79. 鹵獲 1
王都では、庶民も含めて皆が緊張の面持ちで街道に集まっていた。衆目を集めているのは、王立騎士団の騎士と近衛騎士たちに囲まれるようにしている王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードである。ライリーは人目を集めている自覚はありながらも、真っ直ぐ前を見据えていた。
「それにしても、隣国もなりふり構わなくなったものだね」
遠くで出陣の笛が鳴らされたのを耳にする。徐々に一行は動き始め、ライリーも自ら手綱を握り馬の歩みを進めた。出立こそ仰々しいが、この後は戦場となっている辺境伯領までかなりの強行軍が予定されている。その予定に耐え得る者だけが、選抜され残された。
「全くもってその通りですね」
ライリーに答えたのはクライドだった。クライドもまたクラーク公爵家から精鋭を選び、同行している。当然オースティンは近衛騎士としてライリーの傍に控えているし、後から話を聞いたエミリアは、王立騎士団と合流したデリック・カルヴァートたちと共に此度の出陣に加わることにした。オースティンはエミリアの意向に良い顔をしなかったが、人手が必要なのは確かだ。
ルシアン・ケニスが父辺境伯から受け取った情報は、王都に居る貴族たちを蒼褪めさせるに十分なものだった。
「皇国は、これまで表面上保っていた友好関係に罅を入れてでも、スリベグランディア国を手に入れたいようです」
「罅を入れるどころか、地面に叩きつけて思い切り踏み潰したね」
クライドの皮肉な口調にライリーは肩を竦める。
当然、辺境伯が有しているケニス騎士団も十分な実力集団ではあるが、その騎士団たちが全勢力を注いでも、互角または敗北という二文字が垣間見えるような有様らしい。突如として戦火に晒されることが確実となったスリベグランディア王国の貴族たちは、英雄の名に相応しいライリーが朗報を持ち帰ってくれるものだと信じて疑っていなかった。
「――プレイステッド卿が、陛下を王宮にお連れくださるそうです。留守はルシアン殿とプレイステッド卿に任せましょう」
「そうだね。彼らがいるならば安心だ」
ライリーは素直に頷く。早々に大公派の中心人物であったメラーズ伯爵を切り捨てておいたことも、今思えば良い判断だったと内心で嘆息した。
スコーン侯爵は精神を病んで領地で療養中だというし、グリード伯爵も姿を現さない。仮に二人が健在であったとしても、人の性格や能力を考えれば今の状態をひっくり返して政権を支配することはできないだろう。メラーズ伯爵でさえ、気が遠くなるほど長い準備期間を掛けて政権奪取を目論んでいたのだ。その上、ライリーの指示によって大公派の主だった貴族たちはそれぞれ処罰が決まっている。
「それに、オルガが戻って来たことも安心材料の一つでしょう」
行軍も、王都を出て人気がなくなるまでは並足で進む。周囲に人気がなくなれば一気に足を速めるが、まだ会話するだけの余裕はあった。
クライドの言葉に、ライリーは苦笑を浮かべる。確かにクライドの指摘通り、ライリーの心から僅かながら焦燥が消えたのは、オルガの帰還が大きかった。
落ち着いてリリアナを目覚めさせるために隣国の脅威をさっさと潰しておくという決意に変わりはなかったが、リリアナを一人王都に置いて行くことは気が咎めた。自分のいない間にリリアナが攫われたり容体が急変したりしてしまうことが、怖かった。
魔術的な容体の急変にはベン・ドラコが居るし、身の回りの世話のためリリアナの屋敷からはマリアンヌを呼び寄せた。王都近郊のクラーク公爵邸に戻すよりも王宮の方が警備もしっかりしているし、ベン・ドラコが魔導省の仕事をしたり魔道具を作ったりするにも都合が良い。
だが、信頼のおける騎士を近くに置く、という一点だけが懸念点として残った。極力戦力は国境へと連れて行きたいが、信頼がおけて腕の立つ騎士となるとかなり人数も限られる。エミリアを、とも考えたが、エミリアは実戦慣れはそこまでしていない。
そこに姿を現したのが、リリアナを探し回っていたというオルガだった。オルガは幾度となくリリアナの護衛として王宮にも上がっている。そのため門番とも顔見知りだったから敷地内には入れたが、当然リリアナの寝かされている部屋までは行けない。
そこで彼女は一旦王立騎士団の兵舎に赴き、七番隊の騎士を捕まえた。その後は人伝にクライドと繋ぎを付け、ようやく念願の再会を果たしたというわけだ。眠ったままピクリとも動かないリリアナを見たオルガは、寝台のすぐ傍で崩れ落ちるように膝を着いた。泣いてこそ居なかったが、本当は号泣したかったのだろうと、その様子を見ていたクライドやライリーたちは思った。
「まさかグリード伯爵がリリアナを連れ去った現場に同席していたとは思いませんでした。まあ尤も、その彼女がグリード伯爵邸まで赴いたお陰で、伯爵が影形なく消え去ったことも確認できたわけですが」
「まさか使用人から聞き出して来るとは思わなかったよ。確かに伯爵は裏社会とも付き合いが深かったという話だし、そっちで何か恨みを買った可能性もあるね。いずれにせよ、オルガがサーシャの護衛を買って出てくれて安心したよ。彼女なら百人力だ」
徐々に周囲の景色が変わり始める。木々が増え、そして民家が減る。あと少しで、思う存分馬を走らせられるという事実に、ライリーは口角を上げた。
それを見たクライドが片眉を上げる。
「楽しそうですね」
「そうでもないよ。ただ、破魔の剣があるからね。魔王を封印できるほどの剣だから。これを使えば、此度の戦も早々に――とまではいかずとも、想定以上に早く決着を付けられるんじゃないかと期待しているだけだ」
確かに、とクライドは頷いた。
破魔の剣は、ライリーの魔力を変質させ、増幅させる。それは魔王と互角以上に戦える力を引き出すためだが、即ちそれは人間ではあり得ない魔術を扱えるようになるという事でもあった。
それに何より、とクライドは、ライリーに気が付かれないよう一人考える。
リリアナをこれほど大切に想う男は間違いなく、リリアナが回復する前に侵攻を決意した隣国を決して赦しはしないだろう。
*****
血の臭いが漂う中、ジルドは鋭い目で前方を睨んでいた。敵の本隊は遠い。しかし、先行部隊は少数精鋭だった。勿論、ケニス騎士団も十分優秀だ。防戦一方にはならないが、それでも少なからず打撃は受けた。
「マーナガルム、イェオリが戻って来た」
ジルドのことをマーナガルムと呼んだのは、ケニス騎士団に所属している“アルヴァルディの子孫”の中では最年長のトシュテンだった。ジルドは鋭い視線をトシュテンに向ける。イェオリの異能力は影を使った移動だ。その能力を生かして、今回は自ら斥候となりたいと申し出たのだ。
「何が分かった」
「私たちの敵は最後尾に隠れるようにして居るらしい」
「なるほどな」
その一言で、ジルドはおおよそのところを悟る。
「本当なら、テンレックとペッテルが先に戻って来る予定だったが――もしかしたら、怪しまれたのかもしれねぇぞ」
「その可能性は否定できないな。ゲルルフは慎重深い奴だと聞く」
「慎重なのはゲルルフか、その上にいる奴かは分からねえけどな」
トシュテンの指摘に、ジルドは難しい表情で同意を示した。
スリベグランディア王国で相次いでいた“北の移民”失踪について調査を進めるうち、どうやら誘拐された者たちは皆隣国に送り込まれているらしいという事が判明した。そしてどうやら、隣国は“北の移民”の中でも身体能力の高い者に目をつけて、軍事力として活用しているらしい、という所も把握できた。
その一連の犯罪に、ジルドやトシュテンの生まれでもある“アルヴァルディの子孫”が絡んでいるのではないかという疑惑が持ち上がったのは、隣国によるカルヴァート辺境伯領侵攻の時だ。その時、ジルドやトシュテンは自分たちと同様、異能力を持つ敵と相見え戦った。
同類は、実際に会えば分かる。そしてジルドたちは、その中心にゲルルフという人物が居るところまで突き止めた――とはいっても、その殆どの情報を収集し辻褄を合わせ推測したのは、ジルドの主であるリリアナだ。
そしてジルドが、リリアナが既に推察していただろう事実を把握したのは、リリアナの指示に従ってテンレックとペッテルを皇国に送り込み、二人から途中経過報告が送られて来た時だった。実に一年越しの発覚である。
「上にいる――ああ、コンラート・ヘルツベルク大公のことですか」
「そうだ。面倒な奴らが手を組んだもんだぜ」
ジルドは鼻を鳴らした。
最近になったところでテンレックたちからの連絡は途絶えたものの、ある程度のところまでは順調に報告が来ていた。その中で、何故ゲルルフがユナティアン皇国の軍属になったのか、その理由も簡単に説明されていたのだ。
即ち、対外的にはコンラート・ヘルツベルク大公がたまたま道端で喧嘩していたゲルルフの身体能力が高いことに目を付け連れ帰ったとなっているが、実は大公が好んで通っている闇闘技場の出場者だったらしい、といったような内容だった。
いずれにせよ、戦闘を好む大公と血に飢えたようなゲルルフが組んでいるということは、ジルドたちにとっても厄介だ。
「それで? ゲルルフが出て来たってことは、大公も一枚噛んでるってことだろ。大公って奴が大将ってことで良いのか」
「いえ、どうやら大将は別に居るようです。そもそもヘルツベルク大公は今回の作戦に出て来てすらいないようですよ」
ジルドの疑問は当然だった。普通、部下が出て来ているのならば上司も参戦しているはずだと考える。しかし、トシュテンはあっさりと否定する。思わずジルドは「はあ?」と目を剥いた。
「別の奴が大将なのか」
トシュテンは、まだるっこしいことはしなかった。あっさりと肩を竦めると、大将とされている人物を明らかにする。
「第一皇女がお出ましのようです」
「――第一皇女ォ? あの戦闘狂か?」
「らしいですね。モーリス様も頭を抱えていらっしゃいましたよ」
後継者争いが熾烈さを増す中で、第一皇女はスリベグランディア王国を武力制圧することで、国内貴族の支持を得ようとしているらしい。そのため、虎視眈々とスリベグランディア王国に侵攻する機会を狙っていた、という話は、トシュテンやジルドもケニス騎士団副団長モーリスから聞いていた。
その皇女が、とうとう本懐を遂げんと腰を上げたという事なのだろう。仮に第一皇女が武力制圧に失敗すれば、ユナティアン皇国皇帝カルヴィンは、以前国境沿いの領主を生贄に捧げたように、実の娘が勝手に為したことだと斬首を送りつけて来るのだろうか。
それでも、万が一第一皇女を捕虜とせざるを得なくなった場合を考えると厄介だ。
皇女というだけあって、相応の饗応をしなければならない。だが、第一皇女は非常に芯の通った人柄――悪く言えば猪突猛進だと聞く。捕虜として捕らえた側は、その扱いに頭を抱えることになるだろう。
当然、その仕事をジルドたちがするわけではないが、その余波を想像するだけでジルドはげんなりする。その隣で、トシュテンはぼやいた。
「なかなか厳しい戦いになりそうです」
それは本心からのものだったが、だからといって苦戦を表に出すのはジルドたちの好みではない。そして、ケニス騎士団の気質とも真逆だ。
「まあな。とはいえ、のんびり時間をかける趣味はねえ。とっとと蹴散らして、ゲルルフを引きずり出してやろうぜ」
物騒な、しかし力強いジルドの言葉に、仲間たちも同意を見せる。
ジルドは勿論、トシュテンも他の仲間たちも誰一人として闘志は衰えず、寧ろ今すぐにでも敵を殲滅したいと言う気概に満ちてすらいた。
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