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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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74. 運命と宿命 8


リリアナが転移した先は、王宮の中庭だった。

綺麗に整えられた庭が、何故か今は寒々しく感じる。そして噴水の近くに、目当ての人物は立っていた。年齢と共に腹部が膨らみつつあるものの、すらりとした長身は若かりし頃に貴婦人たちの視線を独り占めしただろう面影を見せている。曇り空の下、寒いだろうに、上着も羽織らず薄着だった。

リリアナが一歩踏み出すと、その男は肩越しに振り返る。彼はリリアナを認めると、わずかに口角を上げた。しかし、その双眸はぞっとするほど冷たい。


「領地に帰ったと聞いていたが?」


男の第一声はそれだった。リリアナは小首を傾げてみせる。リリアナは何も答えなかったが、男は肩を竦めて言葉を続けた。


「グリード伯爵に反撃したというわけか。思っていた以上に強かだ」

「わたくしが何かしたわけではございませんわ、閣下」


的確にリリアナがしたことを読み取った男に、リリアナは目を僅かに眇める。ある程度の距離を取って立ち止まれば、その男フランクリン・スリベグラード大公は唇を皮肉に歪めて振り返る。真正面からリリアナに対峙する大公の体には瘴気がまとわりついていた。

思わずリリアナは笑いそうになる。瘴気を纏った男と、闇の力を体内に溜めた(じぶん)。その二人が王宮に居るのだから、皮肉としか言いようがない。

尤も、その王宮も地下を掘り返せば魔王の封印があり、更に中庭を美しく引き立たせる噴水がその実魔王の記憶を封じているのだから、寧ろ大公やリリアナのような存在こそがこの王宮には似合いなのかもしれなかった。


「口では何とでも言える」


大公は口角を上げて皮肉に言い放つ。その瞳は昏く翳り、不穏な気配を纏っていた。

リリアナは以前、何度かフランクリン・スリベグラード大公を見かけたことがある。大して面識はないものの、そのリリアナでも今眼前にいる大公が、嘗ての大公と同一人物のようには全く見えなかった。

だから、リリアナは単刀直入に尋ねる。迂遠に問うても、この男には通じないに違いないと、そんな確信があった。


「貴方はどなた?」


リリアナの問いを、大公は一瞬理解できなかったらしい。眉間に皺を寄せたが、すぐに片眉を上げて面白がるような視線をリリアナに向けた。


「その年にして記憶喪失にでもなったか。王弟の顔を忘れるとは」


嘆かわしい、とでも言いたげな口調だ。しかし、リリアナは動じなかった。泰然自若と構えたまま、視線は大公から逸らさない。


肉体(そとがわ)はわたくしの知る、フランクリン・スリベグラード大公閣下ですわね」

「――ほう」


更に大公は笑みを深める。リリアナの台詞が面白くて堪らないらしい。愉悦を滲ませた表情は、凄惨な笑みにも見えた。


「しかしながら、その精神は大公閣下のようには思えませんの。貴方は、どなた?」


リリアナは更に言葉を続ける。全く同じ台詞を再度口にして、扇を広げると口元を隠した。淑女がそうするように、困ったような表情で小首を傾げる。その様子だけを見れば、二人しかいない中庭はさながら豪勢な夜会の一角のようだった。そして、情話(ロマンス)を好む婦人や少女が見れば、夜会の片隅で一目に恋に落ちた男女のようだと思ったかもしれない。

しかし、二人が纏う雰囲気には全く色恋を連想させる甘さなどなかった。少しでも誤れば崖から転落するような緊迫感が、その場を包んでいる。


「人の中身がそうそう変わるわけはあるまい。お伽話の読みすぎだ」


大公は試すような口調で、聞きようによっては優しく言い聞かせているようにも響く言い方で、穏やかに告げた。

確かに、この世界に魔術や呪術がなければ、大公の指摘こそが真実だっただろう。しかし、リリアナには知識があった。禁術とされている術を用いれば、本来その体に存在するはずのない魂が体の中に閉じ込められるのだ。リリアナという存在こそが、その証拠だった。


「ご自覚がないのでしたら、救えませんわねぇ」


リリアナは敢えておっとりと言ってのける。扇に隠した唇が嘲笑を堪えているのだと、言外に示してみせた。すると、大公の眉が不機嫌に寄せられる。

どうやら自尊心の高さと、感情の制御が苦手なところは以前と同じらしいと、リリアナは笑みの下で見当を付けた。それならば後は簡単だ。必要な情報を聞き出し、始末するだけである。

とはいっても、時間に余裕があるわけではない。普通に問答で聞き出したいことを吐かせようとしても、簡単に口を割る気がないことは火を見るよりも明らかだった。幸いにも、今リリアナたちが居る場所の瘴気は濃い。瘴気を使えば、体内にある闇の力を必要以上に使わずに済む。

問題は、禁術を使うことによってどの程度リリアナの体に負担がかかり、リリアナの意識が喪われるか分からないということだった。そして、そこまでしてもなお大公に術が効かない可能性もある。


それでも、してみない事にはどうなるかも分からない。リリアナは体内を流れる魔力に意識を向ける。


「【告解(ゲシュティエン)】」


詠唱を口にした瞬間、リリアナの体内から闇の力が放出される。放出された魔力は周囲の瘴気を巻き込んで、大公に襲い掛かった。

大公の表情が強張る。しかし、リリアナの放った術は大公の体に届くことなく霧散した。予想外の出来事に、リリアナは笑みを消した。すぐに微笑を浮かべるが、その両眼は何かを探るように、大公を見つめている。

術の影響を受けなかった大公は、どこかほっとした様子で、余裕の態度を取り繕った。リリアナを見やり、皮肉に口を歪める。


「私に術が効くと思ったか? 先ほど、()()()()()()()()と尋ねたのはお前だ」


フランクリン・スリベグラード大公は、若かりし頃には王立騎士団に所属していた。期間は短く、その上目立った功績も挙げられなかったが、その頃のことを調べれば、彼が剣術にも魔術にも適性がなかったことが分かる。当然、リリアナも大公の情報はある程度掴んでいた。

尤も剣術に関しては、面倒臭がりで努力を厭う性格故に上達しなかったという評価だが、魔術に関してはそもそも魔力を上手く術式に変換して使うことが出来ない、という状態だったらしい。魔力量は王族としては十分あるらしいが、訓練もせず天賦の才もないとなれば、当然魔術を使いこなすことなど到底無理だ。


その大公が、リリアナの術を防ぎ切った。明らかに何か理由があるはずだった。


「先ほどと仰っていることが違いましてよ」


油断なく大公の様子を窺いながら、リリアナは指摘する。先ほど、自分こそがフランクリン・スリベグラード大公だと断言したばかりだ。リリアナを困惑させるつもりなのかもしれないが、さすがに言い訳としては稚拙だった。

リリアナの落ち着いた態度が詰まらなかったのか、大公は不機嫌に顔を顰める。


それほど悩むこともなく、リリアナは次の手を決めた。元々、リリアナの魔力は風に適性が高い。それに、闇の力を使わずに済むのなら、それに越したことはない。風の力だけを使うようにすれば、リリアナの体は闇の力に侵食されにくいと分かっている。勿論、風の力を使えば全く闇の力に侵食されないというわけではない。闇の力を使った時よりも、影響が抑えられるという程度だ。しかし、今はそのわずかな差も重要だった。


大公を倒すのが先か、魔王の復活が先か、それともリリアナが闇に堕ちるのが先か――少なくとも、ライリーたちが辿り着くまでは理性を保っていなければならない。


「【鎌風(エリーガンストーム)】」


詠唱を口にした途端、風が鋭い刃となって大公を襲う。先ほどの経験で安全を確信したのか、大公は動じる様子がない。しかし、リリアナの目的は大公の体を切り裂くことではなかった。幻術によって緑に見せかけてはいるものの、その実殆ど緋色に染まった瞳で、術の動きと大公の全身を注視する。

リリアナの放った風の攻撃魔術は、大公の全身を切り裂かんと荒れ狂っていた。


「無駄だ。先ほどで学習しなかったのか、嘆かわしい」


嘲弄の滲む口調で、大公が言い放つ。しかし、リリアナは頓着しない。大公が口を開いた瞬間に、リリアナの目は予想通りのものを捉えていた。扇の内側で、唇が綺麗な弧を描く。


「【転移(ゲトリーベ)】」


その詠唱はあまりにも小さく、荒れ狂う風音に晒されている大公の耳には届かなかった。同時に、リリアナが操っていた風の剣も消滅する。


「ようやく諦めたか」


大公がリリアナを嘲笑する。しかし、リリアナがこれ見よがしに掲げた片手の上に載ったものを見て、大公は愕然と目を瞠った。


「それは――!」

魔道具(これ)があれば、魔術が使えない方でも魔術を無効化できますわね」


リリアナが手にしていた魔道具は、珍しい形をしている。未だに効力を発揮しているその魔道具は、結界を生じさせる魔道具を改変したものだった。魔術を無効化する術式が組み込まれている。即ち、この魔道具を持っている人物の周囲に結界を張り、その結界に触れた魔術を全て消し去ることができるという優れものだ。

しかし、一般どころか魔導省でもこの手の魔道具は作られていないはずだった。魔術を無効化する術式は、非常に難易度が高いとされている。特に服の下に隠し持つほど小型化できる人物は、スリベグランディア王国内でもほんの数人だろう。その中でもリリアナが知っている人物はベン・ドラコとペトラ・ミューリュライネンだが、その二人が作った魔道具であれば大公の手元にあるはずがない。


「【解除(フライゼッツォン)】」


短く詠唱した途端に、魔道具が光って効果が切れる。魔道具を使うのは魔導士だけではない。魔術を使えない人間も使う。そのため、魔道具が切れた場合はそれを示すため、何らかの反応がある。今回は光を放つ仕様だったようだが、その光を見た大公の顔色が僅かに悪くなった。


どうやら他に隠し持った魔道具はないらしいと見当をつけたリリアナは、再度、嘘を吐けぬよう禁術を大公に掛ける。


「【告解(ゲシュティエン)】」


途端に、大公の顔色が更に悪くなった。


「うっ――ぐぅ、」


苦し気に顔を歪めた大公は、堪え切れないというようにその場に膝を着く。

どうやら、リリアナが放った術は身体的な負担も大きいようだった。この分では、大公の精神も長くは持たないに違いない。長く続ければそれこそ精神に異常を来してしまうだろうと、リリアナは内心で納得した。

禁術には禁術と言われるだけの理由があるのだと、今初めて目の当たりにしたリリアナは、さっさと質問をすることにする。おっとりとした口調で、リリアナは三度目になる質問を口にした。


「貴方は、どなた?」


その言葉に、大公は恐ろしいものを見るような表情で、リリアナを見上げた。



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