67. 破魔の剣 2
スリベグランディア王国の王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードは、夢を見ていた。元々、彼はそれほど夢を見る性質ではない。しかし、ヴェルクを出てからというもの、夢を見る日が徐々に増えていた。
最初は短い光景が一瞬、浮かび上がるだけだった。それがやがて繋がり合い、一つの物語になっていく。
(これは――いつの時代の、どこのことだろうね)
ライリーは自分の服装、そして立っている場所を確認する。
周囲は鬱蒼とした森で、ライリーが立っているのは森の中に一軒だけ建てられた小屋の近くだった。小屋の前からは一本の道が伸びて、木々の間に消えている。小屋の周りだけは木が生えていないものの、見渡す限りどこまでも森が広がっていそうだった。
この不思議な明晰夢を見始めるようになった時期と内容を考えれば、恐らく破魔の剣が関係しているのではないかと思えた。実際に、ライリーの見る夢が一連の物語になればなるほど、破魔の剣の装飾は国宝に相応しく豪奢になっていった。
そして現在ライリーが見ている夢になってからは、それ以上剣の飾りは増えていない。夢の内容も日によって違うものの、“ある程度の長さがある物語”という意味では安定していた。
(恐らく、初期だとは思うけれど)
空を見上げれば、雲一つない晴天だ。太陽の位置はライリーにとって見慣れたもので、恐らくスリベグランディア王国の何処かだという事は分かった。ただ、時代は分からない。もしかしたら、まだこの時はスリベグランディア王国という国自体存在していないかもしれない。
夢に一番出て来る時代は、スリベグランディア王国を建国するために、三人の英雄たちが力を合わせて魔王を倒しに行く頃だった。その次に多い時代は、剣を持っている英傑が勇者だったからか、勇者が一人で行動している頃のものだ。そして一番少ない時代は魔王を討伐した後の時代である。
ライリーがその場に立って暫く待っていると、遠くから人影が現れた。三つの影は、既にライリーが見慣れたものだ。勇者、魔導士、そして賢者だ。ライリーが見る夢に、聖女は出て来ていない。
今語り継がれている伝説は幾つかあるが、確かに聖女が出て来る伝説と出て来ない伝説がある。共通している要素は“三人の英雄”であり、恐らく聖女は物語に起伏をつけるための後付けの要素なのだろうと思われた。
『それで、対魔武器っていうのか? 本当に作って貰えるんだろうね』
遠くから、微かに人の声が聞こえる。夢の中でライリーの能力は人間を超えていて、身体強化の術を使わなくとも、遥かに遠い人の声や足音さえはっきりと認識できた。
『当たり前でしょう。私と貴方、そして彼の分、全てで一つずつです。ただ魔女は我々の常識外に生きていますからね、一体どのような代物になるかは分かりませんが』
『―――俺の村にいた魔女は、薬の調合しかできなかったぞ』
元気な声、穏やかな声に、ぼそりとした声が続く。どうやらこの小屋を訪れる人物は三人いるようだ。
まだ姿は見えないが、ライリーはその三人がかつての三傑だと悟る。夢の中で彼らを見過ぎたせいで、声だけでおおよそ判別できるようになっていた。
『貴方の村にいたのは魔女ではなく薬師でしょう。区別をつけておかなければ、真実を知ることはできませんよ』
穏やかな声が答える。話し方や声音から考えて、彼が賢者だ。
元気な声が勇者、そしてぼそりと陰気な話し方をしている男が魔導士である。
(そういえば、魔女か。初めて聞いたな)
黙ってその場に立っていたライリーは、ふと首を傾げた。
ライリーが生きている時代に“魔女”は存在しない。過去にも“魔女”と呼ばれる存在はいないはずだった。だが、遥か昔には居たのだろうか。
(もしかしたら呼び名が違ったのかもしれないね。三傑の一人を魔導士と私たちは呼ぶけれど、でも夢の中で彼が自分を魔導士だと称しているところは見たことがない)
心の中で一人、ライリーは納得する。三傑たちは互いを村の名前と自身の呼び名で呼び合い、勇者や賢者、魔導士という呼び方は一切していなかった。もしかしたら、後世の人間が物語にしやすいように、それぞれ一番適切だと思われる名前を付けたのかもしれない。
やがて、ライリーの前に三人の少年が姿を現す。少年といっても、青年となる一歩手前くらいの年齢だ。
(やっぱり初期だね。しかもまだ、勇者は剣を持っていないようだ)
これまで幾度となく見た夢と比べて、三人は随分と若い。そして圧政を敷く領主たちと戦い、魔王と戦っていく内に様々な苦労を経て、顔つきも体つきも変わっていく。しかし今の三人はまだ幼さとあどけなさが残る顔立ちで、未来への希望に満ち溢れていた。
(それでも対魔武器と口にしたという事は、既に魔王討伐を見据えているということか)
ライリーは三人が小屋の前に立つのを眺めながら一人納得する。賢者と呼ばれることになる少年が、小屋の扉を叩いた。だが反応はない。
『いるのかな? もしかして、留守だったりして』
『魔女は滅多に小屋から出ないという噂なんですよ。その噂が嘘かもしれませんが――』
そう言いながら、少年たちは再び小屋の扉を叩いた。それでも中から返事はない。
『やっぱり留守なんじゃないか?』
将来の勇者が言えば、賢者は首を傾げる。しかし、二人の様子を無言で眺めていた魔導士の少年が、そこでようやく動いた。一歩踏み出したかと思うと、思い切り扉を蹴る。大きな音が響いて、ライリーだけでなく勇者や賢者もぎょっとしたように魔導士の少年を凝視した。
『な――なにやって、』
『寝てんなら、大きな音出したら起きるだろ』
驚きすぎて言葉に詰まる賢者の少年に、魔導士は当然のことを告げるように言ってのける。勇者と賢者は絶句していたが、ようやく勇者が口を開いた。
『いや――それでも、やっぱり他人様の家の扉を蹴ったら駄目なんじゃないかな――?』
『そうか?』
魔導士の少年は勇者の言葉に首を傾げる。納得できないと言いたげな表情を遠目から眺めながら、ライリーは苦笑を漏らした。
(やっぱり、語り継がれている人物像と実際じゃあ、随分と乖離があるよねえ……)
しみじみと呟いてしまう。夢の内容をライリーは他人に話したことがない。過去の出来事を見ているなどあまりにも荒唐無稽だと思うし、何より破魔の剣に起因している夢であるならば、軽々しく吹聴できることでもないと判断したからだった。だが、それと同時に、夢の詳細を話せば皆の中にある三傑のイメージを崩してしまいかねないという部分も確かに理由の一つだった。
(勇者は豪放磊落、賢者は冷徹で冷静、魔導士は穏和という評価が一般的だけれど。実際は、勇者と魔導士の性格が入れ替わっているみたいだね)
三傑が魔王を討伐しスリベグランディア王国が建国される時代まで、ライリーは夢で見ている。だから今目の前にいる三人を正確に区別できた。だが、もし今の場面を初めてみれば、たとえ三傑だと気が付いたとしても勇者と魔導士の二人を間違えたに違いない。
(魔導士と言っても、物理攻撃の方が身近だったようだし)
なんの躊躇いもなく扉を蹴ったように、魔導士の少年は魔術を高い水準で使いこなせるようになっても、“この方が早い”といって手や足を出すことが多かった。それとは逆に、勇者は魔術の鍛錬も欠かさず、魔導剣士としての才能を開花させていく。
その片鱗は少年の頃からあったらしいと、ライリーが思っていると、何の前触れもなく三人の頭上の空間が割れる。そこからどさっと落ちて来たのは、三人の全身が真っ黒になるほどの泥だった。
『――っ!?』
突然のことに、三人は叫び声すら出ない。彼らが我に返るより早く、小屋の扉が開く。
『全く、あたしの家に何をしてくれてんだい、そこの餓鬼共』
小屋の中から現れたのは、この世のものとも思えぬ美貌を持った女性だった。しかし彼女の体内からあふれ出る魔力は膨大で、圧倒される。
(――これは)
ライリーは瞠目した。ベラスタ・ドラコほど他人の魔力を感じ取る能力はないライリーですら、女性が身の内に宿している魔力量の異常さと異質さを肌で感じる。
女性は目を細めたかと思うと、鋭くライリーに視線を向けた。
(――!?)
今、ライリーが居るのは破魔の剣が見せている夢だ。当然ライリーに実体はない。そのため、夢に出てくる人物たちがライリーを認識することはなかった。
だが、間違いなく魔女と呼ばれていた女性はライリーを認識していた。
(どういうことだ――?)
女性は興味を失ったかのように、ついとライリーから視線を逸らす。そして再度目の前の少年三人に視線を向けると、小首をかしげて顎に指先を当て、少し考える素振りを見せた。
泥をかぶった少年三人は、視界が悪いのか、そんな魔女の様子に気が付かない。
『ちょ、これなに!? なんか物凄く体にくっつくんだけど』
『恐らく、薬草を複数種類、煎じたものかと』
『――俺の村の魔女が作ってた薬も、こんなんだった』
三人それぞれが、思うままに喋っている。怯えた様子もない三人を魔女は呆れた様子で見ると、肩を竦めた。
『全く、姦しい子らだねえ。まぁ良いさ、魔王を討伐しに行きたいなら力を貸してやらないこともないよ』
魔女の言葉に、少年たちはぴたりと口を噤む。それも当然で、まだ彼らは何も言っていない。それなのに、何故分かるのか――少年たちの疑問はライリーのものでもあった。
そんな三人を見た魔女は楽し気に笑う。
『あんたたち、自分が誰に会いに来たと思ってるんだい』
にやりとした笑みを見たライリーは、不思議と自分の体が震えるのを感じた。目の前の魔女と戦う気はないが、もし戦うことになったとしても決して敵わないだろうという確信が芽生える。
実体がないにも関わらず硬直したライリーの前で、魔女は三人の少年を見据えたまま告げた。
『あたしは“北の魔女”だよ。幾つか名前はあるが、ちゃあんと、覚えておきな』
不思議と耳に残る声で告げた魔女は、踵を返す。後ろ手に手を振れば、次の瞬間三人の少年たちが頭からかぶっていた泥は綺麗に掻き消えた。
『入っておいで。あんたたちに道具を与える代わりに、あたしの話を聞いて行きな。あんたたちが倒そうとしている魔王について、少しばかり話をしてやろう』
魔女は肩越しに振り返る。少し離れた場所に立っていたライリーと目が合う。
(きっとこれは、私にも聞けと言っているんだろうね)
何故かは分からないが、魔女はライリーの存在に気が付いている。もしかしたら、破魔の剣がライリーに不可思議な夢を見せている理由も知っているのかもしれないと、そんな馬鹿げた思いに捉われそうになりながら、ライリーは足を踏み出した。
*****
深夜すぎ、ライリーたちが寝静まった頃。
ライリーたちの泊まっている宿屋を歩く一つの人影があった。薄暗い色のローブを着て、フードを目深に被った人影の人相は分からない。しかし、体格から男だろうという程度は察せられた。
男は宿の構造を知っているらしく、迷いのない足取りだ。
廊下を歩いて廊下を上り、更に奥まった場所までやって来た男は、迷うことなく一つの扉に耳をつけた。中の様子を窺い、そっと扉を開く。人一人が辛うじて入れる程度の隙間を空けて、その人物は部屋の中へ懐から取り出した石を投げ入れる。小石程度の大きさしかないそれは殆ど音もたてずに床を転げ、寝台の近くに止まる。そして小石は一瞬の間をおいて、白い煙を吐き出した。
人影が投げた小石は単なる石ではなく、魔導石に睡眠の術式を組み込んだものだった。ライリーとオースティンがヴェルクでコンラート・ヘルツベルク大公の部屋に侵入した時、使ったものと同じ系統の魔道具である。
煙が消えたことを確認した男は、そこでようやく室内へと足を踏み入れた。それほど広くない部屋の中は整然としていて、物を隠すような場所はない。
彼は視線を滑るように巡らせて室内を確認すると、寝台の枕元の壁に立てかけられるようにして置かれた剣に目を止めた。
深く目深に被ったローブのせいで表情の変化は傍目には分からない。しかし、男は満足気な笑みを浮かべた。ほっとしたのか、わずかに両肩から力が抜ける。それも一瞬のことで、すぐに再び緊張した様子に戻った。寝台に寝ている部屋の主や隣室の人物に気が付かれないよう気配を殺し、男は壁際にある剣へとゆっくりと近づく。
彼の任務は、今目の前にある剣を――破魔の剣を奪って来ることだった。特別な剣だということだけは聞いているが、どういう意味での“特別”なのかは分からない。だが、彼の雇い主が詳細を教えてくれるはずもなかった。
彼の雇い主にとって、部下は全て盤上に置かれた駒のようなものだ。命じた内容を遂行する能力があるかないかの違いだけで、同じ人間だとは思っていない態度を取る。
「――――」
緊張したまま、男は剣に手を伸ばした。寝台に眠っている、まだ大人になり切っていない青年の寝息が崩れていないことを横目で確認しながら、殊更ゆっくりと動く。
そして男の指先が剣に触れたその瞬間。
「――っ!?」
男は息を飲んだ。
間違いなく剣は男の指先に触れたはずだ。それにも関わらず、今、剣はどこにもなかった。目を疑った男は慌てて周囲を探そうとするが、次の瞬間には首筋に冷たく硬い何かが触れている。
魔道具でぐっすりと寝入っていたはずの青年が――王太子ライリーが、いつの間にか握った剣の切っ先を男に突き付けている。そのことに男が気が付いたのは、ライリーの穏やかな声を耳にした時だった。
「一体なんの用かな、魔導士殿」
ライリーが持つ剣の切っ先がゆっくりと動いて、男が被ったローブのフードをゆっくりと上げていく。
降参を示すように両手を上げたまま為す術もなく、男は顔を晒す。暗い室内で月光に照らし出された男は若く、そしてライリーが知るところではなかったが――魔導省から命令を受けてグリード伯爵の元に出向していた魔導士その人だった。