77. 閉ざされた部屋 1
王宮で大きな魔力の動きがあった。それにいち早く気が付いたのは、王都近郊のクラーク公爵邸に滞在していた王立騎士団の騎士たちだった。
特に魔力に慣れている団長ヘガティや二番隊の騎士たちは、仮眠から飛び起きて外に出る。目を凝らせば、闇と光の魔術が天まで届くほどの渦となって巻き起こっていた。
「団長、あれは――」
「ああ、王宮だ」
押し殺した二番隊隊長ダンヒルの問いに、ヘガティは苦い顔で頷く。
まだ王都に潜入したオルガたちから連絡はない。しかしこれ以上は待っていられないと、騎士たちは行動を起こす。
「出陣だ」
低くも落ち着いたヘガティの声が、騎士たちの戦闘心を鼓舞する。マリアンヌを筆頭としたクラーク公爵邸の使用人たちの視線を背中に感じながら、男たちは王都へと向かった。
*****
闇の力と光の力が絡み合い、竜巻のように膨れ上がる。何の躊躇もなくその中に飛び込んだライリーの背中を追うこともできず、オースティンとクライドは顔を引き攣らせた。
巻き込まれば一巻の終わりだ。間違いなくリリアナが居るから勝算もあったのだろうが、二人の前に聳える魔力の壁は他者を寄せ付けない。
「おい、どうする」
ライリーに投げられた破魔の剣を握りしめ、オースティンがクライドに近づき低く尋ねた。クライドは苦々しく呟く。
「ベラスタならどうにかできたかもしれないが、先ほどの術でもう力は使い果たしただろう。だからと言って、我々が飛び込んだところでどうにもならないのは目に明らかだ」
二人の背後で、魔力を使い切り倒れ込んだベラスタは辛うじて意識を保っているようだった。それを考えると、前回ヴェルクで追手の時間を止めた時よりも術の効率化に成功したことは確からしい。それでも動くことは出来ないベラスタを、エミリアが支えていた。
オースティンは頷く。歯痒いが、クライドの言う通りだった。
半ば直感的に、この魔力の渦の中に居てもライリーは無事だろうと確信がある。だが、破魔の剣を使えないクライドは勿論、オースティンでさえ魔力暴走の真っ只中では無事に居られるとは到底思えなかった。
「とりあえず結界を張ってこれ以上の影響が出ないようにする。王宮の人間に勘付かれないように――というのは最早手遅れかもしれないが」
苦々しく言って、クライドは直ぐに結界を展開した。オースティンもまた、魔力の渦が周囲へこれ以上の被害を齎さないようにクライドと同様に結界を張る。気は逸るが、他に出来ることも大してない。
永遠にも思える時間の後で、ようやく魔力の渦が弱まっていく。息を飲むクライドとオースティンの前で、ふとした瞬間、強大な魔力の渦はぱたりと止んだ。
クライドとオースティンが張った結界の中は滅茶苦茶な有様だった。芝生は禿げ、花は枯れて千切れ粉々になっている。所々土さえ抉れ、美しい庭が散々だ。
しかし、クライドもオースティンも、そしてエミリアでさえ、周囲の惨状は一切目に入らなかった。それよりも、魔力の渦の中心に居ただろう二人の姿に、目が釘付けになる。
一番荒れている場所に、リリアナとライリーが倒れていた。ライリーはリリアナをしっかりと抱きしめている。どちらも意識はない。
「殿下!」
小さく叫んだクライドとオースティンが二人に駆け寄る。膝を着いて確認したところ、二人共外傷は見あたらず、しっかりと呼吸もしていた。その上、先ほどまでは黒く染まっていたリリアナの髪も、大部分が銀に戻っている。髪の毛の先の方は黒いままだったが、見慣れた姿にクライドは目を細めた。
最悪の事態に陥らなかったことに安堵の息が漏れるが、そこでようやくクライドは顔を上げる。
さすがに王宮どころか王都までをも揺るがすような魔術の応酬があって、全く人に気が付かれないはずはない。あまりの恐怖に多くの使用人は中庭から離れた場所に逃げたようだが、忠義に厚い騎士や衛兵は恐怖に顔を引き攣らせながらも、武器を片手に中庭に集っていた。
とはいえ、オースティンやクライドでさえ苦戦するような状況だった。王立騎士団二番隊や七番隊であればまだしも、一般の騎士や衛兵が参戦できるような状態ではない。それゆえに、全員が全員、ある程度の距離を取って見守る状態になっていたらしい。
「――面倒な」
思わず、といった様子でクライドが低くぼやく。クライドとしても、リリアナとライリーを巻き込んでここまでの魔術の応酬になるとは予想外の事態だった。そのせいで、周囲の目を完全に失念していた。後始末が面倒だが、周囲に見えないような結界を張る余裕がなかったのも事実ではある。
このことをライリーは予感してクライドに後を託したのだ。クライドはライリーに言われた言葉を思い出す。ライリーはクライドに、『クライドは全体の調整役だ。オースティンたちが死なないように、目を配って欲しい。それから、全てが終わった後のことも』と告げた。その言葉を聞いた時、今のような状況を予測できなかったことを内心で自嘲するが、あの時はクライドも平静ではなかったと結論付ける。
問題は、この現状に関してどう辻褄を合わせるか、だった。
だが、策はある。先ほどライリーとリリアナの無事を確認して立ち上がった時、少し離れた場所にクライドはあるものを発見していた。本体――即ち持ち主は見当たらなかったが、そんなことは関係ない。立ち上がったクライドは、どうすると問うて来るオースティンの視線を無視して、一番近場に居た騎士を手招いた。
騎士は顔面蒼白だったが、気丈にも小走りでクライドに近づいて来る。衆目を浴びたまま、クライドは堂々と、今の惨状を見ている者たち全員に聞こえるほどの声量で騎士に告げた。
「此度のことは、フランクリン・スリベグラード大公閣下が私欲に駆られ、禁術を用いたことが原因である。しかしながら、閣下の野望は王太子殿下とその婚約者リリアナ嬢により阻止された」
禁術、という単語に騎士たちの顔色が更に変わる。衛兵の中には悲鳴を漏らした者もいた。オースティンの視線がクライドの横顔に突き刺さるが、クライドは堂々としたものである。クライドが先ほど見つけたのは、フランクリン・スリベグラード大公本人ではなく、その彼の持ち物である剣だった。
この場に大公が居ないのが悪いと言わんばかりに、クライドは堂々と胸を張り、確信に満ちた物言いで全ての罪を大公に擦り付けることにした。
「安心するが良い。全ての野望は殿下の手によって葬り去られた。嘗て英雄と呼ばれた建国王の子孫たる殿下は、見事、英雄の持ちし剣を操り、悪を成敗なされたのだ」
ついでに、ライリーとリリアナを英雄のように祭り上げることも忘れない。脅威は去ったというクライドに、騎士や衛兵たちの恐怖はライリーに対する畏敬の念にすり替わった。
クライドの横顔に突き刺さるオースティンの視線が痛いほどに感じられても、クライドは平静を装っていた。
ある意味クライドは正しいことを言っているものの、どこをどうすればそこまでの美談になるのかと、オースティンが呆れ果てている気配がする。尤も、オースティンが余計な横やりを入れることはない。クライドは今この場で大公派を完膚なきまでに叩きのめそうとしているのだ。主要な大公派貴族は無力化したとはいえ、いつ再び第二、第三のメラーズ伯爵が現れるかもわからないのだから、それならば担ぎ上げられる傀儡を使えない人形に変えた方が手っ取り早い。
「しかしながら、殿下と、殿下を庇われたリリアナ嬢は敵の反撃により、意識を失っておられる」
意識を取り戻したら是非ともライリーに文句を言ってやらねば気が済まないと思いながら、クライドは言葉を続けた。
「故に、我がクラーク公爵家当主クライドはその責を果たすため、貴殿等に命じる。禁術に手を染めた大公閣下の身柄を発見次第確保し、丁重に貴人牢へとお連れせよ。また、罪人に手を貸さんとする者も同様に投獄し、同時に殿下およびリリアナ嬢の身に危害が加えられぬよう、その警護を徹底せよ」
「は、御意に!」
三大公爵家当主の命令に背けるような騎士など、この場には居ない。
それだけではなく、この場の雰囲気はクライドの演説により見事塗り替えられていた。恐ろしいほど強大な魔術での闘争に恐怖していた心は消え去り、騎士や衛兵たちは今代の英雄が次代の国王であることに歓喜する。
更に言えば、英雄のために自分たちが動けるということが、何よりも嬉しかった。恐怖に固まり何一つできなかったものの、他の腰抜けたちのようにこの場から離れなくて良かったと思っていることが、その表情からも分かる。
「これより殿下とリリアナ嬢を部屋へとお連れする。女官を連れて来たまえ」
「御意」
クライドの指示に従い、騎士たちは即座に動き出した。人気が少なくなったところで、破魔の剣を腰に提げたオースティンは今度こそ呆れた視線を隠さず、クライドに囁く。
「お前本当……いや、結果的には良かったんだけどな? 随分と大胆なことするよな」
そんな奴だとは思わなかった、と言うオースティンに、クライドは片眉を上げてみせた。
「幸か不幸か、三大公爵家の当主という地位を持っているのなら、有効活用しなければ損だろう。それに大胆というほどのことでもない。殿下にとって最善と思うことをしただけだ」
「お前な……」
更にオースティンは呆れ果てるが、それ以上は言葉が見つからないようだった。「俺には真似できそうにもないわ」とぼやくオースティンだったが、ゆっくりとライリーの体を抱き起こす。自分と同じような体躯を抱え上げても、鍛えたオースティンはびくともしない。
直ぐに駆け付けて来た女官にリリアナを任せ、クライドたちは王族の居住区画に足を踏み入れる。
本来であれば入ることのできないベラスタやエミリアも、状況を鑑みてクライドが入室を許可した。婚約者でしかないリリアナも入ることはできないが、警護の事を考えると、ライリーと同室の方が良い。それに、ライリーの様子を見る限りでは、ライリー本人もリリアナと離れ離れにさせられるのは嫌だと言いそうだった。
騎士や女官に諸々の手配を指示したところで、ようやくクライドたちは一息つくことが出来た。
ライリーの主寝室の隣室にはリリアナが寝かせられているが、そちらには結界を張り、信頼のおける女官を配置した。そしてクライドたちは、ライリーの寝ている部屋のソファーに腰掛ける。
「それで――だ」
疲れた様子でオースティンが言う。ベラスタもどうにか少し魔力が回復したのか、真っ青だった顔色もだいぶ良くなっていた。
「問題はこれからのことだが、取り敢えずライリーには起きて貰わないと不味いよな?」
「この上なく不味いな」
真顔でクライドは頷く。ちょうど良い切っ掛けだったとはいえ、大公を禁術の使い手といて糾弾した後だ。正式な発表ではなくとも、騎士と衛兵の耳に入ったその情報は直ぐに王宮中に広まり、そして貴族たちの知るところとなるだろう。
更に言えば、王族の代行を担当する宰相メラーズ伯爵も、ライリーが斬り捨てている。即ち、隣国との国境に不穏な影が差している今、国王や王太子不在というのは非常に間が悪い。
しかし、クライドは既に幾つかの算段を導き出していた。
「一旦、国王陛下にはお戻り頂き、政の采配をしていただく。最初の仕事は宰相代理を御指名頂くことだ。ユリシーズ殿やルシアン殿もいらっしゃるから、それほど選別に時間は掛からないだろう」
エアルドレッド公爵となったオースティンの兄ユリシーズや、ケニス辺境伯の嫡男の名をクライドは上げる。オースティンは片眉を上げた。
「ルシアン殿は嫌がりそうだな」
「まあな。そこら辺は、追々打ち合わせるしかないだろう」
そして次に問題となるのが、ライリーの意識回復だった。
魔力の渦に呑まれたせいか、未だにライリーは眠ったままだ。侍医に診察させはしたものの、ただ眠っているだけだという結果だった。リリアナに関しても、衰弱しているものの取り立てて問題はないように見える、という話である。
「殿下とリリアナちゃんに関しては、恐らく魔術が絡んでるんだと思うんだよね」
多少吐き気がマシになったというベラスタが、口を挟む。オースティンとクライド、エミリアに視線を向けられて、ベラスタは目を瞬かせた。
「魔術が絡んでいる?」
「そう。もうちょっとちゃんと見ないと分かんないけど、たぶん体の中の魔力が上手く動いてないんだと思う。でもさ、オレってあんまり魔力に関するビョーキとかって詳しくなくてさ。こうなるんだったら、もっと真面目に勉強しとけばよかったなあって思うけど」
クライドとオースティンは顔を見合わせた。クライドが口を開いて問う。
「それなら、その分野に詳しい人物は誰だ? ベン・ドラコ殿か?」
「うん。魔術によって体内魔力の動きが変わった、とか、魔術起因の症状なら兄貴が詳しい。でも、ビョーキとか原因不明とかだったりしたら、兄貴よりもっと詳しい人がいるって聞いたことがある」
ベン・ドラコよりも詳しい人物と言われても、クライドやオースティンはピンと来ない。そしてベラスタも、その人物が誰なのかは知らないようだった。
「多分、兄貴なら知ってるんじゃないかな? もう大公派もいないし、王都に呼んだら来てくれると思うよ」
クライドたちは頷く。大公派もほぼ無力化したと言える今、ベン・ドラコの命を狙う輩も居ないと言える。それに、魔王復活に関してはベン・ドラコも詳しい。
「ベン・ドラコ殿よりも詳しい人物を呼ぶかどうかは、ベン・ドラコ殿の判断に任せよう。まずはベン・ドラコ殿を王都に呼び戻すべきだ」
クライドの言葉に、皆異存はない。最初に意見を仰ぐには、ベン・ドラコ以上の適任はいなかった。