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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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74. 運命と宿命 2



若きメラーズ伯爵にとって、王宮とはまさに憧れの場所だった。当時はまだ爵位も継いでおらず、一介の外交官でしかなかった彼は、政の場にも良く出入りしていたものの、雑用ばかりで発言権もない。上司の後ろで自分が必死に成し遂げた成果を、さも自分事のように話し賞賛を受ける貴族たちを見ながら、いつかはその席に座ってやると心の奥底で闘志を燃やしていた。


多くの貴族がいたが、その中でもとりわけメラーズ伯爵の注意を引いたのがクラーク公爵家の当主エイブラムだった。政変の折に国王にその才能を見出された若き公爵は、美しい妻を娶りながらも女性たちの憧れを一身に浴びていた。しかし他の貴族たちのように愛人を作り宮廷の春を楽しむのではなく、どこまでも禁欲的に仕事に邁進する、克己的な人物だった。


その憧れが決定的になったのが、当時はまだ王子でしかなかったホレイシオとの関係性だ。エイブラムはその手腕を認められて宰相になり、そして将来国王となるはずのホレイシオですら一目置く存在となっていた。王子の立場のまま婚姻したホレイシオに子供が産まれた後、女児を設けたクラーク公爵は、子供同士の婚約を取り付けた。婚約者“候補”という立場ではあったものの、実際はクラーク公爵家の令嬢が婚約者となるに違いない、というのが大方の見方だった。


間違いなく、クラーク公爵エイブラムは王宮の権力を掌握していた。


「――不慮の死を遂げなければ、今頃は影の王とでも呼ばれていたでしょうに」


宰相室の椅子に座って、仕事の合間に茶を飲みながら休息をとっていたメラーズ伯爵は、苦々しく呟く。エイブラムの死を聞いた時、メラーズ伯爵は非常に珍しいことに、思わず“馬鹿な!”と叫んでいた。それほどまでに信じられないことだった。エイブラムは何時までも生きているように思っていたのだ。

だが、実際にエイブラムは死んだ。メラーズ伯爵にとって尊敬すべき理想ではあったものの、エイブラムが生きている限りは、メラーズ伯爵にその地位は転がり込んで来ない。もしエイブラムが居なければ、自分こそがその立場に上り詰められると確信していたメラーズ伯爵にとって、エイブラムの突然の死は朗報だった。


それまで外交官として培ってきた人脈、エイブラムの右腕として働いて来た経験があれば、第二のエイブラムとなれるに違いないという、確固たる自信があった。


「私になかったものは、公爵という地位だけでしたね。その地位はスコーン侯爵と閣下に補って貰いましたし、裏方の仕事はグリード伯爵が一手に引き受けてくれましたから」


メラーズ伯爵は、クラーク公爵家と違ってそれほど手持ちの駒が多いわけではない。三大公爵家が持っていると噂の“影”も伯爵家程度が抱えられるわけがない。

しかし、その点は人脈を活かすことで対応した。“影”については秘密裏に育てつつあるが、万が一にも不都合な真実が露呈することになれば、自分が直接関わっていない方が良い。そのため、権力と富という餌をちらつかせてグリード伯爵に話を持ち掛ければ、彼は無表情のまま大公派の中枢に加わることに同意した。

グリード伯爵は自分が上手く後ろ暗い仕事を片付けられたら、それだけで王宮で権力を握れると確信していたようだ。だが、実情はメラーズ伯爵にとっての良い駒でしかなかった。


「閣下が御即位なさった後に、反対勢力から何かしら言われた場合の囮と考えていましたが、その前に姿を晦ますとは」


フランクリン・スリベグラード大公はグリード伯爵が姿を消したことに激昂していたが、メラーズ伯爵にとってはある程度予想できていた事だった。グリード伯爵は、この国の暗部に首を突っ込みすぎたのだろう。“大禍の一族”に伝手があることを誇っている様子だったが、元々一族がユナティアン皇国に端を発するとメラーズ伯爵は知っていた。そのような得体の知れない組織を過信するなど、愚かと言う他ない。


「いえ、もしかしたら既にこの世に居ないかもしれませんね」


とはいえ、メラーズ伯爵もグリード伯爵に好き勝手させていたのだから、彼が死んだのだとしたら、その責任の一端はメラーズ伯爵にあるのかもしれない。

そんなことを考えながらも、メラーズ伯爵には全く罪悪感はなかった。寧ろ、グリード伯爵が居なくなったのであれば今後の計画を変更せねばならないだろうか、と未来のことに思いを馳せる。既にメラーズ伯爵の脳内には、国王ホレイシオと王太子ライリーを権力の座から駆逐し、フランクリン・スリベグラード大公を即位させた後の計画が出来上がっていた。


国王ホレイシオは見事に姿を隠しているが、即位してほどなく寝たきりになった国王だ。病死でもなんでもでっち上げれば問題はない。問題は、父ホレイシオを差し置いて高位貴族を次々と味方につけた王太子ライリーの方である。しかし、王都には治安部隊と称して大公派の勢力を巡回させているし、王宮の隠し通路は大公から聞き出して全て監視の目を付けている。ライリーが王都に戻って来ることがあれば、すぐに捕縛できる。

平民は王太子の顔を良く知らないから、王太子派の貴族たちにさえ知られなければどうとでもなる。


「リリアナ嬢が大公との婚姻を望んでおられた間は、多少気が急きましたが――彼女も病を得て領地に戻ったと言う話ですから、恐らくグリード伯爵が()()()()()()()のでしょう。後は鼠が罠に掛かるのを待つだけです」


幾らでも待てるというわけではないが、焦るほどのものでもない。

作戦の成功を確信していたメラーズ伯爵は、ふと、妙な気配を感じて背後を振り返った。しかし、そこには壁しかない。当然だ。

もしかしてここ最近ずっと王宮に詰めていたせいで疲労が溜まっているのだろうかと、メラーズ伯爵は首を傾げる。そろそろ自宅に戻って休息を取った方が良いだろうと思いながら、メラーズ伯爵はゆっくりと体勢を戻す。

その瞬間、メラーズ伯爵は眼前に立つ人物に気が付き、愕然と目を瞠った。


「罠に掛かる予定の鼠は一体誰のことかな?」


そこには、まさにメラーズ伯爵が罠に掛けようとしていた相手――ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードが立っていた。


「な、」


何故こんなところに居るのかと、メラーズ伯爵は息を飲む。驚愕のあまり声も出ないメラーズ伯爵を見て、ライリーはどこか困ったような笑みを浮かべてみせた。


「暫く留守にしている内に、王宮がこんなことになっていて驚いたよ。本来であれば王族と近衛騎士しか入れないはずの場所に、近衛騎士でもない人間がうろついているし――」


誰かを護衛しているわけでも侵入者を見張っているわけでもなく、ただ何もない壁を睨みつけていたと、その様子を思い出したらしいライリーは楽し気な笑みを零した。

途端に、メラーズ伯爵の顔色が白くなる。表情自体は大きく変わらないものの、ライリーが言う“うろついている人間”が、隠し通路を監視させるために伯爵が手配した()()()()()()であることに気が付いたようだった。


そんなメラーズ伯爵の反応をつぶさに観察しながら、ライリーは白々しく尋ねた。


「伯爵は、何かご存知ないか?」


しかし、当然伯爵は答えない。寧ろ、伯爵はどのようにしてライリーがここまで来たのか、という事の方が気になっていた。

宰相室は王宮の中でも奥まった方にある。一番奥まった場所は王族の居住区だが、宰相室ですら正面から向かえば多くの人間とすれ違うことになる。当然、王都を警戒している治安部隊の目を掻い潜ってライリーが王宮に辿り着いた時のために、王宮にも大公派の息が掛かった騎士たちを配置していた。

その上、ライリーは隠し通路の出入口に付けた監視の存在にも気が付いている。王族のための隠し通路が故に、その大半は王族の居住区近くにあった。つまり、ライリーは最奥から宰相室まで来たということになる。


そこまでを瞬時に考えたメラーズ伯爵は、幾つかの可能性に辿り着いた。

即ち、王太子の協力者が王宮内に居たか、もしくは大公さえ知らない隠し通路が存在していたか、である。

だが、予想外の出来事に直面したメラーズ伯爵の頭は、冷静さを取り戻したと同時に様々な可能性を弾き出した。


「残念ながら、存じ上げません。それにしても、殿下のことは誰も迎えに上がらなかったのでしょうか。これは大変な失礼を致しました。使用人たちにはきつく言い渡し、相応の処分をせねばなりませんね」


オースティンやベラスタが聞けば、何を白々しいと文句の一つでも言いたくなるような台詞だった。しかし、ライリーは全く表情を変えない。それどころか楽し気な笑い声さえ立ててみせた。


「気にすることはない。王宮は私の家でもあるのだから。それよりも、居住区に家族や近衛騎士以外の人間が居る方が不快だ。だが、彼らの独断ではないだろう。彼らに指示した人物こそ、責任を問われるべきだと思わないか?」


王族の許可も指示もなく、私的空間に騎士が配置されているのだ。ライリーの主張は当然だった。

そして、ライリーは指示を出した人物に気が付いている。互いの手札を探り合うようなやり取りに、メラーズ伯爵は口角を上げた。


「――その者は、侵入者があるやもしれぬと憂い、王家の為を思って手配したのかもしれませんぞ」


言い訳にもならない言葉を並べたてながら、メラーズ伯爵はゆっくりと椅子から立ち上がる。ライリーから視線を外すことのないまま、伯爵は執務机の前に回った。ライリーとの間に、障害物はない。ただし、ライリーは帯剣し、メラーズ伯爵は丸腰だ。

しかし、伯爵は勝機があると信じて疑っていなかった。


これまでの話を聞いても、ライリーがここに居ることを知る者はないはずだ。少なくとも同行者はいない。つまり、ここで仮にライリーが命を落としたとして、目撃者はいないのだ。

それならば、部下に命じて王太子の遺体をどこぞへ捨て、第三者に発見させれば良い。そうなれば必然的に、玉座はフランクリン・スリベグラード大公に転がり込んで来る。


それが、メラーズ伯爵が今まさに立てた計画だった。当初の予定とは異なっているが、寧ろ現状の方がより自分たちにとって都合の良い状況であるとさえ思える。


だが、そんなメラーズ伯爵を眺めるライリーは余裕の態度を崩さなかった。



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