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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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65. スコーン侯爵家の没落 5


せせらぎの中に、上半身を突っ込むようにして倒れた男――その男は、見覚えのある格好をしていた。騎士服ではないものの、道中で確認した八番隊の騎士である。


「殺されているようですね」


毒々しい色に染め上げられた肌は、普通に死んだ人間の体ではない。恐らく事切れた後、魔物に取り憑かれ栄養分を吸い取られたのだと思われた。

魔物が発する瘴気は水に流されて行くが、この場合は別だ。瘴気を発する死体が存在している限り、薄いとはいえ瘴気はこの場に留まり続ける。瘴気が流される端から新たな瘴気が生み出されるのだから、当然だった。

そして、魔物が手を付けた獲物に野獣は手を付けない。つまり、遺体はこの場に放置されたまま、ただ腐り落ちるのを待つことになる。


「他の場所だったら魔物の増殖が気になるところだが――水の側だったのが良かったか」


ダンヒルは呟くと、簡単に瘴気を浄化させた。光魔術を使えるわけではないが、身を護る程度であれば魔道具でも代用できないことはない。そして男の怪我の具合を確かめる。しかし、それほど時間は掛からなかった。


「一投で絶命してるな」


致命傷は頸動脈の傷だ。出血多量で死亡したのは間違いない。他に傷がないことからも、戦闘になったわけではないことが分かった。


「やっぱり、ブルーノでしょうか」


これまでであれば、内心では何と呼ぼうが“ブルーノ隊長”と敬意を持って話していた騎士たちも、いつの間にか呼び捨てになっている。その事にようやく気が付いたダンヒルは皮肉に口角を歪めたが、すぐに真面目な表情に戻って頷いた。


「これほどの手練れは、八番隊にはいないだろうよ」

「そうですね」


騎士は頷く。

恐らく、目の前で事切れている男は背後からブルーノを襲ったのだろう。だが隙をつくことは出来ず、それどころかブルーノの反撃で命を落とした。


「武器がこの、腰の剣一本だけだ。他にはないから、恐らく暗器の類をブルーノが持って行ったんだろう」

「そうなると厄介ですね」

「ああ、奴は結構な量の武器を持っていることになるな。まあ、それで動きが悪くなるようなことにはなっていないだろうが」


ダンヒルは立ち上がると溜息を吐いた。

面倒なことになったとは思いつつも、今ここで騎士の遺体を見つけたことは決して悪いことばかりではなかった。


「少なくとも、これで俺たちがブルーノの足跡を辿れていることは確定したわけだ。恐らく奴はここでこいつを返り討ちにした後、クラーク公爵領の方角へ向かったんだろう」


そう告げてダンヒルは周囲を見回す。そして、不自然に折れた枝を見つけた。


「あっちだ。恐らく、あいつはあの方向に進んだんじゃないか」

「分かりました。皆を呼んできます」


騎士はそういうと、踵を返して仲間を呼ぶため駆けだす。少しして、他の騎士たちも皆ダンヒルの元に戻って来た。どうやら道すがら状況を聞いたようで、皆、無言で事切れた男の遺体を清め、穴を掘ってその場に埋めた。男が身に着けていた装飾品一つだけが、遺族のため持ち帰るものである。

騎士として戦場に散れば遺品も持ち帰ることができないことを考えれば、男の遺族にとっては幸運ともいえた。


一仕事済ませた後で、ダンヒルは告げる。あっさりと気持ちを切り替えることこそが、騎士に求められていることだった。


「恐らく、さっきまで俺たちが居たところは、この男が動き回っていた跡だろう。ブルーノは男を殺害した後、あの方角に行ったと思う」


ダンヒルが示した方向を見て、騎士たちも納得したように頷いた。


「方角もクラーク公爵領の方向ですし、不自然に枝や草が折れていますね。私も同感です」


地理を読むことに長けた騎士の口添えもあり、ダンヒルたちはその方向へ進むことにする。

遺体の状況を見るに、ブルーノがせせらぎの側で男を殺してから半日程度経過しているはずだ。魔物の餌にされた時期によって遺体の状態が変わるから確証はないものの、当初ダンヒルたちが森に入った時よりも、ブルーノとの距離は縮まっているようだった。


「警戒は怠るなよ」

「はい」


ダンヒルの言葉に騎士たちは真剣な表情で頷く。

ブルーノは、追手が掛かっていると想定して罠を張っている可能性があった。あり得ないと思えるような事象でも想定して動くことが、八番隊には特に求められている。その隊長に上り詰めたブルーノは、他の八番隊騎士より慎重さには定評があった。



*****



王都に向けて街道を歩いていた時、エミリアはふと妙な胸騒ぎを覚えて僅かに手綱を引いた。目ざとく気が付いたクライドが顔を上げる。


「エミリア嬢?」


言外にどうしたのかと問われて、エミリアは一瞬言葉に詰まる。しかし、すぐに意を決したように口を開いた。


「いえ、あの――森の中に、こちらを探っているような気配があるような気がして」

「まじで?」


エミリアの言葉に、ベラスタも目を瞠る。そして、ベラスタは即座に詠唱を唱えて魔術を展開した。森の中の気配を探る。


「あ、ほんとだ」

「――ベラスタ……いえ、何でもありません」


呆気らかんとしたベラスタの言葉に、クライドは頭が痛いというように額を抑えた。屋敷を出てからというもの、周囲の警戒はベラスタとエミリアが中心となって行うこととなっていた。クライドが面倒がっているわけではなく、適任がその二人だったからだ。そして、魔術を使うベラスタの方が広範囲や物陰の気配を察知しやすいという話になっていたはずだった。だが、実際にはエミリアの方が先に気配に気が付いている。

確かに魔力も無限ではないため、常時広範囲の気配を探るわけにもいかないだろうと、クライドは思い直した。


首を振ってその後に続くはずだった言葉を飲み込みながら、クライドの右手は腰に提げた剣に掛かっていた。


「どうする?」

「とりあえず姿をお見せ頂きたいものですが」


ベラスタに方策を尋ねられたクライドが遠回しにできるかどうか尋ねると、ベラスタはあっさりと頷いた。


「うーん、わかんねえけど、やってみる」


森の中に隠れている人間を自分たちの前に連れて来るというのは、転移の術の応用だ。さすがにベラスタも、そのような術を試したことはない。だが、今の状況で失敗が許されないことは分かっている。そのため、ベラスタは他の方法を試すことにした。


「【我が名に於いて命じる、水の理の元に対象物を包みこめ】」


それほど難しい魔術でもないが、仕掛けられた方にしては悲惨な術だ。つまり、水の膜で相手を包みこむ術である。初級魔術ではあるものの、人間一人を包み込むとなるとそれなりの魔力と技術が必要となる。そして包み込まれた人間は、窒息死に怯えることとなる。

即座に詠唱からベラスタの仕掛けた術を理解したクライドは、なんとも言えない表情を浮かべた。


「――私は別に、殺すようにとは言っていないのですが」

「大丈夫だって、殺すほどやらないから」


ベラスタは呆気らかんとしているが、そういう問題ではないとクライドは言いたかった。口を挟まないエミリアも、さすがに引いた目でベラスタを見ている。


「それにあの術解かせたかったら、術者の集中力途切れさせるしかないからさ。だから否が応でも向こうから出て来る――」

「――そのようですね」


何故、わざわざ窒息死させるような術を使ったのか説明を始めたベラスタだったが、その途中でベラスタの言葉を裏付けるような事態となった。

森の中から、殺気に塗れた表情の男が水の膜につつまれたまま出て来る。あまりにもベラスタの想定通りだった。思わずクライドは呆れた目を相手の男に向ける。


クライドにしてみれば、ベラスタの作戦はあまりにも短絡的だった。他にやりようがあるのではないかと思ったのだが、蓋を開ければ森の中からこちらを窺っていた男はあっさりとベラスタの策略に乗って姿を現している。

確かに窒息死が目前に迫れば恐怖に駆られるのだろうが、それにしても容易すぎではないかと思ってしまうのは否定できない。


三人分の視線を受けた男は、殺意を滲ませてベラスタを睨みつけた。そして水の膜の内側で動き、懐から一枚の札を取り出す。そして、それを作動させる。どうやら取り出した札は解術用の魔術陣だったらしく、呆気なくベラスタが作り出した水の膜は消滅した。


「あ、魔術陣持ってたんだ」


ベラスタが驚いたように目を瞬かせる。しかし、姿を現した男――ブルーノ・スコーンは、ベラスタの言葉には取り合わず、嘲弄するような笑みを顔に張り付けた。普段表情を変えない男が浮かべる笑みはぎこちなく、しかしその分だけ不気味さが強調される。


「まさかここに貴殿が居るとは思わなかった、ベラスタ・ドラコ」

「え、オレ?」


ブルーノの言葉に、ベラスタは予想外のことを聞かされたというように首を傾げた。

ベラスタにとっては、知らぬ間に執務室に転移させられ、そしてその後訳が分からないうちに国外へと転移されたと言う印象しかない。しかしブルーノにとっては、捕らえたはずがいつの間にか行方を晦ましたベラスタがクライド・ベニート・クラークと共に居る、という状況である。


「どうやってあの牢から抜け出たのか、それは後からじっくり聞かせて貰おうか。だがその前に」

「牢? え、牢ってなんのこと? オレ捕まってたの?? それ本当にオレ?」

「ちょ、ちょっとベラスタ様、落ち着いてください」


訳が分からないとベラスタは首を捻りながらクライドに助けを求めるが、当然クライドも、ブルーノの話は理解できない。エミリアがベラスタを落ち着かせようとしている声は聞こえるが、クライドは何も言わなかった。

ただブルーノの言葉から推察するに、どうやら大公派はベラスタが牢に入れられていたと思い込んでいるらしいという事だけが分かった。


このような場では、相手からできるだけ情報を搾り取るのが定石である。

クライドたちの作戦通りであるなら、ブルーノは国王ホレイシオの行方を探すためクラーク領に向かっていたはずだが、本当に作戦通りなのかは確定していない。ブルーノが何を言うかによって、その真偽が分かる。

静かにブルーノを見つめるクライドに向けて、ブルーノは低く問うた。


「国王はどこにいる?」


――――嵌った。


クライドは笑みを浮かべそうになる。だが、平静を保った。

緊迫した空気が流れる。互いの出方を窺っているが、一言でも発すればその均衡は崩れる。

クライドたちとブルーノ・スコーンの間を、一陣の風が吹き抜けて行った。



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