナの意志を感じ取ったのか、ベン・ドラコは諦めた様子で溜息を吐く。恐らく、リリアナの意志を理解したオルガが脅しつけるように睥睨していたことも原因の一つには違いない。


「――分かった。諦めよう」


全く諦めきれないとでも言いたそうな様子で、ベン・ドラコは魔道具を止める。そして、彼は疲れた様子でリリアナの最初の問いに答えた。


「殿下は王立騎士団とクライドくん、オースティンくん、それからベラスタを引き連れてケニス辺境伯領に向かった。クライドくんは公爵家の騎士を連れて行ったみたいだね」


室内にリリアナとオルガしかいないからか、ベン・ドラコの口調は投げやりで、かつ身分の上下を完全に無視したものだった。しかし、オルガもリリアナも気に止めない。特にオルガは、リリアナ以外に対しての不敬には寛容になる傾向があった。


「随分な大所帯ですわね」

「そうだね。どうやら、皇国が結構な手勢で攻めて来たらしいよ」


だからケニス騎士団だけでは耐えられないと言うことらしいと、ベン・ドラコは付け加える。

リリアナは目を眇める。隣国がそれほどの大軍を投入したということは、本気で国土を取りに来るつもりなのだろう。となれば当然、コンラート・ヘルツベルク大公も――そして、彼が率いている“北の移民”ばかりを集めた軍も同行しているはずだ。


「少しばかり、手がかかりそうですわね」


それならば、自分が行かないという手はない。薄っすらとリリアナは好戦的に微笑む。寝台からゆっくり降りると、彼女は厳然とした佇まいでオルガに命じた。


「マリアンヌを呼んで。身支度の準備を」


今のリリアナは、寝間着を身に着けている。そのような姿でベン・ドラコと対峙していたと考えると少々気恥しいが、医師のようなものだと考えれば耐えられる。しかし、これからリリアナが向かおうとしている場所は戦場だ。それならば、そこに相応しい格好がある。


「身支度の準備、ですね」


オルガは頷くと、そのまま部屋を出ていく。その時、男であるベン・ドラコを部屋から叩き出すのも忘れない。リリアナは楽し気に、そして歌うように呟いた。


「精々美しく着飾ると致しましょう」


リリアナは王太子の婚約者だ。そして、唯一無二の魔術の使い手でもある。

特に、闇の力を手にした彼女は他の追随を許さない。


「歯向かってはならない存在と言うものを、教えて差し上げなくてはね」


自分から他人に牙を剥くつもりはない。しかし、相手がこちらに害意を持ち攻撃して来たのならば話は別だ。


二度とそんな気が起こらぬよう、叩き潰せば良いのである。




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