65. スコーン侯爵家の没落 4
ブルーノ・スコーンには、誤算があった。クラーク公爵領に向かっている騎士団は自分の仲間である八番隊しかいない、という誤解である。そしてもう一つの誤算は、自分を殺そうと部下が襲い掛かって来たせいで、足止めを食らったということだった。
だが、その誤算が致命的な結果に繋がるとは、その時のブルーノもさすがに予想はしていなかった。
「おい」
声を上げて部下を止めたのは、ダンヒルだった。彼は眉根を寄せて、何事かを考え込んでいる。部下たちは不思議そうな目をダンヒルに向けていた。
「ここまで来て、未だに二人に追いつけないのは妙だと思わないか」
「――そうですね、そろそろ追いついても良い頃合いのはずです」
ダンヒルの問いに、部下の一人が答える。
彼らは、クラーク公爵領に繋がる街道をひたすら進んでいた。時折、魔術を使っているため進行速度は通常よりも速い。八番隊もその性質上、俊敏性に自身のある騎士ばかりだが、それを考えても追いつかないのはおかしかった。
「もしかして、残りの二人は街道を通ってないのか?」
「街道を通っていない? さすがにそれは――」
部下の一人が首を捻る。それも当然で、王都からクラーク公爵領に行くには街道を通るのが一番安全だった。他の細い道はあるが、どうしても遠回りになる。街道も直線距離ではないものの、他の道と比べれば随分と到着までの時間は短縮される。物理的な距離のせいだけでなく、細い道では道中に生じる危険も街道と比べて桁違いに多かった。
「さすがに八番隊の騎士といえど、そこまでの危険を冒すでしょうか。実際にこれまでの騎士たちは、この街道沿いで見つかっていますし」
部下の指摘も尤もではある。だが、どうしてもダンヒルは納得できなかった。
「それなら、何故まだ追いつかない? ブルーノに追いつかないのも妙だが、カーティス・パーシング以外で、俺たちから逃れられるほど足が速い奴も早々いないはずだろう」
それもその通りだと、今度は部下たちが頷く。
ダンヒルは馬に括り付けた袋から地図を取り出し手早く広げると、指先で王都、クラーク公爵領、そして現在地を順に示した。
「ブルーノの性格からして、できるだけ部下ではなく自分で陛下を見つけようとするはずだ。そうなると、街道以外の道を選ぶとしたら――ここだ」
そう告げてダンヒルが示したのは、鬱蒼と広がる森の中だった。それを見た部下たちの表情が強張る。
二番隊の魔導騎士たちは、他の騎士と比べても魔物と相対する頻度が高い。魔導剣術という特殊な技を用いた方が確実に魔物を屠れるからだが、それ故に彼らは森の危険性を熟知していた。
「最近は大規模な魔物襲撃は減ったとはいえ、魔物が皆無となったわけではありません。寧ろハグレの報告は増えています」
「小規模の魔物襲撃の報告は依然増加傾向ですし、目撃者や討伐に当たった騎士からは知能があるようだという報告も受けています」
苦い表情で部下たちが口々に告げる。
実際に、魔物襲撃による大規模な災害は減って居る。しかし、一概にそれを喜ぶこともできなかった。規模は縮小しているものの、数は増えている。更に魔物に知能があるらしいという報告も上がって来ていて、よくよく報告の内容を見れば、魔物は連携を取りつつ、討伐されないよう必要物資――即ち家畜や農作物を奪って行っているようだった。時には鉄製農具等を奪って行くこともあり、どちらかと言えば魔物ではなく人間の盗賊の真似事をしているようにも思えるという。
一般的には魔物襲撃による被害が減ったことを喜ぶ向きが強いが、実際に魔物討伐に当たる二番隊などは、寧ろ正体の掴めない違和感が不気味に思えて仕方がない。
「だが、八番隊は――当然ブルーノも、そんな現状は知らないはずだ」
団長となったからには魔物襲撃だけでなく魔物の出没や二番隊による討伐記録も読んでしかるべきだが、元々ブルーノは書類仕事をそこまで好まない。その点は父侯爵と非常によく似ており、重要な事項のみを部下から直接報告させるという手段を取っていた。
「八番隊の時でさえ実際の書類仕事はカーティス副隊長に丸投げしていたようですしね。団長になってそれが改善されたとは思えませんし、官吏に書類仕事を任せていたとしても、その官吏が制圧し終えた魔物襲撃に関して報告を上げるとは到底思えません」
それならば、やはりブルーノは森に入った可能性が高いとダンヒルは再度告げる。最初は胡乱な表情になっていた部下たちも、そこまでの話を聞くと納得したように頷いていた。
だからといって森に入ってブルーノを追いかけるとなると、心情的には嫌な気持ちになるのも仕方がない。部下の一人が溜息を吐いた。
「――今から、森に入るんですか。野営必須じゃないですか……」
魔物は昼夜問わずに活動するが、特に夜の方が活発に動くことが分かっている。そのため、人間が移動できない夜間に被害が頻発していた。
「仕方がないだろ」
文句を零した仲間を、別の騎士が宥める。彼も決して嬉しいわけではないため、反論の声はなかった。
ダンヒルはそんな部下たちを慰めるように一瞥したが、すぐに表情を引き締めた。
「ブルーノの死体と遭うことにならなけりゃ、良いんだけどな」
思わずといったように零れた呟きには、現場を知るものだけが感じ取れるほどの苦さが含まれていた。
*****
ダンヒルを筆頭とした二番隊は、森に足を踏み入れた。鬱蒼と茂る森は足場も悪ければ視界も悪い。
それでも、魔物討伐の時は今彼らがいる場所より更に足場の悪いところを通らなければならないこともある。彼らは手慣れた仕草で木の枝や草を払いながら、先に進んだ。
「隊長! ありました!」
騎士の一人が声を上げる。ダンヒルがそこへ近づけば、確かに人が通った痕跡があった。
「確かに、この足跡は樵ではなさそうだ」
ダンヒルが呟けば他の騎士たちも同調する。そもそも、今彼らが居る場所は森の奥深くだ。ここまで樵が訪れることも滅多にないはずの場所だった。
「追跡できそうか?」
「はい」
太陽光は背の高い木に遮られ、昼間であろうと夜のような暗さが保たれている。更に火を灯そうにも、炎が枯草に燃え移る危険性がある。魔術で足元を照らしても良いが、それでは敵に勘付かれるかもしれない。
だから、彼らは身体強化の術を使って視界の感度を上げていた。それでも、やはり騎士によって得手不得手は出る。ダンヒルは部下に指示し、視覚強化が得意な二人を先頭と後尾に配置し、一列で進むことにした。場所によっては順番が入れ替わったり二列になることもあるだろうが、基本的な陣形は変わらない。
「急ぐぞ」
「は」
ダンヒルの言葉に騎士たちが低く応える。幾ら昼間も暗い森とはいえ、野営をするのは夜過ぎてからだ。このような場所では星や月の光は完全に遮られ、一筋の光も入らない。そのような場所では、身体強化をしたところで周囲の状況は全く見えなくなる。
それならば、安全な場所を確保して疲労回復に努めるべきだった。
そして野営を挟む事、一度――疲労は蓄積しているが、誰も速度を緩めることはしない。寧ろ、森の歩き方を知らないブルーノだからこそ、夜にも移動している可能性はあった。そうなると更に距離を開けられている可能性がある。
ダンヒルは焦燥を胸の奥に押し隠し、何気ない表情を取り繕ったまま、仲間たちと共に足を進めていた。
「待て」
声を上げて一行の足を止めたのは、ダンヒルだった。部下たちはダンヒルの声に顔を上げ、警戒を高める。ダンヒルは目を眇めていたが、すっと指を右斜め前方に向けた。
「瘴気だ」
普通にしていれば感じ取れるはずのない薄い瘴気だが、だてに二番隊隊長を務めているわけではない。ダンヒルは敏感に瘴気の存在を感じ取っていた。
瘴気のあるところには魔物が居るという。これまで魔物と出くわさなかったのが不思議ではあったものの、ここに来て感じられる魔物の気配に、騎士たちは皆身構えた。気配を研ぎ澄ませれば、確かに瘴気の気配が僅かにしている。騎士たちは皆、警戒しながらも驚きを隠せない。
自分たちでは言われなければ勘付くことのできない僅かな瘴気に隊長がいち早く気が付いたのだと、ダンヒルに対する尊敬の念が強くなったようだった。しかし、ダンヒルは彼らの変化には一切頓着することなく、瘴気のする方向へと神経を尖らせた。
「――妙だな」
だが、気配を探っている内にダンヒルは違和感を覚える。眉根を寄せると、部下たちにはその場に残るよう言い残し、一人だけを連れて瘴気の方向へと足を進めた。
「妙、ですか?」
ダンヒルに呼ばれ傍らを歩く部下がダンヒルの言葉を聞き咎める。ダンヒルは視線は前方に据えたまま、静かに頷いた。
「瘴気があれば魔物がいる。だが、動くものの気配が感じ取れない」
「それは――そうですね。つい先ほどまで魔物が居た、という可能性はあると思いますが」
「ああ、そうかもしれない」
部下の推測に、ダンヒルは曖昧に頷いた。理屈で考えれば部下の言う通りだが、直感が違うと警鐘を鳴らしている。少しして、ダンヒルは自分が感じている違和感に思い至った。
「――そうか」
「隊長?」
思わず洩れた声に、騎士が反応する。どうやらダンヒルの部下も、魔物と出くわす可能性に緊張が高まっているらしい。普段であればダンヒルが自分から話しだすのを待つ男だが、今は一々ダンヒルの言葉を聞きたがっているようだった。
それに気が付いたダンヒルは、薄っすらと唇に笑みを浮かべる。そして、ダンヒルは今思い当たったことを簡単に説明した。
「耳を済ませろ。水が流れてる音がするだろ」
「え? ああ、はい」
騎士が頷く。川というほどの大きさではないが、どうやらこの近辺にはせせらぎがあるようだった。そして、瘴気はその周辺に漂っている様子だ。方角が間違っていなければ、凡そ正しい推測だろう。
「瘴気は水の流れの近くには留まれない。魔物は気にはせず留まるが、力は弱まる。だから本来、奴らは水の近くには寄らないんだ」
魔物が水を避けるという生態は、最近になって唱えられるようになった学説だ。だが、魔物討伐に良く駆り出される騎士にとっては常識に近い知識だった。
「この程度の瘴気なら、すぐに流れる。それなのに、ある程度の範囲まで薄いながら瘴気が広がっているということは、せせらぎの近くに瘴気を発する“何か”があるってことだ」
ダンヒルの説明を聞いた部下は顔を引き攣らせた。その説明で思い当たる節といえばただ一つしかない。
「もしかして」
だが、ダンヒルはその先を言わせなかった。
「行けば分かる」
「――そうですね」
あっさりとした、しかし確固たる声音に、騎士は肩を落として頷いた。ダンヒルの言うことは尤もだ。再び気を取り直して、騎士はダンヒルの横を力強く歩く。
蔦や木の枝を斬り落として進めば、せせらぎの音が大きくなる。そして開けた景色の先に、ダンヒルたちはある意味予想通りの、しかし別の意味では予想外の光景を見た。









