65. スコーン侯爵家の没落 6
国王がどこに居るのかと問われたところで、クライドたちが知るわけもない。クラーク公爵領に居ないのは確かだし、ケニス辺境伯からはエアルドレッド公爵家によって保護されていることは聞いていても、その具体的な場所までは分からない。
「陛下と呼びなさい、それに“どこに居る”など話になりません。不敬ですよ」
だが、クライドは敢えて直接は答えず、ブルーノ・スコーンの態度を咎めた。ブルーノの眉がぴくりと動く。苛立ちを覚えたようだが、クライドは気に止めない。
立場的にもクライドのほうがブルーノよりも上なのだから、ある程度の礼儀を保てばそれ以上へりくだるつもりは一切なかった。それに、クライドが常識外れのことを言っているわけでもない。
本来であれば目上の者に咎められた場合は恐縮し謝罪を口にするはずだが、背後に大公派がいるブルーノは構わなかった。わずかに体を動かして再度問う。
「国王はどこにいる」
「人の話を聞かないとは嘆かわしい。これならまだ幼児の方が可愛げがあるというものです」
クライドは舌鋒鋭く皮肉を飛ばす。ブルーノ・スコーンが優秀であることはクライドも知っている。どれほど人脈があろうと、能力がなければ王立騎士団の隊長に抜擢されることはない。その証拠に、かつて王立騎士団に所属していたフランクリン・スリベグラード大公も役職に就くことは終ぞなかった。
いずれにせよ、今のクライドたちには時間が必要だった。ブルーノ・スコーンをここに足止めしていれば、二番隊が来るはずである。彼らがどこまで近付いて来ているのか分からない以上賭けでしかないが、いずれにせよ今クライドたちがすべきことは安全にこの場を切り抜けることだった。
ブルーノが国王ホレイシオの行方だけを気にかけているのであれば良かったが、先ほどの反応を見る限り、ブルーノはベラスタが大公派の前から姿を消した方法についても知りたいと思っているらしい。となると、何事もなく見逃してくれるとは到底思えなかった。
「それにしても」
クライドは背後でエミリアに落ち着けと言われたベラスタが深呼吸しているのを感じながら、わざとらしく小首をかしげてみせる。
残念ながら、クライドにはベラスタほどの魔力も魔術の才もない。そしてエミリアほど武に秀でているわけでもない。世間一般と見れば十分に優秀な部類だが、天才と言う名を恣にしているベラスタや、光魔術と剣術を組み合わせることのできるエミリアと比べるとどうしても劣ってしまう。
だから、今の彼に出来ることはブルーノに攻撃されないよう時間を稼ぎ、エミリアとベラスタに後を任せることだった。
「何故、貴殿はここに? ここは我が領地、王立騎士団が立ち入るのであれば領主たる私に一報あって然るべきでしょう」
ブルーノは一瞬押し黙る。クライドの指摘は当然のものだった。
各領地を統括している貴族は基本的に自領で兵を賄っている。国王の名のもとに一国を為す一地域としての立場は見せているものの、その歴史を辿れば元は独立した小国だった。そのため、国王が統帥となっている王立騎士団を勝手に領地へ派遣するということは、その領主が謀反を企てている時等に限られる。
仮に隣国との戦に騎士団を派遣するため領地を通過するときは、その土地の領主に事前に知らせが入ることになっていた。だが、当然のことながら八番隊がクラーク公爵領に来るという話はクライドは聞いていない。
「閣下が長らく隣国に行かれ、留守にしておられたからだろう」
僅かな沈黙の後、ブルーノはあたかもクライドのせいだと言うような台詞を口にした。完全に敬語ではない理由は、クライドが王太子派に与し大公派の敵だという気持ちがあるからに違いない。
ただどうやら、国王を匿っている疑惑がある以上謀反を企んでいるとしか考えられないからだ、という本音を言葉にしないだけの分別はあったらしい。
実際に、今の国王はまだホレイシオだ。大公派はホレイシオを断罪し玉座から引きずり降ろしたいのだろうが、生憎とまだ大公派が主張したい罪は疑惑に過ぎない。ただの疑惑で国王をその地位から追放することはできない。
もし本音をブルーノが口にすれば、その時点でブルーノには不敬罪が適用される。クラーク公爵領内で公爵本人を前にして言えることではなかった。
さすがにそこはしっかりしていると、クライドは内心で呟いた。もしブルーノが一言でも本音に近い言葉を漏らせば、その時点でクライドは公爵としての権限で不敬罪を問い、ブルーノを拘束する心積もりで居た。
「私が留守にしていても、名代として執事のフィリップが全てを取り仕切っています。事前に知らせを出していれば、フィリップから私に連絡があったでしょう。それを怠った時点で、私はクラーク公爵として王立騎士団ならびに王立騎士団を統括しているスコーン侯爵に、責任を問えるということをお忘れなく」
クライドの言葉に隙はない。ブルーノは侯爵子息として、他の王立騎士団の騎士たちよりも弁が立つ方ではある。だが、クライドの正論の前では形無しだった。ブルーノはあまり表情を変えないが、それでも悔しそうにぎりと歯を食いしばっている。だが、すぐにブルーノは気持ちを切り替えて改めてクライドに向き直った。
「――国王をクラーク公爵家の領地で見かけたと言う報告が上がっている。国王には召集状が出されている。仔細は明らかにされないが、顧問会議への臨席が要求されている」
故に私がここまで来たのだというブルーノに、クライドは僅かに目を細めてみせた。その表情は傍から見ると明らかに相手を馬鹿にしているような表情だ。だが、別の見方をすれば何事か考えているように見えなくもない。
ブルーノは苛としたようだが、クライドの出方を窺っていた。
「陛下に召集状とは穏やかではありませんね。貴方に指示を出したのはスコーン侯爵でしょうが、一体いつ侯爵程度の者が王族より立場が上になったのでしょうか」
明らかにクライドはブルーノを挑発している。
ここまで来れば、さすがにベラスタとエミリアは気が気ではなかった。クライドの背後で二人とも、いつでも動けるように態勢を整える。そして、クライドと対峙しているブルーノも挑発されている自覚はありながら、どうにも腹の底から湧き上がって来る不快感を抑えきれなかった。
ブルーノはスコーン侯爵家の長男ではない。その上父侯爵が治めている土地はそれほど広くなく――といっても侯爵領であるため相応の広さはあるのだが――長男が爵位と土地を引き継げば、ブルーノが継ぐことのできる財産は遥かに見劣りするものしかなかった。
ブルーノの兄が父侯爵と瓜二つであったこと、そしてブルーノ本人もそれなりに優秀であったこともブルーノにとっては不幸だった。自分よりも能力的に秀でているわけではないにも関わらず、弟であるブルーノよりもたった数年早く生まれただけで威丈高な態度を取る兄に、ブルーノは嫌悪を募らせていた。
父が相手ならば、まだ我慢もできる。だが、兄に関してはブルーノは全く我慢できるものではなかった。表面上は従順に見せかけながら、いつその地位から引きずり落とし泥に這い付くばらせてやろうかと考え続けていた。
だからこそ、此度の大公派躍進はブルーノにとってまたとない機会だった。
兄は領地に籠っている。領地よりも王都での華々しい生活を気に入っている父侯爵は、王都で勢力を伸ばすことに余念がない。それならばブルーノが出来ることは、成果を上げて大公派に取り入り、兄よりも使える男だとフランクリン・スリベグラード大公や大公派の中枢にいる実力者メラーズ伯爵に認識して貰うことだった。
もし大公や大公派の中心人物たちの覚えがめでたくなれば、ブルーノの立場は盤石なものとなる。その時、兄はようやくブルーノの真価を理解するはずだ。だが気が付いた時には手遅れで、ブルーノは兄の代わりにスコーン侯爵となる。
平民も大勢所属している王立騎士団に居ることはブルーノの矜持を傷つけてはいたものの、八番隊隊長や王立騎士団長という肩書きは決して無駄になるものではない。寧ろその経歴を持つ侯爵は、貴族社会でも憧憬の的になるはずだった。
「そのような口を利いて居られるのも今のうちだ。国王に対して捧げる忠義も、その命を代わりにするほどの価値はないだろう。後悔したくなければ大公閣下に仇為す真似は止めて、さっさと国王の居場所を吐くことだ」
明らかな脅迫だが、クライドは動じない。おやと片眉を上げると、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど、昨今の八番隊も質が落ちたものですね。まさか三大公爵の当主たる私を脅迫するとは――いえ、それが脅迫になると思っているのでしたら失笑ものです」
ブルーノの眉がぴくりと痙攣する。今度こそ、ブルーノの双眸に殺気が宿った。
百戦錬磨の傭兵でも一瞬で警戒を高め身構えるほどの殺意だが、クライドは平然としたまま動じない。尤も、クライドがブルーノから向けられた殺気に気が付いていない訳ではなかった。クライドもそれなりに実戦経験がある。ただ、クラーク公爵家の当主として、いかなる時も動揺を表に出さない教育を施され、その教育が骨身に沁みついているだけだった。
代わりに、クライドの背後に立つエミリアが腰にぶら下げた剣に手をかける。ベラスタも、すぐにでも結界を張れるように身構えた。
次の瞬間、ブルーノが動く。目にも止まらぬ早業で、彼の手は懐から取り出した短刀をクライドに向けて放った。それだけではない。同時に放たれたもう二本の短剣が、クライドのすぐ横をすり抜けてエミリアとベラスタの体へと飛ばされる。
だが、血は一滴も流れなかった。甲高い金属音が響き、エミリアとクライドがそれぞれ自分に向かって放たれた短剣を剣で弾き落とす。ベラスタもまた、エミリアやクライドを護れる大きさの結界は無理でも、自分の身を護る結界は直ぐに展開することが出来た。
――――そして。
クライドは、不敵な笑みを浮かべる。その視線は、ブルーノの背後に向けられていた。
「戦場では背後にも気をつけるべきと兵法書にはありますが、貴方は学んだことがなかったのですね」
痛烈な皮肉となって、その言葉はブルーノの耳に届く。しかし、ブルーノはその言葉に反応する余裕はなかった。
つい一瞬前までは存在しなかったはずの気配が、ブルーノの背後にある。その気配は油断なく剣をブルーノの首筋に宛て、全ての殺気をブルーノに向けていた。
「よぉブルーノ、久しぶりだな」
ブルーノの背後に立った男は、低い声でそう声をかける。酒場で長年会わなかった知人に掛けるような場違いな台詞も、聞く者が聞けば全身を冷や汗に濡らしそうな物騒さを纏っていた。