79. 鹵獲 6
レピドライトは、リリアナがオルガを害そうとしないよう、脅しつけるつもりだったらしい。だが、リリアナにその脅迫は効かなかった。元々オルガを傷つけるつもりなどなかったのだから、全く意味を為さない。
しかし、リリアナの意志を確認できたことで、レピドライトは満足した様子だった。ぱたりと興味を失った様子でリリアナに背を向け、飽きずに意識を失ったオルガの寝顔を眺めている。
リリアナは思わずそんなレピドライトを呆れた目で見やったが、今度は意識を残り二人に向けることにした。
二枚の翅を持つ細身の男と、鱗を持つ強靭な体躯の男は、一見したところ正反対に見える。しかし、二人とも恐らくレピドライトの配下であろうこと、そして纏う雰囲気と威圧感が只人でないことは共通していた。
「それで、あなた方はどなた?」
先ほども口にした問いを、リリアナは再度言葉にした。しかし、リリアナを睨んでいた翅の男は嫌らしく唇を歪める。
『お答えする義理はありませんね』
リリアナは片眉を上げた。非常に冷たい言い方に、普通の令嬢であれば怯えてしまうだろう。しかし、そのような心境はリリアナにとってこれまでも、そしてこれからも感じることのないものだった。
とはいえ、多少の不快感は覚える。これまでであれば全く無感動に相手の言葉を流していたはずだから、寧ろ自分の中にそのような感情があるということの方が驚きだった。余分な闇の力が奪い去られたせいか、それとも他に理由があるのかは分からないが、どうやら父エイブラムによって封じ込められていた感情が正常に働き出したらしい。それを冷静に分析するのは父が使った禁術のせいではなく、リリアナが生まれ持った性格によるものなのだろう。
「そう。それでは、貴方は?」
あっさりと翅の男の言い分を無視すると、翅の男は自分で言い出したことにも関わらず、不快感を露わにした。その様子を視界の端に捉えながらも、リリアナはもう一人の男を注視する。
乙女ゲームで描かれていた絵を除けば、全く初めてみる姿かたちだ。だが、何故か既視感があった。一体その既視感が何なのかと、リリアナは内心で自問する。そして暫く、リリアナはふとあることに気が付いた。
――既視感があるのは、その印象的な瞳だ。
紫と緑の混じった、所々色が深く見える瞳。どこまでも深い、前世の記憶にある“地球”のような瞳。
その目を見て、リリアナは名を付けろと言う黒い獅子に名を与えた。
「アジュライト――?」
途端に、アジュライトは目を細めて嬉しそうに笑う。それほど大きく表情は変わらないが、それでも黒い獅子の姿を取っていた時よりは格段に感情が表出するようだった。
『そうだ。久し振り、という感覚でもないが』
「わたくしには久方振りですわ。あなた方とわたくしたちの時間の流れは違うと申しますものね」
『そうだな』
アジュライトは素直に頷く。その様を、翅の男は苦々しく見守っていた。それでも主レピドライトの意向があるからか、リリアナに手を出そうとはしない。
リリアナはやはり翅の男のことは無視をして、アジュライトに話し掛けた。
「貴方、人の形も取れるのね」
『完全に力を取り戻したからな』
「それは良かったわ。やはり貴方が力を取り戻したというのは、魔王陛下が復活なさったから?」
他に理由が思いつかず、素直にリリアナは尋ねる。人には非ざる者、しかも魔王本人と同じ部屋に居るというのに、全く臆することなく素直に疑問を口にするリリアナを見て、アジュライトは楽し気に笑みを零した。リリアナの性質が相変わらずで嬉しい、とでも思っているのかもしれない。
『いや、それとは無関係だ。長い眠りから目覚めて時間が経てば、自然と力も取り戻せる』
「そうでしたの」
時間の経過と共にアジュライトが本来の力を取り戻せたのであれば、当然レピドライトも時間経過と共に完全なる復活を遂げることが出来るのだろう。
もしかしたら翅の男もまだ本調子ではないのかもしれない、などとリリアナは考え――少し、悪戯心が湧いた。久し振りに体調が良好で、少し高揚感がある。
「そちらの方は、貴方と同じように完全に復活なさったの? それとも、そこまで難しい表情をなさっておいでという事は、貴方に後れを取っているということかしら?」
リリアナの言葉に、アジュライトは目を丸くした。明らかに翅の男を揶揄している言葉だが、まさかリリアナがこのような発言をするとは思ってもみなかったに違いない。そして翅の男は、見事にリリアナの挑発に乗った。
『この小娘、私を愚弄するとは良い度胸ですね。当然本来の力を取り戻したに決まっているではありませんか』
男が纏う魔力が増える。威圧感が増えたが、リリアナは頓着しなかった。可愛らしい子供が必死に怒っているのを楽しむように、鈴の転がるような声を立てて、しかし控え目に笑った。
「その割にはわたくしに名乗られませんでしたわねえ。名乗られないということは、本調子ではない以上、名をわたくしに教え劣勢に立ちたくないからだと思いましたのに」
『我々魔族の名にそのような効力はありません。ベルゼビュートです』
苛々と額に青筋を浮かべるベルゼビュートは、あっさりと先ほどは拒否した自分の名を名乗った。リリアナは笑みを深める。どうやらベルゼビュートとやらは、リリアナが観察した通り、直情的なところがあるらしい。まだアジュライトの方が思慮深いようだった。
「そうでしたの。ベルゼビュート、よろしく」
あっさりとリリアナの挑発に乗って名乗ってしまったことに気が付いたベルゼビュートは、額に青筋を浮かべたまま沈黙する。どうやっても小娘を始末してやりたい、と言いたげだが、リリアナは構わなかった。そして、アジュライトもベルゼビュートを無視して視線をリリアナから主レピドライトに向ける。
リリアナたちが物騒な雰囲気を醸し出し言い合いをしている間にも、レピドライトはオルガを愛でていたようだ。そして十分愛で終わったのか、満足したような顔で立ち上がる。そしてリリアナに向き直ると、レピドライトは改めて口を開いた。
『もうじき我が最愛も目覚めるだろう。本来であれば我が国に連れ帰りたいところだが、そうすると不興を買うことは目に見えているのでな。自由にさせたいが、できれば私もそれなりに頻繁に会いたいと思っている』
迂遠と言えば迂遠な言い回しだが、本来の自分を取り戻しつつあるリリアナは直ぐにレピドライトの意図を汲んだ。
「左様でございますか。幸いにもドルミル・バトラー様はローランド皇子殿下の側近であらせられますし、オルガはわたくしの護衛でございますから。公務でもお会いすることは可能でしょう」
それに、とリリアナは言葉を続ける。
「わたくしが普段暮らしております王都近郊の屋敷には、わたくししかおりません。貴人がお忍びでいらしても、それほど目立ちは致しませんわ」
『そうか』
満足そうに、レピドライトは笑みを深めた。
『傭兵なぞをやっていたと聞いた時は、私が囲うべきかと考えもしたが。我が最愛――いや、オルガも、捕らわれ自由を失うのは好まんだろう。そこは昔から変わりない』
言いながらオルガを見下ろすレピドライトの横顔には寂寥が滲む。しかし、確かにその双眸には幸福が溢れていた。
フィオンディに会えずにいた期間を思えば、同じ時代に生きている上に足を延ばせば魂に会えるという状況が、どれほど幸運か、言葉に表せないほどだった。
『私の器がここに居れば、騒ぎになるに違いないからな。私はここで立ち去ることとしよう。いずれはまた相見えるだろうが』
にやり、とレピドライトは嗤ってリリアナを見やる。それまでオルガに対して見せていた情は一切消え去り、本来のレピドライトが顔を見せたようでもあった。
しかし、リリアナは動じない。淑女の笑みを浮かべ、寝台の上ではあったが綺麗に一礼してみせた。
レピドライトは一つ頷き、踵を返す。そして、彼は短く二人の側近に声を掛けた。
『行くぞ』
『御意』
短くベルゼビュートとアジュライトが答える。次の瞬間、三人の姿はその場から消え去っていた。
何もなくなった空間を、リリアナは茫然と眺める。これまでも、実際に音として声を出していたのはリリアナだけだった。しかし、リリアナにはレピドライトたちの声が全て聞こえていた。
そのせいか、しんと静まり返った部屋は妙に寂しく感じる。
しかし、レピドライトはもうじきオルガが目覚めると言っていた。即ち、床に倒れ伏したままのベン・ドラコも起きるということだろう。さすがに床に転がされたままでいるのは気の毒かと、リリアナは魔術を使ってベン・ドラコをソファーの上に転移させる。
無詠唱で他人を転移させることは慣れていたが、これまで以上に円滑に、何の負担もなく術を稼働できた。思わずリリアナは自身の両手を眺める。
「もしかして――」
確証はないが、以前よりも格段に自分の魔力量、そして魔術への適性が上がっているように思えた。体内に流れ込んだ闇の力が膨大だったせいかとも思うが、今リリアナの体内には、リリアナが体調不良に陥らないだけの魔力しか残っていないはずだ。その上、レピドライトの言葉を信じるのであれば、風の魔力に融合した闇の力だけが残されているはずだった。
「風の魔力に融合した闇の力が、増えていたということかしら?」
その可能性が一番高いのではないか、とリリアナは思案する。
だが、何故そのような闇の力が増えたのかリリアナには分からない。ただ一つ心当たりがあるとすれば、以前アジュライトから教えて貰った魔力制御の方法だ。アジュライトは、増加した魔力の内、“分離している状態の魔力”が暴走するのだと言っていた。そして分離した魔力を完全に混合してしまえば、魔力制御できるようになると教えてくれた。
つまり“増えた闇の力を本来あった風の魔力に融合させる”と言い換えることもできるのではないか。
更に言えば、魔術を使えば使うほど、闇の力の浸食は速くなっていた。体内で分離し存在していた闇の力の割合が減れば減るほど、外から流入してくる闇の力は増える――という仮説が正しいのならば、即ちリリアナが魔術を使うほど、闇の力と風の魔力は融合していく。
最後にリリアナが意識を保っていた時、リリアナはライリーたちと対戦する状況になっていた。すぐに意識は失せてしまったものの、その後、魔王レピドライトの記憶や魔力の残滓によって強大な魔術を使ったのだとすれば、当然、闇の力と風の魔力の融合もこれまで以上に進んだだろう。
「つまり魔力の能力値が異常に高くなったということでしょうけれど――あら、つまり乙女ゲームの悪役令嬢はまだ魔力の融合が完全には進んでいなかったということですわね」
ふっとリリアナは微笑を浮かべた。
乙女ゲームの悪役令嬢は、体調不良に苛まされ、闇の力や父エイブラムの術によって負の感情が増幅されたことで悪に手を染めた。だが、完全に魔王の器となるには至っていなかったのだろう。その悪役令嬢が処刑されたため、失われた肉体から解き放たれた闇の力が、本来の器の元へと戻ったのだろう。
そして完全なる力を手にした本来の器は魔王として復活し、二巡目の隠しキャラクターとして登場しヒロインと恋に落ちる。
ゲーム本編でも公式が出した攻略本にも、当然愛好家たちの間で広まっていた仮説や分析にも一切書かれていなかった推測ではあるが、一番可能性としては高いだろう。
難しい表情で考え込んでいたリリアナだったが、ふと小さな呻きが聞こえて顔を上げる。どうやらソファーに寝ていたオルガとベン・ドラコが、意識を取り戻したようだった。
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