65. スコーン侯爵家の没落 7
「ダンヒル――――ッ!」
憎々し気にブルーノがその名を呼ぶ。身動いても、ダンヒルはブルーノよりも背が高く筋肉質だ。ブルーノの動きを封じて、背後からその首筋に刃を押し当てていた男は、油断なくブルーノの動きを警戒しながら、皮肉な笑みを口元に浮かべた。
「お前に名前を呼ばれるとはな――虫唾が走るぜ」
笑いを含んで告げられた声は低く、憎しみが滲み出ているようだった。ブルーノは歯噛みする。ブルーノにとって、自分以外の騎士は取るに足らない存在でしかなかった。騎士として評価されているダンヒルも、結局は枠に嵌った戦い方しかできない男だと思っていた。
警戒はしていたものの、ブルーノとダンヒルの戦い方は全く違う。正面切って戦えば不利になるかもしれないが、実戦では騎士団の訓練のように正々堂々さは求められない。それならば自分はダンヒルの裏を掻けば良いと、そう思っていた。
だが、現実はブルーノの考えとは真逆の結果になっている。ブルーノが騙し討ちをするはずのダンヒルが、今はブルーノの背後を取り首筋に剣を突き付けている。
何故背後を取られたのかと、ブルーノが眉根を寄せていると、その考えに気が付いたらしいダンヒルは冷たい視線をブルーノに向けた。
「魔導騎士も舐められたものだな。俺たちにとって転移など造作もないことだ」
ダンヒルの説明に、ブルーノは納得した。魔導騎士と言えど、転移の術は使えない。つまり彼らは転移陣を使ったということだが、転移陣の使用は出動命令が出た後、必要最低限に抑えるよう義務付けられている。だが、現時点で二番隊は王都に留め置かれるよう措置が取られているはずだった。
そう考えると、結論は一つしかない。
苛立ちを抑えながら、ブルーノは低く呟いた。
「転移陣を私的流用したのか」
「流用? 馬鹿言え、今回のこれは正式な出動命令だ」
「なにを愚かなことを」
ブルーノは、愕然とする。正式な出動要請であれば、王立騎士団長であるブルーノを通して下されるはずだ。だが、全くブルーノは二番隊への出動要請など聞いていなかった。だが、ダンヒルには確信がある様子だ。全く動じないダンヒルにどこか焦燥を覚えながら、ブルーノは言葉を重ねた。
「そんな話はないはずだ」
「お前が知らないだけだろうよ」
ブルーノの言葉を聞いたダンヒルは嘲笑を浮かべる。
決してダンヒルは嘘を言っているわけではない。事実、ダンヒルは正式な出動命令を受けて動いていた。ただ、その正式な筋道の存在を大公派が知らないというだけだった。
本来、王立騎士団長の任命は指揮権を持つ国王が執り行う。国王が何らかの理由で命令を下せない場合は、代理権限を持つ王太子が顧問会議の承認を得て命令することができる。その点を考えれば、国王ホレイシオが行方を晦ました後、その生死が判明していない段階で顧問会議が独自に選んだスコーン侯爵は、王立騎士団に対して何ら権限を持たない人間だということになる。大公派の見解としてはフランクリン・スリベグラード大公が任命した事実を盾に正当性が担保されているということなのだろうが、現時点での王太子はライリー・ウィリアムズ・スリベグラードだ。いずれにせよ、フランクリン・スリベグラード大公の命令は越権行為でしかない。当然、適法ではない段階を踏んで選ばれたスコーン侯爵が団長に任命したブルーノ・スコーンは、王立騎士団長ではなく、未だ王立騎士団八番隊隊長である。
そこが、王太子派の狙いだった。
王立騎士団長ヘガティは、生きている。王太子ライリーも国王ホレイシオも、王立騎士団長を罷免していない。法的にはまだトーマス・ヘガティが王立騎士団長であり、そのヘガティが王太子ライリーの密命を受けて二番隊に出した出動命令は、これ以上なく正式なものだった。
そして殊更穏やかに、ダンヒルはブルーノに告げた。
「ああ、誰もお前に言ってなかっただけか」
その台詞は、あたかもブルーノに部下を率いる能力がないと言っているかのようだった。ブルーノは権力を好んでも他人を取りまとめることに関心がないとはいえ、さすがにここまで虚仮にされては黙っていられない。
ブルーノの眉間の皺が深くなる。そして次の瞬間、ブルーノは目にも止まらぬ早業で懐から掌に乗る程度の石のようなものを取り出した。一瞬で握り潰した瞬間、煙幕が上がる。
ブルーノの目論見は明らかだった。ダンヒルたちの視界を奪った後、緩んだ拘束から逃れて反撃するつもりだ。だが、ダンヒルは落ち着き払っていた。
魔物と戦う時は、視界を奪われることも珍しくない。魔術を使って護身のための結界を張ったとしても、魔物が撒き散らす瘴気は漆黒だ。濃くなれば濃くなるほど、自分の手先さえ見なくなる。
そして、魔物襲撃の規模が大きくなればなるほど、自分たちの身を護るために割く魔力量が減っていく。本来であれば自分の安全を確保した上で戦うべきだが、状況を考えた時に、多少自分の身を犠牲にしてでも魔物を倒さなければならない時もあった。そのような時は、目や鼻、口をきつく布で絞って、粘膜が傷つかないようにしてから結界を解く。激痛に気が遠くなることも多々あるが、そのような事態を想定して、二番隊は視覚や聴覚、嗅覚を遮断した状態での訓練も積んでいた。
当然、二番隊隊長であるダンヒルも例外ではない。寧ろ彼は、隊長である以上部下たちよりも秀でているべきだとして、厳しい訓練に明け暮れていた。
殺気を感じたダンヒルは、さっとその場から飛び退いた。ダンヒルの予感通り、ブルーノは鋭い短剣を逆手に握って背後のダンヒルを傷つけようと操ったところだった。
十分な距離を置いた状態で、ダンヒルは遠慮なしに魔導剣術を使うことにした。
「短期決戦で終わらせてやるぜ、時間がないんだ」
不敵な呟きの意味を、ブルーノが理解したかは分からない。だが、ダンヒルはブルーノに説明する気はなかった。
一方のブルーノは不快そうに眉根を寄せると、ダンヒルが攻撃を仕掛けて来る前に終わらせようと暗器を取り出す。
「魔導騎士等の弱点は、詠唱に時間がかかることだ」
冷たく言い放ちブルーノが暗器を放つのと、ダンヒルが詠唱を紡ぐのとは、ほぼ同時だった。
「【火の理の元に、紅蓮業火の環】」
ダンヒルの短詠唱は、複合魔術を発現させる強力な彼独自の技だった。
近くにクラーク公爵クライドやその連れ二人が居ることは知っていたが、連れ二人の内一人は、あのベラスタ・ドラコだ。ダンヒルは何度か、天才と呼ばれて久しいベン・ドラコが自分よりも頭が良いと弟を絶賛しているところを聞いている。それならばその三人の身は安泰だろうという確信があった。
それに、ブルーノがそれほど魔術に秀でていないことは確認している。もしブルーノに魔術の覚えがあれば、ダンヒルの仕掛けた術を受け流される可能性があった。そうなった場合、周囲の人間も巻き込まれる危険性があるが、それは考える必要がない。それならば、自分の術が標的から外れない自信があった。
一気に燃え上がった炎がダンヒルの周囲を取り囲む。今まさにダンヒルの体を貫こうとしていたブルーノの暗器は、突如現れた炎に巻き込まれて瞬時に消えた。
これまで一度もダンヒルの本気を見たことがなかったブルーノは、想像だにしない短詠唱による複合魔術を前に、愕然と言葉を失った。
「次はこっちの番だぜ」
にやりと笑ったダンヒルは、炎の中でも余裕の表情を崩さない。彼の魔力が生み出した炎は、ダンヒルを苦しめるどころか力を与えるようだった。
しかし、ブルーノも相応に場数を踏んだ精鋭である。すぐに次の攻撃のため身構えた。
ブルーノは今、自分を殺しに来た部下から奪った暗器も含めて大量に武器を持っている。そのため、ダンヒルに負けるつもりは全くなかった。ただ正面切って魔導騎士と戦うことの不利は、ブルーノも悟っている。その上、初っ端から発現したダンヒルの複合魔術は彼の実力を否応なく示していた。
真正面から戦うのは手落ちだと即座に判断したブルーノは、持ち前の能力を生かして、その場から消えた。
「消えた?」
驚いて呟いたのはクライドとエミリアだった。まさに転移の術を使ったかのように、ブルーノの姿は一瞬にして掻き消えていた。
クライドとエミリアの近くで三人を護るように結界を張っていたベラスタは、小さく首を傾げる。
「――いや、なんか森の中にいるっぽい」
魔力を感知してブルーノの居場所を把握したベラスタの指摘通り、ブルーノは脅威的な身体能力を発揮して高速で移動し、森の木陰に身を潜めただけだった。彼は決して身体強化の術は使えない。血の滲むような努力を重ね、そして魔道具も活用して人間とは思えない動きを可能にしているだけだった。
一方のダンヒルは、横目でベラスタを一瞥すると、にやりと口角を持ち上げてみせた。
短詠唱で複合魔術を発動させたダンヒルは、詠唱なしで様々な効果を発動することができる。その上、彼が独自に編み出したその術は身体強化の術と組み合わせることで非常に強力なものとなる。即ち、今のダンヒルはブルーノの動きを確実に追うことが出来ていた。
「ここでお待ちを」
ダンヒルは低くクライドたちに告げる。そして炎を纏ったまま、彼は一歩森の方向へと足を踏み出した。剣を自分の足元に突き刺す。すると、突き刺した場所から生み出された炎が二つ、蛇のように地面を非常に素早く這って森の中へと姿を消した。
「――――ッ!!」
声にならない悲鳴が、ダンヒルの耳に届く。しかしクライドやエミリアたちは何も聞こえない。静かに森を見据える三人の前で、ダンヒルは静かに森を見つめている。その双眸が何を眺めているのか分からないまま、三人は固唾を飲んで行方を見守った。
「――捕らえた」
そして少ししたところで、ダンヒルは地面に突き刺した剣に魔力を流す。慎重に、しかし大胆に魔力を流し込まれた剣は、炎を纏い赤く光る。それはさながら、火に溶かされた鉄のような色合いだった。見るからに熱そうだが、剣を握るダンヒルは顔色一つ変えない。
「【火の理の元に、真実の神の裁きを与えよ――業火の処刑】」
低く、ダンヒルが短詠唱を唱える。独自に編み出した複合魔術を使えばたいていの術は無詠唱で使える。しかし、この術だけは詠唱が必要だった。
彼が魔力を込めて詠唱を唱え終えた途端、森の中から轟音が響く。思わずクライドたちが耳を覆いそうになった時、炎に全身を拘束されるようにして燃える何かが、森の中から現れた。
「――――――――ッ!!」
全身を燃え盛る炎に包まれているその何かは、藻掻き苦しみながら何かを叫んでいる。その正体を悟った時、耐え切れずクライドたちは眉を顰めた。エミリアは悲鳴を上げそうになり、慌てて両手で口を塞ぐ。
炎に焼かれその場に崩れ落ちたのは、間違いなく一人の男だった。はっきりと姿は見えないものの、状況から考えてブルーノ・スコーンに違いない。
その姿を認めたダンヒルは、小さく息を吐いた。わずかに両肩から力が抜ける。
“裁きの炎”と呼ばれるその術は、特別な時にしか行使を許されていない術だった。即ち、その場で裁判を経ずに処刑することができる術である。
本来であれば禁術であるものの、スリベグランディア王国ではごく限られた人物に、限定的な場面での使用が許されていた。その制約に少しでも反してしまえば、術者が炎に巻かれ死亡してしまう。だから、無事に術が行使できたと確認できたダンヒルは安堵したのだ。
エミリアはその術の存在を知らないが、クライドとベラスタは知識として学んでいる。愕然とダンヒルを見つめる二人の視線に気が付かない振りで、ダンヒルは黒こげで倒れ伏し動かないブルーノに近づいた。しゃがみ込んで息を確かめるが、当然の如く事切れている。
誰一人言葉を発しない中、緊張した空気を打ち破ったのは、その時ようやく到着した二番隊の部下たちだった。
「あれ、隊長、もしかしてもう終わりましたか」
「終わった」
目を丸くした部下に問われ、立ち上がったダンヒルは短く頷く。部下はダンヒルの足元の黒い塊を見て「ああ」と低く唸った。どこか沈鬱な表情なのは、さすがに同僚だった男の死にざまを見て何か思う所があるからだろうとダンヒルは判断した。
「その状態ってことは、やっぱり有罪ですか」
「そうだな。俺も全てを把握しているわけじゃないが、王族を卑劣な手段で害する計画に直接関わってたってことだろう」
ダンヒルと部下の会話を聞きながら、ようやくクライドは平静を取り戻した。
“裁きの炎”を行使できる条件は幾つかあるとされているが、その代表例は“王族を卑劣な手段で害そうとし国難を生じさせたとき”、そして“禁術を用いたとき”だった。
「ブルーノでその状態ってことは、大公派は軒並み裁けるってことですね。全く、随分と小汚い玉座簒奪劇だ」
「おい、クラーク公爵と令嬢の前だぞ。口を慎め」
「あ、いけねえ。申し訳ありませんでした、閣下、ご令嬢」
ぺらぺらと話していた部下は、ダンヒルに注意されてようやくクライドたちを認識したらしい。慌てて謝罪するが、クライドたちはただ苦笑するしかない。
どうやら二番隊は、事前にブルーノに対し“裁きの炎”を行使することを取り決めていたようだと納得した今、クライドは何を言う気もなかった。









