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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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71. 南東の再会 1


何日も寝ずに馬を駆けさせたオルガは、通常よりも遥かに早くカルヴァート辺境伯領に到着した。かつて訪れたことのある土地は懐かしいが、余韻に浸る暇はない。彼女は腰にぶら下げた筒から水を呷ると、最後の仕上げとばかりに馬の尻へ鞭を振り下ろした。

更に馬を走らせ、オルガはカルヴァート辺境伯領の領都にある辺境伯邸に到着する。国防の要ということもあり要塞ともなるよう造られた城は広大で、初めて見る者はその大きさと迫力に圧倒される。しかし、オルガは全く臆することなく馬から降りると、手綱を引いて門番に近づいた。

門を護る二人の衛兵は近づいて来たオルガに警戒を見せるが、オルガは首から下げた袋を服の中から引っ張りだし、手早くそこから指輪を取り出す。それを衛兵の一人に見せれば、男は顔を引き締めて構えを解いた。


「辺境伯にお会いしたい。オルガが来たといえば通じるはずだ」


オルガの言葉を聞いた衛兵は一つ頷き、オルガを門の中に入れた。門と言っても、その先にすぐ本邸があるわけではない。広い敷地には様々な建物が並び、カルヴァート辺境伯ビヴァリーが日々を過ごす区画に足を踏み入れるだけで一苦労だ。

門番が伝令に声を掛けるのを尻目に、オルガは再び馬に飛び乗って駆けだす。背後で伝令と衛兵が焦って呼びかける声が聞こえたが、オルガは綺麗に無視をした。わずかな足止めすら煩わしいと思うほどに、一刻一秒が惜しい。オルガの主であるリリアナのことだから大人しく投獄されたままだとは思わないが、万が一ということもある。リリアナの身の周りを世話しているマリアンヌからも、あまりリリアナの体調が思わしくないようだとは聞いていた。

それに、仮にリリアナが無事屋敷に戻ったとしても、大公派がリリアナの存在を見逃してくれるとは到底思えなかった。大公派の横暴はオルガの耳にも入っていたから、リリアナが王太子派だとグリード伯爵が確信した今、リリアナの命は保障されていない。処刑はされずとも、毒殺など企てられてしまえば一巻の終わりだ。


時折すれ違う人々が必死の形相で馬を駆けさせるオルガを驚きの目で見ることに気が付いてはいたが、一切注意を払うことなく、オルガは本邸まで乗り付ける。そして馬から飛び降りたオルガは、自分を取り囲もうとする騎士たちを鋭く見回した。

門の周囲にも兵は置かれているが、本邸には騎士がいる。カルヴァート辺境伯領を護る者たちは衛兵も含めて優秀だが、本邸の周囲に配置された騎士たちは選りすぐりの精鋭たちのようだった。


「何者だ」


低い声で、この場で騎士たちを従えているらしき男が誰何する。オルガは隙を一切見せず、静かに答えた。


「オルガだ。ビヴァリー殿に会いに来た。目通りを願う」

「オルガ?」


男は胡乱な目付きになる。オルガが先ほど門番に見せた指輪を掲げれば、目を眇めた男は片眉を上げた。


「――閣下は今、お忙しい」


不審者ではないということが分かったらしい。第一関門は突破したが、すぐには会わせてくれるつもりがないようだ。しかし、オルガは怯まなかった。目付きを些か鋭くして、騎士を睨み返す。


「用件の優先順位は貴様の主が決めることだ」


オルガの指摘に、男は口を引き結ぶ。大方、ぼろぼろになったオルガの風体、そして女性であるということから執事や辺境伯本人に問う素振りすらみせず断りの文句を口にしたのだろうが、オルガには引き下がるという選択肢などなかった。


「貴様――」


すごすごと引き下がると勝手に思い込んでいたのか、男は不機嫌に低く唸って顔を顰める。しかし、オルガは一切引くことなく男を睨み据えた。

門から本邸までは勝手に行くことが出来たが、さすがに屋敷に押し入るわけにはいかない。それをしてしまえば、今度こそオルガは捕縛する口実を騎士たちに与えてしまう。そのため、ここで強行突破するわけにも、そして騎士たちを存分に叩きのめすわけにもいかなかった。


しかし、騎士たちの僅かに殺気立った様子を見て、さすがに拙かったかとオルガは内心で焦る。早くビヴァリーに会いたいという気持ちが先走って頑なな態度に出てしまったが、騎士たちがオルガを不審者と見做して襲い掛かって来れば反撃しないわけにはいかなくなる。そうすると、投獄は避けられてもビヴァリーに会うまでに随分と時間がかかってしまう。


さてどうするかと、オルガは眉根を寄せたまま騎士たちの出方を窺った。だが、事態は直ぐに収まった。


「おい、何をしている」


騎士たちの背後から声を掛けたのは、立派な身なりをした若者だった。着ている衣服の仕立ては良く、明らかに立場のある人物であることが分かる。それだけでなく、その男が身にまとう雰囲気は他者を従えることに慣れた者のそれだった。


「だ、団長!」


響く声に、オルガと対峙していた騎士たちは焦った表情で振り返った。

団長と呼ばれた男は、騎士たちの向こう側に女の姿を認めて僅かに目を瞠る。しかし、その驚きは見知らぬ女が居るからという理由ではなかった。


「なんだ、オルガか。珍しいな。どうした?」

「アンガス」


どうやら見知らぬ女はカルヴァート辺境伯騎士団長アンガス・カルヴァートの知人らしい。それと気が付いた騎士たちは、さっと顔を蒼褪めさせた。アンガスはカルヴァート辺境伯ビヴァリーの嫡男だ。そのアンガスを呼び捨てに出来る女、となれば、どれほど風体が傭兵のようであろうと、それなりの客人には違いない。

しかし、オルガは最早自分をすげなく扱おうとした騎士たちには目もくれなかった。一歩アンガスに近づき、さっさと用件を伝えることにした。


「ビヴァリー殿にお会いしたい。急用だ」

「分かった」


アンガスは、オルガのたったそれだけの説明で納得した様子だった。一つ頷くと、その場にいた騎士にオルガの馬を厩舎へ連れて行くよう命じる。そしてオルガににやりと笑みを向けた。


「今、母上は客人の相手で忙しい。だが、お前が来たといえばとっとと謁見を済ませて会いに来てくれるだろうさ」


その言葉に、騎士たちの顔色は青を通り越して白くなる。今にも倒れそうな騎士たちを尻目に、二人は館の中に入った。扉をきっちり閉めたところで、オルガは呆れた目をアンガスに向けた。


「――やりすぎじゃないか? 気の毒に、皆、顔面蒼白だったじゃないか」

「あれくらいで良いんだよ、あの連中は最近入って来た奴なんだが、ちょっと勘違いしていたみたいだからな」


アンガスは何でもないことのように告げて、廊下を歩き出す。どうやら彼は使用人たちに自分には構わないようにと伝えているらしく、時折すれ違う侍従たちは一瞬目を瞠ったものの、大仰な態度をとることもなく、自分たちの仕事に専念していた。


どこまでも続きそうな廊下を歩き続け、アンガスに連れられたオルガが辿り着いたのは謁見の間近くの控え室だった。アンガスは自ら扉を開けると、魔術で室内に灯りをともす。


「母上に言伝を頼んで来る。しばらくここに居てくれ」

「分かった」


アンガスは手短にそれだけ告げると、部屋を出ていく。

その後ろ姿を見送ったオルガは、少し考えてソファーの上に手巾を広げ、その上に座った。かなりの強行軍で王都からカルヴァート辺境伯領まで駆けて来たため、全身が埃と汗にまみれている。当然服も汚れ切っていて、綺麗に掃除の行き届いた調度品を汚すのは躊躇われた。

足元は当然のように土が落ちてしまっているが、そこは諦めるしかないだろう。


安堵の息が口から洩れる。まだビヴァリーに会えたわけでもなく、オルガの頼みにどのような答えを返してくれるかも分からない。しかし、リリアナがグリード伯爵の部下に連れ去られた時よりも前進していることは間違いない。

それでも、王都を出てからそれなりの日数が経過している。リリアナが連れ去られた後、すぐに旅立ったとはいえ、人間が弱るには十分な時間だ。リリアナを直ぐに助けに行かなくて良かったのかと、何度も脳裏を過った不安がまた蘇る。


「――いや、問題はない――はずだ」


そしてオルガは、何度そうしたように自分に言い聞かせた。

リリアナは騎士に付き従う直前、オルガに告げた。


『わたくしは大丈夫です。貴方は為すべきことをなさい』


自分が為すべきこと、と考えて、オルガが思いついたのはただ一つだった。即ち、王太子を早く連れ戻すことだ。王太子が無事に戻れば、王太子派の貴族たちは一致団結し、大公派を追いやる切っ掛けもできる。しかしオルガ一人で王太子を連れ戻すことなどできない。そもそも、王太子が今どこで何をしているのかも、オルガは知らなかった。オルガが把握しているのは、大公派が王宮を占拠し、国王と王太子が姿を晦ましているらしいという情報だ。

勿論、その情報も一般に流布されているものではない。ケニス辺境伯を父に持つマリアンヌやオルガの()()から聞き知った内容である。

得られた情報はその殆どが、普通ならば“取るに足らない”と忘れ去られるようなものばかりだったが、オルガとマリアンヌは全ての情報を真剣に精査し、そして時には自ら情報収集に出向き、本当らしいと思える内容を頭の中に叩き込んでいた。


それも全て、主であるリリアナのためだ。リリアナは王太子の婚約者であり政戦に巻き込まれる立場にあるが、彼女は決して使用人たちに何も言わない。信頼以前の問題で、リリアナにとってマリアンヌやオルガは使用人に過ぎず、己の悩みを共有する相手ではないのだ。

当然、マリアンヌやオルガもそのような立場を求めているわけではない。しかし、マリアンヌは侍女として、オルガは護衛として、ある程度は主を取り巻く状況を把握しておかなければ、適切な対処ができない。


尤も、マリアンヌはまだリリアナが社交界デビューしていないため、その知識を生かす機会に恵まれることは少ない。しかし、歴史を知らなければ適切な判断ができないのも事実だ。リリアナが社交界に出るようになった後、夜会の招待状が送られて来た時、リリアナが全てに目を通すわけではない。それよりも先にマリアンヌが全ての招待状を把握しなければならないし、リリアナが夜会を主催する時は、マリアンヌがその補助(サポート)を務めることになる。


そしてオルガは、護衛としてリリアナに近づいて来る人物に目を光らせる必要があった。今は護衛の任を解かれているジルドは、貴族社会に疎い。そのためリリアナが王宮を訪問する時は、オルガが護衛を担うことが多かった。リリアナに話し掛けて来る人物がどこの家に属する者で、社交界でどのような人脈を持つのか、把握しておいた方が動きやすい。

そのために為していることだった。


勿論、リリアナに話をしたことはないが、彼女も薄々マリアンヌやオルガが何をしているのか把握していたに違いない。だからこその台詞だと、オルガは理解していた。


「あいつはまだなのか――いや、さすがに早すぎるか」


オルガは小さく息を吐く。安堵しながらも焦燥感は消え去らない。

客人と謁見しているビヴァリーにオルガの訪問を伝えるのは、アンガスではなく執事のはずだ。つまりアンガスは執事を探し、執事に言伝を頼む。そして言伝を頼まれた執事が謁見中のビヴァリーに耳打ちし、ビヴァリーが諾と言えばオルガはようやく、ビヴァリーと会うことができる。

そう考えると、ビヴァリーに会えるまで暫く時間がかかるのは間違いがない。理解はしていても、心は逸る。

深呼吸をして自分を落ち着けようとしていたオルガは、ふと顔を上げた。


『――見つけた』


そんな声が聞こえた気がしたが、当然部屋にはオルガしかいない。部屋の外にも気配はなかった。思わずオルガは眉根を寄せた。


「空耳、か」


疲労が溜まっている自覚はある。だからきっと気のせいなのだろうと、オルガは自分を納得させた。




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