77. 閉ざされた部屋 2
ベラスタであれば、彼の兄であるベン・ドラコとは直ぐに連絡を取ることが出来る。そして同時に王都近郊に居るはずの王立騎士団長ヘガティたちも呼び付けることにして、同時に王太子派としてライリーたちの王都奪還に力を貸してくれていたケニス辺境伯やエアルドレッド公爵にも連絡を付ける。
だが、問題は未だ目覚める気配のないライリーとリリアナをどうするか、という点だった。
「リリアナ嬢はまだ誤魔化せるかもしれないが、ライリーに関しては難しいだろうな。どうにかして目覚めさせる方法が分かれば良いんだが」
オースティンが難しい顔で呟く。
リリアナに関しては寝かせている部屋を閉ざし、入室する人間を制限すれば問題はない。倒れている現場を見た騎士たちが居る以上、完全に情報を遮断することは難しい。だが、禁術を放った大公から王太子を守ろうとしたという、クライドの説明も同時に広まっている。そのため、リリアナの意識が戻らないという話が人口に膾炙したとしても、美談にはなる。
一方、ライリーに関してはその地位が問題だった。王太子の意識が戻らないということは、貴族や民の不安を煽るだけでなく、良からぬことを企む者に付け込む隙を与えることになる。
そのため、王太子ライリーは婚約者リリアナの手に守られ、一時意識は失ったものの、その後問題なく回復した――という物語が必要だった。
その隣でクライドもライリーの穏やかな寝顔を眺めながら、短く同意した。
「医師にも打つ手はないというし、確かに闇の力や破魔の剣によって生み出された魔力が原因だというのなら、一朝一夕で解決策が分かるようなものでもないだろう。そもそも、魔王を封印した英雄たちが意識を失ったという話も聞かない」
「確かに」
嘆息したオースティンは、ライリーの隣に置いた破魔の剣に目をやる。
事前に分かっていた通り、破魔の剣はオースティンもある程度扱えるということが分かった。ライリーと魔導剣の“同調”が成功したのも、オースティンが破魔の剣を扱える身分だったからという理由が大きいだろう。もしオースティンが破魔の剣を扱える存在でなければ、“同調”は失敗していたに違いない。
そうこうしている内に、隣の部屋で魔術を使いベン・ドラコに連絡を取っていたベラスタが戻って来る。ベラスタは、少し離れた場所に控えているエミリアに視線をやった後に、寝台の脇で立ち尽くすクライドとオースティンを見て目を瞬かせた。
「あれ、どうしたの?」
「いや、どうしたらライリーが目覚めるかと思って」
「あー」
オースティンの言葉に、ベラスタは曖昧に唸る。ベラスタは困ったような表情で頬を掻きつつ「それなんだけどさ」と恐る恐る切り出した。
一体どうしたのかという、三人分の視線を受けたベラスタは、気まずそうに視線を逸らす。
「薄々思ってはいたんだけどさ、今連絡するついでに兄貴に確認したんだけど」
言い辛そうに、のろのろとベラスタは話続ける。クライドとオースティン、そしてエミリアはそんなベラスタを急かすことなく、ただ静かに言葉の続きを待った。
「一応、念のため、もう一回オレが殿下の体診ても良いかな?」
「診る? ああ、魔術的にってことか」
ベラスタの申し出を聞いたオースティンとクライドは直ぐに納得して場所を開ける。ベラスタは少し早足で寝台の隣に立つと、彼には珍しく眉間に皺を寄せ、難しい表情でライリーの体に目を落とした。魔術的に診るといっても、大仰なことをするわけではないらしい。一体ベラスタが何を“診て”いるのか傍からは分からず、クライドとオースティン、そしてエミリアは固唾を飲んで見守った。
やがて、ベラスタは小首を傾げて手を胸元に翳す。そして低く「うーん」と唸った。
「ベラスタ、何か分かったのか?」
堪え切れずにオースティンが尋ねる。ベラスタは小さく息を吐くと、一歩寝台から離れた。
「多分間違ってはないと思うけど、殿下が目覚めないのは、体内にある魔力が止まってるからだと思う」
「魔力が循環してないってことか。何故そんなことに?」
通常、人間の体内にある魔力は滞りなく循環している。その魔力が止まる時というのは、何らかの病を得た時や死んだ時と決まっている。それ以外の要因で魔力の循環が滞るなど、まずあり得ない話だった。
オースティンが口にした疑問に同意するように、クライドやエミリアも頷く。だが、ベラスタは直ぐには答えなかった。それどころか、目が泳ぐ。しかし、ベラスタも現状をどうにか打開しなければならないと分かっていた。
「えっとぉ……オレさ、殿下に頼まれて、ヴェルクでヘルツベルク大公の追手の時間止めたじゃん? それで、その術をリリアナちゃんに向けて使えって殿下に言われたから、そうしたんだよ」
「ああ」
そこまではオースティンやクライド、そしてエミリアも見ている。それどころか、エミリアはベラスタの魔力が枯渇して倒れないように、魔力を提供して補助した。
「オレも殿下がどうする気なのか分からなかったし、オレの術が本当に――ああなっちゃったリリアナちゃんに効くのかも分からなかったんだけど」
ベラスタの言葉にクライドたちは唇を引き結ぶ。クライドもオースティンも、そして当然エミリアも、ライリーが何を考えているのか詳細までは分からなかった。恐らく勝率の低い賭けをするつもりだったのだろう。
「多分、言えばオレたちが反対すると思って、殿下は詳しいことを言わなかったんだと思う。オレもちゃんと訊けば良かったんだけど、ああいう状態だと冷静になれないもんなんだね」
どこか自嘲するような口調に聞こえたのは、クライドたちの気のせいではなかった。普段から飄々として自己嫌悪になど陥らなさそうなベラスタが、溜息を吐いている。それでもどこか“仕方ないけどさあ”と言い出しそうな雰囲気があるのもまた、クライドたちの思い過ごしではなかった。
実際に、ベラスタは「でもまあ仕方ないよね」と肩を竦める。その仕草に憎めないものを感じながら、クライドとオースティンは苦笑を漏らした。
「それで、何が分かったんだ? 解決策はあるのか?」
オースティンに尋ねられて、ベラスタは「ああ、うん」と目を瞬かせる。そして、今一度ライリーに視線をやり、再びオースティンとクライドを見やった。
「色々と魔力が錯綜しててちゃんと見えなかったから、今の状態と照らし合わせての推測でしかないんだけどさ。多分、殿下ってば、オレの放った“時間停止の術”を一旦、破魔の剣に吸収させたんだと思うんだよね」
それ、と言ってベラスタはライリーの傍に置かれた破魔の剣を指し示す。そんなことが出来るのかと瞠目したオースティンやクライド、そしてエミリアに向けて、ベラスタは淡々と推測を言って聞かせた。
「多分、破魔の剣って、別の魔力を同質の魔力に変換することが出来るんじゃないかな? オレの放った術式はそのままに、器用に魔力だけ変質させたんだと思うんだよね。それで、何故かは分かんないけど、その術式が殿下の体の中に入り込んで、殿下の魔力循環を止めてるってこと、みたい」
ベラスタの説明はそれで終わりだった。だが、誰も口を開けない。俄かには信じ難いことだったが、ベラスタが言うのであればほぼ間違いなくその通りなのだろう。思わずオースティンとクライドは顔を見合わせた。
そして、恐る恐るオースティンがベラスタに尋ねる。
「――ということは、術者であるお前なら解術してライリーを目覚めさせられる、ということなのか?」
普通であれば、術者であれば掛けた術を解除できると考えて問題ない。魔術は基本的に詠唱から術の発動、効果発揮までに時間さはないが、効果が暫くの期間継続するものもある。そのような術は、術者次第で術を解除することもできる。
しかし、ベラスタは首を振った。
「オレの魔力のまんまなら、出来たんだけどねえ……魔力が変質してるからムリ」
あっさりと告げるベラスタは、話している間に諦めの境地に至ったらしい。“どうしようねえアハハ”と棒読みで遠い目をする。
皆表情を硬くしたが、何かに気が付いたようにクライドが声を上げた。
「いや、待ってくれ。解術は別に、違う属性の魔力でもできるだろう?」
「普通ならね」
ベラスタは静かに答えた。
「今回は、魔術の術式自体が体内に入り込んじゃってるわけ。だから適合する魔力で解術しないと、最悪の場合は体内で本来の魔力と反発しあって、魔力暴走みたいなことになるんだよ」
そして体内で魔力暴走が起こってしまったら、ライリーの体は内側から散々に傷つけられ、目覚めを待つという話では済まなくなる。最早打つ手はない。このまま自然に術が解けるのを待つしかないのかもしれないが、それではいつライリーが目覚めるのかも未知数だ。皆、状況の悪さに顔色を悪くする。
しかし、必死の形相で考え込んでいたクライドが、勢いよく顔を上げた。そしてオースティンに視線をやる。
「オースティン」
「あ? 俺か?」
突然に名前を呼ばれたオースティンは戸惑いながらも返事をする。目を僅かに丸くしたオースティンに、クライドは一歩迫った。
「確か、お前も破魔の剣を使えるという話だったな?」
「ああ、一応――」
主な使い手はライリーみたいだけど、という言葉をオースティンは飲み込む。今クライドが話したい内容は、そのような事ではないと気が付いていた。クライドは息せき切って更に言葉を重ねる。
「それなら、お前なら解術が出来るのではないか。破魔の剣が魔力を変質させることが出来るのなら、解術の方法をベラスタから聞き、お前が破魔の剣を介して殿下の体内にある“時間停止の術”を解術すれば――」
「いやいや、俺は魔導騎士であって魔導士じゃないからな? そんなに簡単に解術なんて出来るわけ」
普段はそれほど口数の多くないクライドの勢いに、オースティンは圧倒されていた。だが、慌てて言葉を遮ると反論する。
一般論として術者が自身の放った術を解術することは容易い。それは魔力が同質であるということに加え、術者本人であれば自身が使った術を良く理解しているから、という前提が含まれている。しかし、今回の術はベラスタがその叡智を持って開発した非常に難易度の高い術式である。魔導士でもないオースティンが簡単に解術できるようなものではない。その上、自身の魔力を直接使って解術するのではなく、間に破魔の剣を介在させろと言う。破魔の剣のこと自体よく分かっていないというのに、あまりにも無謀に過ぎる気がしてならなかった。
オースティンは助けを求めるように顔を巡らせ、少し離れた場所に立つベラスタに目を向ける。
「おいベラスタ、お前も何とか言えって」
しかし、天才魔導士であるベラスタはある意味薄情だった。ベラスタは、目を輝かせてクライドを見つめる。
「すっげえ! 確かに一理ある! さすが頭良いな、クライド!」
「――こいつに聞いた俺が馬鹿だった」
見事な裏切りだ。オースティンは重い息を吐くと、がっくりと肩を落とした。









