表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

445/564

69. 強欲と行く末 2


リリアナは、物陰から足を踏み出した。足を踏み出す前に、彼女自身に幻術を掛けている。着替えたりはしていないものの、ベン・ドラコやベラスタほどの魔導士でない限りは真の姿は見えない。グリード伯爵の目にも、今のリリアナはローブを纏いフードを目深に被った華奢な少年に映るはずだった。

完全に魔術で遮断していた気配を出し、風の魔術で窓から風が吹き込んだように錯覚させる。微笑さえ浮かべて、リリアナは葡萄酒を味わい高価な砂糖菓子を楽しんでいるグリード伯爵の様子を観察した。


眉根を寄せたグリード伯爵は警戒したように顔を上げると、振り返って窓の方を見た。しかし、天井付近まで開いた大きな窓に掛けられた重厚な窓掛(カーテン)は動いた様子がない。グリード伯爵は眉根を寄せて訝し気な表情になる。


「――窓が開いている様子はない、が」


そんなことを呟きながら、グリード伯爵は葡萄酒の入ったグラスを卓上に置くと、砂糖に汚れた指を布で拭き、窓に近づいた。スコーン侯爵であれば気のせいだと取り合わないだろう小さな異変にも、グリード伯爵は気を配る。だからこそ、彼はリリアナ・アレクサンドラ・クラークの裏切りにも気が付いたのだと自負していた。


「閉まっているな」


窓掛(カーテン)を捲って、伯爵は窓の鍵が掛かっていることを確認する。どうやら気のせいだったらしいと納得し振り返った時、グリード伯爵はそこに居なかったはずの人影を認めてぎくりと体を強張らせた。普段から剣を佩いている者であればすぐに柄に手をやっただろうが、グリード伯爵に剣を持ち運ぶ習慣はない。しかし、すぐに彼は護衛を呼べるよう、呼び鈴の位置を視線で確認した。

それでもローブを着た人物に動く様子はなく、グリード伯爵は警戒しながらも相手の出方を窺う。そして、不機嫌に目を細めてみせた。


「突然、一体何の用だ。ここがグリード伯爵邸と知っての狼藉か」


侵入者は答えない。伯爵邸ではあるものの、グリード伯爵はこれまで様々な事業に手を出して来た。金になると思えば、違法すれすれのものにも関わったことがある。だからこそ余計に、伯爵邸に狼藉者が侵入しないように魔道具を駆使して結界を張った。更には大枚を叩いて護衛も雇っている。三大公爵家の館には及ばないが、最高峰の警備を張っている自信があった。

そんな邸宅に侵入できる者など、そうそう居るはずがない。そこまで考えて、グリード伯爵ははたと思い至った。


「もしや、一族の者か」


グリード伯爵が“一族”と言えば、それは“大禍の一族”のことだ。ローブの侵入者は肯定こそしなかったが、否定もしない。その態度に、伯爵は違和感を覚えた。

これまでも何度か一族の者が伯爵邸を訪れたことがある。都度違う人物ではあったが、今眼前に居る人物ほど寡黙な者は居なかった。だから妙だと思ったのだが、良く考えれば、これまで出会った一族も重々しい態度を装い威厳を見せようとする者、面倒な様子でふざけた事ばかりを口にする者、様々だった。

それに、間違いなく今伯爵が対峙している侵入者は只物ではなかった。基本的にならず者との折衝は執事の仕事だが、一族に関しては伯爵が直接話をしていた。一族とそこら辺にいるならず者を知ることで、力のある者を見る伯爵の審美眼は養われている。


それならばこれもまた一族の一人に違いないと、伯爵は確信した。

相手が大禍の一族なら、何ら恐れることはない。グリード伯爵は大金を払って来た“上客”であり、一族が伯爵を害することはないはずだ。仮に何者かの依頼で伯爵に差し向けられた刺客であったとしても、交渉すれば難は逃れられるに違いない。

そこまで考えたグリード伯爵は、警戒を押し隠して尊大な態度で侵入者に対峙した。不機嫌さを表情に出し、苛と口を開く。


「全く、これまで何をしていた。ヴェルクで王太子を暗殺するよう言いつけたではないか。大方、任務に失敗したから姿を現せないのかと思っていたが」


嘲弄に似た言葉を吐くが、グリード伯爵に相手を挑発する意図はなかった。ただ、任務に失敗していることを突き付ければ、今後の交渉を有利に進められるのではないかと考えただけだ。

一族には、これまでも大金を支払って来ている。暗殺といった重大任務であれば今後も金を払っても構わないが、破魔の剣を奪取する程度のことであれば、任務失敗の後始末として無料で対応すべきだとさえ思った。

何よりも、ここ最近は何もかもが思い通りにいかない。大公に取り入ろうとしていた裏切り者、リリアナ・アレクサンドラ・クラークを投獄したところまでは良かったが、王太子ライリーに関しては何もかもが後手に回っている。ここで盛り返したいという気持ちと、同時に憂さを晴らしたいという感情が間違いなくグリード伯爵の中にはあった。


「まあ良い。ここで大陸に名を馳せる大禍の一族の底力を見せつけるが良い。私からの依頼は簡単だ」


グリード伯爵は、相手が返答しないのを良いことに意気揚々と言葉を続ける。


「王太子が王都に近づいて来ている。王都に入る前に、王太子の持つ破魔の剣を奪い、私の元に持って来るのだ。暗殺はできずとも、盗人の真似事など天下の一族には赤子の手をひねるより容易かろう」


断られることなど、全く想定していない台詞だった。仮に侵入者が本当に大禍の一族だったとしても、それなりの地位についている者であれば一笑に付すに違いない。あくまでもグリード伯爵は一族にとっては客に過ぎず、一族に命令を出せる立場にはなかった。

だが、貴族であるグリード伯爵にとって一族は手足に過ぎない。大禍の一族は大陸に名を馳せる暗殺集団だが、地位ある者ではなかった。故に、伯爵にとっては一族の者に対して命令を下すなど当然のことだ。


だから、伯爵はローブの侵入者が自分の命令に従わないとは到底思っていなかった。言葉を発さず身動き一つしないローブの侵入者に、煩わし気に手を振る。分かったならば行け、と言外に示す伯爵だが、ローブの人物は動こうとしない。

伯爵は眉根を寄せ、訝し気に侵入者を睨みつけた。


「なんだ。まだ何か用か? 金なら払わんぞ。ヴェルクでの失態があるのだからな、それで帳消しだ」


傲岸不遜に告げる伯爵に、侵入者はしかし怒りもしなかった。代わりに、その姿が揺らぐ。

一体何が起こっているのかと、伯爵は眉間に皺を寄せた。凝視する前で、ローブの侵入者が自身に掛けていた幻術が解ける。そして現れた姿に、伯爵は愕然と言葉を失った。


「王太子暗殺の教唆、それだけで死刑確定ですわね」


この場に不適切なほど穏やかな微笑を浮かべて、そんなことを告げる。それは、グリード伯爵が投獄したとばかり思っていたリリアナ・アレクサンドラ・クラークだった。


「――何故……」


何故ここに居るのかと思うが、驚愕のあまり言葉も碌に出ない。リリアナは悠然と構えたまま、グリード伯爵に向けた目を細めた。


「公爵家の人間を招く()()としては、粗末に過ぎましたわよ。()()()()()()、無理なからぬことなのでしょうか」


別荘と言うのが、グリード伯爵がリリアナを放り込んだ牢獄を暗喩していることは直ぐに伯爵にも伝わった。ようやくそこで、伯爵は苛立たし気に舌打ちを漏らす。


グリード伯爵にとって、リリアナは王太子ライリーの指示を受けて間諜の真似事をした小娘に過ぎなかった。所詮、自分の半分にも満たない年齢の小娘だ。剣士でもなければ魔導士でもない、深窓の令嬢である。投獄してしまえば取るに足らないと、投獄した後はあっさり忘れ去っていた。


「看守を誑かしでもしたか。女はどれほど小さかろうと女狐だな」


伯爵は憎々し気に吐き捨てる。看守に媚を打って逃げ出す以外に、リリアナが脱獄する方法など全く思いもつかなかった。

そして同時に、リリアナが牢から抜け出たことを報告しなかった看守に対して苛立ちを覚える。報告しなかったということは、その看守がリリアナを牢から出したに違いない。ここでリリアナを捕えた後、看守には相応の罰を下さねばならないが、それよりも今は目の前のことだと伯爵は意識を切り替えた。


「今度は抜け出せぬよう、その両脚の腱を切ってから牢獄に放り込んでやろう」


冷酷に言い放ったグリード伯爵は、すぐに護衛を呼ぶべく足早に部屋を横切る。視線はリリアナから外さない。剣や魔術は十分なほど使えないと思ってはいても、警備を万端にした伯爵邸に単身忍び込んで来たのだ。協力者がいるのは間違いない。その協力者がこの場に居ないのは妙だが、伯爵にとってはある意味幸運だった。協力者がリリアナの危機に気が付く前に、リリアナの身柄を確保すれば良いのだ。だからこそ、護衛を呼ぶ前にリリアナが協力者へ助けを求めては面倒だ。


しかし、リリアナは一切動じた様子を見せない。静かに伯爵の行動を見守っていたが、大人しく捕まる気は毛頭ない。それどころか、リリアナは最早グリード伯爵を見逃すつもりはなかった。どのみち、正当な裁判にかけても反逆を企てたグリード伯爵は()()()()()()。それならば、今ここでリリアナが手を下したとて責められる覚えはない。

これまでならば、リリアナは自ら手を下すことに躊躇があった。前世の知識が決断を鈍らせて来た。法治国家という概念が知識の中にあるからこそ、私刑に対する拒否感はある。父エイブラムの時は正当防衛だと自分を納得させたし、スコーン侯爵の時も命を取ることまではしなかった。


だが、もはや当時感じた躊躇さえ、今のリリアナにとっては遠い感覚だった。


「――【鎌風(エリーガンストーム)】」


柔らかな、囁くような声がリリアナの可憐な唇から零れる。その声は伯爵の耳に届いたが、内容や意味を理解するより早く、その魔術は発動した。

今にも伯爵が引こうとしていた紐が、途中からすっぱりと切れる。支えを失った紐の端は、ぼとりと伯爵の足元に落ちた。


「な――っ」


グリード伯爵は息を飲む。信じられないものを見たというように、愕然と足元の紐を凝視する。まさかリリアナが魔術を使うとは思っていなかったらしく、慌ててリリアナを振り返った。


「小癪な!」


直ぐにリリアナが魔術を使ったのだと理解した伯爵は、懐をまさぐり魔道具を出す。それは護身用の魔道具だった。ただ護るだけではない。使い方によっては狼藉者を攻撃することもできる、優れものだった。息子ソーン・グリードに命じ魔導省から()()()()()()()()魔導士が、最初にグリード伯爵邸で作った仕事だった。


「所詮、魔道具を無効にすれば使えぬ技よ。早々に身の程を知るが良い」

「まぁ、面白いこと」


リリアナは優雅に笑う。ただ、殺すだけでは気が休まらない。

微笑は変わらなかったが、その声は雄弁に、身の程を知るのはそちらの方だと告げていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ