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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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9. 絡む糸 5


ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードは、婚約者候補筆頭であるリリアナ・アレクサンドラ・クラークを見送った後、自室に戻らず父親の寝室に向かった。容体が悪化した国王の様子が気にかかるというのも一つの理由だが、リリアナを見送った後一度謁見を願うようにと言伝を貰っていたのだ。


「失礼いたします」


近衛に黙礼し、ライリーは部屋に入る。赤を基調とした豪奢な寝室はカーテンが閉め切られ、薄暗く陰鬱な雰囲気に満ちていた。治療のためか祈祷のためか、室内に焚かれた独特な香に自然と眉根が寄る。悪いわけではないが、この部屋の中に居るだけで病気になりそうだという感想を胸に秘め、ライリーは寝台に寄った。


国王ホレイシオ・ジェフ・スリベグラード――三十五歳という若さにしてやつれた顔に、嘗て美男と社交界を賑わした貴公子の面影はない。鬼神と呼ばれた偉大なる父王とは異なり、現国王は元々線の細い男だった。顔立ちも父親ではなく母親――即ちライリーの祖母譲りの優男である。実際、彼は武芸よりも芸術を好んでいた。


「父上。起きていらっしゃいますか」

「――――ライリー、か」


ゆっくりと瞼が持ち上がり、濁った眼が宙を彷徨う。ようやくライリーを捉え、国王は掠れた声で愛息子の名を呼んだ。


「お加減はいかがですか」

「――夢の中で、アデラインに会ったよ」


問いには答えず、国王は薄っすらと笑みを浮かべる。ライリーは眉根を寄せた。アデライン・スリベグラード――今は亡き王妃でありライリーの母でもある。


政略結婚が主流の貴族の中で、アデラインとホレイシオの恋愛結婚は有名だ。妾を持ち血脈を保つことを優先する王族の中で、ホレイシオの価値観は異質だった。先代国王が複数の妾を囲ったのとは対照的に、ホレイシオはアデラインが亡くなった今もなお、アデライン以外の人を求めようとはしない。家臣は王家存続の不安があるとしきりに次の相手を見つけるよう説得していたが、結局どのような理屈を前にしてもホレイシオが頷くことはなかった。

そして新たに愛せる相手を見つけるよりも先にホレイシオは健康を損ない、新たな王妃の擁立も、妾の選抜すらも水に流れてしまった。

唯一の愛に身を捧げるその恋愛劇は市井でも語り継がれ、歌劇や吟遊詩人たちの歌う恋物語に姿を変えている。


産まれた時に母を失ったライリーにとって、思い出はない。それでも話に伝え聞く母は美しく優しかったし、両親が互いを慈しみ愛していたことも良く知っていた。母が亡くなった時の父はひどく落ち込んで、何も手につかない有り様だったらしい。対外的には辛うじて取り繕っていたようだが、時折は隠し切れない醜態を見た祖父も不機嫌さを露わにしていたそうだ。そしてライリーは、そんな父よりも祖父と関わることの方が多かった。


――祖父は、他の誰よりも多くの大事なことを、生きるために必要な道標をライリーに教えてくれた。


「それは良かったですね、父上」

「ああ――しっかりしろと、釘を刺されたよ」


ホレイシオは苦笑を漏らす。ライリーは笑えなかった。父の言葉が本当ならば、もっと早くにその夢を見せてくれなかったのかと今は亡き母に恨み言さえ抱いてしまう。そんな本心は押し隠し、息子は父の次の言葉を待った。


「お前も知っての通り――私は恐らく、もう長くはもたない」


ライリーは否定しなかった。下手に否定したところで、ホレイシオは確信している。無駄な言い争いは避けたかった。恐らく、ホレイシオは言い争いをするほどの気力も体力も残っていない。


「まだ幼いお前に伝えられることはないと――思っていたが、そうも、言ってはいられない」

「――執務のことでしょうか」

「執務のことなら、私よりも顧問会議の連中が良く知っているさ」


ホレイシオは自嘲を浮かべる。先代国王の治世が長かったため、ホレイシオの在位は未だ二年だ。先代国王は病床から指示を飛ばし、崩御した後に譲位が執り行われた。だから、政務に関しては先代国王の時世から仕えた家臣の方が良く把握しているというのは事実だろう。

ライリーは無表情のまま父の顔を見つめる。


ライリーにとって父は影の薄い男だった。身近に居たのは祖父だ。祖父はライリーが生まれた時から英雄だった。病床の祖父が語る彼自身の英雄譚は、市井の語り部たちが話すお伽話よりも面白かった。スリベグランディア王国を打ち立てたとされる三人の英雄の話よりも、ライリーには魅力的だった。

そして、祖父はライリーに王としての心構えを説いた。


国を守り民を生かすためには、犠牲を出すことも厭うてはならない。

一人を助けるために他を犠牲にするのではなく、一人を犠牲にしても数多の人々を救うのが国王という存在であると、祖父は語った。

祖父の語る理想の王は、人を超越した神にも思えた。


青白く痩せこけた顔の中で、ホレイシオの目が妙な光を持ち始める。ぎょろりとした目が、枕元に立ち尽くすライリーに向けられた。


「先代国王の、負の遺産の話だ」


聞いたことはあるかな、とホレイシオは嗤う。ライリーはわずかに眉を寄せ、静かに首を振った。祖父と折り合いの悪かった父の言うことだという警戒心と共に、興味も湧く。

勿論、賢王と呼ばれた一方で鬼神との呼び名も高い祖父のことだ。全てが褒められた所業でないだろうことは想像がつく。だが、“負の遺産”とは初めて聞く言葉だった。


「結界を、張ってくれ、ライリー」


国王は弱弱しく告げる。ライリーは無言で防音の結界を張った。口の動きで話の内容を悟られないよう、念のため幻視の術も掛ける。その様を眺めていたホレイシオは満足そうに呟いた。


「――私とは違って、優秀な子だな、お前は」

「――――父上も、御立派な王にあらせられます」

「嘘は吐かなくて良い。お前が先代に憧れていることは、良く、知っている」


ホレイシオは感情が削げ落ちたような声音で呟く。返す言葉が見つからず一瞬黙り込んだライリーだったが、すぐに話題を切り替えることにした。


「それで――その“負の遺産”というのは」

「先代の治世は苛烈だった――ということは、お前も良く知っているね」

「はい。優秀な者を取り立て、無能な者は切り捨てた、と聞き及んでおります」

「その通り。だからこそ――戦場だけでなく、王宮(ここ)でも先代は“鬼神”の如き人だった」


だが、全てがそれで上手く行ったわけではない。

先代国王は人間の能力と適性を重視しすぎる嫌いがあった。


「無論、裏切り者は粛清するが、心の中までは支配できない。先代は、面従腹背だろうが、それを()()()()()()()()()()()()()()()()()


十六年前の政変を契機に人手が足りなくなったことも要因の一つだが、先代国王はそれ以前より能力で人を重用する傾向があった。

ホレイシオは苦い顔で続ける。


「あの政変も、先代であれば事前に抑えられたはずだ。それをしなかったのは――効率的に敵をあぶりだすこと、自身の権力を盤石なものにしようと考えたこと、この二点だろう」


小規模な政変で抑える気はさらさらなかったに違いない。先代国王は反国王軍が用意周到に事を為すのを待ち、最大の打撃を与えられるタイミングで彼らを一掃したのだ。

だが、その時も上手く時世を読んで先代国王に従った貴族も居た。心の底からの忠誠ではなく、己が一族が生き延びるために先代国王を選んだ者たちである。しかし、元より二心ある者も能力があれば取り立てる人物である。彼らが裏切る可能性すら考慮に入れていたに違いない。


尤も、その政変が一段落した後、先代は国王陣営で勲功を立てた者たちに等しく褒美を与えたのだが――問題は、その先代が後継の決定を先延ばしにしていたことだった。


「息子よ。お前は、柄のない剣は使えるか」


唐突な問いに、ライリーは目を瞬かせる。首を傾げて少し考えた。

芸術を好む父のこうした言い回しは、ライリーには多少理解が難しい。


「それは、握る箇所にも刃があるということでしょうか?」

「その通りだ」

「決して刃で切れない皮などを手に巻けば、あるいは可能かもしれませんが――相当な技術が必要でしょう」


ライリーの回答はホレイシオの意に沿ったらしい。小さく頷くと、ホレイシオは「先代はまさしく、そのような剣を好んで使う方だった」と言った。


「いつか裏切る可能性が高くとも、こちらを害する可能性があろうとも、有能であり、己の手先となることができる狂犬であれば、好んでその首に枷を付けた。自由に走らせ、しかし常に監視を怠らない。時には命じて、時には気付かれぬよう誘導して、己が目的を達成させるために、狂犬を動かした」


今の王宮には――否。王宮だけでなく、スリベグランディア王国には、先代が好んで使っていた狂犬が多数存在している。先代の御代を生き抜いて来ただけあって、残された狂犬たちは皆一様に、一見しただけではその本心を決して悟らせない。常に王家に忠実に跪いているように振舞っている。そして、飼い主に牙を剥くタイミングを、爪を研ぎながら見計らっているのだ。


「――先代は、そのような者たちを使いこなしてこその王だとお考えだった」


だが、ホレイシオには無理だった。彼は、先代と比べて優しく人情があった。非情になりきれなかった。つい数刻前まで歓談し酒を飲み交わしていた相手に素知らぬ顔で毒杯を勧められることも、その可能性を常に念頭に置きながら友好的な関係を続けることも、そして最終的に裏切り者を自分の手で粛清することも、ホレイシオにはできなかった。そして、そのために――愛する妻子を見捨てることも、ホレイシオには考えられなかった。


祖父が遺した臣下たちを、ホレイシオは信じられなかった。常に疑心暗鬼に晒され、愛妻を亡くし弱った心は更に疲弊した。

決して愚鈍ではなかったが、先王に見込まれた狂犬たちにとっては()()()()()()()()()。臣下たちの目が呆れと嘲笑、侮蔑をひた隠していることに、ホレイシオは気がついていた。

ホレイシオは、有能だが取り扱いの難しい、柄のない剣を御することができなかったのだ。


そんなホレイシオを、先代は無能だと断じた。そしてホレイシオがアデラインと生まれたばかりの子を亡くした時、先代はホレイシオに見切りをつけた。王位継承権の第一位を、直系のホレイシオではなく妾に産ませた子にやろうとすら考えたのだ。だが、政変のせいで貴族の勢力図は大きく変わり、先代が目を付けた子供は命を失った。先代自身は摂政となることも嫌だったようだ。

結果、彼は病に伏し亡くなるまで譲位せず、王位継承権の変更をすることもないまま崩御した。


「つまり――本来であれば、このような場合にお前に伝える内容を、私は先代から何一つ、伺っていない」


ライリーは言葉を失う。

王族に限らず、長く続く貴族にはたいてい嗣子だけが代々受け継ぐ秘伝の情報がある。決して途切れてはならないものとされており、時機を見計らい言い伝えられるのが一般的だ。だが、ホレイシオは一切その内容を受け継いでいない。


ホレイシオは寝台の脇に立つ息子の反応を見て、すべてを察した様子だった。


「――お前も、聞いていないのだな」


先代の様子から、後継にと考えられていたのはライリーのはずだった。ホレイシオは息子が先代の枕元を度々訪れていたのを知っていた。だから、もしかしたらそこで聞いたのではないかと――期待を、していた。だが、()()()()()()()()()()()()()

それは即ち、秘匿された王家の情報が断絶したことを意味する。王宮の隠し通路など、王族であれば知っている情報はライリーも勿論承知している。問題は、嗣子だけが受け継ぐことのできる内容だ。


「祖父は――先代陛下は、賢王、なのだと――」


思っておりました、と、ライリーは蒼白な顔で声を震わせる。彼もまた、事の重大さを悟っていた。


「一般的には、な」


ホレイシオも頷いてライリーの言葉を肯定する。

確かに先代は名君であった。だが、諸手を上げて讃えられるような人物であったかと問われると、決してそうではない。


「先代は、国王である己を欲していたのだ」


他は必要ないと、彼は考えていた。彼が執着していたのは、国王という地位と権力によって成し遂げられる大きな功績だった。臣下も民も、彼にとっては盤上の駒だった――夢を、叶えるためのものでしかなかった。


「彼は、英雄になりたかったのだよ」


確かに先代は英雄として名を残した――ホレイシオの名は残らずとも、先代はいつまでも輝かしく人々に語り継がれるだろう。


ホレイシオは掠れた声で告げると、ゆっくりと目を閉じる。

容体を崩してから、これほど長く話したのは初めてだった。ぐったりとした父を見て、ライリーは唇を引き締める。国王が寝入ったことを確認したライリーは結界を解くと、寝室を出る。国王の寝室を守る近衛に掛ける労いの言葉も忘れて、急ぎ足で自室へと向かった。

早く一人になりたかった。そうでもしなければ、訳の分からない感情に突き動かされ、衆人の中で醜態を晒しそうで恐ろしかった。


「――お祖父様は――名君では、なかったのか――?」


ホレイシオの語る先代国王は、己の夢に固執し他を蔑ろにする男だった。

彼の名声を確実なものにした嘗ての政変でさえ、先代の掌の上だった。多くの人が死んだ。政変で親を失った子供たちが暮らす修道院を、ライリーは慰問のため訪れたことがある。

母親を恋しがって泣く子がいた。

いつか父親のような立派な棟梁になりたいと、夢を語る少年がいた。

足は動かないけど、でもお兄ちゃんが助けてくれたんだ、と、兄の形見を大切に持ち続ける少女がいた。


名も知らぬ人々が葬られた向日葵畑にも、行ったことがある。綺麗な向日葵畑の下に数多の人々が眠っているのだとは、到底信じられなかった。


それでも、“鬼神”と呼ばれた先代国王がいたからこそ、最小限の被害で済んだのだとライリーは信じていた。祖父もそれを誇っていたはずだった。日々短くなる命の灯を知りながらも、病床で語る彼は英雄の顔をしていた。




――――英雄だと、信じていた。


幼い孫(ライリー)も、先代国王自身も、臣下たちも、そして――世間でさえも。

英雄を疑う者は、誰一人として、存在しないのだ。


ライリーの固く握り締めた拳が、震えた。



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