73. 王都への道 3
一体何故、ライリーとオースティンがベン・ドラコと共に居るのか。クライドとエミリアは、全く状況を理解出来ていなかった。ベラスタは自分が居る場所がローカッド公爵邸だと勘付いてはいたが、ライリーたちが何を考えているのかまでは知らない。そのため、ライリーとオースティンは、何をどこまで話すか事前にローカッド公爵との相談を終えていた。
「多分二人は、ここがどこかは分からないままに連れて来られたと思う。仔細は諸事情により言えないんだけど、王都の近くだとだけ言っておこう」
「御意」
あっさりと頷いたのはクライドだ。エミリアは戸惑った様子だったが、静かに頷いた。
もしかしたらクライドは凡そのところを悟っているのかもしれないと思いながら、ライリーは言葉を続ける。
「元々は君たちと私たちで二手に分かれてスコーン侯爵軍と二番隊を片付けた後、合流して王都に向かう予定だった。ただ状況が変わって、のんびりもしていられなくなった」
「状況が変わった……?」
クライドとベラスタ、そしてエミリアが揃って首を傾げる。不思議そうな三人に、ライリーは頷いた。
「魔王の復活がいつになるか分からない。そしてそれに、巻き込まれる可能性がある」
「巻き込まれる可能性がある――というのは、王都が、ということでしょうか」
緊張した面持ちで尋ねたのは、クライドだった。エミリアはクライドの質問に顔を蒼褪めさせる。だが、ベラスタはエミリア以上に蒼白になった。
ベラスタも詳細を知っているわけではない。だが、直感的に――ライリーが一体何のことを言っているのか、悟った。
ライリーは顔色一つ変えずに「いや」と首を振る。横目でベラスタを一瞥し、彼ははっきりと危険に晒されている人物の名を口にした。
「サーシャだ」
エミリアが悲鳴を飲み込む。ベラスタは悲愴な顔になり、そしてクライドは顔を引き攣らせた。
「リリーが――」
クライドが掠れた声を漏らす。長らく妹とはすれ違い、誤解を持っていたクライドだが、元々は妹を想う兄である。完全に関係がこじれる前は、どうにかして妹を支えられないかと試行錯誤していた。その方法が多少、独善的であり、妹本人が求めていたものではなかったとしても、根底にあるのは確かに親愛だった。
ある程度成長してからは口にしなかった妹の愛称が、クライドの唇から無意識に洩れる。
事前に大まかとはいえ話を聞いていたベン・ドラコは表情を変えないが、その双眸に深みが増した。
それぞれの反応をつぶさに観察しながら、ライリーは言葉を続ける。
「つまり、私たちは大公派を早急に殲滅し、魔王の復活を阻止し、そして――サーシャを救出しなければならない」
「ま――待ってください。リリーが、リリアナが危険とは、一体何故」
話し続けるライリーを、蒼白を通り越して真っ白になったクライドが遮る。勿論、クライドとてリリアナが大公派に命を狙われる可能性については考慮していた。出来るだけ早く王都に戻ってリリアナを助けなければという気持ちも持ち続けていた。ただ、その焦燥を表に出しては弱味を見せるだけだと理解していたから、常に平静を装って来た。
だが、ライリーの言い様では、リリアナは魔王の復活にも巻き込まれる危険性があると聞こえる。冗談だと言って欲しいと、珍しく感情が漏れ出ているクライドは無言で訴えていたが、ライリーは無情にも事実を突き付けた。
「残念だけど、事実だよ。サーシャの体内には闇の力が宿り始めていた。私たちが王都を出る前だったから、今はどの程度侵食しているか分からない。けれど、魔王の復活には恐らく“器”が必要なはずだ。最悪の場合、サーシャが」
一瞬、ライリーの言葉が詰まる。しかし彼はあふれ出そうになる感情を飲み込んで、淡々と、至極冷静に言葉を続けた。
「最悪の場合、サーシャが魔王の“器”となってしまうかもしれない」
もしそうなれば、当然リリアナは喪われる。思っても見なかった話に、クライドは固く拳を握りしめた。エミリアも、両手で口を覆ってしまっている。あまりの衝撃に言葉もないクライドたちだが、既にライリーもオースティンもその段階は通り過ぎていた。
「私はそれを防ぎたい。それもあって、早急に封印具を持って王宮に入りたいんだ」
暫くの沈黙が落ちる。やがて沈黙を打ち破ったのは、どうにか血の気を取り戻しつつあるクライドだった。
「――承知いたしました。すべきこととしては、大まかに二つ。魔王の復活を阻止する、もしくは復活した場合にリリアナを保護し魔王のみを再度封印する。もう一つは、大公派の殲滅。大公派の主要貴族は王宮か、王都の邸宅に留まっているでしょうが、王都を動き回っているという大公派の治安部隊が厄介です」
「その通り」
妹の危機を知っても尚、クライドの頭脳は健在だった。ライリーは満足気に口角を上げる。クライドはその微笑を受けて軽く頭を下げた。
「殿下は、先にここに居る我々で王都へ入り、その後、王都の外に居る王立騎士団長たちと連携を取り、大公派を鎮圧するおつもりですか」
「大まかにはその通りに考えているよ。当初も斥候として数人、先に王都へ侵入させるつもりだったしね。ただその計画に少々手を加えただけともいえる」
ライリーは肩を竦めるが、その横からオースティンが口を挟む。
「随分な変更だろ。当初は全員で進軍する予定だったんだ。それが、俺たちだけで先に王都へ侵入することになった。正直、団長たちが間に合うかも分からない。結構な賭けだぜ、これは」
クライドは腕を組んで頷き、オースティンに同意を示した。
「治安部隊と正面衝突になれば王都が戦火に見舞われる。それに、下手を打てば殿下が大公派の手に堕ちます。二番隊は七番隊と三番隊に合流したかと思いますが、彼らとどう連携を取るかが鍵となりそうですね」
「ああ、同感だ。だがそこはベン・ドラコ殿とペトラ・ミューリュライネン殿にも協力を願いたいって話になったんだ。二番隊もいるしな」
オースティンの説明に、クライドは頷く。だが考えるべきことは膨大で、順を追って計画を考えた方が良いには違いない。そう思ったクライドは、視線をライリーに向けた。
「騎士団長との連携は後々考えるとして、まずは我々がどのように王宮に入るかが問題です。殿下にはお考えが既にあるのでしょうか」
問うてはいるものの、クライドは凡その予想を付けているという表情だった。
ライリーが先に向かうと言ったのは“王都”ではなく“王宮”だ。王宮には、王族が非常時に使うという隠し通路が多数、存在しているという。本来であれば王族と限られた信用ある近衛騎士にのみ利用が許される通路ではあるものの、それ以外の人間が使えないというわけではない。
今この場に集まっている面子を見れば、ライリーはここに居る全員を連れて行こうと考えているのではないかと想像できた。
案の定、ライリーはクライドの予想に違わない答えを用意していた。
「王宮に繋がる隠し通路が複数あることは知っているだろう。その内の一つを使う予定だ」
やはりと頷きかけたクライドだが、続けられたライリーの言葉は全く想像だにしないことだった。
「その通路は他の隠し通路と違って、限られた人間しか通ることはできない。王族に加えて“三傑の血を継ぐ者”だけだ。それ以外の者は通路の存在を見ることもできないそうだ」
「――は?」
クライドにしては珍しく素っ頓狂な声を漏らす。オースティンが気の毒そうな視線を向けているが、クライドはオースティンの視線に構う余裕などなかった。
「そのような通路が――存在するのですか」
「私も初めて知った」
「いや、しかし――――ああ、なるほど。それでも信じ難いことですが――」
茶目っ気あるライリーの言い方に咄嗟に反論しかけたクライドだが、すぐに納得したように頷く。そして横目でベン・ドラコを見て、力なく頷いた。
ただ、ここで彼らの会話に口を挟んだ者がいる。それまでずっと無言で話を聞いていたエミリアだ。彼女はどこか不安そうな面差しで、何故かライリーではなくオースティンを見ていた。
「あの――その“三傑の血を継ぐ者”というのが私にはよくわからないのですが」
「ああ、そうだな。ライリー、説明しても構わないか?」
オースティンに確認され、ライリーは頷く。確かに“三傑の血を継ぐ者”に関しては詳細を共有していなかった。ライリーの代わりにオースティンがエミリアを見た。
「スリベグランディア王国建国に関わった三人の英雄の血を継ぐ者が、当代に一人は居ると言われているんだ。ただし単純に血縁関係があるというわけではないらしく、他にも諸条件があるらしい。詳細は分からないし、確かに三傑の子孫に現れがちだという話ではあるようだけどな」
なるほど、と納得したエミリアだったが、しかしオースティンの説明を聞いて余計に不安が増した様子だった。眉根を僅かに寄せて、今度はしっかりとライリーに目を向ける。
「恐れながら、それならば何故私がこの場に呼ばれたのでしょうか。血縁とは限らないとオースティン様は仰っていますが、それでもなお、私が“三傑の血を継ぐ者”である可能性はほぼないと思うのです」
エミリアの指摘は尤もだった。“三傑の血を継ぐ者”ではないだろうエミリアは、この場に居ても出来ることは何もない。
王族と“三傑の血を継ぐ者”以外には見えることすらない隠し通路に入ることも出来ないはずだ。
「そうだね。確かに、貴方にここへ来て貰った意味はそれではないよ」
ライリーは穏やかに、しかしはっきりと答えた。それならばどうしてと、エミリアは更に眉間の皺を深める。その様子を見たライリーは、エミリアを安心させるように微笑みかけた。
それでも、エミリアは困惑を隠せない。それならば一体どうして、と問うような視線をライリーに向けている。
「エミリア嬢、貴方は非常に稀有な魔力を持っている。その上、その魔力量はかなり多い。その力を使いこなす技量と勇気がなければ宝の持ち腐れだけれど、貴方はその能力を遺憾なく発揮することの出来る人材だ。そのことは、ヴェルクから戻る時にも証明された」
唐突にも思える誉め言葉に、エミリアの頬に朱が差した。
「お、恐れ入ります……」
嬉しさもあるがそれ以上に恥ずかしさに耐え切れないエミリアの様子は、見るからに初々しい。オースティンは咎めるように目を細めてライリーを見るが、ライリーは綺麗にオースティンの視線を無視した。何を口説いているのだと言いたげなオースティンの視線に応える必要はないとでも思っているようだ。そして、照れるエミリアはそんな二人のやり取りに気が付かない。
「だから、いざという時には貴方にも王宮に転移して来て欲しいんだ。本当は隠し通路を一緒に行ければ良いんだけどね、もしかしたら無理かもしれない。そうなると転移する以外の方法がないんだけれど、エミリア嬢は転移陣は使えないよね?」
「はい、使ったことはありません」
ライリーの問いにエミリアは首を振る。転移陣など、普通に生活していれば使う機会などないのだ。
正真正銘、先ほどベン・ドラコに連れられてライリーとオースティンの元に転移したのが、エミリアにとって初めての経験だった。
「転移陣も、正確な地点に転移しようと思えば、転移先に陣を置いておくべきだとされているんだよ。一応地図上の地点を想定して転移することは出来るけれど、外部要因――例えば結界が張られていたり、転移陣を無効化するような術式が組まれていたら、想定外の所に転移する可能性もある。今回ベン・ドラコ殿とペトラ殿は貴方たちの元に上手く転移することが出来たようだけれど、それは滅多にないことなんだ」
「それに、自分一人が転移するのと、複数人で、もしくは他人を転移させるのではかなり難易度が違う」
ずっと無言でライリーの話を聞いていたベン・ドラコが口を挟む。転移陣という自分の専門範囲のことになると、どうしても口を挟みたくなるようだった。
以前からベン・ドラコの――否、ドラコ一門のその性質を良く知っていたライリーはベン・ドラコが口を挟んだことに不快にもならず、ただ頷く。
「だから、転移先を明確にするための陣を私が持って行く。必要な場合は私が合図を出して、ベン・ドラコ殿がエミリア嬢を私たちの所に転移させる。そういう計画を立てているんだよ」
勿論、仮にベン・ドラコたちが力を合わせて、王立騎士団長率いる七番隊、三番隊、二番隊を王都内に転移させることが出来るのなら、それが一番手っ取り早いだろう。だが、さすがのベンやペトラも、それだけの大人数を安全に転移させることは出来ない。仮にドラコ一門の総力を挙げたとしても、大人数の転移が成功する確率は限りなく低いだろう。
ベン・ドラコの補足も踏まえて、エミリアは納得したように頷いた。
「分かりました。私でお役に立てるのでしたら、幾らでもお申し付けください」
エミリアの言葉に、ライリーは「ありがとう」と言った。
「それじゃあ、早速計画だけど――まずはその隠し通路を見つけるところから始めないといけない」
だが問題は、ローカッド公爵も公爵の息子ポールも、そしてベン・ドラコですら通路の場所を知らないということだった。広大な領地の中でどのようにして探すべきか、とライリーが首を傾げた時、珍しく黙り込んだまま大人しく座っていたベラスタが片手を挙げた。
全員の視線が、ベラスタに集中する。
「ベラスタ?」
どうしたのだと、ベン・ドラコが問う。ベラスタは「あのさあ」とおもむろに、しかし少し困ったように言った。
「多分だけど、オレ、その通路知ってる気がする」
思いも寄らない台詞に、沈黙が落ちる。どこか気まずい静けさの中、ベン・ドラコの「は?」という少し間の抜けた声が、響いた。
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