65. スコーン侯爵家の没落 2
クライド・ベニート・クラークは、エミリアやベラスタと共に王都へ向かうため馬に乗り揺られていた。ヴェルクへの旅の間に、ベラスタも随分と乗馬に慣れたようだ。
「それにしても、随分と綺麗な金剛石でしたね」
エミリアがうっとりと呟く。普段は剣術に夢中でお洒落になど興味のなさそうなエミリアだが、美しい宝石には心奪われるらしい。
「名前も“情調の珠”だもんなあ。なんだろ、よくわかんないけど人の心を揺さぶるような何かがあるのかな?」
ベラスタは別の意味で封印具の宝石が気になっているようだった。クライドは苦笑して肩を竦める。封印具の珠は今、厳重に包みクライドが持っていた。さすがにクラーク公爵家の私物扱いとなっている宝物を、エミリアやベラスタが持つことはできない。
何とはなしに二人の会話を聞いていたクライドは、ふと気に掛かることを思いつき、ベラスタに顔を向けた。
「“情調の珠”を見ていて何か感じることはありましたか?」
「オレ? うーん、なんかすごい力が溜まってる感じはしたけど」
クライドの質問を聞いたベラスタは、今一つ良く分からないとでも言いたげな表情で首をかしげている。だが、普通の宝玉とはやはり含まれている力が異なるらしい。一番ふさわしい言葉を選びながら、ベラスタはたどたどしく説明をしようとした。
「なんていうか、思い切り魔力を込めた魔導石みたいな感じかな? でも普通、そこまで膨大な力は込められないから、やっぱり人為的なものというよりも何らかの作用が働いて自然発生的に生まれた魔導石のようなものって言った方が正しいかも」
ようやくひねり出された説明は、魔導石に譬えたものだった。確かに想像はしやすいと、クライドもエミリアも納得して頷く。しかし、膨大な魔力が込められた魔導石と言われてしまえば今度は別の心配が生まれた。
魔導石には様々な用途のものがある。灯りをともすものだったり、魔術陣を完成させるために補完的に用いられるものだったりするが、その一番の用途は魔力を込めることで、術者の魔力を補うというものだった。
尤も、そのような魔導石があるからといって魔力がないものや魔術に適性のないものがたちどころに魔術を使えるようになるわけではない。魔術を自力で使える程度の魔力があり、かつ魔術に適性がある者でなければ魔導石に込められた魔力を使うことはできないとされていた。
そして、魔力を込めるための魔導石にも等級がある。等級の高い素材であればかなりの量の魔力を込めることができるが、等級が低いと殆ど魔力を込められないこともある。魔力を込めるためには魔導石に術式を刻まなければならない。そのため、術式を書き込む者や魔力を込める者の技量や熟練度によっても、魔導石に込められる魔力量が大きく異なる。
「つまり、この石があればそれだけで禁術にも手を出せるということでしょうか」
クライドは真剣な表情で尋ねる。
ベラスタは、“情調の珠”はそういった魔導石よりも遥かに膨大な魔力を込めているような感触がある、と言った。それはつまり、これまでであればあまりにも大量な魔導石が必要であるため現実的ではないと打ち捨てられた様々な魔術が、“情調の珠”によって実行可能になるという意味でもあった。
禁術の大部分は、世界の理に反した魔術である。実際に術式を作れないようなものも含まれているが、そうでないものも幾つか見受けられる。例えば大量の生贄――即ち一人や数人では賄いきれないほどの魔力さえあれば、実際に使える魔術も含まれている。
今クライドが持っている“情調の珠”を使えば、禁術に指定されている魔術も難なく使えるのではないかというのが、クライドの懸念だった。
だが、クライドの問いを聞いたベラスタは目を瞬かせると非常に疑わし気な表情を浮かべた。
「いやあ――? それは、どうだろう」
「魔力が大量に含まれていると言っていましたね」
「うん、感覚的にはそんな感じ?」
どうにも戸惑いを隠せない様子で、ベラスタは首を捻っている。一番自分の中でしっくりくる説明をしたものの、やはり完全に同等の内容ではないらしい。
クライドの視線を受けたベラスタはうんうんと唸っていたが、やがて「ああ、うん、やっぱり難しいと思うぜ」とはっきり言った。
だが、クライドにはベラスタが何故断言できるのかも分からない。クライドも十分魔術を使えるだけの腕がある。だが、物や他人の魔力を感じ取る能力は一般的だった。即ち、ベラスタの足元にも及ばない。
それはエミリアも同様だった。クライドと同じような表情で、ベラスタの確信に満ちた顔つきを眺めている。
「一応、魔力とは便宜的に言ったけどさ。でも、オレたちが普段魔術を使う時に使ってる魔力かって言われたら、なんか物が違う気がするんだよ」
「物が違う?」
「そうそう。試しにその金剛石使って、何か初級魔術使った魔術陣動かしてみれば良いんだよ。そしたら、オレたちが使ってる魔力と同じものが入ってるかどうか直ぐ分かると思うぜ」
そこまで言ったベラスタは、ふと良いことを思いついたと言うように目を輝かせた。
楽し気に笑みを浮かべたベラスタを見たクライドとエミリアは、何となく嫌な予感に駆られる。それなりに付き合いの長いクライドはほぼ確信して、そして付き合いがそれほど長くはなくとも、ヴェルクへの旅路の最中にベラスタの性格を目の当たりにしたエミリアは薄々この後のことを想像して、わずかに顔を引き攣らせた。
しかし、ベラスタはそんな二人のことなど一切気にも留めていない。顔を輝かせて、馬の上で僅かに跳ねた。跳ねたといっても、両足は鐙にかけているため大きく動いたわけではない。
ベラスタが動いても何かしらの指示を下されたわけではないと思っているのか、ベラスタの乗っている馬は僅かに鼻を鳴らして背中のベラスタを一瞥した。
「ああ、そうだ、それでその時に魔力検査用魔道具使って判定させてみたら面白いかもしれないな。規定外って出るか、それとも既知の魔力に分類されるか、確認したらそれも良いと思うんだ。既知の四属性と特殊属性に分類されたら、その分類が大雑把で更に細分化できるってことが分かるだろうし。もしそのどれにも当てはまらなかったら、これまで知られてなかった力が存在するってことも分かるんだ。あれだけ大量に何かが込められてる珠だったら、きちんと管理は必要だけど、それでも研究には十分量の力が――」
「ベラスタ」
興奮して話始めたベラスタは止まらない。呆気にとられたエミリアと苦虫を嚙み潰したような表情のクライドはベラスタが落ち着くのを待とうかと口を噤んでいたが、生憎と終わりは見えない。そのため、クライドが勢い余ったようにベラスタの言葉を遮った。
そのままの勢いで話し続けそうなベラスタだったが、クライドに名前を呼ばれたところで口を噤んできょとんと目を瞬かせる。クライドを見て、彼は首をかしげて「もしかして」と言った。
「オレ、また喋りすぎてた?」
「興味深い内容ではありましたが、あまり話しすぎると要らぬ禍を呼ぶことになりそうですね」
「あー、そっかー」
確かにな、とベラスタは頭を掻いた。
一つのことに熱中し周りが見えなくなる嫌いはあるが、元々それほど頭は悪くない。そのため、クライドが何を懸念しているのかも直ぐに理解したようだった。
「ごめん」
「別に構いませんよ。特に周囲に怪しい人影もありませんし」
「うん」
クライドの言葉にベラスタは慌てて術式を展開する。そして周囲に魔力が感知されないことを確認し、ほっと息を吐いた。
「隠れてる奴もいないみたい」
二人の会話を無言で聞いて居たエミリアは、わずかに気まずそうな表情だ。で、そもそも今“情調の珠”の話題を出したのはエミリアだった。自分が口にしなければベラスタがクライドに怒られることもなかったのだろうと思ったのだろう、申し訳なさそうな視線をベラスタに向けている。そして謝罪の言葉を口にしようとしたが、それに気が付かなかったベラスタが呆気らかんと全く違う話題を振った。
「それにしてもさ、王都からなんか来るって話だったけど、あれどうなったんだろうな? もうそろそろ来てもおかしくないと思ってたんだけど」
「そうですね」
ベラスタの指摘にクライドも同意を示す。二人にとっては、“情調の珠”が異常なほどの力を溜め込んでいることが他に漏れていないと確証が取れてしまえば、後は何の問題もないことだった。特にエミリアの謝罪を求めているわけでもない。
謝罪の機会を逸したエミリアは口を引き結んで小さく息を吐いた。
二人の気持ちは嬉しいが、やはり謝れなければもやもやが心の中に残ってしまう。こういう時、オースティンはいち早くエミリアの様子に気が付いて声をかけてくれた。ライリーも気が付きはするのだが、エミリアの事に関してはオースティンの方が目敏い。だが、その事実を知らないエミリアにとっては、オースティンが一番気遣いの出来る人だという印象が強かった。
だが、ベラスタとクライドが気にしていないのであれば、エミリアが気にするのも馬鹿らしい。そう開き直ったエミリアは、二人の会話に耳を傾ける。
ベラスタとクライドが一体何のことを話しているのかは、エミリアにも分かった。
「もしかしたら、王都から追いかけて来ている我々の仲間が上手くやったのかもしれませんよ」
クライドの言葉に、ベラスタとエミリアは顔を見合わせた。
元々、クラーク公爵家が国王を保護しているのではないかという疑いを大公派に持たせたのは、ケニス辺境伯との共謀によるものだ。そして彼らの予想通り、大公派は事を急いで八番隊をクラーク公爵領に派遣している。
早急に国王ホレイシオと王太子ライリーの身柄を確保したかったのだろうが、今回に限っては悪手である。その両方が王太子派の策略であると、大公派は見抜いていないようだった。
そして、クラーク公爵領に向かった八番隊を二番隊が追っているという連絡も、クライドたちは受けていた。
ライリーたちの元には二番隊の騎士が居て、八番隊を追っている二番隊と連絡を取れる。そしてクライドの所には魔術の天才ベラスタが同行しているのだから、文を飛ばすこともなく、簡単な内容であればすぐさま共有できるようになっていた。
だから二番隊が動いたという連絡だけは、途中で受け取っている。二番隊がどのような計画で何時頃八番隊に対処するのかまでは分かっていないが、二番隊が動いたという時点で随分と心持ちは気安い。
「このまま何事もなければ良いですね。私は荒事が好きではありませんので」
クライドはしれっと告げる。その言葉に、ベラスタも重々しい顔で頷いた。
「本当にな。オレもしがない魔導士の卵だし、今ここに居る武闘派はエミリア嬢だけだし」
魔導士の卵、という言葉にエミリアとクライドは胡乱な目を向ける。しかしベラスタは本気で言っているようで、二人の視線には反応しない。クライドは敢えてベラスタの台詞に突っ込みを入れることはせず、静かに告げた。
「魔力を使わせて申し訳ありませんが、結界だけはお願いします。エミリア嬢も、あまり油断をされないように。私も極力気を付けてはいますが、魔術も剣術もお二人よりは劣りますから」
「――人並み以上には強いくせに」
ベラスタがぼそりと呟く。クライドに聞こえていないはずはないが、クライドはあっさりと無視した。確かにクライドは魔術も剣術も人並み以上には使うが、時にベン・ドラコを圧倒する実力を持つベラスタや、魔導剣士としての才能を持っているエミリアと比べれば、どうしても強さには欠ける。
前言を撤回する気のないクライドは、そのまま口を噤んで真っ直ぐに前を見据えた。
63-5