67. 破魔の剣 5
トーマス・ヘガティたちと別れ、ライリーとオースティンは王都へと向かった。とはいえ、その具体的な場所はオースティンも聞いていない。ライリーもまた、まだ事の仔細を聞かせるつもりはなかった。
(実際に行ったところで、オースティンだけ門前払いされる可能性もあるんだよね)
随分と目的地に近づいていたとは言え、一昼夜で目的地に着くわけではない。オースティンとライリーは適当な頃合いを見計らって宿を取り、旅の疲れを取るべく早々に寝台に入っていた。一介の旅人に扮しているためそれほど高級な宿には泊まれないが、安全対策を取れる場所を選んでいる。
寝台に入ったライリーは疲労が高じてか中々寝付けなかった。
ライリーはちらりと、すぐ傍に置いた破魔の剣を見やる。
当初、ヴェルクでこの剣を手に入れた時は、伝説の宝剣というからには何かしら不可思議な力が宿っているのかもしれないとは思いつつ、魔導騎士が使う剣をもう少し強力にした程度のものだろうと考えていた。コンラート・ヘルツベルク大公が持っているのを見た時も、一般的な剣と大した違いはないようだと思ったものだ。
更に大公自身も、自分が持っている剣に特別な力が宿っているなどとは思ってもいない様子だった。彼の性格から考えるに、もし自分が持つ剣が特別なものだと知っていれば、もっと厳重に管理しただろう。それにライリーたちが剣を奪った直後に、手元に残っている剣が偽物だと気が付いて大騒ぎしたに違いない。
だが、コンラート・ヘルツベルク大公はライリーたちの強さに気を引かれた様子はあれど、自分の剣が偽物と入れ替わっているとは気が付いていない様子だった。
(一つの仮定としては、大公が勇者の血を引くものではなかったから本来の力が全く発揮されていなかったということかな)
僅かに眉間を寄せてライリーは考える。そうでもなければ納得できないほど、最近のライリーは不可思議な出来事を体験していた。
一番大きな不思議は夢を見ることだが、他にも戦う時にこれまで以上に体が動くこと、自由自在に魔術を――特に身体強化の術を使えるようになったことも挙げられる。そして極めつけは、破魔の剣を奪おうと魔導士が寝室に侵入して来た時に起こった。
ぐっすりと眠っていたライリーは、全身に水を掛けられたような感覚を覚えて咄嗟に目を覚ました。一気に覚醒した意識は直ぐに不審者に気が付き、上体を起こした瞬間右手に剣を握っていた。当然、ライリーが動いて剣を掴みに行ったわけではない。どう考えても、剣が一人でにライリーの手へと転移したと考えなければ辻褄が合わなかった。
(つまり、大公は盗難防止の魔道具を使っていたけれど、私にそういった魔道具は不要ということなのではなかろうか)
破魔の剣を、一度でも“勇者の血を継ぐ者”が持てば、その人物が死亡するまでは剣自らその人物の元に留まり続けるのかもしれない。
ただ、剣に相応しい人物が血縁だけで定まる者ではないとすれば、一人の元に剣が留まり続けるのも一生ではないのだろう。何かしらの要因で“剣に相応しくない”とされてしまえば、あっという間に剣はその人物の元から姿を消すのかもしれない。
(そう考えると、まるで生き物だね。それも忠犬の類だ。いや、犬というよりも気高き狼のような印象だろうか)
忠犬のように主と認めた相手に付き従い、しかし道を過てばきっぱりと決別する。そう考えると、ライリーは身が引き締まるような想いに駆られた。本当に破魔の剣にそのような意思が宿っているのかは分からない。しかし、可能性の一つとして頭の片隅に置いておくべきだと思えた。
(つくづく、夢が途中で終わってしまったことが悔やまれる)
最後にライリーが見た夢では、三傑と呼ばれることになる少年たちが“北の魔女”の元へと封印具の作製を依頼しに行ったところで終わっていた。あの後、魔女の家に入った少年たちは魔王や封印具について様々な話を聞いたに違いない。
だが、残念なことにこれまでのライリーは一つの夢を立て続けに見ることはなかった。恐らく今日これから夢を見れたとしても、魔女が出て来るとは限らない。そもそも、夢を見れるかどうかも日によって違う。連日見る時もあれば、全く何事もなく熟睡する日もある。
(でも今はそれよりも、サーシャのことだ)
リリアナの事を考えれば、胸が痛くなる。そして、常に冷静であれと自分を律して来たにも関わらず、憤怒の感情を抑えきれなくなる。焦燥に駆られ冷静な判断を失い、今すぐにでもリリアナを求めて単身王都に向かいそうになってしまう。
だが、それが大公派の目論見ではないとは言い切れない。大公派はどうやらリリアナが流した噂を信じているようだから、王太子はエミリアに執心だと勘違いしていることだろう。だが、その勘違いもいつまで続くのかは分からなかった。
(サーシャのことだから、自分で脱獄している可能性もあるけれど――でも、魔力封じの枷をつけられたというのは――)
ライリーは歯を食いしばる。深呼吸してどうにか自分を落ち着かせようとするが、どうにも落ち着くことはできなかった。
魔力封じの枷は、魔力量が多い人物にこそ悪影響が大きい。体内を流れる魔力の経路を阻害し酷く体調が悪くなるという。ベン・ドラコが作成者だからこそ、滅多なことでは外れないということもライリーは知っていた。
(ただでさえ、サーシャの魔力は不安定だというのに)
リリアナは成長してからも魔力量が増えていた。そのせいで体調を崩したこともあるほどだ。どうにか対処できないかとライリーも頭を悩ませたが、結局ベン・ドラコであってもリリアナの体調を整え体内の魔力を安定させる魔道具は作れなかった。
そのリリアナが魔力封じの枷をつけられてしまえば、どうなるか。更に体調を悪化させて身動き一つできなくなっているのではないかと、そう思えば焦燥は大きくなる一方だ。
だが、不安と焦燥に駆られていては肝心な時に冷静な判断を下せなくなってしまう。それに、リリアナを助ける前にライリーが体調を崩してしまえば意味がない。
今は休息を取るべきだと、ライリーは無理矢理目を瞑った。
*****
ライリーは驚いていた。どうやら連続で破魔の剣は夢を見せてくれるらしい。それも、魔導士の乱入で中断を余儀なくされた夢の続きだった。随分と大盤振る舞いなことだなと思いながら、ライリーはいつの間にか三人の少年たちと共に、魔女の家の中にいた。
“北の魔女”と名乗った女性の住まう家は、外見に反して中が非常に広い。恐らく魔術か何かで内部空間を広げているのだろう。揃えられた調度品も質素ではあるものの、趣味の良さを感じられる。
その家の居間で、三人の少年たちは椅子に腰かけ緊張した面持ちを見せていた。
魔女が呆れ顔でそんな三人を見やる。
『なんだい、そんな緊張した顔をして。取って食いやしないよ』
『はぁ、まぁ何と言いますか――いたいけな少年たちを食べて不老不死を得ようとするのが物語の定石と言いますか』
『へえ、なかなか言うじゃないか』
もごもごと魔女に答えたのは賢者だった。命知らずとも言える発言に魔女は片眉を上げるが、落ち着いていられなかったのは賢者と共に腰かけた勇者と魔導士だった。
『ば――っ! 本当に食われたらどうするんだよ!?』
『――そうだぞ、黙ってればそのまま逃して貰えたかもしれないのに』
声を抑えてはいるが、当然魔女の耳にははっきりと聞こえている。魔女は更に呆れ顔になったが、必死な少年二人は気が付かない。そして賢者の少年は全くの冗談だったらしく、片眉を上げて顔を仲間二人に向けた。
『冗談に決まっているでしょう。あなた方、まだあんな子供だましの童話を信じているんですか?』
賢者の少年のしれっとした態度に、勇者と魔導士の少年は顔色を悪くしたまま固まった。まさかここで仲間が冗談を言うとは思っていなかったのだろうし、そして少なからず童話に出て来る“悪い魔女”を信じていたことも分かる。
早々にそのような物語を信じなくなっていたライリーは、自分と同年代か多少年上に見える勇者たちを見て苦笑を浮かべた。
三人の少年たちのじゃれ合いに似た言い合いを眺めていた魔女も、微笑ましいとでも言いたげな様子でぽつりと呟く。
『――全く、子孫の方がよっぽどしっかりしてるじゃあないか』
その声は、三人の少年の耳には届いていないようだった。だが、ライリーの耳にはしっかりと聞こえる。やはり魔女はライリーの存在をしっかりと認識している上に、ライリーが三傑の子孫であることも把握しているらしいとライリーは内心で納得した。しかし、簡単に動揺や驚愕を表に出すことはしない。
そんなライリーを横目で一瞥した魔女は、口内で『この程度じゃあ動じないか』と呟いた。それすらライリーには聞こえてしまう。どうやら魔女はなかなか良い性格をしているらしかった。
『それで、あんたたちは、あたしの話を聞く気があるのかい?』
『え、も、もちろんです!』
魔女の僅かに苛立ちを乗せた問いに、勇者の少年が慌てて答える。座ったまま背筋をピンと伸ばして魔女に対峙するその姿は、あまり勇者らしくは見えなかった。
だが、その態度に魔女は『よろしい』と教師らしく頷く。そして魔女が右手を一つ振ると、あっという間に少年たちの前には飲み物が出された。
『搾りたてだよ』
少年たちに魔女が出したのは牛乳だった。一瞬、魔導士の顔が歪む。魔導士の少年はあまり牛乳が好きではない様子だったが、さすがに戸口で泥を掛けられたことが堪えたのか、文句を口にすることはなかった。
『それで、なんだっけ? 対魔武器が欲しいってことは、魔王を倒しに行きたいってことかい』
魔女の言葉に少年たちは弾かれたように顔を上げる。三人は三様の表情を浮かべており、勇者は固い決意を、魔導士は何をいまさらと言いたげな表情を、そして賢者の少年は不審を浮かべていた。
『私たちはまだ貴方に何も言っていないはずです。それなのに、何故対魔武器と?』
『ここに来るまでに対魔武器のことを話していただろう。それに、魔王討伐を考えている少年が居るっていうのは、こっち界隈ではだいぶ有名でねえ』
賢者の少年の指摘に、勇者と魔導士がはっとする。しかし、そんな二人には構わず魔女はあっさりと答えた。
『――こっちの界隈?』
それは一体何なのだと賢者は首を傾げるが、魔女は答える気がないらしい。
『最初に確認したいんだけどね。あんたたちが言っている“魔王”っていうのは、ユナティアン帝国の皇帝のことかい?』
『そうです。ユナティアン帝国皇帝――レピドライト』
憎悪に近い感情をわずかに吐露させて、賢者と呼ばれることになる少年が口を開く。
圧政を敷き民を苦しめる、ユナティアン帝国皇帝レピドライト。彼は、その圧倒的な力で他者を支配し、次から次へと近隣諸国へと攻め入った。強大な軍事力に近隣諸国は為す術もなく、あっという間にユナティアン帝国へと吸収されていく。
抵抗した国の支配者たちは無惨にも首を斬られ、人が多く集まる大広場で遺体を晒されたともいう。その姿を見て悲しみに暮れる民や貴族がいれば、彼らもまた処刑台の露へと消えた。
恐怖で長年支配され続けた者たちは、反抗の意志さえも失ってしまう。そして、いつしかユナティアン帝国の支配下にある領地の民たちは貧困と飢餓に喘ぐようになっていた。子供が生まれても直ぐ死に、体の弱い女子供や老人が命を落とす。
犯罪が蔓延り、安心して暮らすことすら出来ない。
勿論、反旗を翻すべきだと結託する者たちも過去には居た。だが、いつの間にか反乱を企てる組織は帝国軍に嗅ぎ付けられ、あっという間に制圧される。
そのようなことが続けば、無力感ばかりが民を支配していく。
更に、それに拍車をかけたのがレピドライトが魔王であるという噂だった。彼は、ユナティアン帝国建国時から年を取らないという。広大な国故に三人の少年たちは、一度もレピドライトの姿を見たことはない。その上レピドライトは神格化され、その絵姿さえ出回ってはいなかった。
だが、少年たちは強い意志を持っていた。過去に反乱軍が鎮圧されたのは、それなりの規模になっていたからだと、彼らは考えた。それならば、毒にも薬にもならぬ少人数の――それも少年や青年と呼ばれる自分たちの行軍であれば、帝国側もそれほど警戒はしないに違いない。
『私の生まれ育った村は、もうありません。あの日、盗賊に襲われて全てを失いました。家族も、護るべき者も、もう居ません。住む場所も――全ては灰になりました。それはこの二人も同じことです。別の土地に生まれ育ちましたが、最早戻る場所はないのです』
盗賊は物を盗み、男たちを殺し、女を襲い、そして最後に村に火を放った。村の外に出ている者もいるかもしれない、戻ってきた時に証拠が残っていれば復讐心に駆られ自分たちを追いかけ殺しに来るかもしれない。
そう考えたのか、それとも単に燃やすことが楽しかったのか、それは分からない。
しかし、三人の少年たちは皆、一様に帰る場所を失くしていた。その原因が帝国の圧政にあることは明らかだ。元から帝国の領地だった場所はそれほどひどくないようだが、レピドライトによって侵略された国の荒廃は明らかだった。三人の少年たちは、間違いなく圧政の被害者だった。
『ですから、私たちは諸悪の根源と向き合いたいのです。これ以上の悲劇を、生み出したくはない』
ただし、レピドライトが魔王であるならば相応の装備が必要だ。普通の装備では駄目だという結論に至った少年たちは、魔女と呼ばれる人に頼ることを決めた。
魔女と呼ばれるほどの人物であれば、自分たちにはない知恵を出してくれるのではないかと思った。
冷静を保とうとしながらも、時折耐えきれないように唇を震わせる少年を、魔女は静かに見ていた。その深い色の瞳で、魔女が何を思っていたのかは誰にも分からない。
ライリーもまた、静かに少年たちの話を聞いていた。
三人の英雄たちは、ただの少年だった。全てを失い、慟哭し、それでも未来を想った青年たちだった。









