78. 王太子の威厳 1
ライリーたちが王立騎士団ヘガティたちの来訪を知る半日前、王都近郊に集っていた騎士たちは複数に分かれて王都へと足を踏み入れていた。ヘガティは眉根を寄せる。
「随分と静かだな」
その疑問に答えたのは、斥候として先に王都の様子を探っていた騎士だった。
「大公派の治安部隊の素行はあまり宜しくありませんでしたから――尤も一部だけですが。貴族も庶民もあまり出歩こうとはしなくなったのでしょう」
「つくづく傍迷惑な奴らだ」
ヘガティは顔を顰める。一部の傍迷惑な治安部隊は、宿舎として屋敷の一部を貸し出すよう、低位の貴族に横暴な振る舞いをしているとも聞く。治安部隊の癖に治安を悪くするような所業をするとは何事かと思うのだが、大公を支持している貴族やその係累にとっては自分以外の低位貴族や庶民など、使い捨ての道具にしか見えていないのだろう。
しかし、ある意味ではヘガティたちにとって僥倖だった。仮に治安部隊と出くわし衝突したとしても、一般人への被害は最小限に抑えられるだろう。
とはいえ、先に潜入したオルガたちが上手くやったのか、治安部隊の姿は見えない。この分だと取り立てて大きな争いなく王宮に辿り着けそうだ。
尤も最後まで油断はできないが、想定より早く王太子たちと合流できるに違いない。
「早めに、先発隊とは合流したいが」
「先発隊も仕事が終われば王宮に潜入することになっていますから、すれ違うことはないでしょう」
「――そうだな」
部下の言葉にヘガティは頷いた。計画通りであればその通りだが、オルガの様子はどうにも気がかりだ。ヘガティたちと、オルガの目的は異なっている。途中までは道を共にした方が良いと分かっているから手を組んだものの、王太子を助け大公派を挫くという目的を持つヘガティとは異なり、オルガは王太子のことなどどうでも良いと思っている節がある。
オルガが今回助けたいと思っているのは、大公派に捕らわれているらしい彼女の主リリアナ・アレクサンドラ・クラークだ。オルガの様子を見る限りリリアナが王宮に居ると考えているようだが、リリアナが見つからない限り、オルガはヘガティたちと行動を共にしようとはしないだろう。
「まぁ良い。遅れた者は置いて行くだけだ」
「は」
ヘガティは自分の中にある迷いを断ち切るように、低く呟いた。隣に立つ騎士は自分に話し掛けられたかと思ったのか、表情を引き締めて頷く。
そしてヘガティが予想した通り、特に治安部隊と出くわすこともなく一行は王宮へと着実に足を進めた。道半ばで、クライド・ベニート・クラークから王宮の大公派を鎮圧したという連絡が入った後も、当然治安部隊と相見えることはない。そして推測通り、王宮で他の仲間たちと合流した時も、オルガの姿だけがそこにはなかった。
*****
オルガは、気が急いていた。
大公派が手配した治安部隊や魔導士たちに偽の指令を流し、本部に帰還させる。オルガの扱う魔術は東方のもので、スリベグランディア王国では一般的ではない。そのため、警戒心の強い魔導士相手でも大して抵抗なく、必要に応じて噂を流すことが出来た。
「禁術一歩手前ではあったが――緊急事態だからな」
自分の担当する治安部隊と魔導士の一群は全て対処し終え、後は他の潜入者たちが彼らの仕事を終えるのを待つだけである。だが、オルガはその時間も無駄にする気は更々なかった。
リリアナがどこに居るかも確証はない。やはりカルヴァート辺境伯領に行くことを諦め、単独でリリアナの救出を優先すべきだったかと後悔するが、過去に戻ることが出来ない以上、今は最善の策を考える他なかった。
「そもそも、お嬢様の居場所を知っていそうな人間がどこにも居ないのが問題なんだ」
苦々しく顔を歪めたオルガは、耐え切れずに道を走り出す。
恐らくリリアナの居場所を知って居る者はグリード伯爵の手先に違いなく、そして治安部隊に所属している騎士たちの会話を聞く限り、そのグリード伯爵も最近は全く人前に姿を現していないようだった。
「王宮か、それともグリード伯爵邸か――」
グリード伯爵の屋敷ならば場所を把握している。もしリリアナを領地に連れ帰られていたら面倒だが、グリード伯爵の性格からして、今この時期に王都を離れるようなことはしないはずだった。それならば、グリード伯爵本人も王都の邸宅に身を潜めていると言われた方が納得できる。
「一旦、グリード伯爵邸の様子を見て来よう」
そうと決まれば話は早い。オルガは方向転換し、近場にある治安部隊が宿舎として使っていた――もしくは占拠していた屋敷へと入る。無理に治安部隊に押し入られ屋敷を提供していた低位だが、商売が上手く金だけはある貴族の家だ。突然訪れたオルガの姿に下働きの使用人たちがぎょっと顔を引き攣らせた。恐らく、オルガも治安部隊の仲間だと思われているのだろう。せっかく無法者たちが姿を消したと思ったのに――というところだろうが、オルガは構わなかった。
一番手近に居た使用人に歩み寄ると、間近から相手の顔を覗き込む。
「今日までここに滞在していた治安部隊の連中が残した馬はいないか?」
「え? あ、はい――いますけど」
「寄越せ」
オルガの問いは、使用人にとっては全く思いも寄らないものだったに違いない。目をぱちくりとさせて、間の抜けた声を漏らす。オルガは何の遠慮もなしに、端的に要望を告げた。
その迫力に気圧されたのか、使用人は情けない悲鳴を喉の奥で上げた。
「わ、分かりました!」
使用人は転がるように走って屋敷の裏手に姿を消し、すぐに一頭の馬を連れて戻って来る。きちんと世話がされていたらしく、非常に元気そうだ。満足して頷いたオルガは一つ頷くと、銀貨を一枚使用人に渡した。庶民はまずお目に掛かれない貨幣だ。使用人がぎょっとしたように目を剥くのには構わず、オルガは馬に飛び乗る。
「礼だ。受け取っておけ」
絶句したまま二の句が継げないでいる使用人を置き去りに、オルガは思い切り馬の尻を叩いた。途端に馬は走り出す。
あっという間に小さく見えなくなった後姿を、使用人は茫然と見送る。そして、更にその様子を眺めている一つの人影があった。その人影はずっとオルガを尾行していたのだが、その事実を知る者は誰もいなかった。
*****
謁見の間に向かうライリーの耳に、クライドが囁いた。
「既に顧問会議の面々は謁見の間に控えております。そこに王立騎士団長ヘガティを筆頭とした騎士団の面々が殿下への目通りを願うという形で入室の予定です」
「欠席者は?」
「両辺境伯。しかしケニス辺境伯御嫡男ルシアン殿はご参席です。エアルドレッド公爵、プレイステッド卿、ローカッド公爵は御欠席です」
クライドの言葉にライリーは眉根を寄せる。ローカッド公爵が欠席なのはいつものことだ。だが、エアルドレッド公爵ユリシーズとプレイステッド卿の欠席は手痛い。尤も大公派の主要貴族として、顧問会議でも発言権の強かったメラーズ伯爵やスコーン侯爵、グリード伯爵も居ないのだから、殆ど王太子派の独壇場と言っても良いだろう。
「可能ならば、ここで父上に対するメラーズの冤罪も暴いておきたかったけれどね。大公派の処断だけはできるかな」
ライリーの小さな呟きに、クライドは同意を示すように頷いた。しかし、幸か不幸か今日は顧問会議の日ではない。
「処断は早い方が宜しいでしょう。しかしながら、冤罪に関して次回の顧問会議の日に行っても宜しいかもしれません。もしかしたら、その必要もないかもしれませんし。尤も、顧問会議ではなく、御前会議へと変更になるかもしれませんが」
クライドが付け加えた独白のような言葉に、ライリーは目を瞬かせる。
ライリーが物心ついてからというもの、父である国王ホレイシオは常に病床の人で、国政に関わったことなど殆どなかった。政は全て有力貴族たちによって執り行われ、顧問会議が実質上の最高権力機関だったのだ。御前会議も制度としては存在しているものの、実際に御前会議が開かれたのは先代国王の時代であり、今上国王になってからは存在そのものが危ぶまれるような状況だ。
しかし、確かに国王ホレイシオは既に病床の人ではない。長年かけられていた呪術も解かれ、完全な健康体というわけではないものの、多少は動けるようになっていた。大公派の策謀によって王宮を出奔した後はライリーも出会っていないし、その短期間で国政を行えるようになっているかどうかと言えば疑問は残るものの、御前会議を開くだけは出来るだろう。
「そうだね。今日の目的は、北方の反乱軍を鎮圧した騎士たちの報告を聞く場だ。処断はすることになるだろうけどね。ついでに、私が叔父上の禁術に倒れたことも併せて広く知らしめよう」
「それが宜しいかと」
ライリーの言葉に、クライドは満足気に頷く。知らず、ライリーやオースティンの口にも笑みが広がった。
大公派の貴族も、主だった三人は既に表舞台から姿を消した。だからといって、大公派が完全に居なくなったとは誰も考えていない。単に“御しやすくなった”という程度だ。
だからこそ、これから設けられた時間はまたとない機会だった。ライリーが大公の禁術によって倒れたことは既に大半の貴族が知っているかもしれないが、目が覚めたことは誰一人として知らない。そのため、残された大公派たちの不意を突き、本来の主が誰であるか知らしめるには、ちょうど良い機会だった。
何気ない仕草で、ライリーは腰に提げた破魔の剣に触れる。呼応するように、剣は静かに光る。力強い相棒の存在に、ライリーは目を細めた。