67. 破魔の剣 3
ライリーは目の前で顔を引き攣らせている魔導士を無感動に眺めながらも、内心では深い溜息を吐いていた。そろそろ大公派が何か仕掛けて来るのではないかと思ってはいたが、時機が悪いと文句を言いたくもなる。もし忍び込んで来る日が今日でなければ、ライリーは夢の続きを見ることができるだろう。
彼が見た夢は、三傑と呼ばれることになる少年たちが魔女の元に行き、封印具を作るよう頼んだところまでだった。魔女は少年たちに魔王のことを教えてやろうと言い、その話は是非ライリーも聞きたかった。
三人の英雄たちでさえ、実際と伝説で描かれた性格が違うのだ。隣国ユナティアン皇国とスリベグランディア王国で全く捉えられ方が違う魔王ともなれば、やはり実際もライリーたちが思うようなものではないのではないか、という疑惑が拭いきれない。
「全く――夜中に押し入って来るなんて、非常識も良いところだと思わないかな?」
うんざりした様子でライリーが呟く。魔導士は顔を引き攣らせていたが、更に頬がぴくりと動いた。
この状況で言うことはそれなのか、と思っていることが顔に出る。それを見ながら、この魔導士は後ろ暗いことに慣れていないらしいとライリーは一人心中で呟いた。
そして同時に、ライリーは何となく魔導士の顔に見覚えがあるような気がした。ライリーが把握している魔導士といえば、基本的には魔導省に所属している者だ。少し考えて、ライリーはようやく一人の人物を思い出した。
「もしかして、ソーン・グリード殿がグリード伯爵の元に出向させた魔導士殿か」
まさかライリーに気が付かれるとは思っていなかったのだろう。魔導士は絶句する。その反応に確信を抱いたライリーは、なるほどと頷いた。
「叔父上――大公か、それともグリード伯爵か、メラーズ伯爵か。その誰かの発案で、この剣を持ち帰るようにと言われた、というところだね」
穏やかにライリーは侵入者の目的を言い当てる。ライリーは穏やかに、しかし双眸には冷え冷えとした光を浮かべて僅かな変化も見逃すまいと言わんばかりに、魔導士を注視していた。縛られているわけでもないのに、魔導士は微動だにできない。蛇に睨まれた蛙のように、彼は自分より遥か年下の王太子の前で縮こまっていた。
ライリーは口角を上げる。
「貴方の知っていることを話してくれるかな? その内容によっては貴方に累が及ばないようにしよう――ああ、この剣は国宝に当たるものでね、不思議な力を持っている。貴方が嘘を吐いたらすぐに分かるから、そのつもりで」
勿論、嘘が分かる云々はライリーのはったりだ。だが、今はそれで構わなかった。肝心なことは、魔導士の口から大公派に関する新たな情報を入手することである。その内容がどの程度信用できるものかは分からないが、恐らく目の前にいる魔導士は単なる大公派の駒に過ぎず、その志に共感している訳でも魔導士本人が大公派である訳でもないとライリーは確信していた。
それも当然で、ライリーは大公派に関する情報は極力調査させて自分の耳に入れるようにしている。魔導省のソーンがグリード伯爵に乞われて魔導士を斡旋したことも把握していたし、その魔導士が元々大公派とは縁も所縁もない人物であることは確認済みだ。本人も野望はなく、それほど優れた魔術の才があるわけでもない。大公派であるグリード伯爵の元で働くことになっても、脅威にはなり得ないと判断されたため、放置していた。
「え、あの――」
魔導士がどもる。何と言って良いのか分からない様子だったが、その時、隣室と繋がった扉が開いた。顔を出したのは、隣室で寝ていたはずのオースティンだ。異変を感じ取ったのか、手に剣を持ち警戒に満ちた表情である。
オースティンは、黒いローブを纏った見るからに怪しい人物を見て息を飲んだが、寧ろライリーが不審者に剣を突き付けているのを見て多少警戒を解いた。それでも油断はせず、剣を構えたまま一歩ずつ二人に近づいて行く。
「――曲者か?」
「大公派に派遣された魔導士殿だよ。どうやら、破魔の剣を盗んで来いと言われたようだね」
「破魔の剣を?」
ライリーの言葉を聞いたオースティンは呆れ顔になる。その表情は明らかに、無謀なことを、とでも言いたげだ。だがその点に言及することなく、オースティンは腰に下げていた縄を手に取る。
「動くなよ」
念のため魔導士に告げると、抵抗できないように縛り上げる。そして手早く身体検査を行い、身に着けている魔道具を全て取り上げた。だが、大した魔道具は持っていない。姿を認識され辛くする頚飾や、睡眠を誘発する煙を発する魔道具くらいのものだ。
魔導士は、静かにそんなオースティンを眺めていた。
ライリーたちに気付かれないように侵入して目的の物を入手すれば即、撤退するつもりだったらしい。戦闘用の道具を一切持っていないことを確認したオースティンは、改めて魔導士に向き直った。
「殿下や俺たちを傷つけるつもりはなかったと?」
「――はい」
静かに魔導士は答える。観念したというよりも、最早隠し立てをする気が一切ない様子だった。
オースティンとライリーは静かに魔導士を見つめている。二人の視線に晒された魔導士は居心地が悪そうだったが、前言を撤回する様子はない。
確かに、殺気があれば魔導士はライリーの部屋まで辿り着けなかったはずだ。魔導士が戦闘慣れしていないのは明らかで、殺意を少しでも持っていれば直ぐにオースティンやトーマス・ヘガティに気が付かれたはずだ。そして、恐らくこの魔導士よりもヘガティの方が魔術の腕は上だ。魔術の腕とは決して知識や魔力量だけで決まるものではない。時に、知識を持たずとも実戦経験を積んだ者の方が、知識だけを蓄えた者を凌駕することもある。
「この剣を取って来るように命じたのはグリード伯爵?」
今度はライリーが尋ねた。魔導士は大人しく頷く。しかし、すぐに言葉を付け加えた。
「私に直接命じたのはグリード伯爵ですが、恐らくグリード伯爵には大公閣下が命じたものと思います。今の伯爵は王宮での地位向上を狙っているようで、大公からの評価を得れば唯一無二の立場を得られると家内で言いふらしていましたから」
「――そうか、貴方は伯爵の家に泊まり込んでいるんだね?」
「そうです。本当に勘弁してほしいですよ、何かを思いつけば夜中でも呼び付けるんですから」
どうやら魔導士はグリード伯爵に対して随分と思うところがあるようで、不服そうに付け加えた。どうやらこれは簡単に口を割りそうだと、ライリーとオースティンは目を見合わせる。そしてライリーは穏やかに相槌を打った。
「大公の発案で、グリード伯爵はこの剣を奪って来るように貴方に命じた。ということは、この剣は最終的に大公の元に行く手筈になっていたんだね」
「そうだと思いますよ。私が命じられたのはこの剣を伯爵に持って行くことでしたが、伯爵が剣を好むとは思えませんからね。手を下すのは自分であってはならないんですよ。だから私兵も、それと勘付かれないように増やしています」
魔導士の告発に、ライリーとオースティンは目を瞬かせた。
「私兵を?」
領地を持つ貴族は騎士団を組織することが多い。だが、たいていの領地では騎士の数が足りず、正規の騎士は少数で後は農民で賄うといった対応が取られていた。それでも、兵力が増えれば謀反を企む可能性もある。そのため、正規の騎士の数は申請が義務付けられ、そして一般兵のおおよその規模も報告することになっていた。
スコーン侯爵がそれなりの私兵を持っていることは、だからライリーたちも把握していた。申請された数と実数に差があることは影が把握してはいたものの、脅威になり得ることは共通の認識だった。同時に、正規の騎士がそれほど多くないことも確認が取れていた。
だが、グリード伯爵に関しては違う。グリード伯爵は申請数と実数に差がないという影の報告があった。極端に規模が小さかったり皆無であったりすれば疑念も持っただろうが、領地の規模や爵位を考えると妥当と思える程度だった。
だが、魔導士は「そうです」と力強く頷くと身を僅かに乗り出した。
「屋敷で働いている使用人、あれは殆どが兵士ですよ。他の領地じゃあ農民が槍を持つって言いますが、伯爵のところは兵士が書類仕事をしたり掃除をしたり庭仕事をしたりしてるんです」
思わずライリーとオースティンは顔を見合わせる。俄かには信じられないが、魔導士が嘘を吐いているとも思えなかった。大公派の立場を考えると、寧ろ戦力がないとライリーたちに思わせた方が得だ。しかし、魔導士は明らかにグリード伯爵の手の内を口にしている。もしかしたら、正直に詳らかにすることで、王太子の私物を盗もうとした罪を少しでも軽くしようと考えているのかもしれない。
喩え打算的な行動だったとしても、大公派の手の内が分かる方がライリーたちにとっては重要だった。
「騎士ではなく、兵士なんだね?」
「そうです。私も詳しく聞いたわけじゃないですが、元々傭兵だったり、他の領で騎士だったけど何かしらの理由で辞めざるを得なくなった人だったり、そういう男を探し出して来ては雇っているみたいです。魔導士は私以外にはいなかったと思うんですけどね、やたらと目付きが物騒な奴が居ました」
ライリーとオースティンは、魔導士に気が付かれないよう様々な可能性を考える。
「――スコーン侯爵は、もう王都には居ないんだね?」
「領地に引きこもったって噂ですよ。だから私兵も引き揚げたみたいで。だとしたら俺たちが代わりに王立騎士団の一員になるのか、なんて冗談だか本気だか分かりませんけど、屋敷の男たちはそんなことを言い合ってました」
つまり、スコーン侯爵家の私兵が居なくなったところで、大公派の戦力は想定よりも減っていないということだ。これは再度計画の練り直しが必要かもしれないなとライリーが考えていると、魔導士は「そうだ、それと」と思い出したように付け加えた。
ライリーとオースティンが顔を上げる。魔導士は真面目な顔で、しかしどこか苦さも感じさせるような表情で、重要な事実を告げた。
「数日前のことですけど、伯爵の使用人二人に王立騎士団の服を着るように、伯爵が言いつけたんですよ。一体何があるのかと思ったら、私には魔力封じの枷を用意するようになんて命じて来て。魔力封じの枷なんて、そうそう用意できるようなものじゃないんですけど、言われたことはやらないと私にとばっちりが来るんですよ。だから致し方なく用意したんですけど、あんなことになるなら用意しなきゃよかったと思いましたね」
それまでは、良く喋るとはいってもそれなりに理解できる話だった。だが突然、妙に要領を得なくなる。一体何を言っているのだと、ライリーとオースティンは眉根を寄せた。しかし、魔力封じの枷とは穏やかではない。
嫌な予感のまま、ライリーは「一体なんの話かな?」と尋ねた。魔導士は一瞬口籠る。気まずそうな表情で、魔導士は「そのぉ……」と言い澱んだ。しかしライリーとオースティンの強い視線に晒され、彼は小さく息を吐いた。
良心の呵責はあるから訴えたいものの、自分も手を貸している状況では大声で言いたくない、といった葛藤が表情に表れる。全くもって腹芸に向いていない性質だとライリーが思っていると、魔導士はようやく諦めたように、ぐったりとして口を開いた。その声は小さいが、ライリーとオースティンの耳にははっきりと届く。
「――転移陣の不正利用の疑いがあると言って、ソーン・グリード長官の所に来てたご令嬢を捕らえたんですよ。いえね、顔を知ってたら私もどうにか――できなかったかもしれないですけど。でも、その――あれですよね。やっぱり」
「さっさと言え」
痺れを切らしたオースティンが口を挟み、握っていた縄を引っ張る。すると、魔導士はたたらを踏んだ。オースティンはそれほど力を入れていなかったため魔導士が倒れることはなかったが、魔導士は情けない顔で、赦しを乞うようにライリーをちらりと見やった。
「そのご令嬢の護衛が、『クラーク公爵家がご令嬢、リリアナ・アレクサンドラ嬢』って言ってたんですよ」
ライリーの顔から、一切の表情が消える。オースティンも一瞬顔を強張らせたが、すぐに彼は横目でライリーを見た。肌が焼けるような魔力が、ライリーの体から漏れ出している。怒りを制御出来ていないとオースティンは気が付いた。
魔力に馴染みのある魔導士も、自分の発言が不味いことを確信したらしい。その顔から血の気が引く。冷や汗を流して小刻みに震え始めた魔導士を見て、ようやくライリーは一つ息を吐いた。その瞬間、ライリーが纏っていた怒気が消える。
それでも先ほどまで肌に感じた危機感は消え去らず、魔導士は小さく震えたまま、口を噤んでいた。
「――――そう。サーシャを、連れて行ったんだね。魔力封じの枷をつけて?」
魔導士はがくがくと頷く。
ライリーは、唇に笑みを浮かべた。しかし全くその目は笑っていない。それどころか、彼がこれまで一度も抱いたことのない、底知れぬ怒りの炎を宿していた。
「どこに連れて行ったのかは、分かる?」
その質問に、魔導士は答えられない。リリアナを連れて行ったのは騎士であり、魔導士は魔力の枷をつけられた少女の背中を、なんとも言えない嫌な気持ちで見送っただけだ。
「なるほど、ね」
小さく呟いたライリーの怒りに呼応するように、破魔の剣が赤く光り出す。心臓の動きを再現するように、その剣が纏う光は強くなったり弱くなったりを繰り返していた。
その異様な姿に、魔導士の腰が抜ける。
オースティンもまた、長い付き合いの中でも見たことのない幼馴染の様子に、言葉を失くしていた。
「オースティン」
ライリーは幼馴染の名を呼んだ。オースティンも僅かに顔色を悪くしていたが、顔を引き締めてライリーを見やる。ライリーは、ゆっくりと寝台から立ち上がった。
「私は早急に王宮へ入る。大公派のことだから、サーシャを王宮の敷地外には出していないはずだ」
「一人は危険だ」
反論を許さないライリーの雰囲気に一瞬飲まれかけたオースティンだが、辛うじて反駁する。それは幼馴染としての心配と、そして近衛騎士としての矜持だった。
だがライリーは首を振る。
「私が向かう先は国王と王太子にだけ許された地だ。使うべきか悩んではいたけれど、手段を選んではいられない。オースティン、君は団長と共に来てくれ。扉は、私が開ける」
扉を開けるという言葉が比喩であることは、オースティンには明白だった。王都を見回っている治安部隊を自分が排除すると言っているのだろう。
だが、オースティンは素直に頷くことは出来なかった。ライリーが言っていることは、王太子自ら一人で死地に飛び込むという事と同義だ。同意など出来るはずもない。
「それでも、駄目だ。お前がリリアナ嬢を気に掛けていることも分かるし、俺も彼女を辛い立場に置いたままではいけないと思う。でも――」
それでも公爵家の令嬢と、王太子では明らかに重要度が違う。王太子の婚約者に代わりはあっても、王太子にはない。寧ろライリーが敵の手に捕らえられてしまえば、大公派の横暴を許すことになる。
オースティンの主張は、確かに正論だった。リリアナを切り捨てる選択に心が痛まないわけではないが、オースティンにとっても、そして王太子派の貴族たちにとっても、ライリー以上に優先すべき存在はなかった。
しかし、反論しようとしたオースティンを、ライリーは一瞥することで黙らせた。ライリーが見せる覇者の片鱗に、オースティンはただ立ち尽くす。
「勝算はある。だから、安心して君たちは正面から来てくれ。――私は、」
一瞬、ライリーは言い澱む。しかし、正面を向いたライリーは力強く言葉を続けた。
「私は、サーシャも友も自分自身も――そして勿論、この国も。何一つとして喪うつもりはないんだ」
決意に満ちたライリーの言葉に、オースティンも魔導士も、ただ聞き入るしかない。そしてライリーが持つ破魔の剣は、青色に変わる。生き物のような変化を見せる剣に、間近に居る魔導士が気が付かないわけがない。見慣れてしまったオースティンやライリーとは違い、彼は恐怖を覚えているようだった。
ライリーは部屋の窓を見る。わずかに空が、明るくなり始めていた。
「夜明けも近い。オースティン、団長たちを呼んで来てくれるかな?」
これからのことを話そうと、ライリーは言う。一つ頷いたオースティンは剣を腰に戻し、足早に部屋を出て行った。
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