74. 運命と宿命 7
バトラーたちが出た後、部屋に残されたヘガティたちは改めて今後の作戦を練ることにした。
元々ライリーと作戦を立てたヘガティと違い、カルヴァート辺境伯領から来た面々は詳細など知らない。そして二番隊隊長ダンヒルも、大まかな作戦は聞いていたものの、具体的な話はある程度しか把握していなかった。
その上、ただ手を拱いてライリーたちからの連絡を待つという気は、今のヘガティたちにはない。呼ばれてから動くのではなく、先に王都に侵入しておき、必要な時に王宮へすぐ馳せ参じるというのが、一番の理想だった。
「なるほど、確かにその案が一番現実的ですね。問題はやはり治安部隊と魔導士ですか」
「その通りだ」
難しい表情で唸るデリックに、ヘガティが頷く。
「そこで思いついた作戦は、治安部隊と魔導士を一旦奴らの塒に戻す方法だ」
「警備を手薄にさせるということですか?」
ヘガティの言葉を真剣な面持ちで聞いているデリックが要約すれば、ヘガティは更に詳細を口にした。
「そうだ。王都内の警備が薄くなれば、その隙をついて侵入できる。無論、全員一斉にというわけにはいかない。少人数に分かれて別の場所から王都内に入るのが良いだろう。幸いにも二番隊の中には一人で転移できる者がいるから、その者たちは直接王立騎士団の兵舎にでも転移して貰うのが良いのではないかと考えている」
だが、問題はその方法だ。一番は偽の指令を出して敵を攪乱する方法だが、そのためには偽だと気が付かれないよう、彼らに緊急の命令だと錯覚させなければならない。しかし、王立騎士団に所属している騎士は多かれ少なかれ、治安部隊の一部には顔が知られている。
ヘガティの説明を引き取って、ダンヒルが真剣な顔で言い加えた。
「今回の作戦は一度きり、失敗は許されない。だから、上手く演技ができる人間で、かつ奴らの指示系統も理解でき、そして顔を知られていない人物が適任だ」
「なるほど」
難しい表情で、デリックは低く唸る。確かに、ヘガティやダンヒルたちの作戦が上手く運べば、問題なく彼らは王都に集結することができる。先に王都へ入っているはずの王太子たちが仮に危機に陥っても、すぐに応援に駆け付けることすら容易いだろう。
だが、今のように王都郊外に居れば、必要な時に必要な場所へ直ぐ駆け付けることも敵わない。ライリーたちの居る場所に辿り着くより先に、治安部隊と衝突することになるのは疑いようのない事実だった。
そこまで理解していても、デリックは“自分たちに任せて欲しい”と言うことは出来なかった。デリックや彼の部下は、殆どカルヴァート辺境伯領から出ていない。そのため治安部隊に顔が知られていないという点では条件を満たしている。そして、緊急の要件だと思い込ませる芝居も――したことはないが、頑張れば出来るだろう。
だが、治安部隊と魔導士、そしてその指示系統というものがデリックたちには一切掴めなかった。騎士団の指示系統は領地によっても全く違うことがあるし、王都ともなれば更に利害関係が加わり複雑になる。下手に敵対派閥の騎士の名前を出せば、相手はデリックたちの言い分を信じるどころか、激昂して説得どころの話ではなくなる。
「それでしたら、私は如何ですか」
予想外の申し出に、デリックだけでなく、ヘガティやダンヒルまでもが驚いた。全員の視線を一身に浴びたオルガは、平然としたまま身動き一つしない。そんなオルガを見て、眉根を寄せたダンヒルが指摘する。
「だが、顔が知られているのはお前も変わらないだろう」
武闘大会のことを言っているのは明白だ。しかし、オルガは不敵に笑った。
「私は“傭兵のオルガ”として出場しました。リリアナ様の護衛として王宮に行ったことはありますが、治安部隊の面々は王宮に出入りするような身分ではない。つまり、王太子派に与する者だと気付かれる可能性は低い」
更に、とオルガは続けた。彼女は自分が適任だと信じて疑っていない様子だった。
「私が出場した魔導剣技部門は、武闘大会の二日目でした。武闘大会の二日目に開催された競技は魔導部門。治安部隊に属する者たちが出場しただろう一般剣技部門は初日でしたから」
仮に観客として武闘大会に出ていたとしても、選手控え室があった場所よりも、客席の方が遥かに遠い。つまり、客席からオルガの顔をはっきりと見ることはまず出来ない。王立騎士団の騎士たちが武闘大会に出場したオルガの顔を覚えていたのは、彼らが当日舞台袖に居たことと、その後も王宮で時折姿を目にしていたことが大きかった。
オルガの指摘に、ダンヒルたちは黙り込む。確かにオルガの指摘は的を射ていた。
普通に考えれば、六年前に開催された競技で、遠目に見た選手の顔を覚えているとは思えない。無言になったダンヒルたちを見たオルガは、あともう一押しだと思ったのか、更に言葉を重ねた。
「それに、私でしたらある程度は治安部隊の指示系統も把握しています。完全にではないですが、恐らくうまく立ち回ることができるでしょう」
ぐうの音も出ない正論に、ヘガティたちはとうとう諦めた。だが、それでもどうにも釈然としない気持ちがあるのか、ヘガティが「分かった」と言いながらも質問を口にする。
「何故、そこまでする?」
一瞬、オルガは言い澱んだ。確かに、オルガにはヘガティたちとは全く異なる思惑がある。先に王都に侵入するという策は、オルガ本来の目的にも合致したものだった。
誤魔化しても良いが、もしかしたらヘガティたちの手を借りることになる可能性もある。そう判断したオルガは、潔く本音を話すことにした。
「王太子殿下に返り咲いて頂きたいというのも事実ですが、それよりも私は私の主を取り戻したいのです」
「――主を? リリアナ嬢か」
眉間に皺を寄せたヘガティたちは、すぐにオルガの言う“主”が誰なのか理解する。そして同時に、オルガの目論見にも勘付いた。
「まさか、一人でリリアナ嬢を助けに行くつもりか?」
「当然です。たとえ私一人であろうと、お嬢様を牢獄に置いたままにはしておけません。もしかしたら――もしかしたら、お嬢様の居場所を知る者がいるかもしれない」
そう呟くオルガが纏う空気に殺気が混じる。優秀な魔導剣士の本気に、さすがのヘガティやダンヒルたちも口を噤んだ。
止める気は更々ないが、仮にヘガティたちがオルガを諫めようとしたところで、女剣士は全てを振り切り駆け付けるだろう。傭兵にしては珍しい騎士の如き忠誠心だとヘガティなどは思うが、その理由を尋ねることは出来なかった。
尤も、オルガの忠誠心がどこで芽生えたものなのかを知る者は、ジルドくらいのものだろう。オルガだけでなくジルドも、リリアナと出会う切っ掛けになった魔物襲撃の時に命を救われた。もしあの時リリアナが居なければ、間違いなくオルガもジルドも命を落としていた。だから二人は――オルガは、命を賭してリリアナを守る。
それが、オルガの立てた誓いだった。
*****
デリックが着けた騎士に案内されて、王都のカルヴァート辺境伯邸に辿り着いたドルミル・バトラーとオルヴァー・オーケセンは、心からの感謝をその騎士に述べた。
途中彼らは治安部隊とすれ違ったものの、幸いにも顔は割れていないため見逃されたのだ。
「それではお気をつけて」
門の手前で騎士を見送った後、バトラーは馬首を返してオルヴァーに向き直る。そしてオルヴァーの馬に近づくと、懐から一通の手紙を取り出した。カルヴァート辺境伯から受け取った手紙であり、その手紙には“手紙を持ち訪れた者を貴賓として持て成すこと”と書いてある。その手紙を執事に見せれば、後は恙なく滞在の許可が下りるはずだった。
「これをどうぞ」
バトラーが差し出した手紙を、オルヴァーは戸惑ったように受け取る。
「バトラー殿?」
遥々ユナティアン皇国からカルヴァート辺境伯領、そして王都までを同行したバトラーの行動が読めない。一体どうしたのかと言外に問うオルヴァーに、バトラーはにこやかに告げた。
「実は、王都に知人が居たことを思い出したのです。長く会っていないものですから、一旦行ってみようかと。会えるかは分かりませんが」
「ああ、なるほど」
オルヴァーは納得して頷く。オルヴァーにとって王都ヒュドールは見知らぬ人々しかいない異国の地だが、バトラーは以前も訪問したことがあると聞く。それならば知り合いがいたとしてもおかしくはない。
バトラーは皇国、その知人は王国に居るというのであれば、更に会う機会もなかなかないことだろう。それならば存分に旧交を温めるべきだと、オルヴァーは笑顔でバトラーを見送る。
寛大なオルヴァーの言葉に笑顔で礼を述べたバトラーは、馬に乗ったまま王都中心地に向かった。その視線は、空に向けられている。曇天はどこまでも暗く、不吉な気配を纏っている。
「――もうじき、ですね」
低くひんやりとした口調で呟いたバトラーの横顔は、全ての感情が消え失せ、ぞっとするほどの鋭利さを携えていた。
*****
日が落ちた後、オルガとデリック、そしてデリックの部下数人が王都への侵入を試みた一方、王都近郊にあるクラーク公爵邸では、騎士たちが束の間の休息をとっていた。
だが、その中でもいそいそと別館を出る人影がある。ブレンドン・ケアリーは、人目を盗むようにして外に出ると、本館と別館の間にある広い庭の一番大きな木の下へと足を向けた。
そこには既に先客が立っている。
「すまない、待たせたか?」
「いいえ、気にしないで」
穏やかに答えるのは、リリアナの侍女であるマリアンヌだ。幼馴染の気安さからか、マリアンヌの表情も穏やかだ。曇天の影で辺りは漆黒の闇だが、二人が持ち寄った提燈のお陰で辛うじて互いの顔は見える。マリアンヌの言葉が本心からのものだと分かり、ブレンドンもまた表情を緩めた。
「君がリリアナ様の侍女となると聞いた時は驚いたよ。もう随分前のことにはなるけど――それに、王都近郊で暮らしていたというのに、結局一度も会えなかった」
「そうね。でも仕方ないわ。貴方は騎士団のお仕事で忙しかったのだし」
宥めるようなマリアンヌの言葉に、ブレンドンは苦笑する。確かにその通りではあるのだが、あっさりとした言い方はまさにマリアンヌだった。
「変わらないね、君は」
「そうかしら」
小首を傾げるマリアンヌは本当に自覚がないらしい。ブレンドンは意味深にマリアンヌを見つめて「いや、変わったよ」と確信を持って告げた。
「門から別館に行くまでに、遠目ではあるけど何人か使用人を見た。彼らの雇用を手配したのはマリアンヌ、君だね?」
ブレンドンの言葉に、マリアンヌは一瞬虚を突かれたように目を瞠る。しかし、すぐに感情を読み取らせないような笑みを浮かべた。とはいえ、ブレンドンにとっては見慣れた表情だ。何かを誤魔化そうとする時、マリアンヌは幼い頃から良くこのような表情を浮かべていた。
「私だけじゃないわ。オルガもミカルも手伝ってくれたもの。あとは、そうね、お嬢様に追い出されてしまったけど、ジルドも色々と手を貸してくれたわ。やっぱり、私だけでは人材を集めるにも制限が多すぎて」
「なるほどね。だから堅気ではない風の人間も紛れていたんだ。彼は下男かな?」
ほんの僅かな時間に多くの事を観察したブレンドンの言葉に、マリアンヌは諦めたように肩を竦める。誤魔化そうと一瞬思ったようだが、上っ面の言葉ではブレンドンも納得しないだろうと考えなおした。
「そうよ。ジルドが紹介してくれたの。留守を守れる人が欲しくて」
「確かに、公爵家の屋敷にしては護衛の数が少なすぎるとは思っていた」
「――前の公爵様がお許しにならなかったのよ。それに、お嬢様もあまり乗り気ではなかったから」
言い辛そうに、マリアンヌは呟く。ブレンドンは片眉を上げたが、クラーク公爵家前当主については言及しなかった。代わりに、別の言葉を口に乗せる。
「君は、必死にリリアナ様を守ろうとして来たんだね」
「そうよ」
マリアンヌの顔は、誇らし気に輝く。煌めくその笑顔をブレンドンは眩しそうに見つめるが、マリアンヌは気が付かないままに胸を張った。
「だって、お父様が私に仰ったのよ。お嬢様をお護りするように、って」
だから、マリアンヌは少女の時から必死にリリアナを支えようとして来た。お嬢様と言いつつも、どこか妹のように思っていた。だからこそ、冷たい家族の中で必死に心を守ろうとしている少女を、自分に出来る方法で守りたかった。
揺らがぬ瞳でそう語るマリアンヌの話に、ブレンドンは静かに耳を傾ける。一頻りマリアンヌが語ったところで、ブレンドンはポケットの中から一通の手紙を取り出した。
「君の父上からの手紙だ。急ぎではないと言うことで、辺境伯領を発つときに言付けられた」
予想外のことに、マリアンヌは目を瞠る。半ば茫然として手紙を受け取ったマリアンヌに、ブレンドンは微笑みかけた。
「君の志は立派だ。幼馴染として、騎士として、男として誇りに思うよ」
その後に続けそうになった“でも”という言葉を、ブレンドンは飲み込む。
それでもどうか、自分の身を危険に晒すことだけはしないでくれと、その言葉は決してマリアンヌが望むものではない。そのことを、彼は良く理解していた。
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