67. 破魔の剣 6
少年たちの話を黙って聞いていた魔女は、話が終わったところで目を閉じた。何かを考えるようにしていたが、固唾を飲んで見守る少年たちの視線を受けて、ゆっくりと瞼を開く。そして一人ずつの顔を順に見つめ、魔女は『なるほどねえ』と呟いた。だが、その言葉はどこか冷たい。少年たちは違和感を覚えたようだが、ひるむことなく魔女と対峙した。
『あんたたちの決意は分かったよ。だからあんたたちは魔王を倒そうと考えた。でもね、それが簡単に済むことじゃないってのは分かるだろう?』
『当然です。だから私たちは、貴方の力を借りるためここに来たのです』
賢者と呼ばれることになる少年が真っ直ぐな目で告げる。彼らには、魔王討伐に関して揺るぎのない決意があるようだった。
しかし魔女はすぐには返事をしない。少年たちを試すように、言葉を続ける。
『あんたたちは、業ってものを信じるかい?』
唐突な質問を受けて、少年三人は目を瞬かせる。突然に言われても直ぐには理解できないようだ。最初に反応したのは、勇者だった。
『業? 一体なんのことなんだ?』
首を捻る仲間に、賢者が目を向ける。彼は淡々と口を開いた。
『私もあまり馴染みはありませんが――善または悪の因果によって、それ相応の結果が生じるとされるという概念のことでしょう。東方の宗教では一般的な考え方のようです』
『へえ、難しいね』
勇者は賢者の博学さに舌を巻いたが、同時に直ぐには意味を理解できなかったようだ。考え込むようにして、賢者の言葉を咀嚼している。しかし、業そのものを理解できなくても良いのか、魔女は勇者や魔導士の理解が終わるのを待たずして言葉を続けた。
『あんたたちは魔王を討伐すると言う。だが、それをすれば必ず因果は自分に巡る。魔王の命を奪えば自分たちの命を落としても文句は言えない。もしかしたら、命を落とすよりもっとひどい目に遭うかもしれない。それでもその気持ちに変わりはないんだね?』
魔女の迫力に呑まれた勇者たちは一瞬息をのむ。だが、すぐに彼らははっきりと頷いた。
村も家族も恋人も、全てを失った少年たちだ。自分たちに惜しむものはないと、本気で思っているようだった。決意に満ちた少年たちを見て、魔女は僅かに苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。しかし、その変化も一瞬のもので、すぐに彼女の表情は飄々として人を食ったようなものに戻った。
『それならもう、あたしが言うことはないよ。それで、あんたたちは魔王をどうしたいんだい?』
『どうしたい、とは?』
魔女の質問の意図が掴めず、少年たちは首を傾げる。魔女は楽し気な笑みを口元に浮かべながら、少年たちを見回した。
『殺したいのか、弱らせたいのか、それとも封印したいのかと訊いているのさね』
少年たちは目を瞬かせる。思いも寄らない質問だったらしい。どこか戸惑ったように、しかしはっきりとした口調で答えたのは賢者だった。
『――弱らせる、のは論外です。すぐに復活されてしまっては、討伐の意味がありません』
だから当初は殺すことを考えていたと、賢者と呼ばれることになる少年は静かに告げる。だが、魔女の問いは一つだけ、彼らにとって想定していないものが含まれていた。
『ただ――封印とは、初めて聞きました。祓魔とは違うのですか?』
『あれは人間に取り憑いた魔を追い払う方法だろう。魔王は別に魔に取り憑かれているわけじゃあないからね』
そして魔女は、人差し指で空中に何かを描く。すると、皆の前に子猫が現れた。元気いっぱいに、子猫はテーブルの上を走り転げまわる。
驚きに目を瞠る少年たちに、魔女は笑って『本物じゃないよ』と告げた。少年たちは魔女に許可を得ると、恐る恐る手を伸ばす。確かに、魔女が魔術を使って出した猫は実体がないらしく、半透明だった。手で触れようとすれば、全く感覚がない。少年たちは自分の手が猫の体を突き抜けそうで気味が悪いのか、そうそうに幻覚の猫から手を離した。
魔女は好奇心が一通り収まったのを確認すると、奇妙な文様が描かれた紙を猫の体に貼り付けた。途端に、猫は力尽きたように動けなくなる。
『これが本来の封印さ。方法は色々とあるけど、半永久的に対象の意識含めた全てを活動停止にする方法。ただし半永久的だからね、数百年後か数千年後か、いずれは封印も解けるだろう』
だから時が来れば、定期的に封印は掛け直さないといけないと、魔女は付け加えた。
封印も完璧ではないと説明する魔女に、少年たちは複雑そうな顔になった。彼らが抱いた疑問は明白だった。不完全な封印を掛けるよりも、弑した方が後世に憂いを残さないと言う意味で遥かに良い。
だが、少年たちが口にした当然の感想を、魔女は首を振ることで否定した。
『殺すなんて簡単に言うけどね、そう簡単に出来りゃあ、あんたたちが生まれるより早くあの王様は居なくなってるだろうさ。あんたたちが乗り込んだところで、あっという間にひき肉にされてあの世行きだね』
魔女は鼻で笑い飛ばす。少年たちはむっとした様子だったが、魔女の言うことも尤もだと理解はしていた。少年たちはそれぞれの得意分野に自信はある。だが、専門的な訓練をしたわけでも、経験豊富なわけでもない。
『――だから、“北の魔女”と名高い貴方の所に来たのです。貴方なら、何か方法をご存知なのではありませんか?』
気まずい沈黙が落ちたが、賢者が意を決したように口を開く。魔女は真剣な三人の視線に晒されて、肩を竦め小さく息を吐いた。
『だから封印の話をしてるんだろう。全く、最後まで人の話は聞きな』
それもそうかと、少年たちは素直に口を噤む。その様子を見た魔女は苦笑した。あまりにも素直な反応をされると、どうしようもなく居心地が悪いのだが、生憎と魔女のそんな心境は少年たちには分からない。真っ直ぐな視線を魔女に向けるのは、三人の少年たちだけではなく、ライリーもだった。
『封印も確かに難しいことは間違いがない。でも、相手を殺すよりは業の影響が少ないんだよ』
業とは、決して個人のことだけではない。世界に善行が満ちれば良い結果が生まれ、悪意が満ちれば暗雲立ち込める世界へと繋がる。
魔王と呼ばれているユナティアン帝国の皇帝レピドライトは、只人ではない。この大陸を支配する覇者であり、非常に長い期間に渡り頂点に君臨してきた。そのレピドライトを弑することと、そこら辺にいる平民や貴族領主を殺すことは全く違う。
魔女の言葉に、少年たちは息を飲んだ。
『それは、封印の方が周囲に与える影響が小さいということ?』
尋ねたのは勇者だった。魔女は一つ頷くが、完全に少年たちの言葉を肯定したわけでもなかった。
『殺す方が周囲に与える影響が大きいというのもある。でも恐らくそれは、あんたたちが思っているようなものじゃあない。表面上は皇帝が死んだところで問題なく国は回るだろうさ、しばらくの間はね。でも死んで終わりというには、あの男は強大になりすぎた』
黙って魔女の話を聞いていたライリーは、違和感を覚えて眉根を寄せた。
ユナティアン帝国の皇帝レピドライトと魔女は面識はないと思っていた。だが、この言い方では魔女がレピドライトのことを良く知っているように受け取れる。とはいえ違和感を覚えたのはライリーだけのようで、少年たちは疑問も持たなかった様子だ。魔女もその点を言及することなく、更に説明を続けた。
『あの男が造った世界は闇に覆われている。その闇を一度に晴らすには、太陽よりも眩しい光が必要なのさ。でも、そんなものは存在しないからねぇ。もし闇を葬り去れたとしても、これまで長年闇と共に生きて来た世界は急な変化についていけない。あたしたちの時代には気が付かない歪が生まれて、長い年月をかけて世界を壊していくのさね』
『つまり、皇帝を殺そうが封印しようが、後顧の憂いは晴れないと?』
『そういうことになるね』
賢者の問いに、魔女はあっさりと何でもないかのように頷いた。
レピドライトを封印すれば定期的に封印をし直さなければならない。しかし、殺したところで、いつかは生まれた歪によって世界は滅亡に向かっていく。遠い未来、解けかけた魔王の封印を再度掛け直すか、それとも壊れはじめた世界を護るために立ち上がるか――目的は違えど、未来永劫の平穏が訪れることはない。
単純にユナティアン帝国皇帝レピドライトを倒せば圧政はなくなり自分たちの生活が楽になるのだと考えていた少年たちは、言葉を失った。
如何すれば良いのか判断が出来ない様子の少年たちを眺めていた魔女は、やがて小さく息を吐くと『そうさねえ』と呟いた。
少年たちを流し目で見ると、優雅に腕を組む。そうすると妙に色気が生まれるが、少年たちは顔色一つ変えなかった。魔女が満足気に口角を上げる。
『あたしのお勧めは封印の方だね。あの男は殺そうたって死にやしない。特にあの男の周りに居る側近たちが手強いね。どれだけ強力な武器をあんたたちが持とうが、一捻りさね』
『それほど強い相手だというのに、封印の方が良いのですか?』
『そりゃあそうさ。殺す時には殺意が漏れる。でも、封印にはそんなものは要らない。殺意や悪意なんて、あいつらの得意分野だからね、同じ舞台に上がったら負けは見えてるよ』
楽し気に言う魔女は悪戯っぽく唇に人差し指をあてた。一瞬、横目でライリーを見たような気がするが、定かではない。それほどに一瞬だった。
『封印の時に必要なのは光さ。幸福を願う心、他人を思いやる心、慈しむ心。なんでも良いのさ。ただ重要なことは、封印する対象にもその感情を持たなきゃならないってことだね』
『――魔王を、慈しめと?』
『慈しめないんだったら、せめて幸福を願えば良いじゃないか』
魔女の言葉に、少年たちは顔を顰める。自分たちの故郷を踏みにじる原因となったレピドライトに対して憎悪の気持ちは湧いても、慈愛の気持ちなど持てるはずもなかった。
しかし魔女は本気らしく、全く動じない。
『それが大前提だね。もしあんたたちが皇帝を殺すっていうなら、あたしは協力できないよ』
冷たく突き放すように言い放たれた言葉に、少年たちは絶句する。その様子を見ていたライリーは苦笑するしかない。
つまり魔女は最初から、少年たちに選択させるつもりはなかったと言うことだ。否、選択させるつもりはあったのだろう。ただ、封印という選択肢を取らない場合、魔女は少年たちを助けるつもりがないということだった。
それは即ち、少年たちにとって選択の幅が狭まるということでもある。もしユナティアン帝国皇帝を殺したいと心の底から願っていたとしても、魔王とまで呼ばれる男を殺せる武器を作れる人物はそうそう居ない。魔女の話では、戦闘になった時に立ちふさがる側近たちが異様に強いのだという。その全てを乗り越えて魔王に辿り着くなど、現時点では不可能だとしか思えなかった。
『――分かりました。できることなら、封印で手を打ちたいと思います』
『おい!』
賢者が口を引き結んで、決意に満ちた表情を浮かべる。慌てて諫めようとしたのは偉大なる魔導士となる少年だったが、賢者は揺るがぬ目を仲間に向けた。
『どのみち、今の私たちでは殺すことも封印することもできないのです。長い間、武器商人や鍛冶屋を回り、見つけることのできなかった武器をこれから先得られるという保証もありません』
その指摘はあまりにも正論だった。魔導士は悔し気に唇を引き結んだが、それ以上の反論はしなかった。勇者は魔導士の横顔を眺めていたが、少しすると決意を秘めて魔女に顔を向けた。
『同感だ。封印が最善の手段のようだね』
魔女はにやりと笑う。
『それじゃあ、次は封印の話に移るとしようか』
その言葉に、ライリーの体に緊張が走る。これまでの話はライリーにとってはそれほど重要なものではなかった。ライリーが今一番気にしていることは、魔王の封印が解けかけているということだ。あいにくと、伝承では封印の詳細については明かされていない。手探りで再度封印を施すしかないのだが、その方法も曖昧で、かつ事前に練習もできないという代物だ。
(破魔の剣はもしかしたら、その方法を教えようとしてくれているのかもしれないね)
もしそうだったら有難いと、ライリーは僅かに身を乗り出す。恐らくは三人の少年よりも真剣な表情を浮かべているに違いない。そして、そのまま魔女の口から紡ぎ出される話に聞き入る。その顔は一言も聞き漏らすまいとするかのように、鬼気迫っていた。