70. ローカッド公爵邸 1
深夜、ライリーとオースティンは王都近郊にある広大な敷地の前に立っていた。本来掛かる日数を遥かに短縮させて馬を走らせて来たため、二人の姿はそこら辺で仕事を探している傭兵の方がよほど身綺麗にしていると言えるほどのものだった。
しかし、ライリーもオースティンも、その双眸を煌めかせている。体は疲労を訴えていたが、それを気力が上回っていた。
「ここか。噂には聞いちゃいたけど」
オースティンはそこまで言って言葉を飲み込む。ライリーはオースティンが何を言おうとしたのか悟り、苦笑した。
「この敷地内に人の気配があるという話も聞かないね。その割には屋敷に劣化も見られないのだから、奇妙に思われるのも当然だと思うよ」
二人が居る場所からは、ほんの小さな影しか見えない。しかし近づけば非常に大きな屋敷であるには違いない。その場所こそが、スリベグランディア王国三大公爵家の一角を担うローカッド公爵家の屋敷だった。
人前には姿を現さない一族だからこそ、貴族たちの間では実しやかに様々な噂が流れる。その内の一つが“幽霊屋敷”というものだった。ローカッド公爵家の領地は知られているし、屋敷の大まかな場所も把握されている。しかしその屋敷に人が暮らしている気配はなく、重厚な門が開くこともない。更に言えば、屋敷の場所が時々変わる、という噂さえあった。
即ち、幽霊が住んでいるだけでなく、館そのものが幽霊のように神出鬼没だと言うのだ。
尤も、屋敷の位置が変わるという噂に関してはライリーも半信半疑だった。さすがに、巨大な建造物を跡形もなく動かすなど、人知の及ぶところではない。
ローカッド公爵家の正体は明らかにされていないものの、ライリーの推測が正しければ、公爵家の面々が人の気配を消すことなど造作もないだろう。ただし、屋敷の位置を移動させることは彼らにも不可能であるはずだ。
「とはいえ、こうして私たちの前に門が用意されているわけだからね。歓待――かどうかは分からないけれど、第一関門は突破したと考えて良いんじゃないかな」
ライリーはそう言いながら、目の前の門に触れる。すると、黒光りした巨大な門はゆっくりと開く。目を瞠るオースティンに、ライリーは横目で「ね」というように合図をしてみせた。
オースティンは息を飲んでいたが、ライリーが門の中に一歩足を踏み入れようとしたのを制し、先に自分が中に入る。問題がないと鋭く周囲を確認した後で、オースティンはライリーに頷いてみせた。
慎重な近衛騎士に苦笑しながらも、ライリーはオースティンの意図を蔑ろにするつもりはない。大人しくオースティンの斜め後ろを進む。
門から屋敷までは庭がどこまでも広がり、森に繋がっているようだ。遠くで犬の鳴き声も聞こえる。どうやら大型犬を数頭、庭に放し飼いにしているらしい。
暫く二人はそうして進んでいたが、やがてオースティンが気持ち悪そうに顔を顰めた。
「――おい、なんだかやたらと見られてるぞ」
「うん、私もそんな気がする。結構いるね?」
ライリーも普段と変わらない穏やかな表情を浮かべているものの、落ち着かない様子だ。それも当然で、門を開けて中に入ったところから、二人は複数人の視線を感じていた。しかし視線を巡らせても、人影は全くない。
「魔導士か?」
オースティンが呟く。
オースティンもライリーもまだ年若く、人目に付くような目立つ功績こそないが、スリベグランディア王国では有数の剣士として名を馳せる素地がある。そんな二人にとって自分たちの一挙手一投足を注視している人物の気配を感じ取ることなど、造作もないことだった。そして、どれほど姿を隠していても、目の届く範囲であればおおよそ敵の居場所も把握できる。
しかし、今の二人を観察している視線はどれほど辿っても大元に辿り着かない。一番に考えられるのは、魔導士が魔術を使って監視している可能性だった。
普段であればすぐにライリーも頷いただろう。だが、今のライリーは曖昧に言葉を濁すだけだった。
違和感を覚えたオースティンは首を傾げる。しかし、オースティンがライリーに何か声を掛けようとした時、二人が乗っていた馬が嘶いて前足を上げた。突然恐慌状態に陥ったらしい。慌ててオースティンとライリーは手綱を引いて落ち着かせようとする。何故馬が突然暴れ始めたのか、二人には分からない。
その理由が分かったのは、数秒後だった。
「――――っ!?」
オースティンが絶句する。ライリーもまた、愕然と目の前のあり得ない事象を見つめていた。
二人の前に、遥か遠くにあったはずの屋敷が現れたのだ。どうやら馬は周囲の異変にいち早く気が付いたらしい。立派な柱廊玄関を前に、オースティンとライリーは呆然とする。
「転移か?」
「多分――そのようだね」
ある程度の経験を踏めば、転移の直前に独特な体感があることが分かる。しかし、今の二人は馬に乗っていたせいか、全く前兆に気が付かなかった。それほどまでに見事な技に、ライリーは内心で舌を巻いた。
「さすが“盾”と言われるだけはある」
ライリーが小さく呟くと、扉も開いていないにも関わらず、二人の前に人が現れた。
「お褒めに預かり恐縮にございます、殿下」
恭しく頭を下げる老齢の男性は白い髪と髭を綺麗になでつけ、黒服と白い手袋をきちんと身に着けている。一目で高位貴族の筆頭執事であると分かる出で立ちと物腰だった。
唐突な出現ではあるものの、オースティンとライリーは直ぐに平静を取り戻す。口を開いたのはライリーだった。
「ローカッド公爵にお会いしたいのだが」
単刀直入に切り出したライリーに、執事は探るような視線を向ける。しかし、すぐに微笑を浮かべ一礼した。
「既にお待ちにございます。馬は馬番が世話を致します故、殿下と騎士殿はどうぞこちらへ」
砂埃と汗にまみれた体でローカッド公爵に会うのはどうかと思いはしたが、ライリーとオースティンは素直に馬から降りると執事の案内に従って屋敷に入った。
オースティンの生家であるエアルドレッド公爵の本宅も立派な造りだが、ローカッド公爵邸も負けていない。ただ一番大きな違いは、ローカッド公爵邸に飾られている品々が全て異国のものだという点だった。
一見しても見事な調度品ばかりで、ライリーとオースティンは目を奪われる。二人の前を歩いている執事にその様子は見えないはずだったが、彼はおもむろに右手で壁の一画を指し示した。
「こちらの広間には、歴代当主が諸国より集めました品々の内、特にローカッド公爵家に相応しいとされたものが飾られております。例えば、あちらの鉾」
そうして示された鉾は屈強な男でさえ取り落としそうなものだった。
「あちらの鉾は東方で呪術師が作ったものだと伝えられております。曰く、小国が大国に敗れそうになった時、優れた呪術師が祖国を護らんとその命を賭し創り上げ、王に献上し、その鉾を持ち若き獅子王が大国を打ち破ったと。鉾の柄の部分だけでなく、刃の部分にも複雑な文様が刻まれております。呪術の文様だということは分かっておりますが、具体的にどのような効果を発動するものなのかは未だに分かっておりません」
滔々と紡がれる説明に、ライリーとオースティンは感心する。しかし、二人ともその語り口調に妙な既視感を覚えていた。
特にライリーは、表に出すことこそないが、内心ではわずかに混乱していた。
(もしかして、逆なのかな? いやでも、それはそれで妙な話だ)
ふとライリーは視線を感じて顔をオースティンの方に向ける。オースティンは既視感の正体に気が付いたらしく、問いたげな表情だった。だが、その疑惑を口にしないだけの良識は互いに持ち合わせている。いずれにせよ、ローカッド公爵に会えばすぐに分かることだと、ライリーは一つ頷いた。
暫く長い廊下を歩き、一際立派な扉の前で執事は足を止めた。ライリーとオースティンを振り返り、ゆっくりと扉に手を掛ける。
「主はここに居りますが――本当に、ローカッド公爵にお会いになりますか?」
「無論だ」
ローカッド公爵に会わないでいては、何のためにここに来たのか分からない。ライリーは力強く頷いた。オースティンもまた、引く気はない。はっきりと頷いて同意を示す。
そんな二人を、執事は相変わらずの無表情で見つめていた。だが、その双眸が面白い物を見るように一瞬眇められたように見えたのは、決してライリーとオースティンの気のせいではなかったはずだ。
執事は、扉にかけた手に力を込める。そして、彼は低く告げた。
「ご武運を」
意味深な言葉と共に、扉が開かれる。次の瞬間、ライリーとオースティンは視力を失った。真っ白い光に満ちた空間に、放り出される。状況を把握できないでいるうちに、二人の前には大きな影がさしかかった。一体何だと見上げるが、圧倒的な覇気の前に全身が総毛立つ。
二人を見下ろしていたのは、山ほどもあろうかと思われる、巨大な竜だった。









