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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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79. 鹵獲 5


ふと、レピドライトは顔を上げる。しかしそれよりも先に、アスタロスが変化に気が付いていた。

空気が揺れたような感覚があり、元を辿れば寝台の上だ。それまでは決して覚醒することのない眠りに落ちていた少女の体が、呼吸で揺れている。もうじき意識が戻るのだと、アスタロスは息を飲んだ。


ベルゼビュートは顔を顰めている。

フィオンディの命を助けた存在だと言っても、リリアナは所詮人間に過ぎない。矮小な人間のために魔王レピドライトが本来の力を取り戻せないなど、ベルゼビュートにしてみればあり得ない話だった。しかし、そんな本心を口にすればレピドライトが激昂するのは目に見えている。そのため、ベルゼビュートは口を噤んだ。


レピドライトもまた、視線をリリアナに向ける。そして彼は口角を笑みの形に上げた。何か面白いことを思い付いたような表情である。しかし、レピドライトがそんな表情をする時は碌でもない考え事をしている時だと知っているアスタロスは、思わずげんなりした。


リリアナに何かしらを仕掛けようと考えているのは、手に取るように分かる。フィオンディとの約束がある以上、レピドライトはリリアナに無体な真似はしないはずだ。だが、レピドライトは魔王だ。当然、普通の感覚とは違う。アスタロスも魔族であり魔王の側近として、常識が人間とは違う自覚はある。しかし、そのアスタロスをしてレピドライトは全く予想だにしない言動を取る代名詞のような存在だった。


やがて、リリアナの睫毛がふるりと震える。開かれた瞼の下、現れた薄緑の瞳が天井付近を彷徨う。首を巡らせたリリアナは、レピドライト、アスタロス、そしてベルゼビュートを見て目を丸くした。


『目覚めたか』


レピドライトが呟く。

その声も、そして三人の姿も、並みの人間であれば見えないはずだ。だが、リリアナは間違いなく三人の存在を認識し、そしてレピドライトの声に反応していた。

恐らくリリアナの体内に残された闇の力が作用しているのだろう。


それを分かっていてか、レピドライトは楽し気に笑った。


『気分はどうだ、眠り姫?』


きょとんとしたリリアナの表情はどこかあどけない。眠りから覚めたばかりで頭が回っていないのだろう。アスタロスは、そんなリリアナを目を細めて見つめていた。



*****



妙に感覚が近いと、リリアナは思った。ずっと水中を揺蕩っているような、そんな不思議な心地だったが、何故か今ははっきりと周囲の感触が分かるような気がしてならない。

瞼を震わせてゆっくりと目を開けば、見覚えのあるような天井が視界に入った。だが、すぐには何処で見たのか思い出せない。

徐々に視界がはっきりとして来て、リリアナはそこでようやく気配を感じた。顔を横に巡らせれば、視線の先には三つの影がある。人のような出で立ちだが、その内二人は、明らかに人ではなかった。


不思議なことに、リリアナは全ての人物に見覚えがあった。特に、明らかに人ではない二人の内の一方、翅を持つ人物とは顔を突き合わせて会話をしたことがある。

筋肉に包まれた鋼のような肉体を持つその人は、苦々しくリリアナを睨みつけていた。

以前リリアナの前に姿を現した時、彼はまだ余裕を見せていた。その上で、アジュライトが人間を恨んでいることや、矮小な人間など簡単に殺すことが出来ると脅されたのだ。どうやらアジュライトが関心を抱いている相手がどのような人間なのか確認したいと考えていたらしいが、決して友好的な空間でなかったことは記憶に新しい。


そんなリリアナは、声ではない声が話し掛けて来たことに気が付いた。


『気分はどうだ、眠り姫?』


音声ではないものの、何となく誰が喋ったのかは分かる。リリアナは、視線をソファーに腰掛けている人物へと向けた。漆黒の髪に緋色の瞳を持つ人物の容貌に、リリアナは見覚えがある。だが、記憶とは髪も目も色が違っていた。その上、纏っている雰囲気も大きく異なる。

()()()()()()()()()と目の前の人物が同一だとは、にわかには信じ難い。


「まあまあですわね」

『そうか』


リリアナが答えてゆっくりと上半身を起こすと、リリアナに質問を投げかけた人物はそれ以上の興味を失ったようだった。

そしてリリアナはそんなことも気にならないほど、自分の体に起こった異変に気を取られる。ここ最近ではあり得ないほど、体が軽い。頭に掛かっていた靄も晴れ、思考は非常に明晰だ。気分が悪くなることも、ふと気を抜いた瞬間に五感全てが失われるような、無理矢理眠りに誘われるような感覚もない。

言わば、何ヶ月、何年も続いた不眠症とそれに伴う諸症状が、一気に治癒したような感覚だった。


更に自分の体内に意識を向けると、体内に燻っていた自分のものではない力が感じ取れなくなっている。ただ、生来持っていた魔力が増えたようには感じた。その魔力をより鮮明に観察すれば、風の魔力に闇の力が融合し、リリアナの身に馴染んでいる。しかし、それ以外の()()()闇の力は、全て綺麗に消え去っていた。


もしかしてと、リリアナは視線をソファーに腰掛けた男に向ける。その男は、眠ったままのオルガに愛おし気な視線を向けていた。


「あなた方はどなた?」


今のリリアナが持ち得る全ての情報を統合しても、この部屋に居る三人の闖入者たちの正体ははっきりと分からない。ある程度の推測は出来るが、それでも確証はなかった。


乙女ゲームに“魔王”として出て来るキャラクターは、厳密には二人いる。一人は一巡目、王太子(ライリー)近衛騎士(オースティン)魔導士(ベラスタ)隣国の皇子(ローランド)を攻略する際に討伐せねばならない“敵としての魔王”だ。

その魔王は異形だった。両腕、手の甲、首筋に蛇と竜の鱗が浮かんでいた記憶がある。それはまさに、翅のある男の隣に立っている人物そのものだった。


一方、もう一人の魔王の姿かたちは異なっていた。全ての攻略対象者たちとのハッピーエンドを迎えた後にようやく出て来る、隠しキャラクターが魔王レピドライトだ。その時に描かれる魔王は、黒髪に赤い瞳を持った絶世の美貌の持ち主だった。だが、その造形に当たる人物は、今目の前にはいない。


前世の記憶では、一巡目の魔王と隠しキャラクターとしての魔王が違う理由について、公式には言及されていなかった。あくまでも愛好家(ファン)たちの間で囁かれていた噂のうち、最も有力だった原因は“魔王は姿を変えることができる”というものだった。尤も、その中でも髪と目の色は共通しているというのが通説だ。一巡目で魔王が出て来る場面は酷く暗く、色彩も鮮明ではなかった。


リリアナの問いに、ソファーに腰掛けた男は顔を上げた。片眉と口角を上げてリリアナを見る。


『誰だと思う?』


問いを発するだけ発して、すぐに男はオルガへと視線を戻した。オルガ以外はどうでも良い存在なのだと、態度で示しているようだった。


そんな男と、未だ憎々しくリリアナを睨んで来る翅の男、そしてリリアナに気遣わし気な目を向けて来る鱗の男。

三人の魔族らしき者たちを観察しながら、リリアナはゆっくりと口を開いた。


「どなたでしょう。少なくとも、貴方は」


リリアナは笑って見せた。その声音に何かを感じ取ったのか、ソファーに腰掛けた男は顔を上げる。空中で、二人の視線が絡む。リリアナは一層、笑みを深めた。


()()()()()()()()()のように見えますけれど?」


その言葉に、男は喉の奥で笑う。表情一つ違うだけで、全くの別人に見えた。双子だと言われたら、一も二もなく信じただろう。だが、男は否定しない。それどころか、彼はゆっくりと立ち上がってリリアナに体を向けた。


『そうだな。器は、その通りだ』


その答えにリリアナは確信を抱く。そしてリリアナの仮説は、乙女ゲームの矛盾をも解決するものだった。


「中身は違うと仰るのね」

『そうだと言ったら?』

「どうも致しませんわ、()()()()


寝台の上ではあるが、リリアナは恭しく敬称を述べる。

レピドライトはリリアナの問いを否定せず、一つ頷いた。リリアナの態度が気に入ったのか、興が乗ったのか、言葉を続ける。


『元々、この体は私が復活するために造られたものでな。いつ私が復活しても良いよう、この器が死を迎えれば新たな器が子や孫として生まれることになっている』


即ち、バトラー家は魔王が復活した際に、その肉体を魔王のため供する一族ということだ。そしてリリアナが意識を失っている間に、ドルミル・バトラーは部下を引き連れて王宮に侵入し、封印されていた記憶や感情、魔力を取り戻したのだろう。そしてそれが原因で、髪や目がレピドライト本来の色に変化したに違いない。


リリアナが大まかな内容を理解したと察したのか、レピドライトは軽く声を立てて笑った。


『理解が早くて助かる』

「お褒めに預かり光栄ですわ」


そして、レピドライトは時間を無駄にするつもりはない様子だった。

オルガ以外に興味がなさそうな素振りを見せておきながら、リリアナに今向き直ったのには理由がある。二人の異形が見守る中で、レピドライトは口を開いた。


『器とはいえ、魂に刻み込まれた幾つかの条件は忘れないものでな。魔王(わたし)の記憶がない中でも、最愛の存在には気が付くことができた。我が伴侶の命をお前が救ったと聞いた故に、お前の中にある闇の力全ては貰わぬことにした』


予想外の言葉に、リリアナは目を瞬かせる。最愛、という言葉が一瞬理解できなかった。

リリアナの中で、魔王はヒロインと恋に落ちることが決まっている。ヒロインが現れなければ魔王は誰を愛することもなく、ただ世界の破滅を望むのだ。


「最愛――とは、オルガのことでしょうか」


思わずリリアナは尋ねる。すると、レピドライトはあっさりと頷いた。


『お前たちはそう呼んでいる。だが、私にとってはたとえ記憶がなくとも、我が最愛、我が伴侶のフィオンディだ』


リリアナは言葉を失う。レピドライトの最愛が()()妖精姫(フィオンディ)だとは、誰が想像し得るだろうか。現在言い伝えられている妖精姫(フィオンディ)の伝説は、天空の支配者たる王に愛されたというものだ。彼女の恋人は、決して魔王ではなかった。


だが同時に、どこか納得もできる。

一部の歴史書では、天空の王と妖精姫(フィオンディ)の悲恋の続きが記されていた。曰く、最愛の妖精姫(フィオンディ)を失った天空の王は絶望し、悲しみ、そして世界から太陽が失われたというのである。その暗黒の時代は三百年ほど続き“魔の三百年”と呼ばれるようになった。尤もこの三百年はあくまでも比喩であり、非常に膨大な時間という意味だと指摘する学者もいるため、具体的な時間は定かではない。


元は魔王でなかったレピドライトは、最愛の女性フィオンディを失うことで魔王と化したと理解すれば、辻褄は合う。


乙女ゲームにオルガは出て来なかった。リリアナがオルガと出会う切っ掛けとなった魔物襲撃(スタンピード)で、恐らく彼女は命を落としたのだろう。

だから、魔王レピドライトは乙女ゲームで最愛の人と再会することは叶わなかった。


これほどまでに妖精姫(フィオンディ)を愛しているレピドライトが何故ヒロインと恋に落ちたのか、その理由は分からない。だが、今重要なことは、オルガが妖精姫(フィオンディ)であること、そしてそのオルガをリリアナが助けたからこそ、今リリアナの命が助かったということ、その二つだった。


「そうでしたのね。わたくしの中にある闇の力を全て得れば、そのお姿も変わりますの?」

『正確には、本来の力を全て取り戻せば、だ。だが今はそこまで焦ることもない。我が最愛(フィオンディ)の意に沿わぬことはせぬと、嘗ての私は誓った。その中に、フィオンディが愛する者を私も同様に尊重するという盟約も含まれている。そうすることで彼女の命が危険に晒されるようであれば考えねばならんが、お前は我が魂の伴侶(フィオンディ)を害することはないだろう』

「当然ですわね」


迷うことなく、リリアナは即答する。そして、レピドライトの言葉に確信を抱いた。

やはり乙女ゲームの二巡目に出て来た“隠しキャラクター”はレピドライトだったに違いない。そして一巡目で攻略対象者たちが倒した“魔王”はレピドライトの、恐らくは側近――今リリアナを優しく見つめている、鱗を持った男が身代わりとして倒されたのだろう。



15-1

50-1

50-2

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