78. 王太子の威厳 3
王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードを英雄の再来と讃える声は、あっという間に王都中へと広まった。これがまた人の口を介せば、多少の時間は掛かるだろうが、王国中に広まるだろう。最早止める手立てはない。仮にライリーを権力の座から引きずり降ろしたいと考える者がいたとしても、賛同者が出る可能性は限りなく低かった。
「お見事でしたね。事前の打ち合わせも何もなく、見事あそこまでやり切ったと驚きました」
ライリーの私室に集まったクライドとオースティン、ベラスタは、ソファーに腰掛けて謁見の間で貴族たちが見せた反応を思い返しながら話に興じていた。
リリアナはまだ目覚めない。ベン・ドラコとエミリアがリリアナの警護と世話に当たり、かつ解術の方法を模索してくれているが、一朝一夕で解決できるような課題ではなかった。
クライドが感心したように言えば、オースティンもまたしみじみと頷く。
驚いたことと言えば、複数ある。ライリーが見事に自分の立場を確立し大公派の影響力を殆ど無に帰した謁見の間は、驚きと共に爽快さや嬉しさもあった。そしてその後、別に話す機会を持ったヘガティ団長から、カルヴァート辺境伯領からわざわざ王都まで来た北連合国の外交官オルヴァー・オーケセンの存在を聞いた時に、ライリーたちの驚きは倍になった。
オルヴァー・オーケセンとはまだ面会の機会がないが、ライリーの悲願である“北の移民”の地位向上と、王立騎士団への組織的な編入が可能となるかもしれないのだ。
「オルヴァー・オーケセンがそこまで殿下に期待をお持ちくださったとは思いませんでした。何をお二人で話されたのかは存じませんが」
少し皮肉っぽい口調でクライドが笑う。ヴェルクでライリーがオルヴァー・オーケセンと会おうとした時、クライドだけでなくオースティンですら同席させなかったことを揶揄しているのだ。
当初はオースティンも不機嫌だったが、時間が経つにつれちょっとした冗談のような扱いになっている。ライリーは苦笑して肩を竦めた。
「一応、誠実に接したつもりだからね。そのせいじゃないかな」
「俺はそっちよりも、やっぱり謁見の間でお前が光った時の方が興奮したけどな」
楽し気にオースティンが口を挟む。しかし、ライリーは嬉しそうにするでもなく、困ったように眉根を寄せた。
「オースティン、光ったってなんだかその言い方だと私が人ではないように聞こえるよ」
「英雄様だろ?」
オースティンは、ライリーが最後の最後で破魔の剣を掲げ、己が英雄の血を継ぐ者であると宣言するとは思っていなかった。しかも、その宣言と共に神々しい光がライリーを包んだのだ。全く動じない表情でライリーの背後に控えていたものの、内心の驚きは一入だった。
「あの光、お前の仕業か?」
「一応ね。元々私の魔力は火だから光の魔術とはそれなりに相性が良いんだ。でも、破魔の剣があったからこそ、あそこまで立派な光になったのは確かだよ」
ライリーはまるで破魔の剣と会話できるような口調で言う。その話し方に何かしら疑問を持ったのか、クライドがふと首を傾げて不思議そうな口調で尋ねた。
「殿下はその剣を持ってからというもの、不可思議な夢をご覧になられているという事でしたが」
クライドの問いに、ライリーは頷く。クライドはそれを確認した上で、更に言葉を重ねる。
「魔王封印の方法も、夢で知ったと仰っておられましたよね」
「そうだね。破魔の剣で魔王の体から魔力と記憶、感情を切り離して、三つを別の場所に封じるんだ」
魔力は地下迷宮に、記憶は水鏡に、そして感情は宝玉に封じられた。そしてそれと同時に、魔王の体は崩れ落ちて消失する。だから、リリアナの体内にある“時間停止の術”を解術したとしても、その後が続かない。リリアナの体に入り込んだ闇の力は増幅し続け、魔王の器となったその体は乗っ取られてしまう。そしてリリアナの意識は永遠に失われてしまうのだ。
どうにかして取り戻したくとも、リリアナの体に一旦魔王が憑依してしまえば、魔王を再度封印した時にリリアナの体さえ失われてしまう。
僅かに口角を引き攣らせながらも説明したライリーに、クライドとオースティン、そしてベラスタは難しい表情で考え込んだ。
難しい顔で考え込んでいたクライドが、「仮にですが」と前置きをする。何か思いついたのかと顔を上げたライリーとオースティン、そしてベラスタは、無言でクライドの顔を凝視した。クライドは真剣な表情でライリーに向けて一つの案を述べる。
「仮に、魔王の器を別に用意できた場合――リリアナではなく、そちらの器に魔王を復活させることは出来ないでしょうか?」
「別の器?」
クライドの提案に、三人とも目を瞠った。全く考えもしなかった案だ。変わらない真剣な表情で、クライドは「はい」と頷く。
「器となり得るのであれば、それが何であるかは問いません。死刑囚であればより良いでしょうが、巨大な宝物でも構わない。要は、リリアナの代わりに魔王が復活の依り代とする存在を用意し、その器を使って復活した魔王を再度封印できれば良いのです」
そうすれば、リリアナの体が壊れることはない。非常に魅力的な提案ではあったが、クライドが言い出した案にはたった一つ、大きな課題が存在していた。
ライリーが眉間に皺を寄せて嘆息混じりに答える。
「それが出来れば最善だけど――問題は、魔王の復活に耐え得るだけの“器”を用意できるかどうか、だね」
「確かに」
ベラスタもライリーに同意する。彼もまた顔を険しくさせて両腕を組み、指先で自身の腕を神経質に叩いていた。
「器っていっても、つまりリリアナちゃんの――リリアナ嬢の体内に取り込まれた闇の魔力以上の魔力、それから、噴水から流れ出てたなんか良くわからないアレと、情調の珠に入ってるアレ全部を一つに収めなきゃいけないんだろ?」
リリアナちゃん、と言った瞬間にライリーの冷たい視線が飛んで来たことに気が付き、ベラスタは慌てて“リリアナ嬢”と言い換える。クライドとオースティンが一瞬呆れた視線をライリーに向けるが、ライリーは取り合わなかった。
ベラスタもまた多少焦りはしたものの、興味は魔王をどうやって再度封印しリリアナを無事目覚めさせるか、という課題に向けられている。しばらく考えていたが、ベラスタはやがて諦めたように首を振った。
「いや、どう考えても無理でしょ。ドラコ一門の力を集結させても厳しいんじゃない?」
「それほどまでにか」
リリアナが魔王の器にされかかっている、という認識故か、クライドは罪人を代わりの器として仕立て上げれば良いとだけ考えていたらしい。ベラスタの言葉に認識を改めざるを得なかったのか、わずかに顔を蒼褪めさせている。
ベラスタはしみじみと首を振った。
「だってオレ、正直なところ、なんでリリアナちゃ――嬢が魔王の器になれるほど魔力の器が大きいのかも分かんないもん。一般的な人間だったら絶対にムリ。今の時点で死んでる。でも彼女、ギリギリまで意識はあったぽいしね。それでも随分としんどかったんじゃないかなー。三日間以上、飲まず食わずで徹夜してたら人間って死ぬけど、リリアナ嬢の場合はそれを一週間くらい続けた感じだったんじゃないかって思うぜ」
その言葉に、ライリーは苦しそうな顔をする。そしてクライドとオースティンは全く想像もしていなかったのか、完全に顔色を失くした。
当然、そうなれば動くことは愚か、まともな思考も出来ないだろう。特にオースティンは騎士として、極限状態に追い込まれるような訓練を数度、経験したことがある。その時、中には幻覚を見て錯乱する者もいた。
だが、最後に言葉を発していたリリアナには、一瞬ではあったが理性が垣間見えた。どれほどの精神力だったのかと感嘆する。
一方でライリーは、片手で顔を覆った。その状態のリリアナは、ずっと一人で耐えて来たに違いない。違和感を覚えつつも、強引にでも話を聞き出さなかった過去の己を呪いたい気分だった。だが、どれほど後悔しても過去には戻れない。
重苦しい雰囲気が部屋を包みかけたその時、侍従が外から声をかけて来た。
「殿下、王立騎士団副団長マイルズ・スペンサー殿がお急ぎの用だとのことです」
ハッとしたように、ライリーたちは顔を上げる。マイルズ・スペンサーが緊急の用とは、只事ではない。一体何事かとクライドが立ち上がり、扉を開けて侍従に応対する。その間に、ライリーとオースティンは直ぐにでも出かけられるように身支度を整えた。
謁見の間に赴くわけでもないから、最低限、王太子として品位が保たれる格好だ。そんな二人に、クライドは告げた。
「執務室の隣の控えの間にお待ちだとのことです」
ライリーは頷く。
「分かった。ベラスタ、ベン・ドラコ殿と一緒にサーシャについていてくれ」
「了解」
王立騎士団が来るということは、自分の出番はないとベラスタは分かっていた。少しふざけた様子で敬礼をしてみせる。それに一つ頷いたライリーは、クライドとオースティンと共に執務室へ急いだ。
謁見の間とは違い、ライリーが使っている執務室は私室からそれほど遠くない。
ライリーたちが執務室に入った直後、すぐに焦った様子のマイルズ・スペンサーが入って来た。焦る侍従を追い越しているが、全く気に止める様子がない。礼儀正しい副団長にしては非常に珍しいことだった。その分、緊迫感が伝わって来る。
それでも、スペンサーは辛うじて礼儀を保とうとした。
「――殿下。無事のお戻り、心よりお慶び申し上げます」
「ああ。ありがとう。それで何があった?」
顔を引き締めたライリーは、時間を無駄にするようなことはしなかった。スペンサーの言葉に礼を述べたものの、すぐに用件を尋ねる。すると、スペンサーもまた単刀直入に用件を答えた。
「狼煙が上がりました。隣国が攻め入ったようです」
その言葉に、ライリーだけでなくクライドとオースティンも顔を強張らせる。確かにここ最近、国境近辺が不穏だという話はケニス辺境伯からも聞いていた。カルヴァート辺境伯領もどうやら不穏な様子らしいと報告も受けている。
しかし、いざ本当に隣国が攻め入って来たのだと聞くと、複雑な感情がせり上がって来た。とうとうか、という覚悟が決まると同時に、まだ解決せねばならない問題が残っているのに、という苛立ちが錯綜する。
とはいえ、眼前に迫った問題は即座に対処しなければ国を失う。支配された国に待ち受ける運命は、いつの時代も過酷なものだ。
「具体的な場所は分かるか」
「狼煙の方角からして、恐らくは」
スペンサーが告げたおおよその場所は、普段、隣国領主が攻め入る場所から随分離れた土地の名だった。思わず、クライドとライリー、そしてオースティンは視線を交わす。
それは、ライリーたちがヴェルクから帰国する際、ケニス辺境伯領に入るために通った廃村に隣接した場所だった。
「軍勢は?」
「具体的にはまだ分かりません。恐らくルシアン殿が具体的な内容を受け取っていると思いますが、狼煙の色は赤でした」
ルシアンが王都に居る場合は、魔道具を使って緊急の連絡を取ることが出来る。しかし、ルシアンが居ない場合や魔道具を使っての連絡が取れない場合を見越して、二つの辺境伯と王家の間では狼煙を上げ情勢を知らせることが取り決められていた。
赤い狼煙は、救援を必要とするときに使われる。つまり、常よりも敵の戦力が大きく、自領の軍だけでは対応しきれないということだ。
最近で使われたのは、カルヴァート辺境伯領に隣国が侵攻した時だった。その時は隣国領主の独断ということになったが、実際には“北の移民”が戦力として加わっていた。つまりその裏では、コンラート・ヘルツベルク大公、即ち皇国が糸を引いていたのだ。
「皇国が動いたか。このまま押し切られては不味い。ルシアン殿と一度連絡を取るが、王都からも援軍を送る。王立騎士団の内、王都に留まる者と国境に向かう者とに分けてくれ」
「御意」
マイルズ・スペンサーは深く一礼すると、そのまま部屋を出ようとする。しかし、ライリーはその後ろ姿に声をかけてスペンサーを引き留めた。
「副団長」
「は」
振り返ったスペンサーに、ライリーは少し言い澱む。常に明朗なライリーにしては珍しかったが、彼は何かを確認するように剣を撫でると、決断を下した。
「国境へは私も行く。そのつもりで準備をしてくれ」
「殿下!?」
驚いたのはスペンサーだけではない。クライドやオースティンも目を見開いていた。しかし、ライリーに譲る気はなかった。ライリーは断固とした口調で告げる。
「以前、カルヴァート辺境伯領では砦を奪われ辛酸を舐めた。二度と、同じ事態は引き起こさない」
「ですが、殿下がわざわざ赴かれるなど――!」
スペンサーは顔色を変えて言い募る。しかし、ライリーは平然としたものだった。寧ろ不敵に笑って言い募る。
「破魔の剣を携えた英雄が向かわずして、誰が戦場へと向かう?」
マイルズ・スペンサーは、謁見の間には居なかった。しかし、ライリーが破魔の剣を持ち、まさに英雄となったのだという噂は既に耳にしていた。そのため、堂々とした言い草に反論できず言葉を飲む。
確かに、王太子、それも英雄が直々に戦いに来たと聞けば国境を守る騎士たちは存分に鼓舞されるだろう。その姿だけで一騎当千である。
剣と剣を交える肉弾戦は戦う者の精神状態に結果が大きく左右される。その事を考えれば、確かにライリーが姿を現すことで、敵を一網打尽に出来る可能性も跳ね上がると言えなくもない。
しかし同時に、ライリーが戦場に赴くということは、彼自身の命が危険に晒されるということでもあった。俄かに賛成できるかと言えば、決してそうではない。
とはいえ、ライリーに譲る気がないのは傍から見ても明らかだった。どう説得すべきかと難しい顔で悩むクライドやオースティンを尻目に、ライリーははっきりと告げる。
「さっさと潰して後顧の憂いなく、私はサーシャと再会したいんだ」
リリアナの意識が戻らないということは、マイルズ・スペンサーも聞いてはいる。しかし、具体的な状態までは知らない。言葉に詰まる周囲の人間をよそに、ライリーは笑みを深めた。ただし、その目は笑っていない。
「だから、出陣の準備を整えてくれ」
頼んだよ、という言葉は普段通りのものだったが、その裏に垣間見えたひんやりとした空気を感じ、慌ててマイルズ・スペンサーは執務室を出て行った。
38-1
61-1